2017年06月21日

『夜と霧』が伝える人間の尊厳

c48a0b65.jpg戦前と全く同じことが起こるとは思えませんが、戦後70年を否定的に評価して、戦争の時代に後戻りさせようとする権力意思が露骨な世の中になってきました。人権の尊重や、思想・信条の自由に制約が求められているようです。歴史を振り返る必要をあらためて感じます。

突然ですが、アウシュビッツ強制収容所には、旅行で訪れて強烈なインパクトを受けました。最近いくつかの読書体験をしたこともあり、ナチ・ドイツ時代を学習しながら思いを記します。

「ホロコースト」は、ナチ・ドイツによるユダヤ人大虐殺を表わす言葉として知られています。1978年にアメリカで放映されたテレビドラマのタイトルに由来しているということです。しかし、この言葉は旧約聖書の「神への供え物」の意味が含まれているので「、イスラエルでは好まれずヘブライ語で破局・破滅を意味する「ショア―」が用いられています。(石田勇治『ヒトラーとナチ・ドイツ』、講談社現代新書、2015)

およそ600万人のユダヤ人が殺戮されたと言われます。しかし、ヒトラーやナチ幹部たちが最初から大量殺戮を目論んでいたわけではないようです。そこが、問題だと思います。戦争の混迷に伴い、ホロコーストに行き着くのです。歴史に学ぶ意味があります。

「帝国水晶の夜事件」と言われる、反ユダヤ主義暴動、迫害が勃発したのは、1938年11月9日夜から10日未明にかけてのこと。ドイツの各地でユダヤ人の居住する住宅地域、シナゴーグなどが次々と襲撃、放火されたものです。暴動の主力となったのは突撃隊(SA)のメンバーであり、ヒトラーや親衛隊(SS)は傍観者として振る舞った。ナチス政権による「官製暴動」の疑惑も指摘されている。この事件によりドイツにおけるユダヤ人の立場は大幅に悪化し、ホロコーストへの転換点の一つとなります。

1941年3月3日、ヒトラーは国防軍統合司令部へ秘密の指示を出します。「ユダヤ=ボリシェビキ知識人は国民のこれまでの「抑圧者」として除去しなければばらない。」ソ連侵攻はヒトラー個人の意思にとどまらず、犯罪的な戦時法規を軍が実施することを意味していました。(芝健介『ホロコースト』、中公新書、2008)

同年6月、ドイツはソ連に侵攻、ユダヤ人の集団虐殺が行われます。12月にはポーランドにヘウムノ収容所が出来ますが、人間の殺害のみを目的とした絶滅収容所です。ユダヤ人たちは「ガス・トラック」に乗せられ殺害されました。また9月1日、ドイツ国内のユダヤ人には黄色い星着用義務が科せられています。

ヴィクトール・E・フランクルが逮捕されたのは、こうした状況においてのことでした。非ドイツ国民で党と国家に反逆の疑いのあるものは、家族ごと捕縛して収容所に拘引せよという、極めて非人道的な荒業が国家意思として行なわれていたのです。

いうまでもなく、フランクルの書いた『夜と霧』(みすず書房、新訳は2002年発行)は、人間の尊厳について考えさせられます。最近、文庫化された、河原理子さんの『フランクル『夜と霧』への旅』(朝日文庫、2017)を手に取ったことも、より深く考える手がかりを与えてくださいました。ちなみに同著は、『夜と霧』が人々のどのように受けとめられたか、その影響力の広がりを伝えて興味がさらに深まるキュメントです。著者は「取材し、人に会い、たくさんの本を読み、フランクルに近づいていく過程は、自分がいかに知らないかを知る過程でもあった。一本棒のようなやせた認識が、少しづつふくらんで、私は解きほぐされていった。」と書いておられます。

1941年のある朝、フランクルは、軍司令部に出頭を命ぜられます。いったんゲシュタポ管理下のユダヤ人病院の精神科へ勤務することになり、いわば執行猶予が与えられますが、1942年9月頃になって、こと、両親ならびに新婚の妻ともどもテレージエンシュタット収容所に送られます。2年間の猶予期間が与えられたものの、ついに1944年10月、フランクル夫妻はアウシュビッツに移されます。妻も希望して同行しました。アウシュビッツ到着後の「選別」で、生き延ビルことが許されたフランクルは、数日後にダッハウ収容所の支所に移送されます。フランクルは、ダッハウで戦闘機工場建設のために強制労働させられることになったのです。妻とは離れ離れになりました。運命に翻弄される日々の始まりです。妻や両親とは死別を余儀なくされてしまったのですが、さまざまな運命のいたずらで、フランクル自身は生を全うすることができたのです。

よく知られている場面なのですが、アウシュビッツで貨車を降りたあと、親衛隊の高級将校の前に整列させられて、その男の人差し指の動きが生死の境目だったのでした。生き延びる知恵を、アウシュビッツで運よく出会った知り合いから教えられます。「毎日髭を剃り、働ける状態であることを示せ」ということでした。

フランクルは、収容所での心理状態の変化を伝えてくれています。最初はショックを受けて、そこから脱出できないものは死を恐れなかったという。そして収容が長期化し、内面化が進むと感情が麻痺してきます。懲罰を受けている被収容者を見ても何も感じずに眺めるようになっている。しかしこれは精神にとって必要不可欠な自己保存メカニズムであったと言うのです。

自由についても、述べています。フランクルが人間への信頼を宣言している箇所です。
「強制収容所にいたことのある者なら、点呼場や居住棟のあいだで、通りすがりに思いやりのある言葉をかけ、なけなしのパンを譲っていた人びとについて、いくらでも語れるのではないだろうか。」

すべてを奪われても、人はあたえられた環境での振るまいに、「最後の自由」を奪われることはないと言われます。人間としての尊厳を守れるかどうか、決定権は自分自身だということです。

河原理子さんも引用していますが、強制収容所において病気で息を引き取った若い女性のエピソードは美しい。自らの運命に感謝しつつ、病室の窓から見えるマロニエの木に話しかけます。木は「わたしは、ここにいるよ、わたしは命、永遠の命」と答えている。
死と向き合う中で「いのち」を深めることはできる、と河原さんは希望として受け止め、そして記述したおられます。

ナチ・ドイツの蛮行が許容された世界が地球上に存在した意味を見つめ直すとともに、同様な蛮行が現代世界からも根絶されていないことから目を逸らすことができませんね。

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2017年05月24日

読書会の課題図書『ありふれた祈り』

450d8950.jpg真生会館で、2カ月ごとに実施されている森司教との読書会。今回の課題図書は『ありふれた祈り』(ウィリアム・ケント・クルーガー著 ハヤカワ・ミステリー文庫、2016)でした。

物語の舞台は、1961年ミネソタ州のニューブレーメンという町(架空の町のようです)ですが、語り手は40年前に自らが体験した苛酷な出来事を描き出しています。推理小説なのですが、すでに多くの読者の方が指摘しておられるように、一人の若者がその体験を通して成長していく物語ともいえましょう。しかしその体験は、5人の死に出会うことでもありました。今になって思うことは ̄鍛劼龍欧襪戮代償について ⊃世龍欧襪戮恵みについて だと語り出します。その出来事とは、どのようなことだったのでしょう。
登場人物のうち、大人の男たちの多くは戦争による心身の後遺症を伴っているようです。語り手はフランク・ドーン、両親と姉・弟と暮らしています。父はメソジスト派の牧師ですが、戦争体験を経て職業選択を変更したことが知らされます。母は弁護士の妻となると思っていたので、夫の職業には不満を持っているようですが、教会では音楽的才能を発揮します。

ボビー・コールという少年が鉄道事故で亡くなるという出来事から、物語は始まります。ボビーの葬儀で歌う母は聴くものの心をとらえます。「母の歌声は、神が最善の理由からボビー・コール」をお召しになったことを私に信じさせてくれた。」とフランク少年が絶賛していることは、印象的です。ボビー少年には知的障害があったらしく、教師からものけ者扱いされていたらしいのですが、ボビーの美点を知っていた教会の雑用係のガスは、棺の上に手を載せて、信徒たちに向かってこう言います。ボビーは「彼にほほえみかける物になら誰にでも、その幸せを与えたってことなんだ。」、でも「みんなはボビーをからかった。キリスト教徒のくせに、石を投げるように言葉でボビーを傷つけた。」無垢の少年に、世間のみならず信徒からも冷たい眼で見られていたようです。

事故死と思われたボビーの死に対して、疑惑が投げかけられました。鉄道線路には浮浪者がいたことを巡査のドイルが気にしているのです。ボビーが亡くなったのは川にかかった長い構脚橋、実はフランクと弟のジェイクも時おり遊び場所にしていました。彼ら兄弟は橋に腰を下ろして下の川を眺めるのが好きだったのです。ボビーの死にまつわる何かを見つけたくて、フランクは弟と一緒に構脚橋に向かうと、インディアンの男と外套を着て横たわる男の姿を見てしまいます。インディアンは横たわる男が死んでいると告げます。彼は、戦争で大勢の人間が無残に死ぬのを見たけれど、この男は普通に脳卒中か心臓発作で死んだので、いい死に方だとフランクたちに語ります。おそらく死んだ男は浮浪者の一人なのでしょう。ところがインディアンが弟の膝に手を触れたことをきっかけに二人はあわてて逃げ出します。町に戻って男が死んでいることをドイルたちに告げたのですが、なぜかインディアンがともにいたことは、ふせてしまいます。

物語はさりげなく、社会的弱者への偏見・差別の実態に触れています。フランクと弟がインディアンの男の存在を口にしなかったのは、社会的な偏見があるので、いきなり犯罪者と決めつけられて、暴力的な扱いをされるのではないかと、思わずかばってしまったのではないでしょうか。さて、彼らが線路に近づいたことに対しては、両親からの厳しい叱責が待っていました。牧師の父は、自分が棺以外の場所での死を見たのは戦場であり、それは驚くものであり怖かったと伝えます。だから、フランクたちには、そのような死に出会うことから遠ざけたかったと話します。

いくつかの謎が提示されています。何よりも父親は、戦争でどのような体験をしたのでしょう。「彼らはみんなあんたのせいで死んだ」とガスが父親に言うのを、フランクは聞いてしまいます。また、その言葉に呼応するかのように、父親が「神の恐るべき恵み」を求めて祈っていることも、フランクは知っています。

そしてフランクが慕う姉のアリエルにも、秘密がありました。夜、どこかへ出かけているようなのです。姉18歳、秋にはジュリアード音楽院に進学予定になっていた。また、母親のかつての婚約者であり音楽家のエミール・ブラントの指導でピアノ・オルガン・作曲を学んでいるとともに、回想録の口述の手伝いをしており、エミールの甥のカールとは恋人同士のように思われていました。

エミールの家庭環境も複雑といえます。特権階級のブラント一族の一員であるにもかかわらずニューブレーメンでも西のはずれの農家に生まれつき難聴の妹リーゼと暮らしています。エミール自身は、第二次大戦で失明し、顔にも大きな傷を負いました。しかし自然環境には恵まれています。リーゼが育てる野菜は大きく実っています。父親と、ブラントはチェスで交友を深めています。母がかつてブラントと婚約していたことを問題にしていないように、フランクには思えています。ブラントが無償でアリエルに指導しているのと引き換えに、回想録のタイピングを手伝っていることがわかってきます。

その姉が、ある日行方不明になります。ミステリーの要素がある作品ですので、物語の詳細は、このあたりでとどめておきましょう。思わぬ展開が待っています。大きな悲しみの時間をフランクの家族は過ごさなくてはなりません。その悲しみのため一度は引き裂かれた家族は、どのように立ち直ることができたのでしょうか・・・・

作品のテーマとなっているのは、パスカルの名言「心は理性が理解できない知力を持っている。」のようです。エピローグでは40年後の場面が描かれていますが、その光景が、美しく胸を打ちます。森司教は、この作品は弱者の視点が鮮明に記されていて、人間の弱さ・悲しみを知る者は他人を責めることがはできなくなることがわかると指摘されました。登場人物の中で、父親の牧師は理想を語りますが、一方、ガスという人物が人生のありのままの姿をフランク兄弟に教えるという形で、いわば両輪となって育ててくれていることに意義があるようです。素晴らしい作品にめぐりあえました。

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2017年05月13日

『家康江戸を建てる』から教えられたこと

cdd1331d.jpg門井慶喜さんの小説『家康江戸を建てる』(祥伝社、2016)を読みました。家康は信長や秀吉に比べて注目度は低いようですが、かなり用意周到な人物だったことにこの連作集を読みながらあらためて思いました。秀吉から与えられた関八州、とりわけ江戸を家康が今日につながる計画都市の基盤をいかにして作り上げたのかに視点を定め、とても面白い読み物になっています。

秀吉から与えられた新領地の代わりに、現在の所領である駿河、遠江、三河、甲斐、信濃と交換させられたのですから、家臣一同は、こぞって反対します。しかし家康はこれをうけいれ、小田原でも鎌倉でもない江戸城を住居に選びます。この江戸を年月かけて、現代につながる大都市に変えたのは、この物語に登場する多くの技術者たちだったことが明らかになります。

第一話「流れを変える」では、伊奈氏が登場します。家康が江戸の地ならしを託したのは伊奈忠次という人物、かつて一向宗門徒の一斉蜂起の際には、あえて鎮圧行動を怠り家康の怒りを買って追放された男でした。しかし武人としてより文官としての生き方を選んだ忠次には、新しい時代を作る為の役割が与えられたのです。それは利根川東遷の端緒を切り開くための事業でした。治水や灌漑、検知、交通網の整備等々、激務に忙殺されて完成に導かれなかった忠次の利根川東遷事業は、次男の忠治に引き継がれます。伊奈忠治は、見沼溜井を作った方ですので、馬場小室山遺跡に集うものの一人としては、すでに馴染み深い存在です。

ところで忠次の長男・熊蔵は、父親の薫陶を受けたものの家康の命で駿府に呼ばれました。それは武門の誉れを与えようとした家康の計らいだったのですが、秀頼との戦いを優先していた家康の意向に応えることができず、34歳という若さで世を去っていました。思いがけず忠治は父親の事業を引き継ぐことになったのです。そして物語は忠治の息子・半左衛門の代に及びます。その時代にはすでに治水から利水を目的としていました。しかし、忠治ともども利根川東遷事業を完成するという目標を、忘れてはいませんでした。完成を待たずに忠治は亡くなりますが、常陸川との合流が実現します。伊奈の家は、そののちも関東郡代をつとめる家となったのでした。

第二話「金貨を延べる」の登場人物は後藤庄三郎ですが、長谷川長安とのやり取りの描写を面白く感じました。家康が関東入国して三年、文禄四年(1595)、後藤家当主の弟、長乗が京から江戸にやってきます。従者として付き従った橋本庄三郎は、二年後長乗が帰洛しても江戸にとどまり大判鋳造の腕前を家康に披露します。しかるに、家康は大判の製造中止を命じました。その命令を伝えた人物は代官頭の長谷川長安、猿楽師の出身と言われ、かなり癖のある人物のようですが、徳川家臣団の重鎮となっていました。庄三郎とのやり取りの描写が面白い。庄三郎は家康の命令を実行すれば、いずれ太閤大判を凌駕することを見ぬきます、これを聞いた長谷川長安は、「いくさじゃ、これは貨幣戦争じゃ」と目を輝かせます。庄三郎は後藤家の養子となることを願い出ますが、屈辱を味あわされます。猶子として一代限りの「後藤庄三郎光次」と名のることのみ許されたのです。いまだ秀吉政権の力が優位だった時代です。しかし秀吉が亡くなり、関が原で天下の様相は一変します。合戦の後、家康の発行した慶長小判は全国流通のものでした。庄三郎がその技術を発揮し、貨幣は信頼できる通貨としての役割を果たす基礎を作ったのでした。

最初の二つの物語のあらすじ、時代背景などを簡単に書いてみましたが、面白さはこの連作集を読むことで堪能できると思います。第三話「飲み水を引く」、第四話「石垣を積む」、第五話「天守を起こす」と続きます。第四話にも長谷川長安が登場しますが、庄三郎と出会ったころとは人変わりして、驕慢の振る舞いがひどい人物として描かれています。長安死後に、遺児たちが死罪になった原因を「放埓さが家康の癇にさわったものと思われる」と断じています。ただし、「21世紀の現在においても長安はその民政官僚としての功績をじゅうぶん評価されているとはいいがたく」とも述べられていることも気になりました。謎の多い人物と言えるようで、興味をそそられました。

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2017年04月25日

『ねこのおうち』は幸せを呼ぶ

20482706.jpg気楽に手に取った単行本『ねこのおうち』(柳美里著 河出書房新社、2016)でしたが、読み進めるうちに恐るべき動物虐待の現実が見えてきて、衝撃を受けました。私には猫を飼った経験はありませんが、読みながらいとおしさがわいてきました。「ですます」調で語られているので、童話のように思えて読み始めましたが、ありふれた日常に現代日本の痛ましい現実を再認識させられました。

ニーコの飼い主は一人暮らしのおばあさん、ニーコは捨て猫だったのです。ニーコの母猫は三匹の子猫を生みましたが、飼い主は処分に困ったニーコだけを、靴箱の中に入れて夜の公園に捨ててしまいました。それをおばあさんが拾って育ててくれたのでした。・・・

ところが、そのおばあさん、数年後には認知症が進んで、ニーコの世話ができなくなってしまうのです。ニーコは野良猫になって、6匹の子猫を生みました。(ぼんぼり尾の茶虎、キジ虎、カギ尻尾の茶白、真っ白な長毛、真っ黒な長毛、サビの長毛)

悲しいことに、子育て中のニーコは、野良猫を毛嫌い人によって草むらに仕掛けられた殺虫剤入りの団子を食べて、苦しみながら死んでしまいました。残された子猫たちの運命は・・・・

すでに、人間の都合による動物虐待の現実と、高齢化社会の生々しさが作品に投影されています。一人暮らしのおばあさんの孤独を慰めるニーコは、いきなり野に放たれ、悲惨な最期を遂げてしまうのです。もっとも、お話は、これから進展します。6匹の子猫たちは、野垂れ死にすることなく、それぞれに飼い主に出会います。その飼い主たちも、現代日本の縮図と言える人物像として描かれています。ここに作者である柳美里さんの社会を見つめる視座が、色濃く反映されているといえるのでしょう。

動物病院の前で偶然、ねこ里親募集の貼り紙を見て、「毛が長く、黒と茶と白と灰色がぐちゃぐちゃに混ざった錆色のオスねこ」を飼うことに決めたのは、27歳でライターのひかる。年齢の割にはちょっと頼りない感じがします。両親が離婚して、父親は一人暮らし、母親は再婚、祖父母の元で成長したことにその一因があるのかもしれません。「アルミ」と名付けたこの子猫はひかるをいやしてくれます。「アルミ日誌」を付けることにしました。アルミと食事をし、お腹の上にのせて眠ります。「ねこの周りには平安としか言いようのないものが漂っている」と思うのです。

クリスマスの日、教会の掲示板には「神にできないことはなに一つない」という聖句が掲げられています。礼拝堂には聖劇を見るために人々が集っています。ひかりも来ていました。動物病院の港先生が、気づいて声をかけます。そして、ひかりの後ろに立っていた男性にも声をかけました。今井さんというその男性もニーコの子猫の飼い主でした。

今井さんの奥さんがちょうど一週間前に天国に旅立ったことを、港先生は知らされます。港先生と並んで立っていた牧師さんに、妻をがんで見送ったばかりの今井さんはたずねます。

「神にできないことはなに一つない、という言葉はどういう意味なんでしょうか・・・」

牧師さんは、言葉を選んで慎重に答えています。途方に暮れるほどの悲しみに対して目に見える形では神は答えてくれませんが、「神は、ただ苦難に堪え、苦難とたたかう力を貸してくださるのではなく、苦難そのものを祝福してくださるのです。」

今井さんは亡くなった妻との思い出を、子猫の「ゲンゴロウ」と死んだ「ラテ」を保健所から譲り受けた経緯を含めて回想しています。それはわずか半年の出来事でした。

切ない物語が綴られていました。涙なくして読めませんが、最後まで読み通すと、思いがけない人物が再登場してきますし、少しハッピーな思いにさせてくれます。

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2017年04月07日

ミュシャの描いた《スラヴ叙事詩》

4761ef52.jpg国立新美術館で開催されている「ミュシャ展」、呼び物は大作《スラヴ叙事詩》です。
体調は芳しいとは言えない状態でしたが、リハビリの意味もあるので、一昨日会場に出向きました。会場に入ると巨大な画面に圧倒されますが、描かれた場面にも感動の波が押し寄せてくるといった思いになります。

アールヌーヴォーを代表する画家であったミュシャが、晩年を制作に意欲を燃やし続けたこの作品群を鑑賞できたことは、大いなる喜びですが、ミュシャの思いを冷静に受け止めてみたく考えてみました。

そもそも画材の「スラヴ」とは何か。定義するのが意外と難しいようです。インド・ヨーロッパ語族スラヴ語派に属する言語を話す諸民族集団を指し、したがって、あるひとつの民族を指すというものでもなく、言語学的な分類に過ぎないとも言われます。ロシア、ウクライナ、ベラルーシ、ポーランド、チェコ、スロバキア、ブルガリアなど広範な国々に及びます。従って、ミュシャの出身地であるチェコもスラヴ系民族ですが、ミュシャ自身が民族意識に目覚めたのは、スメタナの交響詩『我が祖国』の影響とも言われます。ある民族に帰属するという意識は、生まれつきというわけでもなく後に意識されるものかもしれません。

「ミュシャ展」では《スラヴ叙事詩》の全20作すべてが展示されています。

写真の《原故郷のスラヴ民族》は1912年に完成され、ミュシャが「トゥラン族の鞭とゴート族の剣の間で」という副題を添えています。異民族の侵入によって苦難の道をたどるスラヴ民族の運命を暗示します。手前に見える二人の人物はスラヴ民族の「アダムとイヴ」、怯える表情の二人の背後には騎馬軍団が押し寄せてきています。宙に浮かぶ神官が神の慈悲を願っています。両脇に若者と少女が寄り添っていますが、若者は「武力」、少女は「平和」を象徴していますが、両者の均衡に民族の未来が託されています。(写真は朝日新聞額絵シリーズから撮影、同シリーズの説明文ならびに芸術新潮2017年3月号特集ページを参照しました。)

祖国がオーストラリア=ハンガリー帝国からの独立機運が高まる中で、ミュシャは絵画制作を続けていましたが、第一世界大戦による敗北で帝国は崩壊、チェコスロバキア共和国が誕生します。それはミュシャが描くスラヴ民族の独立とは異なっていました。ミュシャは作品群をプラハ市に寄贈しますが、展示されることはなく長らく埋もれていたのでした。私たちが、この作品群に出会える機会を得たことを感謝します。

後年、ナチスドイツによってチェコスロヴァキア共和国は解体され、ドイツ軍によってミュシャは逮捕されます。ナチスの激しい尋問で、ミュシャは体調を崩し、釈放されたもののし、祖国の解放を待つことなく生涯を終えてしまいます。無念ですね。

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2017年04月06日

『おやすみラフマニノフ』を読みながら・・・

63daeb69.jpg図書館で何気なく手にしたのが、この一冊。中山七里さんの『おやすみラフマニノフ』(宝島社、2010) 、ミステリー作品ですが、クラシックの名曲が物語を彩ります。タイトルの通り、ラフマニノフのピアノ協奏曲二番が、物語の終盤に華やかに演奏されるシーンは読みどころでしょう。

プロローグでは、完全な密室状態で保管されていた、時価2億円のチェロ、ストラディヴァリウスが忽然と姿を消していたことが伝えられます。その謎をひもときながら、主人公の愛知音大生、城戸晶が巻き込まれていく事件の様相が描かれます。晶は実家からの仕送りが途絶えてしまい、学費の納入が出来ず退学の危機に直面しています。恋人に近い存在らしい柘植初音が登場していますが、この二人はなぜか一線を超えない関係であることが、描かれています。これが、謎解きのポイントのひとつでもあることが後でわかりますが、それは読んでからのお楽しみでしょう。初音はチェリストで、ジャクリーヌ・デュ・プレに心酔していることも、述べられています。晶の通う音大の理事長・学長である柘植彰良が、稀代のラフマニノフ弾きと呼ばれる名ピアニストで、日本音楽界の頂点に君臨する存在であり、初音はその孫娘という関係です。

ピアニスト岬洋介の演奏するベートーベン・ピアノ協奏曲<皇帝>の演奏に、酔いしれる場面が物語の導入です。晶はその演奏に、心から感銘し、別次元の演奏であり、奇跡とも感じています。確かに演奏会で受けた感動は、かけがえのないものですね。

音大生にとって、プロへの道のりは険しいもののようです。まして学費の納入にまで苦戦を強いられている晶、しかし、学長がソリストとしてラフマニノフのピアノ協奏曲第二番を演奏するコンサートでコンサートマスターをする機会が得られれば準奨学生という待遇になり後期学費は免除されるという特典が与えられるという。晶は果敢にチャレンジします。しかし入間裕人というオネエ言葉の主がライバルとして立ちはだかるのです。母が国際的ヴァイオリニストで、本人も国内コンクール常連という入間の晶は勝てたのでしょうか。ミステリー作品なので、ストーリーにこれ以上踏み込みむことは避けますが、この作品の中でメインテーマのラフマニノフのみならず、パガニーニが自作を隠し続けたエピソードや、ジャクリーヌ・デュ・プレの生涯をなぞっていることなどには大いに興味がそそられました。

デュ・プレは、天才少女でした。1945年生まれ、3歳の頃、ラジオでチェロの演奏を聴き魅了され「マミー、ああいう音を出してみたい」と言ったそうです。両親の理解がある音楽環境にも恵まれ、5歳でロンドンのチェロスクールに通い、16歳で演奏家として正式デビューします。ストラディヴァリウスから奏される音の美しさ、しかもイングリッシュ・ビューティと評された容姿でした。ところが、中枢神経を侵す難病、多発性硬化症を発症します。違和感を覚えたのは1971年のこと、チェリストとしての名声を誇れたのはわずか10年しかなかったのです。病と闘いながら1987年10月に亡くなります。幸いなことに多くの音源が残されていますので、私たちはその演奏を追体験する機会を与えてもらえています。

ラフマニノフですが、ピアノ協奏曲第二番の第二楽章と第三楽章を完成させたのは、1900年秋、しかし作曲中に極度のノイローゼにかかるなど、作品の完成までの道のりは決して平坦なものではなかったようです。しかし精神病の名医ニコライ・ダーリ博士の催眠療法が功を奏し、全曲が1901年5月に完成します。その年、ラフマニノフ自身のピアノによる演奏によって初演されています。

「この曲が大衆に受け入れられ絶賛されたのは、その旋律の美しさと壮大さもさることながら、曲全体に世紀末ロシアの空気が蔓延しているからだろう。」

クラシックの名曲を文章の力で、楽しめる作品になっていました。

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2017年03月31日

『最後の医者は桜を見上げて君を想う』

『最後の医者は桜を見上げて君を想う』(二宮敦人著 TO文庫 2016)を読みました。

フィクションとはわかっているものの、テーマは重いので、描かれている出来事に真摯に向き合わざるを得ませんでした。私と妻は同時期にがんが見つかり、現在も治療中の身でありますので、他人事とは思えず、作品に向き合いました。新聞広告で、この作品の存在を知りました。縁あって出会ったこの作品を読み進めるにつれ、登場人物たちの思いに引きずり込まれました。とりわけ、「いのち」に向き合う医師の視点が明確に照射されていることには、深い関心を呼び起こされます。

主人公の一人である医師の桐子修司は「死神」とあだ名で呼ばれているのですが、それは患者に対して、迫りくる「死」を受け入れ、治療優先でなく残された日々を大切に使うこと説いているからでした。説得された患者は治療を拒否し、より良き「死」を迎えようとしています。こうした桐子医師の行動に真っ向から反対する副院長の福原雅和は、治療を優先しギリギリまで生存にこだわり、治療を続けようとする考えを貫いています。

作品では、三つのエピソードが綴られます。最初のエピソード(第一章)は、急性骨髄性白血病を告げられ、即刻入院治療を余儀なくされたある会社員の事例です。私にとって、大切な友人をおそったのが白血病だったこともあり、抗がん剤の副作用で苦しむ患者の姿は、読んでいてかなりが辛かったです。

物語には、対立する二人の医師の中を取り持つ音山晴夫も登場します。実は、この三人は同期であり、福原の父親が経営する武蔵野七十字病院に桐子と音山が協力し、勤務医となっている関係です。皮膚科の医師である桐子が、問題人物となっていることに対し、副院長福原は思うところがあり、監視役として看護師の神宮寺千香をアシスタントにつけています。いわばスパイ役です。事あらば、桐子を病院から追い出そうとしているのです。

さて物語ですが、白血病と診断された会社員の浜山は、回復の希望を抱いて治療に臨みます。ところが骨髄移植にあたってドナーによる骨髄の提供が拒まれてしまいます。移植前処理は進行しているため、放射線治療と抗がん剤の投与も余儀なくされますが、その副作用がすさまじいことが記されます。骨髄移植の代替案として、一座不一致の一本しかない臍帯血移植を行うことになりますが、急性GVHD(移植片の宿主に対する免疫学的反応)がおきてしまうのです。

患者の浜山は桐子医師とも、じっくり相談したうえで、病とたたかうことにしたのですが、残念な結果になってしまうのです。浜山は、桐子医師に妻にあてた手紙を託します。妻への思いは切ないですが、自分のいのちを病院の意向によるのではなく、自ら選択したことが伝えられています。

治療方針をめぐる福原副院長と桐子医師の意見は対立し続けます。

福原は、「医学で説明がつかないような劇的な回復を見せる患者。多臓器不全から不死鳥のように蘇った患者。誰もに匙を投げられながら、綺麗さっぱり癌の消えた患者・・・医者である以上、知らないとは言わせない。奇跡はあるんだよ。最後まで諦めずに戦えば、奇跡は起こりうる」と桐子に迫ります。

桐子は答えます。
「奇跡の存在を患者に押し付ける。それがどれだけ残酷なことか、わかっているのか?」
二人の医師の考え方はいつまでも平行線です。

もうひとりの医師、音山の存在が、この作品のキーパーソンになります。
第二章の、大学生のエピソードはさらにつらく悲しい。そして、最終の第三章は医師が進行癌に冒されていたことから、医師たちはさらに悩ましい選択を迫られるのです。

がん手術で入院体験をした我が身にとって、生々しい描写もあり戸惑いながら読み終えました。「死」をめぐる葛藤は、医師のみならず誰にも起こりうる問題です。結論が、出しにくいことを思い知らされる作品です。

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2017年03月21日

津島佑子『狩りの時代』が伝えていること

b4937d50.jpg『狩りの時代』(文藝春秋、2016年)は津島佑子さんの、まさしく遺作です。亡くなる直前まで推敲されていたことが伝わります。作品のテーマがはっきりしていて、「差別」とは何かを問い続けています。

物語の語り手である絵美子は、障害を持って生まれた兄の耕一郎への思いを綴ります。15歳という若さで亡くなった兄に対して「フテキ・・・」という言葉が、誰からか投げつけられていたことを記憶しています。

作品には、絵美子の父方の親類とともに、母方の親類も多く登場しますので、読者としての私にとっては、登場する人物について、多少の交通整理をする必要がありました。母方の親族のことになります。絵美子の母親はカズミと言いますが、その兄弟姉妹、絵美子にとっては伯父、叔母にあたる創、達、ヒロミが体験した出来事が、絵美子の心理に大きな影を落としています。この3人の体験とは、かつて、山梨県にヒトラー・ユーゲントが来日した際に歓迎のセレモニーで起きたことでした。

ヒトラー・ユーゲントが「日独伊防共協定」にもとづいた親善使節として来日したのは1938年のこと、8月23日に甲府駅で歓迎の式典が行われたようです。それは予定になかった停車でしたが、ヒトラー・ユーゲントの少年たちは駅に降り立ちます。3人は、少年たちにあこがれをいだいて、歓迎の思いをこめた花を贈ろうとしていました。しかし、この時、何かが起こりました。その出来事を、彼らは封印していました。

現代の視点からいえば、ナチスの思想は決して容認できないものですが、当時はそれが認識できていなかった、まして子供たちには・・・・

それは言い訳に過ぎないと、絵美子は思うのです。絵美子にとっては、記憶の中にある親類の誰かが発した、「フテキ・・」という言葉の意味するものにこだわらざるを得ませんでした。絵美子には兄がいました。ダウン症と思われるのですが、障害を持って生まれ15歳で亡くなっています。その葬儀の際に、誰からかささやかれた「フテキ・・」とは、「フテキカクシャ」だったことに思い至ります。「不適格者」とは何でしょう。

昨年、生起した相模原の障害者施設で起きた残忍な犯行を否応なく思い出させてくれます。神がおつくりになった私たちは、本来は、他者を思いやる優しさに包まれている存在であったはずの人間が、いつしか自己中心的な心持ちが優位になっていることも否定できません。

ナチスの思想では、「適格」な人間と「不適格」な人間の2種類しかなかったことが伝わります。選民思想が、この作品の中で表現されているの次のような言葉です。

「ヒトラー・ユーゲントって、白人のアーリア人種じゃないと入れてもらえないんだって。アーリア人種って、金髪で青い眼なんだって。」

絵美子の伯父、叔母たちはその少年たちにあこがれをいだいたのでした。作品後半で、彼らが秘密にしていた当時の出来事が明かされますが、その行動が、許されるべきことではないと絵美子は思います。「フテキカクシャ」と絵美子に投げかけたのは、誰だったのか、こだわり続けています。

絵美子の父方の伯父は、物理学の研究者としてアメリカに渡り、暮らしています。この作品にもう一つの影を落としているのは、その研究内容にかかわっています。
「戦後の日本に核開発をさせるわけにはいかなかったってことなんでしょうか。」と絵美子は、語っています。

この作品は、日本の原発政策の破たんにまで、問いかけがされていることがわかります。

津島佑子さんは、この作品を2016年2月、体調が悪化して入院する前まで、書き継いでいたことが、津島香以さんの「発見の経緯」に記されています。ガンと共存しながら、生き、書き続けることを希望されておられたようです。

読み終えていま、作品の凄味が伝わってきます。この作品を残していただき、私たちに届けていただいたことに感謝の思いでいっぱいです。

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2017年03月09日

村上春樹の新作『騎士団長殺し』

db3f42a4.jpg『1Q84』以来の、新作長編ということで、今回も話題が先行した村上春樹作品ですが、ようやく読了しました。発売前には一切内容が明かされないので、すべての読者は同じスタートラインに立って物語世界に没入することになります。第1部と第2部が同時刊行、1000頁の長編ですが、読みやすさは抜群、朝日新聞の齋藤美奈子さん書評は、「ハルキ入門編」と書いていましたが、ファンの期待は裏切らない安定感があります。ただし、読み終わってみると、問題提起はなされたままで、何か置き去りにされたような思いも残りました。

語り手は画家である「私」、最後まで名前が明かされることはありません。名前からイメージされる人物像を拒んでいるかのようです。肖像画を描くことで生計を立てていた「私」ですが、ある日、いきなり妻から離縁を言い出され、その場で承諾します。しかし、いたたまれない思いをいだいて愛車を駆って、東北、北海道への旅に出ます。放浪の旅の数か月を経て、気持ちの整理が着きつつあったことと資金力の限界もあるのでしょう、腰を落ち着ける先を探します。都合の良いことに、友人の「雨田政彦」の父親が暮らしていたという小田原郊外の山頂の一軒家を借りることになり、そこでひとり暮らしを始めます。友人の父親は、画家として著名な「雨田具彦」(あまだともひこ)ですが、今は認知症が進み高級老人ホームで暮らしています。

読み進むにつれ、タイトルの「騎士団長殺し」は雨田具彦の手になる未発表の作品に関連付けられていくことがわかってきます。そして、その絵は、モーツアルトの歌劇「ドンジョバンニ」に着想を得て描かれたことを「私」は察知します。雨田具彦氏の画業については、「私」が知る限り荒々しい種類の画を描いたことはなく、穏やかで平和な表現であり、画の題材を古代にも求めることも多く、人々の評価は「近代の否定」「古代への回帰」と言われ、「現実からの逃避」とまで批判されていたようです。

ところが、「私」がこの山荘で発見した作品は、騎士団長を殺害するという残酷なシーンが描かれていたのです。なぜ、雨田具彦は、この作品をこの山荘に隠したのか、謎ときを勧めるうちに、若き日のドイツ留学時代の、雨田氏は反ナチ活動に関わっていたらしいことがわかってきます。

読み始めは、一人称で語られることからかなり狭い世界の物語のようでしたが、歴史的な広がりを感じさせる内容もはらんでいることがわかります。しかし、それもどちらかと言えば、「私」にとってはひとつの背景でしかなかったようにも思います。いつもの村上春樹作品の特長といえます。読者に注意を喚起してくれますが作品世界では、それほど大きなインパクトではなく、むしろ「私」の出会った人々や、幻視ともいえる体験が重さをもって語られていきます。

さて、リヒャルト・シュトラウスの歌劇「薔薇の騎士」も作品世界を彩ります。隣家の、「免色渉」とい人物がたずねてきてから、「私」の生活は波乱に満ちたものになってくるのです。その免色氏が選んだレコードが、ショルティ指揮ウイーンフィルの「薔薇の騎士」全曲盤でした。この歌劇は、奔放な侯爵夫人が愛した若者が、美しい娘に恋をして自ら身を引くというストーリーで、先日「らららクラシック」で取り上げられていて、「美しい恋の終わり」を描いた作品と言われていましたが、村上春樹はこの作品を登場させることで、読者に何を印象付けているのでしょうか。

作品にちりばめられた多くの仕掛けが作品の造形を堅固にさせていますが、いつもながらに上記の二つのオペラにとどまらずクラシックの名曲が多く紹介されているのは、楽しませてもらいました。そういえば、『1Q84』では、いきなりヤナーチェクの「シンフォニエッタ」が青豆の乗るタクシーの車内のFM放送から流れているという描写からところから始まっていました。

長い、長い一人語りの物語は、唐突に終焉を迎えてしまっているように思います。語られていたのは東日本大震災の数年前の出来事だったことを私たちは知らされます。従って、現在からは10年くらいさかのぼる時期になります。まだ語られていないことが、あるように思えますし、プロローグがあってエピローグを記していないのも気になります。絵画作品「騎士団長殺し」の本当の行く末を、私たちは知る権利があるように思えてなりません。作家の描写力が伝えた作品が、訴えかけてきます。

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2017年03月04日

映画「湯を沸かすほどの熱い愛」

51b5bf37.jpg頻繁に出かけていたわけではありませんが、シネマコンプレックスが自転車で10分ほど走れば到着する位置にあるので便利です。主要な公開作品が、シニアサービスを使って鑑賞できるのは、便利です。我々、高齢者に限らず、ハッピーマンデーといった料金減額サービスもあるので、レンタルショップで借りるよりも、大画面で映画を見るのは、贅沢な喜びを与えてくれます。
すでにいくつかの映画賞を受章している「湯を沸かすほどの熱い愛」ですが、まだ上映中でしたので、鑑賞してきました。私自身もガン治療中の身でもありますので、ガン告知された主人公・双葉の思いは、決して他人事ではありません。双葉は、この世での時間が限られていくことを知ったからには、なし遂げておかなければなければならないことがあったのです。

「絶対にやっておくべきこと」とは何だったのか。まず、家出した夫を連れ帰り家業の銭湯を再開させること、そしていじめられている娘に勇気をあたえること・・・そして、家族の秘密を娘に打ち明ける・・・・

一見、かなり重いテーマのようですが、何気ない食事のシーンなどに、伏線がいくつか貼られていて、いわばミステリー的要素が、たっぷり盛り込まれていました。映画の面白さも堪能できました。

双葉は娘を連れて旅に出ますが、目的は娘の安澄に出生の秘密を告げることでした。真実を告げられた安澄は、初めて出会った聴覚障害の女性(=実の母親)と手話で自然に会話ができるのです。それは双葉が、「いつかきっと役立つから」と、娘の安澄に学ばせていたためだったのです。

ところでこの旅の途中、ヒッチハイクの若者に出会い、うちとけた関係になりますが、
「時間は腐るほどあるんで」と目的も持たない行動を告白するこの若者に、双葉は「最低な人間を乗せてしまったな」と叱咤します。それでも、この若者には別れ際にしっかり抱きしめ、たっぷり愛情を注いでいる姿が描かれています。未来を託すことができるという、信頼の表現といえましょうか。

主演の宮沢りえさんの迫力に満ちた演技は、「いのち」の尊厳を高らかに表現してくれ、ゆるぎがありません。夫を連れ戻すのに、お玉で殴りつけるシーンもあり、ちょっと怖くなりますが、この演出は双葉の毅然とした性格を伝えることでもあり効果的でした。映画の後半部分でも激しい気性が露呈される場面があります。

あえて、家族がめそめそしている場面を描くのを抑制しているのでしょうか、この世では会えなくなった双葉が、周囲の人々の愛情に支えられ、いつまでも家族とともにいることが伝わります。

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