2010年01月01日
あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。

あけましておめでとうございます。
去年は、とくに後半はうまくいかないことばかりだった気もしますが、振り返ってみるとサービスを一個リリースできたことと、それにともなって重要な出会いがいくつかあったこと、それになんといっても家族全員が大きな病気をせずに一年を過ごせたこと、等々よかったこともたくさんありました。
今年一年またよろしくおねがいします。去年のテーマは「勝負強い」でしたが、なんかイマイチだったので、今年は「前向き」にしたいと思います。ベタですが、なるべくポジティブな雰囲気がでるよう心がけたいところです。
今年もよろしくおねがいします。
2009年12月14日
お経とAR
2009年11月20日
Lifelog Meetup - ライフログをテーマにした軽いイベントを行います
詳細はこちらから
http://atnd.org/events/2104
ちなみに僕がなんでライフログに興味を持っているかというと、いくつかあるのですが、一つはそれが単に記録を残すというだけでなくて、うまく共有されると情報発見のツールになるのではないかと思っているという点です。それは検索ではできないことだと思ってます。
ということでよろしくおねがいします
2009年10月20日
今日のTweet - 「死んだ友達のWikipedia」というアイデア
よいウェブサービスのアイデアがあるのだが、どうやって実現したらいいか分からない。
posted at 22:43:42
なのでちょっとたれながそうかと思う
posted at 22:44:13
@grkt_enya お金にはなんないかもしれない類のやつですw
posted at 22:47:35
コンセプトは「死んだ友達のWikipedia」というもので、つまり誰かが人生を終えた時に有名人ならWikipediaに情報が残るけど、残りの人たちにとってもそれなりの来歴やエピソードはあるわけで、それを友達が書いていくというもの
posted at 22:49:34
もちろん名前だけではURLにならないので例えばttp://memorywiki.org/山田花子/1950-2007 のような名前+生年+没年がURLになる
posted at 22:51:19
今のFacebookなりmixiなりもそのうちみんな死んで行くわけで、生きてるうちは情報を更新できるけど、死んだ時のまとめが自分ではできない
posted at 22:52:43
実際、僕の友達でも死んでからもマイミクの人がいて、mixi的には死んでるかどうかは分からないわけで。なんかこう、エピソードをまとめてあげたいんだけど、適切な場所がない気がしてるのです。
posted at 22:54:44
あと自分の親とかも、もちろんWikipeidiaにのるような多くの人にとって価値のある人生ではないのだけれど、家族にとっては重要な人生なわけで、ネット上にパーマリンクを残してあげたいとか。
posted at 22:56:17
ページの作り方はWikipediaの人物のとこによくある来歴とエピソードを残された人が編集してくような感じ。例えばあるフェイズだけ知ってた友達(例えば大学時代だけとか)のエピソードを書き込むと、他の友達が別の時代のエピソードを足してくと面白いページになるんじゃないかな
posted at 22:59:25
というようなサービスをやりたいんだけど、どういう組織でやったらいいやら検討がつきません。ベンチャービジネスって感じでもないし。
posted at 23:01:09
コメントお待ちしておりまする
posted at 23:02:16
@yukio_andoh あ、確かにボットもいいかもしれませんね。某_anohitoボットなんて、まさに周りの人が名言を集めてるので、本人が死んでもTwitter上で生息してく感じですね
posted at 23:04:29
@yukio_andoh Spyseeはなんか機械がまとめてる感じで、それも一つの形ですが、Wikipediaのエピソードの項目なんかは、第三者の視点を経過してるのが魅力ですかね。結婚式スピーチとかも同じような面白さありますよね。
posted at 23:07:50
お!何でしょう。気になる RT @hari_nezumi ケータイ葬送WS http://bit.ly/kTY6k
posted at 23:08:35
問題はどういう組織で運営するのがいいかってことなんだよなあ。個人サービスはちょっと違うと思うし。ちゃんと続かないと意味ないし。NPOみたいな感じかなあ。
posted at 23:29:18
2009年09月13日
「いろはす」のデザイン過程が知りたい
コカコーラの出した「いろはす」という水はデザインの勝利だと思う。コカコーラのミネラルウォーターというと「いろはす」の前はAQUAだかなんだかという、ある意味コカコーラらしい(ポカリに対するアクエリアスのような)それっぽい名前のパッとしない商品だったのだけれど、この「いろはす」はなかなか個性が出ていてよいと思います。何が気に入っているかと言うと、まずは「いろはす」という平仮名の名前。ヨーロッパ風のアルファベットでもなく、南アルプス天然水みたいな漢字で日本風の正統さをだすのもなく、平仮名で、しかもなんとも言えない響きの造語をもってきたというのがなかなかチャレンジだと思う。あとはパッケージデザインも水でありがちな青系をわざと避けてるし、さらには絞れるボトルで、ボトル自体が普通じゃないというのを強調している。この「ボトルが絞れる」というのはなかなか頭に残るメッセージですよね。ちょっと話題にしてみたくなる。
これってどうやって作ったのだろう?決まるまでのボツネタやプロトタイプを見てみたいものである。コカコーラ的な大会社だと、それなりに調査をすると思うのだけれど、例えばグループインタビューとかで「いろはす」ってどうですか?と聞いて「いいですね!最高ですね!個性がでてますね!」なんて言われるとはとうてい思えない。「へんな響き」「水じゃないみたい」とかって言われるのが想像に難くない。それに、社内会議とかでも、他社と同じようなデザインの方が納得されやすいんじゃないかと思う。きっともともとのアイデアは勘で決めてるんだろうけど、チームで納得感をもってもらうためにはある程度ロジックで語られているはず。プレゼン資料とか見てみたい。絶妙なポジション取りは何を参考にしたのだろう?
2009年09月08日
PCに向かう人の姿をスケッチする?
2009年07月11日
ARについて

セカイカメラのデモ中
AR、どうなんだろう。ARの話を聞くたびにどうもちょっとしたモヤモヤ感が残る。それは何だろう?
これまでのインターネットはパソコンを前提につくられていて、ネット上の情報は特に場所や時間から切り離されて存在してきた。今後iPhoneに代表されるようなモバイル端末が普及してくると、ネット上の情報と現実空間(特に代表的な要素としては場所)に強くひもづいていくだろう。そうすると、現実空間とネットの情報をつなぐという意味で、セカイカメラ的なAR手法はひとつのモデルかもしれない。ただし、それは現実の拡張といよりも「情報の付加」くらいの感覚が近いのではないだろうか。Twitterで徳井直生さんが
『Augmented realityっつうより Information augmentation.』
http://twitter.com/naotokui/status/2564623308
と言っていたのは、(もしかしたら本人の意図とズレちゃうかもしれないけど)すごくしっくり来て、今とりあがられているARは現実を拡張しているというよりも、なんとなく情報をマッピングしているだけのような気がする。それは何と言うか交通標識のようなもので、それが悪いとは言わないのだけれど、それだけじゃないだろう、と思ってします。

メタデータ
そうだとすると、どういう方向で考えていけばいいだろうか?
ところでARの問題意識って何だろう?例えばTangible Bitsは分かりやすい。ビット、つまりデジタルな情報は手に触れることができない。デジナルな情報の根本的な扱いにくさはそこにある。なのでソロバンのように手で触って直感的に操作するインターフェースが必要だ、というストーリーだ。ウォークマンのエピソードなんてもっと分かりやすい 「海外出張の機内で聴けるカセットステレオを」と井深氏が要望したのが始まり(ということになっている)らしい(参考)。AR的なアプリケーションを考えるにあたっての核となる問題意識は何だろう?情報が得られれば便利になる、生活が豊かになる、それはそうなのだけど、もっと深いところに、もっとシンプルな欲求がベースになっているのではないだろうか?センサーがついたから何とか、ではなくて、今の私たちが欲しているものは何だろう?
2009年07月04日
わたしたちも変わる時期かもしれない
STUDO VOICEが休刊した。少し前にはエスクアイアもマリクレールも休刊した。雑誌は不況というのは聞いていたけれど、いよいよここまで来たかという感じだ。STUDIO VOICEと言えば18くらいの僕にとってはちょっとしたバイブル的な雑誌で、いわゆるサブカルチャーの多くをそこで知った。なんというか、そういうカルチャー入門者向けのガイドとしてはとてもよくできていて、とにかくクールでかっこいいこと、オルタナティブであること、そういった都会的な要素にちょっと酔った。まぁいい。昔話はそこまで。今回思ったのは出版とかメディアの形態が変わる、ということ以上に、実は今が「わたしたちも変わる時期」なのかもしれない、ということだ。つまり、今までは、前の世代が信じてきたものがあっけなく置き換わっていくのを、比較的新参者の私たちがニヤニヤと笑いながら波が来るのをつかまえては乗ってきたわけだけれど、ここから先は「かつて自分が愛着を注いだもの、正しいと信じたもの」が変わっていく時期になってきたのではないだろうか。それは初めての体験だ。自己否定は楽しいものではないが、待っていてももうそんな波は来ないなら、リニューアルしていかないと大変なことになる。さあ、どうする?
2009年06月22日
チャンドラー方式

チャンドラー方式というのは、小説を書くために「毎日決まった時間を決まったデスクですごす」というもので、とにかく2時間なら2時間をデスクの前でボーッとしているというものだ。その時間は本を読んだり音楽を聞いたり猫と遊んだりTwitterを見てみたりしてはダメで、たとえ一行も書けないとしても机の前に座っている、というのがルールなのだそうだ。そのやり方は村上春樹的には気に入っていて、例えばヘミングウェイのように戦争だ、カジキ釣りだと出かけるよりも健全なんじゃないか、というように書いてる。
なんだか、そういう考え方も面白い。最近では新手のブレスト方法みたいなのが流行してるし、僕もそれはそれで嫌いじゃないのだけれど、やっぱりそういうのは、色んな意見を自分の中に取り入れるためのインプット手法であって、根本的な発想は割と一人な状態で生まれるような気がする。チャンドラーが対象としている小説がもともと個人プレーでなせる営みであるという点を差し引いても、そういうやり方は仕組みとして孤独を作るというような点で有効なんじゃないかと思う。
まぁでも一人で考えるのってちょっと不安になるときもあるわけで、このエッセーの最後もこんな風に終わる
窓の外ではセイタカアワダチソウとススキが風に揺れ続けている。犬がやってきて、去っていく。飛行機が飛んでいく。今は1983年の春で、僕は34歳である。僕は机の前でいつまでもぼんやりしている。本当にそのうちにまた何か書けるようになるのかな、と思う。今は何も書きたくないのだ。どうしてかは知らないけれど。
そういう気持ちはちょっと分かる。
2009年06月19日
CANVASのパーティ

Canvasのパーティー
前々から気になる団体だったので偶然こういうチャンスがくるとは、と自分でもちょっとびっくりでした。せっかくなのでとPhotomemo(フォトメモ)のプレゼンもしてきました。最近では、いつでもデモができるようにと小さいPCとネット接続用のEモバイルを持ち歩いているのですが、こういう機会があると役に立ってうれしいです。それなりに重いですからね。逆に言うと、チャンスが来た時に準備ができている、というよりも、準備ができているからチャンスが来るんじゃないかなと思ったりもします。何はともあれパーティ自体も面白い人とたくさん話せて楽しかったです。今日は全体的に人との出会いや再会と言う点では、とても充実していました。たまにしか話さない人も多いのですが、そのおかげで楽しくやれている気がします。A bientot!
2009年06月16日
もし今、メールを発明するなら?
Google Wave (Video)
正直、現時点でのWaveの作りを完全に賛同するわけではないのだけれど、その問いかけはすごく興味深い。もし自分ならばどうするだろうか?と考えたことのメモ
* 漏れ聞こえ:オフィスなどのあるコミュニティのところで行われる会話は、実は結構聞かれているし、アンビエントな情報として、結構発見があったりする。それほどプライベートなものでなければ、ある程度オープンスペースでメッセージがやりとりされるような仕組みでもいいかも
* 会議室:もちろん重要な会話はキチッとプライバシーが確保された場所でされたい。
* 目的があるかないか:何か会話して決めるべきゴールがある場合とない場合がある。チャットをするにしてもゴールの有無で形式が違うかもしれない。
* チャットのVersion contol?:本の対談記事なんてのは会話のテープ起こしの上にかなりの修正を加える。チャットをしたものを後から加筆編集するってのはどうだろう?
とりあえずここまで。もうちょっと考えよう。
(で、たまにはブログを更新するようにしよう)
2009年05月11日
自動販売機のボタンを二つ同時に押す
ぴったりのレコメンデーションはつまらない。いつもお昼がマックだからって、システムにマックをおすすめされると腹が立つ
よく知ってる人同士のマイミク空間は快適だけど、ノイズが少ないので退屈。
多くの場合、結局答えは自分の中にある。どう選択肢を狭めるか、どこまで偶然をまぜこむか。コントロールをどのレベルであきらめるか。
テレビやラジオはある程度、選択肢が限定された上でのランダムなので、完全なコントロールを諦められる。完全にコントロールされた世界はつまらない。iTunesStoreで買うものは、タワーやHMVで買う場合よりも保守的になる。
この間、ある人が、ジュースを買う時に、二つのボタンを同時に押しているのを見た。理由はと聞くと「カルピスとココアで迷ったので二つ押したんですよ」とのこと。よくやるのだそうだ。このシーンは結構印象的で、選択肢をある程度しぼった上で、最後に作為的にランダムを注入している感じがした。まったく飲みたくないもの、例えばお茶とかコーヒーとかが出てくるのは嫌だが、ある程度の範囲内でならコントロールを委譲してしまう、といった感じか。
そうだとすると?
2009年04月04日
みんなで集めた@桜の写真をブログにはりつける
こんな感じ
詳しくはこちらから
いよいよ今週末は東京地方で見頃ですね。晴れるといいですね!
お花見の際は、ぜひ携帯で写真をとってPhotomemoにアップロードしてみてください!
Photomemo(フォトメモ): http://photomemo.jp
2009年03月31日
テレプレゼンスの形?

テレプレゼンス?
これはこれでなかなかかわいい動きをしてよかったのだけれども、これって本当に面白いかなという点では若干疑問符がつく。利用シーンとして、一人暮らしの大学生と親とか、離れて暮らす家族みたいなのが描いてあったけれど、果たして喜ばれるものだろうか。こういった作品はいくつかあってお茶大がやってた遠距離恋愛支援システムもゴミ箱のフタやらテレビのリモコンやらが彼氏と彼女の部屋で同期する、というようなもので、その説明ビデオがかなり笑えてよかった。それ以外にもいくつかあると思うんだけど、結局要素技術的にはそういうリモートで動きなり何なりを転送して再現するということは割と安くできるようになってきてるのだろう。だとすると、何か売れる商品がでてきてもいいような気がするがでてきていない。なぜだろう?
なんとなく思うのは想定してるニーズ 、例えば離れて暮らす家族や恋人、とは違うところに本当のユーザーがいるのかもしれない、ということ。例えば電話も、もともとはビジネス用途として開発されたけれど、実際にひろまったのは主婦の世間話だったりした、というように、離れて暮らす家族が会いたいだろう、気になるだろう、とはちょっと違う見方が必要なのかもしれない。
つづく(予定)
[追記]今日みたものの説明ムービーはこちら
http://www.kansei.tsukuba.ac.jp/~uchiyamalab/cololo/Movie_%28Japanese%29_%3A_COLOLO.html
否定的にトーンでとられるとなんなんで書いておくと、この作品、基本的に色々共感できるところは多いんです、伝える情報量をあえて絞ってるところとか、かわいい見た目とか。色んなヒントがありそうな気がしてます。
2009年03月28日
gooラボ「ネットの未来カンファレンス」
http://blog.goo.ne.jp/labstaff/e/fcdae776caefeb84ca00d3e4f200694c
