2017年04月07日

ミュシャの描いた《スラヴ叙事詩》

4761ef52.jpg国立新美術館で開催されている「ミュシャ展」、呼び物は大作《スラヴ叙事詩》です。
体調は芳しいとは言えない状態でしたが、リハビリの意味もあるので、一昨日会場に出向きました。会場に入ると巨大な画面に圧倒されますが、描かれた場面にも感動の波が押し寄せてくるといった思いになります。

アールヌーヴォーを代表する画家であったミュシャが、晩年を制作に意欲を燃やし続けたこの作品群を鑑賞できたことは、大いなる喜びですが、ミュシャの思いを冷静に受け止めてみたく考えてみました。

そもそも画材の「スラヴ」とは何か。定義するのが意外と難しいようです。インド・ヨーロッパ語族スラヴ語派に属する言語を話す諸民族集団を指し、したがって、あるひとつの民族を指すというものでもなく、言語学的な分類に過ぎないとも言われます。ロシア、ウクライナ、ベラルーシ、ポーランド、チェコ、スロバキア、ブルガリアなど広範な国々に及びます。従って、ミュシャの出身地であるチェコもスラヴ系民族ですが、ミュシャ自身が民族意識に目覚めたのは、スメタナの交響詩『我が祖国』の影響とも言われます。ある民族に帰属するという意識は、生まれつきというわけでもなく後に意識されるものかもしれません。

「ミュシャ展」では《スラヴ叙事詩》の全20作すべてが展示されています。

写真の《原故郷のスラヴ民族》は1912年に完成され、ミュシャが「トゥラン族の鞭とゴート族の剣の間で」という副題を添えています。異民族の侵入によって苦難の道をたどるスラヴ民族の運命を暗示します。手前に見える二人の人物はスラヴ民族の「アダムとイヴ」、怯える表情の二人の背後には騎馬軍団が押し寄せてきています。宙に浮かぶ神官が神の慈悲を願っています。両脇に若者と少女が寄り添っていますが、若者は「武力」、少女は「平和」を象徴していますが、両者の均衡に民族の未来が託されています。(写真は朝日新聞額絵シリーズから撮影、同シリーズの説明文ならびに芸術新潮2017年3月号特集ページを参照しました。)

祖国がオーストラリア=ハンガリー帝国からの独立機運が高まる中で、ミュシャは絵画制作を続けていましたが、第一世界大戦による敗北で帝国は崩壊、チェコスロバキア共和国が誕生します。それはミュシャが描くスラヴ民族の独立とは異なっていました。ミュシャは作品群をプラハ市に寄贈しますが、展示されることはなく長らく埋もれていたのでした。私たちが、この作品群に出会える機会を得たことを感謝します。

後年、ナチスドイツによってチェコスロヴァキア共和国は解体され、ドイツ軍によってミュシャは逮捕されます。ナチスの激しい尋問で、ミュシャは体調を崩し、釈放されたもののし、祖国の解放を待つことなく生涯を終えてしまいます。無念ですね。

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2017年04月06日

『おやすみラフマニノフ』を読みながら・・・

63daeb69.jpg図書館で何気なく手にしたのが、この一冊。中山七里さんの『おやすみラフマニノフ』(宝島社、2010) 、ミステリー作品ですが、クラシックの名曲が物語を彩ります。タイトルの通り、ラフマニノフのピアノ協奏曲二番が、物語の終盤に華やかに演奏されるシーンは読みどころでしょう。

プロローグでは、完全な密室状態で保管されていた、時価2億円のチェロ、ストラディヴァリウスが忽然と姿を消していたことが伝えられます。その謎をひもときながら、主人公の愛知音大生、城戸晶が巻き込まれていく事件の様相が描かれます。晶は実家からの仕送りが途絶えてしまい、学費の納入が出来ず退学の危機に直面しています。恋人に近い存在らしい柘植初音が登場していますが、この二人はなぜか一線を超えない関係であることが、描かれています。これが、謎解きのポイントのひとつでもあることが後でわかりますが、それは読んでからのお楽しみでしょう。初音はチェリストで、ジャクリーヌ・デュ・プレに心酔していることも、述べられています。晶の通う音大の理事長・学長である柘植彰良が、稀代のラフマニノフ弾きと呼ばれる名ピアニストで、日本音楽界の頂点に君臨する存在であり、初音はその孫娘という関係です。

ピアニスト岬洋介の演奏するベートーベン・ピアノ協奏曲<皇帝>の演奏に、酔いしれる場面が物語の導入です。晶はその演奏に、心から感銘し、別次元の演奏であり、奇跡とも感じています。確かに演奏会で受けた感動は、かけがえのないものですね。

音大生にとって、プロへの道のりは険しいもののようです。まして学費の納入にまで苦戦を強いられている晶、しかし、学長がソリストとしてラフマニノフのピアノ協奏曲第二番を演奏するコンサートでコンサートマスターをする機会が得られれば準奨学生という待遇になり後期学費は免除されるという特典が与えられるという。晶は果敢にチャレンジします。しかし入間裕人というオネエ言葉の主がライバルとして立ちはだかるのです。母が国際的ヴァイオリニストで、本人も国内コンクール常連という入間の晶は勝てたのでしょうか。ミステリー作品なので、ストーリーにこれ以上踏み込みむことは避けますが、この作品の中でメインテーマのラフマニノフのみならず、パガニーニが自作を隠し続けたエピソードや、ジャクリーヌ・デュ・プレの生涯をなぞっていることなどには大いに興味がそそられました。

デュ・プレは、天才少女でした。1945年生まれ、3歳の頃、ラジオでチェロの演奏を聴き魅了され「マミー、ああいう音を出してみたい」と言ったそうです。両親の理解がある音楽環境にも恵まれ、5歳でロンドンのチェロスクールに通い、16歳で演奏家として正式デビューします。ストラディヴァリウスから奏される音の美しさ、しかもイングリッシュ・ビューティと評された容姿でした。ところが、中枢神経を侵す難病、多発性硬化症を発症します。違和感を覚えたのは1971年のこと、チェリストとしての名声を誇れたのはわずか10年しかなかったのです。病と闘いながら1987年10月に亡くなります。幸いなことに多くの音源が残されていますので、私たちはその演奏を追体験する機会を与えてもらえています。

ラフマニノフですが、ピアノ協奏曲第二番の第二楽章と第三楽章を完成させたのは、1900年秋、しかし作曲中に極度のノイローゼにかかるなど、作品の完成までの道のりは決して平坦なものではなかったようです。しかし精神病の名医ニコライ・ダーリ博士の催眠療法が功を奏し、全曲が1901年5月に完成します。その年、ラフマニノフ自身のピアノによる演奏によって初演されています。

「この曲が大衆に受け入れられ絶賛されたのは、その旋律の美しさと壮大さもさることながら、曲全体に世紀末ロシアの空気が蔓延しているからだろう。」

クラシックの名曲を文章の力で、楽しめる作品になっていました。

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2017年03月31日

『最後の医者は桜を見上げて君を想う』

『最後の医者は桜を見上げて君を想う』(二宮敦人著 TO文庫 2016)を読みました。

フィクションとはわかっているものの、テーマは重いので、描かれている出来事に真摯に向き合わざるを得ませんでした。私と妻は同時期にがんが見つかり、現在も治療中の身でありますので、他人事とは思えず、作品に向き合いました。新聞広告で、この作品の存在を知りました。縁あって出会ったこの作品を読み進めるにつれ、登場人物たちの思いに引きずり込まれました。とりわけ、「いのち」に向き合う医師の視点が明確に照射されていることには、深い関心を呼び起こされます。

主人公の一人である医師の桐子修司は「死神」とあだ名で呼ばれているのですが、それは患者に対して、迫りくる「死」を受け入れ、治療優先でなく残された日々を大切に使うこと説いているからでした。説得された患者は治療を拒否し、より良き「死」を迎えようとしています。こうした桐子医師の行動に真っ向から反対する副院長の福原雅和は、治療を優先しギリギリまで生存にこだわり、治療を続けようとする考えを貫いています。

作品では、三つのエピソードが綴られます。最初のエピソード(第一章)は、急性骨髄性白血病を告げられ、即刻入院治療を余儀なくされたある会社員の事例です。私にとって、大切な友人をおそったのが白血病だったこともあり、抗がん剤の副作用で苦しむ患者の姿は、読んでいてかなりが辛かったです。

物語には、対立する二人の医師の中を取り持つ音山晴夫も登場します。実は、この三人は同期であり、福原の父親が経営する武蔵野七十字病院に桐子と音山が協力し、勤務医となっている関係です。皮膚科の医師である桐子が、問題人物となっていることに対し、副院長福原は思うところがあり、監視役として看護師の神宮寺千香をアシスタントにつけています。いわばスパイ役です。事あらば、桐子を病院から追い出そうとしているのです。

さて物語ですが、白血病と診断された会社員の浜山は、回復の希望を抱いて治療に臨みます。ところが骨髄移植にあたってドナーによる骨髄の提供が拒まれてしまいます。移植前処理は進行しているため、放射線治療と抗がん剤の投与も余儀なくされますが、その副作用がすさまじいことが記されます。骨髄移植の代替案として、一座不一致の一本しかない臍帯血移植を行うことになりますが、急性GVHD(移植片の宿主に対する免疫学的反応)がおきてしまうのです。

患者の浜山は桐子医師とも、じっくり相談したうえで、病とたたかうことにしたのですが、残念な結果になってしまうのです。浜山は、桐子医師に妻にあてた手紙を託します。妻への思いは切ないですが、自分のいのちを病院の意向によるのではなく、自ら選択したことが伝えられています。

治療方針をめぐる福原副院長と桐子医師の意見は対立し続けます。

福原は、「医学で説明がつかないような劇的な回復を見せる患者。多臓器不全から不死鳥のように蘇った患者。誰もに匙を投げられながら、綺麗さっぱり癌の消えた患者・・・医者である以上、知らないとは言わせない。奇跡はあるんだよ。最後まで諦めずに戦えば、奇跡は起こりうる」と桐子に迫ります。

桐子は答えます。
「奇跡の存在を患者に押し付ける。それがどれだけ残酷なことか、わかっているのか?」
二人の医師の考え方はいつまでも平行線です。

もうひとりの医師、音山の存在が、この作品のキーパーソンになります。
第二章の、大学生のエピソードはさらにつらく悲しい。そして、最終の第三章は医師が進行癌に冒されていたことから、医師たちはさらに悩ましい選択を迫られるのです。

がん手術で入院体験をした我が身にとって、生々しい描写もあり戸惑いながら読み終えました。「死」をめぐる葛藤は、医師のみならず誰にも起こりうる問題です。結論が、出しにくいことを思い知らされる作品です。

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2017年03月21日

津島佑子『狩りの時代』が伝えていること

b4937d50.jpg『狩りの時代』(文藝春秋、2016年)は津島佑子さんの、まさしく遺作です。亡くなる直前まで推敲されていたことが伝わります。作品のテーマがはっきりしていて、「差別」とは何かを問い続けています。

物語の語り手である絵美子は、障害を持って生まれた兄の耕一郎への思いを綴ります。15歳という若さで亡くなった兄に対して「フテキ・・・」という言葉が、誰からか投げつけられていたことを記憶しています。

作品には、絵美子の父方の親類とともに、母方の親類も多く登場しますので、読者としての私にとっては、登場する人物について、多少の交通整理をする必要がありました。母方の親族のことになります。絵美子の母親はカズミと言いますが、その兄弟姉妹、絵美子にとっては伯父、叔母にあたる創、達、ヒロミが体験した出来事が、絵美子の心理に大きな影を落としています。この3人の体験とは、かつて、山梨県にヒトラー・ユーゲントが来日した際に歓迎のセレモニーで起きたことでした。

ヒトラー・ユーゲントが「日独伊防共協定」にもとづいた親善使節として来日したのは1938年のこと、8月23日に甲府駅で歓迎の式典が行われたようです。それは予定になかった停車でしたが、ヒトラー・ユーゲントの少年たちは駅に降り立ちます。3人は、少年たちにあこがれをいだいて、歓迎の思いをこめた花を贈ろうとしていました。しかし、この時、何かが起こりました。その出来事を、彼らは封印していました。

現代の視点からいえば、ナチスの思想は決して容認できないものですが、当時はそれが認識できていなかった、まして子供たちには・・・・

それは言い訳に過ぎないと、絵美子は思うのです。絵美子にとっては、記憶の中にある親類の誰かが発した、「フテキ・・」という言葉の意味するものにこだわらざるを得ませんでした。絵美子には兄がいました。ダウン症と思われるのですが、障害を持って生まれ15歳で亡くなっています。その葬儀の際に、誰からかささやかれた「フテキ・・」とは、「フテキカクシャ」だったことに思い至ります。「不適格者」とは何でしょう。

昨年、生起した相模原の障害者施設で起きた残忍な犯行を否応なく思い出させてくれます。神がおつくりになった私たちは、本来は、他者を思いやる優しさに包まれている存在であったはずの人間が、いつしか自己中心的な心持ちが優位になっていることも否定できません。

ナチスの思想では、「適格」な人間と「不適格」な人間の2種類しかなかったことが伝わります。選民思想が、この作品の中で表現されているの次のような言葉です。

「ヒトラー・ユーゲントって、白人のアーリア人種じゃないと入れてもらえないんだって。アーリア人種って、金髪で青い眼なんだって。」

絵美子の伯父、叔母たちはその少年たちにあこがれをいだいたのでした。作品後半で、彼らが秘密にしていた当時の出来事が明かされますが、その行動が、許されるべきことではないと絵美子は思います。「フテキカクシャ」と絵美子に投げかけたのは、誰だったのか、こだわり続けています。

絵美子の父方の伯父は、物理学の研究者としてアメリカに渡り、暮らしています。この作品にもう一つの影を落としているのは、その研究内容にかかわっています。
「戦後の日本に核開発をさせるわけにはいかなかったってことなんでしょうか。」と絵美子は、語っています。

この作品は、日本の原発政策の破たんにまで、問いかけがされていることがわかります。

津島佑子さんは、この作品を2016年2月、体調が悪化して入院する前まで、書き継いでいたことが、津島香以さんの「発見の経緯」に記されています。ガンと共存しながら、生き、書き続けることを希望されておられたようです。

読み終えていま、作品の凄味が伝わってきます。この作品を残していただき、私たちに届けていただいたことに感謝の思いでいっぱいです。

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2017年03月09日

村上春樹の新作『騎士団長殺し』

db3f42a4.jpg『1Q84』以来の、新作長編ということで、今回も話題が先行した村上春樹作品ですが、ようやく読了しました。発売前には一切内容が明かされないので、すべての読者は同じスタートラインに立って物語世界に没入することになります。第1部と第2部が同時刊行、1000頁の長編ですが、読みやすさは抜群、朝日新聞の齋藤美奈子さん書評は、「ハルキ入門編」と書いていましたが、ファンの期待は裏切らない安定感があります。ただし、読み終わってみると、問題提起はなされたままで、何か置き去りにされたような思いも残りました。

語り手は画家である「私」、最後まで名前が明かされることはありません。名前からイメージされる人物像を拒んでいるかのようです。肖像画を描くことで生計を立てていた「私」ですが、ある日、いきなり妻から離縁を言い出され、その場で承諾します。しかし、いたたまれない思いをいだいて愛車を駆って、東北、北海道への旅に出ます。放浪の旅の数か月を経て、気持ちの整理が着きつつあったことと資金力の限界もあるのでしょう、腰を落ち着ける先を探します。都合の良いことに、友人の「雨田政彦」の父親が暮らしていたという小田原郊外の山頂の一軒家を借りることになり、そこでひとり暮らしを始めます。友人の父親は、画家として著名な「雨田具彦」(あまだともひこ)ですが、今は認知症が進み高級老人ホームで暮らしています。

読み進むにつれ、タイトルの「騎士団長殺し」は雨田具彦の手になる未発表の作品に関連付けられていくことがわかってきます。そして、その絵は、モーツアルトの歌劇「ドンジョバンニ」に着想を得て描かれたことを「私」は察知します。雨田具彦氏の画業については、「私」が知る限り荒々しい種類の画を描いたことはなく、穏やかで平和な表現であり、画の題材を古代にも求めることも多く、人々の評価は「近代の否定」「古代への回帰」と言われ、「現実からの逃避」とまで批判されていたようです。

ところが、「私」がこの山荘で発見した作品は、騎士団長を殺害するという残酷なシーンが描かれていたのです。なぜ、雨田具彦は、この作品をこの山荘に隠したのか、謎ときを勧めるうちに、若き日のドイツ留学時代の、雨田氏は反ナチ活動に関わっていたらしいことがわかってきます。

読み始めは、一人称で語られることからかなり狭い世界の物語のようでしたが、歴史的な広がりを感じさせる内容もはらんでいることがわかります。しかし、それもどちらかと言えば、「私」にとってはひとつの背景でしかなかったようにも思います。いつもの村上春樹作品の特長といえます。読者に注意を喚起してくれますが作品世界では、それほど大きなインパクトではなく、むしろ「私」の出会った人々や、幻視ともいえる体験が重さをもって語られていきます。

さて、リヒャルト・シュトラウスの歌劇「薔薇の騎士」も作品世界を彩ります。隣家の、「免色渉」とい人物がたずねてきてから、「私」の生活は波乱に満ちたものになってくるのです。その免色氏が選んだレコードが、ショルティ指揮ウイーンフィルの「薔薇の騎士」全曲盤でした。この歌劇は、奔放な侯爵夫人が愛した若者が、美しい娘に恋をして自ら身を引くというストーリーで、先日「らららクラシック」で取り上げられていて、「美しい恋の終わり」を描いた作品と言われていましたが、村上春樹はこの作品を登場させることで、読者に何を印象付けているのでしょうか。

作品にちりばめられた多くの仕掛けが作品の造形を堅固にさせていますが、いつもながらに上記の二つのオペラにとどまらずクラシックの名曲が多く紹介されているのは、楽しませてもらいました。そういえば、『1Q84』では、いきなりヤナーチェクの「シンフォニエッタ」が青豆の乗るタクシーの車内のFM放送から流れているという描写からところから始まっていました。

長い、長い一人語りの物語は、唐突に終焉を迎えてしまっているように思います。語られていたのは東日本大震災の数年前の出来事だったことを私たちは知らされます。従って、現在からは10年くらいさかのぼる時期になります。まだ語られていないことが、あるように思えますし、プロローグがあってエピローグを記していないのも気になります。絵画作品「騎士団長殺し」の本当の行く末を、私たちは知る権利があるように思えてなりません。作家の描写力が伝えた作品が、訴えかけてきます。

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2017年03月04日

映画「湯を沸かすほどの熱い愛」

51b5bf37.jpg頻繁に出かけていたわけではありませんが、シネマコンプレックスが自転車で10分ほど走れば到着する位置にあるので便利です。主要な公開作品が、シニアサービスを使って鑑賞できるのは、便利です。我々、高齢者に限らず、ハッピーマンデーといった料金減額サービスもあるので、レンタルショップで借りるよりも、大画面で映画を見るのは、贅沢な喜びを与えてくれます。
すでにいくつかの映画賞を受章している「湯を沸かすほどの熱い愛」ですが、まだ上映中でしたので、鑑賞してきました。私自身もガン治療中の身でもありますので、ガン告知された主人公・双葉の思いは、決して他人事ではありません。双葉は、この世での時間が限られていくことを知ったからには、なし遂げておかなければなければならないことがあったのです。

「絶対にやっておくべきこと」とは何だったのか。まず、家出した夫を連れ帰り家業の銭湯を再開させること、そしていじめられている娘に勇気をあたえること・・・そして、家族の秘密を娘に打ち明ける・・・・

一見、かなり重いテーマのようですが、何気ない食事のシーンなどに、伏線がいくつか貼られていて、いわばミステリー的要素が、たっぷり盛り込まれていました。映画の面白さも堪能できました。

双葉は娘を連れて旅に出ますが、目的は娘の安澄に出生の秘密を告げることでした。真実を告げられた安澄は、初めて出会った聴覚障害の女性(=実の母親)と手話で自然に会話ができるのです。それは双葉が、「いつかきっと役立つから」と、娘の安澄に学ばせていたためだったのです。

ところでこの旅の途中、ヒッチハイクの若者に出会い、うちとけた関係になりますが、
「時間は腐るほどあるんで」と目的も持たない行動を告白するこの若者に、双葉は「最低な人間を乗せてしまったな」と叱咤します。それでも、この若者には別れ際にしっかり抱きしめ、たっぷり愛情を注いでいる姿が描かれています。未来を託すことができるという、信頼の表現といえましょうか。

主演の宮沢りえさんの迫力に満ちた演技は、「いのち」の尊厳を高らかに表現してくれ、ゆるぎがありません。夫を連れ戻すのに、お玉で殴りつけるシーンもあり、ちょっと怖くなりますが、この演出は双葉の毅然とした性格を伝えることでもあり効果的でした。映画の後半部分でも激しい気性が露呈される場面があります。

あえて、家族がめそめそしている場面を描くのを抑制しているのでしょうか、この世では会えなくなった双葉が、周囲の人々の愛情に支えられ、いつまでも家族とともにいることが伝わります。

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2017年02月22日

『屋根をかける人』がおもしろい

cb7f9288.jpg門井慶喜さんの小説『屋根をかける人』を読みました。

主人公のウィリアム・メレル・ヴォーリズ(以後、「メレル」と表記します)という人物についての認識はまったくありませんでしたので、新鮮な驚きで読了しました。物語のハイライトは終盤にありますが、それはこれから読む方のお楽しみですので、書くのは控えます。

メレルは明治末期にキリスト教伝道のために来日したアメリカ人ですが、日本では、教会建築を始め多くの西洋建築を手がけています。さらに、ヴォーリズ合名会社(のちの近江兄弟社)の創立者の一人としてメンソレータム(現メンターム)の製薬事業を展開させた実業家として知られています。

物語は、日露戦争の最中、明治38年(1905)1月29日に日本の土を踏んだヴォーリズの船上の姿を映しだします。酒、たばこをたしなまず、倫理観の強い一人の若者がアメリカYMCAの伝道者として日本に渡ってきたのです。

メレル青年の赴任地は近江八幡、商業界に一大勢力をきずいた近江商人の根拠地の一つですが、気分よくこの街の豊かさや、美しく清らかな街並みに好意を持ちます。メレルは、語ります。

「この街の民家のつくり。あれは世界に示すに足るものです。黒板塀にりっぱな瓦屋根をかけ、その上へさらに庭の松の枝をのばしている。さながら塀そのものが一軒の横長の家であるかのようで、世界に類例がありません。」

哲学の学位を持つメレルですが、建築家をこころざしたことがあると、赴任先の商業学校の教頭に告げます。

同僚の英語教師の宮本文次郎がキリスト教信仰をいだいていることも、気分を前向きにさせてくれます。小気味のいいテンポでメレルの日本での生活が描かれていて、読み進めることができます。

順調に教育者として活動をしていましたが、しかし2年後、突然、職を失ってしまいます。校長の人事異動に伴い、日本の社会システムが背景にあることを知らされます。

アメリカへ帰国するという選択肢があるのですが、メレルは、めげずに日本に残り建築の仕事を始めます。その現状を見るに見かねて支えてくれた教え子の吉田悦蔵とその母の存在は、すがすがしい。信仰に対して決して教条的でないところが、メレルの特長のようですし、むしろ商人としての才が発揮されることになります。ほどほどというか、ある程度淡白なくらいな信仰観でいたほうが、信仰生活が長続きするようにも思います。もっとも、メレルのことは宣教者ではなく伝道者であると、伝えています。

建築家として成功するものの、日米開戦はメレルに大きな決断を迫ります。結局、日本に留まり帰化することを選びます。華族の身分を捨てて結婚相手となった一柳真喜子が支えになります。終戦を迎えて、メレルは大切な役割を与えられるのですが、それが物語のハイライトです。

とても読みやすいのですが、考えさせられることの多い作品でした。

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2017年01月29日

映画『沈黙』に思いを寄せて

aad0a6fe.jpg映画『沈黙』が公開されて、よりリアルに遠藤周作さんの描いた世界を目にしっかり焼き付けることができます。公開直後に鑑賞することができました。殉教にかかわる残虐なシーンを見ることになるのは極力避けたいと思っていましたが、かなり抑制された表現になっていたように思います。それにしても、当時、絵踏みを強要されて拒んだ人たちはどのような神理解をもっていたのでしょう。確立された死生観をいだくというより、厳しい現実世界と比べて理想郷に行けることを待望しての神理解がベースになっていたように思われます。救いを求める者にとっての福音が、キリスト教の根幹であることは間違いないところです。ところで、絵踏みを拒んだために無惨にも処刑された信徒にひきかえ、キチジローはあっさりと踏んで放免されます。しばしば。信仰に背く処世を行うその姿を見るにつけ、に苦笑いを禁じ得ませんが、性懲りもなくキチジローはひたすら告解を繰り返し、ロドリゴ神父の周辺をうろつきまわる存在です。キチジローをユダと重ねるのは、ロドリゴ神父の思いですが、果たしてユダ=弱きものといった理解で済ませてよいのか?さまざまな問いかけを求められるように思います。

「神の沈黙」というテーマは重たいものですが、作者の遠藤さんはもともとはこの作品に「日向の匂い」というタイトルを考えていたと伝えられています。神は決して「沈黙」しているのではなく、語りかけてくれていると考えておられて物語を紡いだようです。「踏むがいい」という声を主人公のロドリゴ神父は聞きますが、キチジローにも神は声をかけていたのでしょうか。

もし、「神が人々の苦難に対して、沈黙を続けているのか」と考えだしたら、収拾がつかなくなるかもしれません。神は人間に自由を与え、人間が作り上げた世界に介入することを極力、差し控えているからです。信仰するものにとって大きな命題であることは言うまでもありません。人類は苦難の道を歩んできました。癒しと救いについて思いめぐらすしかありません。

遠藤さんがフェレイラ神父の言葉を通して告げているのは「この国は沼地だ。・・・どんな苗もその沼地に植えられれば、根が腐り始める。葉が黄ばみ枯れていく。我々はこの沼地に基督教という苗を植えてしまった。」という一つの価値判断です。

歴史上のフェレイラ神父は「転びバテレン」となり「宗門目明し」という役職をつとめた人です。フェレイラは少なくともキリスト教の神は捨て、科学的合理主義を主張し、日本での残りの人生をまっとうしたと理解できます。となると、必ずしも拷問によって転んだだけとは言い切れないのです。肉体的苦痛で転んだとしても、キリシタンに敵対する存在になることは別次元の問題です。

あらためて物語の背景となる史実をひもときますが、寛永14年10月から翌年2月(1637年12月〜38年4月)に起きた島原の乱を鎮圧した江戸幕府は、鎖国体制を完成させます。イエズス会司祭フェレイラが来日したのは、慶長14年(1609年)のことでした。日本語にすぐれ、日本のイエズス会の中心となって働いていたが、日本管区の管区長代理を務めていた寛永10年(1633年)に長崎で捕縛されます。家光親政が始まった寛永9年(1632年)以降、多くの宣教師が処刑されています。フェレイラ神父は長崎において中浦ジュリアン神父らとともに穴吊りの刑に処せられた際に、他の者はすべて殉教したもののひとり棄教したと伝えられています。棄教したフェレイラ神父は「沢野忠庵」という日本名を名乗らされ、日本人妻を娶り、目明しとしてキリシタンの取締りに当たったことは前述のとおりです。正保元年(1644年)にはキリスト教を攻撃する『顕疑録』を出版、沢野忠庵の名は医学書『南蛮流外科秘伝書』の著者としても知られ、実際に外科学を講義したり、オランダ商館にも出入りして外科手術にも立ち会っていたようです。また寛永20年(1643年)に密航後とらえられた『沈黙』のロドリゴ神父のモデルとなったジュゼッペ・キアラ神父が所持していた天文学書の翻訳を、井上筑後守から命ぜられています。(五野井隆史『キリシタンの文化』(吉川弘文館、2012 参照)

1639年、ポルトガル人イエズス会士のアントニオ・ルビノ神父は フェレイラ神父の立ち返りを勧める目的で日本渡航を試みます。その第一弾とし寛永19年(1642年)ルビノ神父自ら乗り込みマニラを出帆、薩摩に上陸しますが、薩摩藩にとらえられ、長崎で取り調べを受けています。このとき、通訳としてフェレイラ神父が立ち会っています。そしてこの一行は全員が殉教します。次いで、第二弾が寛永20年4月に編成されますが、翌5月に筑前大島でとらえられます。この時は、江戸で井上筑後守の取り調べを受け、全員が転びます。この一行の中に、ジュゼッペ・キアラ神父もいたのです。キアラ神父は井上筑後守の屋敷内に建てられたキリシタン屋敷に収容されて岡本三右衛門として生きながらえたのです。

物語に戻りますが、ロドリゴ神父の転びですがキチジローの臆病さ、卑屈さとは別なのだと線引きできるものなのでしょうか。遠藤周作の視点が、弱きもののまなざしに共感していることは理解できます。神父の「転び」は信徒のそれと同一次元で考えてよいものなのか。為政者は明らかに線引きしています。すでに穴吊りに耐え切れず帰郷した信徒が許されないのは、ロドリゴ神父が神を捨てないからだと井上筑後守は迫ります。フェレイラ神父は他の信徒と同じ穴吊りの拷問を受けたことを私たちは知ることができますが、ロドリゴ神父の場合は、それ以前にキリストの「踏むがいい」との声を聞き、踏むのです。ロドリゴ神父の内面の声を反映した一種の幻聴だったのかもしれません。結果的には、井上筑後守の巧みな「転び」への誘導が功を奏したことになります。

しかし本当の神の声は、いかなるものなのか、私たちは問いかけ続けるしかありません。


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2017年01月26日

原田マハ『リーチ先生』の感動

29612252.jpg原田マハさんの『リーチ先生』(集英社、2016)を読みました。

描かれている世界にひたっていたいと、じっくり時間をかけて楽しみながら読み進めました。主人公のバーナード・リーチという方の生涯を、まるで同伴しているかように感じながら、たどることができました。知られているようでいて、表面的にしか理解できていなかった『民藝』についても柳宗悦が登場人物になっていることもあり、認識を新たにしました。

主人公のバーナード・リーチという方の生没年は1887-1979年とのこと、ずいぶん長生きをされた方のようですね。「陶磁器をはじめエッチング・素描・木工作品などを創作した20世紀英国を代表する工芸家」と紹介される存在です。

物語は史実をベースにして、大分県の小鹿田(おんた)の陶工である沖亀乃介と高市という父子の存在を軸にして進行していきます。物語のスタートは1954年、すでに陶芸家として高名になっているバーナード・リーチが小鹿田を訪ねるという設定で、村人たちはもてなしの準備に忙しく、中でもリーチ先生のお世話をまかされたのが高市(こういち)でした。高市はお世話をするうちに、思いがけないことに、亡くなった父である沖亀乃介と先生が深いきずなで結ばれていたことを知らされます。

そして、作品の舞台は亀乃介の生きた時代、1909年にさかのぼります。実在の人物かと思えるほど、生き生きと描かれる亀乃介の処世に、読者としてはいつしか引き込まれていきました。高村光太郎との出会いがきっかけとなって、生涯の師となったリーチ先生とも運命的なめぐりあいが待っていました。

亀乃介はリーチの通訳と世話をしながら、リーチ先生が選択した陶芸の道をともに歩んでいきます。陶芸との出会いのシーンは、リーチが、富本憲吉と亀乃介を伴い「下村某」という芸術家の家に出向いた時の出来事です。絵付けを見学し、体験します。リーチは自らが絵付けした楽焼の仕上がりに、すっかり魅了されてしまいます。リーチが魅了され、感激した状況と思いを、原田マハさんは書いています。

「窯の中で燃え盛る炎、たちのぼる熱気。ゆらめいて舞い上がる火の粉。焼き上がった器が水につけられたときに放つ、じゅうっ、という心地よい音。釉薬をかけられて、いったんはきえてしまった絵が、熱せられ、また冷やされることによって、再び現れる不思議。窯から器が取り出されるときの、あの胸躍る感覚。」

リーチの感激を伝える言葉も、記憶に残ります。

「アテネの学堂じゃなくとも、大英博物館の一室じゃなくとも――芸術にまつわる啓示は、突然降りてくるものさ」

自分の窯を造り作陶するリーチに「尾形乾山」の名前を継いでほしいという申し出があったなどのエピソードも丹念につづられていて、興味をそそられます。作陶にあたり窯の火加減の難しさを伝えるエピソードには、ハラハラさせられました。窯ごと焼いてしまった亀乃介の大きな失敗を許してくれたリーチ先生のおかげなのか、神のいたずらなのでしょうか、すっかり破壊しつくされた窯から、素晴らしい作品があらわれるシーンはすがすがしい。読み進めながら、暖かい感情に満たされてくる作品です。

時代は、柳宗悦が「用の美」を提唱し始めていた時期でした重なっています。柳宗悦が意義を強調した「用の美」を生み出す場でもあり、リーチが提唱した「アーツアンドクラフツ」運動を実践するために、亀乃介はリーチ先生とともに、イギリスに向かいます。そして南西部の港町セント・アイヴズの地での作陶に奮闘することになります。1922年に工房として独立した「リーチポタリー(Leach Pottery)」ですが、その後多くの優れた陶芸家を輩出し、イギリス現代陶芸の礎となったとのことです。

なかなか、恋物語にはふくらまないと思いきや、物語の終盤、亀乃介はセント・アイヴズで出会ったシンシアとのロマンスが絡んできて微笑ましい。

読み終えてしまうのが、もったいないと思いながら少しづつページをめくる毎日でした。
原田マハさん、素晴らしい世界を堪能させていただきありがとうございます。

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2016年12月31日

入院生活を終えて大晦日に思う

0d83f4bc.jpg今年は、海外旅行を含めこれまでになく、多くの旅をしました。
ところがです。病巣がみつかり、12月13日に入院・手術することになりました。

11月初旬のことでした。内視鏡検査で、直腸がんが見つかり、検査・治療を始めることになりました。12月15日には患部の切除手術を行っていただくことになったのです。
これまで大病の経験がほとんどなく、他者に対してはいたわりの思いをいだいておりましたが、いざ自分のことになると、「がん」との診断を受けた際には多少の動揺もありましたが、その事実を心静かに受け止めました。

入院・手術をしていただいたのは「ガン研究会有明病院」です。昨日(30日)、無事退院・帰宅することができました。(写真は入院時、散策した病院の屋上庭園です。)

当初検査していただいた病院で、手術までには2か月以上かかることを伝えられ、また手術事例が少ないことも判明しました。私の先行きを心配してくれた妻が、ネット検索で探し出したのが、最先端のガン治療を行い、手術事例も多いこの「がん研究会有明病院」でした。直腸がん手術では、人工肛門(ストーマ)の造設を余儀なくされることが多いのですが同病院では、回避できることも判明しました。

ただし今回の手術で切除する直腸の代替をしてくれるS字結腸が安定してくれるまでの期間は一時的な人工肛門(ストーマ)の造設は、必要だとのお話を事前にしていただきました。明快な説明に私も納得し、主治医となっていただいたU先生にお任せすることにいたしました。

今回の入院ではストーマになれるための訓練にも時間を必要としていましたので、入院期間は18日間となりました。

手術前に比べて多少の不便を余儀なくされている日常生活なのですが、じっくり養生して、以前の活動に復帰できればと願っています。

今年は私にとってはかなり劇的な出来事の続いた1年間でした。
新しい年が、人々の希望の年になりますように祈ります。

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