2020年06月19日

宇佐美まことさんの『展望塔のラプンツェル』

IMG_9084新型コロナウイルス感染拡大予防対策のため閉館中だった図書館が、6月になって、ようやく開館されました。感染予防にも注意が払われていることを信頼し、数冊、開架資料から選んで借り出してきました。その1冊が、宇佐美まことさんの『展望塔のラプンツェル』(光文社、2019)という作品です。読み終わって、これはミステリー作品だったことに気が付きました。読者を見事にだましている仕掛けに納得しました。描かれた世界は登場人物たちにとってはなはだ過酷な境遇に置かれているのですが、物語としての面白さには堪能しました。ネタバレを極力避けながら、あらすじを整理してみます。

主人公といえるのは、3組の男女と幼い子供たちです。舞台は多摩川市という架空の地ですが、モデルとなった都市のイメージは川崎市です。物語の最初に登場する、児童相談所職員の松本悠一と「こども家庭支援センター」職員の前園志穂のふたりは、保育園に来なくなった石井壮太という五歳のこどもの安否確認に向かっています。その子は祖父母に預けているという両親の弁明は、決して信じられるものではありませんが、今日のところは引き下がるしかありませんでした。多摩川市の南部地域には、問題を抱えた家庭が多く、その行き着く先は家庭崩壊なのです。この家庭もすさんでいますし、子供への虐待が垣間見えます。しばしば出歩いて、家に戻らない事があるらしい壮太という子には発達障害の可能性もあります。保護することを考えることよりも、悠一は志穂に向かって「子供って親のそばにいたいもんなんだよ。家庭ってもんは力があるよな」というのです。志穂はその考え方には抵抗を覚えますが、・・・・児童相談所の業務は休む間もありません。悠一は、児童相談所に戻るや、別の案件に振り回されています。

場面は転換します。2月下旬納入早朝、廃屋の倉庫の外階段に、海(かい)と那希沙(なぎさ)は双眼鏡で東の空を見ています。そのうちに、ふと、小さな男の子を見つけます。声をかけても何も返事はなかったけれど「お腹空いていてるの」と問いかけると、うなづきました。何もしゃべらないので、二人はこの子に「ハレ」と名付けました。すっかり明るくなった空は晴れ渡っていました。海の母親は陽気なフィリピーナです。いつしか半同棲している二人の関係にも無頓着で、単純にかわいがっています。実は、那希沙は兄から性的暴行を受けていることから海の家族といることで、実の家族の束縛から逃れていたのです。ハレと名付けた男の子には食事の面倒を見ただけでなく、ずっと世話をしてあげたくなりました。

場面が変わります。落合郁美は不妊治療の診療を続けていました。今年36歳になる郁美にとって最後のチャンスになるかもしれないという思いでいます。夫の圭吾も協力してはくれるのですが結果につながっていません、タイミング療法から人工授精に切り替えることにも同意してくれています。マンションの向かいの家に石井さんというお宅があるのですが、そこ子供がいつも叱られている様子が見られて、わが子ならば、もっと大事にするのにと思っている郁美でした。
それぞれの物語が進行するにつけ、児童虐待や、すさまじい性的暴行が描かれ目を覆いたくなる場面も登場します。現実にも、このようは被害が行われていることは、報道から知ることができますが、物語は救いにつながる人々のつながりも描いてくれています。

これらの場面それぞれには、年代が明瞭ではありませんが、読み終えるとその謎が解かれます。考えさせられることが多く、読み応えたっぷりの作品です。

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2020年06月05日

辻原登さんの『闇の奥』の魅力

IMG_9062これも再読になりますが、辻原登さんの『闇の奥』(文藝春秋、2010)を読みました。描かれた世界にのめりこまされました。

物語の中心となるのは、三上隆という人物です。彼は少年時代から昆虫に興味を持っていましたが、その関心は次第に小人伝説に移行していきました。当初は台湾に行ったものの成果を上げられなかったのですが、陸軍省から北ボルネオでの民族調査の依頼をきっかけに、矮人族(ネグリト)が存在することを信じて、昭和20(1945)年2月、随員とともに熱帯ジャングルに入ったのでした。しかし、その後の彼の消息を伝えたのは、郷里・紀州和歌山の同級生・村上三六への3月日付の手紙と、同年6月に遭遇した歩兵371大隊の兵士の証言だけになります。その証言によれば、北ボルネオ、キナバタンガン川(マレーシアサバ州)上流の村で出会った三上は、マレー語で「イタリアの秋の水仙」という歌を大声で歌っていたというのです。消息不明となったものの、郷里の田辺や研究者仲間の間では、戦後、三上がジャングルの中で生存していることが信じられていました。もはや伝説のような話とも思えますが、村上は、2度にわたり三上隆捜索隊を編成し、自ら団長となってボルネオでの捜索を行ったのです。しかし、生存の確認どころかその痕跡すら見つけることができませんでした。

時が過ぎ、昭和57(1982)年、民俗学者のハウレギとの出会いがきっかけとなり、村上はついに3度目の捜索隊を結成することになります。ハウレギという人物は、スペイン系アメリカ人で、フィリピンでの先史・民俗学研究を行っていました。戦時中のことですが、敵性民間人として収容されていた彼を、三上が軍政監部と交渉した結果、釈放につながったことで、ハウレギは恩義を感じていました。ハウレギがもたらした情報によれば、ボルネオ奥地のキナバタンガン川(マレーシアサバ州)上流の密林地帯に出没するムルットの老人が蝶の標本を追っているということでした。三上との有力なつながりとして期待できる情報でした。

この第3次捜索団のメンバーには、ハウレギの他に、ボルネオで最後に三上の姿を目撃した元日本軍の湯山、村上の教え子であった出水裕二が加わりました。ボルネオでは、先に来ていた京大の動植物の調査隊と出会い、そこで隊長の京極とプクプク(蝶)の専門である青木も加わることになったのです。合流した彼らは、三上の消息の肴に語り合いますが、ミリアンに住むという首狩り族の話題になると、及び腰になってしまいます。ガイドとして雇った現地人サバと共に、三上の消息を追ってミリアンを目指します。川をさかのぼるためには、途中の集落(カンポン)の酋長(ルマー)の許可を得なければなりません。そうしたさまざまな困難を乗り越えての旅の顛末には、読み手として期待を持たされます。

この物語の素材となったのは、実際に鹿野忠雄という人物が実在し、行方不明になったまま現在にいたっているのですが、モデルのことでいえば、『許されざる者』と同じ仕掛けとなります。この物語は、秘境探検という冒険譚ですので、ワクワク感は増しています。行方不明者の捜索という名目であれ、途方もない探検の旅に駆り立てる動機とは、いったい何なのだろうか?

その答えがこの作品の中に用意されていました。それは・・・・「サウダーデ」

ポルトガルのピアニスト、マリア・ジョアン・ピリスが音楽雑誌のインタビューに答えたのですが、ピリスは、「演奏しているとき、わたしはある鋭い情緒、鋭い時間間隔につかまっている」と話したそうです。さらに続けて、「ポルトガル語にsaudade(サウダーデ)という美しい言葉がある。この言葉は他国語には訳せない。心象の中に、風景の中に、誰か大切な人が、物がない。不在が、淋しさと憧れ、悲しみをかきたてる。と同時に、それが喜びともなる。えもいわれぬ虚の感情……。」

三上から村上への手紙には、自分が今いる場所は、「胸がひりつくようななつかしさ。いてもたってもいられなくなるようなノスタルジア」とでもいうべき、「何か鋭い情緒に突き動かされて」やってきたのだと書かれていました。作品の登場人物たちが、突き付けているのは、人は、どこからきて、どこへ向かおうとしているのかという問いかけにほかなりません。私たちも、そうした心象風景にとらわれながら、この物語を読み進めることが大切です。

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2020年05月26日

辻原登さんの『許されざる者』再読

IMG_E9018辻原登『許されざる者(上)(下)』(文藝春秋、2009)を再読しました。『熱帯』を読んで、重なる時代を扱った作品だったことを思い返したことがきっかけです。ロシアの女性テロリストのアンナ・セルゲーヴナの名前が登場してくるくだりも、興味をそそられます。日露戦争の時代に翻弄される庶民の姿も描かれます。

1903(明治36)年3月、主人公である槇隆光を乗せた紀洋丸が熊野川の河口のまち、森宮の港に向かってくるシーンから物語が始まります。医者である槇はインドで学び脚気の研究成果をもって帰国したのです。彼は以前、アメリカから社会主義、キリスト教、アナーキズムの文献を持ちかえった経験もあるように、きわめて開明的な人物といえます。

槇には、千春という美しい姪がいます。千春の父・良平が隆光の兄に当たり、敬虔なクリスチャンでした。ところが、ある朝の礼拝中の事故で、幼い千春は両親を亡くすという不幸に見舞われ、母方の祖母ゆんに育てられました。ゆんには、長男もいたのですが夭折し、その結果、ゆんが築き上げた山林を中心とするすべての財産を千春が相続するということになっていました。そのことが原因と思われるのですが、槇が不在のあいだに、千春が命を狙われたと思しき事件が起こっていたのでした。

実在した大石誠之助が槇のモデルですが、史実いとらわれることなく波乱にとんだ冒険譚が繰り広げられます。舞台である森宮の住民たちの様々な生き様を、縦横無尽に描きながら大いなる冒険物語となっているので、ワクワク感は尽きません。千春のモデルとなっているのは大石誠之助の甥であって、山林を譲れたことを原資に文化学院を創設した西村伊作(文化学院の創設者)という人物なのですが、小説では2人の人物に割り当てられていて、もう一人は、槇の甥の若林勉になります。勉は、結核(TB)を病んでいて余命が限られている存在ですが、それゆえに「生きる」意味をより鮮明に伝えてくれます。このように、わき役たちも個性的で、魅力的なのですが、時代は日露戦争にいやおうなく突き進んでいくために、人々の欲望や、思想に翻弄されながら日々を送っています。

明治36年6月30日『万朝報』には内村鑑三「戦争廃止論」が載ります。しかし、同紙はのちに開戦論に転じ、内村と幸徳秋水が退社します。背景は、そんな時代です。

ドクトル槇は「差別なき医療奉仕団」を結成し、日傘山という被差別地区や山間僻地での医療にも取り組んでいます。甥の勉が自分の残りの時間を有意義に使おうと、差別されてきた地区に、日本で一番進んでいる医療センター『日傘山友愛センター』を作ろうと邁進します。そこには総合病院ばかりでなく医療従事者のための学校などを配置する構想です。

今の時世だからこそ余計に感じるのですが、槇に伝えた勉のつぶやきが心にしみます。「僕のTBが誰にも染(うつ)らなかったことを神に感謝します。」

エピソードはいくつも盛り込まれていますが、脚気の原因究明にまつわる軍医の森林太郎との意見対立も興味深々です。森の細菌説と槇のビタミン欠乏説の対立ですが、槇は策を弄して兵士たちの健康を取り戻す作戦を立てることになります。

また登場人物の一人として、森宮藩主であった永野家の当主の存在は波紋を呼びます。永野家は、廃藩置県によって県知事の職をお役御免となり、現在鎌倉に移っているのですが事情があり森宮にやってきました。八甲田山雪中行軍での遭難事件での死亡者に永野忠博中尉がいますが、その兄は救援隊として派遣され、弟の遺体を発見したものの自らも凍傷を負ったのです。遭難事件そのものは、史実と重なりますが、兄の存在は虚構です。物語が膨らむことになるのは、その妻の存在です。美しいその人は永野夫人としてしか紹介されませんが(1か所、下巻の中盤の、唐突に「永野夫人」の名前(〇子)が明かされる箇所があります!)、ドクトルと不倫関係になるのです。実は、この恋愛関係が進行する様こそが、物語の中心といえるのかもしれません。

大逆事件は冤罪を生み、大石誠之助はその犠牲者の一人ですが、作中では大いなる活躍の場が与えられ、誉れ高き人物として輝いています。

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2020年05月11日

文句なく楽しめる川越宗一さんの『熱源』

IMG_8881第162回直木賞受賞作、川越宗一さんの『熱源』(文藝春秋、2019)、力作です。大変面白く読むことができました。多彩な登場人物が活躍の場を与えられていて、満足感を味わえる作品でした。史実をベースにしていて、歴史上の人物の出現はもありますので、読後に新たな興味がわいてきます。アイヌ民族だけにとどまらず、ギリヤークにも目が向けられていて、人間性を否定される状況に置かれたグループの存在を照らし出しています。差別され、虐げられた異属として生きながら、新しい時代を切り開こうとした人々の苦闘の跡をじっくりと描いてくれています。

主人公となる人物として二人に焦点が当てられます。一人は樺太出身アイヌのヤマヨネフク(山辺安之助)、もう一人はリトアニア生まれのポーランド人で皇帝暗殺謀議の罪でサハリン(=樺太)に流刑になりながら、のちに民俗学者となるブロニスワフ・ピウスツキ、別々の物語は後半部分になって相まみえます。それは、熊祭りの儀式をきっかけにしたさりげない出会いになりますが、じわじわとした感動を読み手に与えてくれます。ブロニスワフは学者として、人種の優劣を解く学説に疑問を持っていると語ります。ロシア帝国に呑み込まれたポーランドではロシア語以外禁じられた現実を語るブロニスワフに、ヤヨマネフクは心惹かれたのです。

ヤヨマネクフは幼いころ両親を亡くしたのですが、樺太アイヌは孤児をわが子同様に慈しむ風があり頭領に育てられました。ロシア領になった樺太の地を離れることになり、養父とともに和人の地に移ることになったものの、和人にだまされ希望の地ではなく石狩川沿いの原野、対雁(ツイシカリ)に定着させられます。樺太アイヌとして漁労の民であったものの、田畑の開墾を余儀なくされたのです。そして日本人になるよう教育されます。同年齢のシシラトカ、年下の太郎治は遊び仲間です。太郎治の父親は日本人の千徳瀬兵衛、身の振りように難儀したサムライのひとりだったのですが、お国のためと思い樺太に移住して村のアイヌ女性と結ばれたということです。故郷のアイヌとして生き、大人になったら先生になりたいと思っています。シシラトカは年上で適齢のキサラスイに思いを寄せているのですが、きっかけがつかめないでいます。ところが、ヤマヨネフクが出し抜いて、五弦琴を弾くキサラスイを前にして「好きだ!」と言ってしまったのです。ありがちな出来事ですが、少なくとも見た目では明らかにヤヨマネフクが勝っているようです。結局、ヤヨマネフクはキサラスイのハートを射止めることに成功しますが村の外で学び、働いて金をため、身を立つようになったから結婚しようと望みます。

もう一人の主人公であるブロニスワフが、ロシア帝国から懲役15年の刑を言い渡されサハリン(=樺太)に流刑になったいきさつは、次の通りです。ポーランド語は禁止されロシア皇帝への忠誠とロシア正教・ロシア語を強いられたことから、共和国とポーランド語への渇きがあったといえます。ロシアでは、ナロードニキの後進組織「人民の意志」が、1881年皇帝を爆殺したものの、いっそう弾圧は強まって組織は壊滅しますが、活動を継続している人々もいました。その一人、大学の先輩であるウリヤノフが、下宿にブロニスワフを訪ねてきて、檄文の印刷を始めます。彼は生物学を専攻する秀才ではあるのですが、革命思想の持ち主でもあります。彼らは、再度皇帝暗殺を試みます。ウリヤノフは、組織の会合でテロや爆弾をと呼びかける主張に反論し、「人民を教育し、自由と権利の存在を広め、生産手段の共有に未来がある」と主張します。しかしながらテロの実行部隊が募られてしまったのでした。この計画は事前に露見してしまい、ブロニスフワにとっては冤罪ともいえる嫌疑がかけられ、流刑を言い渡される結果となったのです。ウリヤノフは処刑されますが、実はこの人物はレーニンの兄です。

流刑になったブロニスワフが、愉しみの一つもない暮らしの中で、ギリヤークの集落の人々と出会い交流を深めることで、民俗学者としてのスタートになるなど、思いがけない展開にはワクワクさせられました。

物語を挟み込む序章と終章は独ソ戦を戦い抜いた赤軍の女性兵士クルニコワ伍長のエピソードとして描かれるのですが、これがなんとも魅力的です。民俗学を専攻していた彼女が円筒のレコードに録音された「サハリン・アイヌの昔話」を聴いたのです。この録音がどのような社会環境において記されたのか、それは読んでのお楽しみです。

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2020年05月03日

西加奈子さんの長編『サラバ!(上)(下)』を読む

IMG_E8814新型コロナウイルス感染流行への対応で、緊急事態宣言が出されて以降、いっそう自宅にこもるようになり、読書の機会も増えました。第152回直木賞受賞作の西加奈子さんの長編『サラバ!(上)(下)』(2014年、小学館)は受賞当時、大きな話題になっていましたし読んでみたいと購入したものの、放置されたままでした。あらためて読んでみて、なぜか懐かしい思いに充ち溢れました。「なぜか」というのは、私には外国生活体験などないのにもかかわらず、まるで自分自身が少年時代に戻ったような感覚になったからです。作品の力でしょう。

すでに文庫化されていて3巻に分冊されているようですが、単行本は上下2巻です。上巻では主人公の成長過程が語られ、いわば物語の序奏といえます。やや冗長にも思えたのですが多少我慢しながら読み進めていくと、下巻になって一気に物語が展開し、上巻で紡いできた家族と友人たちとのかかわりあいが意味をもってきますし、いわば伏線となっていた事柄が収斂され、解けなかった謎が解決されていきます。歩にとっては悲劇でもあった出来事が大団円を迎えるとともに、納得の時を迎えられます。読み通すことが求められています。

主人公であり語り手の圷(あくつ)歩は、イランでこの世の一歩を踏み出しました。父親がカメラメーカーから石油系の会社に転職して、赴任した先がイランだったのです。歩には3歳年上の姉・貴子がいるのですが、「問題児」でした。例えば、海苔を壁に貼ったり、家の中に植木鉢の土をぶちまけたり、水を張ったバスタブに家中の布を浸そうとしたり、そのいたずらには、母も手を焼いた代わりに歩は愛されます。歩自身も、いい子でいようと努めたのですが、自己主張があっても押しとどめる行動を自らに課した生き方といえるのでしょう。

さて、圷一家ですが、父親の本来の赴任期間が終了する前に、帰国を余儀なくされます。ホメイニを精神的支柱とした革命が勃発したからです。この革命は西洋的なものを排除し、イスラム世界を構築するという思想に裏付けられていました。歴史的な事件ですが、こうした背景の中で、日本人は自主判断で帰国を選択せざるを得なかったようです。父親は責任感からか一人残ります。とりあえず3人が帰国したのでしたが、母は父の会社に帰国命令を出すように迫り、帰国を実現させます。父の生命財産の危機を回避させたのでした。この辺りは家族のきずなの強さが表現されています。

こうして一家は大阪での暮らしを始めることになったのです。そこは母の実家近くの小さなアパートで「矢田マンション」と呼ばれていました。暴れる姉や、赤ん坊の泣き声を気にするでもなくオーナーの「矢田のおばちゃん」が世話をしてくれます。この人物も、作中、重要な役割を果たしてくれます。さて、歩は小学校に入学すると、姉の弟であることを否応なく気づかされます。姉のあだ名は「ご神木」ということを教えられます。しかし、かわいそうに思いながらも姉を慮ることはしなかったのです。歩は姉には似ていないことを知らせることで、危機を切り抜けることができました。ところが、ある日、父と一緒にふろに入って言われたのです。「エジプトに行くことになったけれど、一緒に行くよな」

こうして第2章に引き継がれますが、エジプトでの体験が描かれます。朝は「アザーン」というイスラム教の祈りが流れてきます。一家は贅沢すぎるほど大きな家に住むことになりますが、町には物乞いの子どもがいたり、女性がはだを出さない姿を目にします。文化の違いを認識させられたのです。家には、メイドのゼイナブが通ってきてくれることになりました。ゼイナブが祈っている姿に、姉は感動したというすがたが描写されます。エジプトで、歩には大きな大切な友達ができます。ヤコブという少年との出会いの場は近所のスーパーでした。

頼まれていた買い物の卵のケースに同時に手を出したのがヤコブでした。ヤコブは黙って卵のケースを歩に差し出してくれました。その笑顔が忘れられなかった。いわばひとめぼれといってよいのでしょう。歩にとってエジプシャンの子どもは苦手でした。しかしヤコブとの出会いが、おそらく生理的であろう感触を変えたのです。

このヤコブとの合言葉でもあり、歩にとって、精神的な支えともなった言葉が「サラバ!」であることが示唆されます。この言葉に込められた温かさが、この作品を象徴しています。物語の後半の悲惨な体験を経て歩はどのように生きたのか、方向が見えないながらどこ到着したか、見ることになります。到達した


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2020年04月24日

柳美里さんの『JR上野駅公園口』が問いかけたもの

IMG_E8751柳美里さんの『JR上野駅公園口』(河出書房新社、2014)を読みました。購入したまま、通読しえいなかったのですが、カトリック新聞4526号(2020年4月12日発行)の記事、入信者シリーズΔ婆さんが受洗されることを知り、積読状態だった作品に改めて関心をいだきました。ホームレスを主人公とした作品であることに興味を持って、出版された直後に購入したのですが、読み終えないでいました。柳さんの作品は、その後に刊行された『飼う人』や『ねこのおうち』を図書館から借り受けて、読んでいました。『ねこのおうち』はこのブログで感想を書きました。

柳美里さんに対しては私なりの思い入れがあります。記憶が薄れているのですが、2007年、『山手線内回り』の出版を記念したトークイベントに参加したことがあります。その前年の2006年に帰天した息子が『8月の果て』という作品を気に入っており、読後感を遺していたことが気にかかっていたからです。当時、ブログなどを拝見して、やや鬱の気質のある方だとも知りました。

この作品ですが、ホームレスの男(「カズ」という名前のようです)の独白がつづられます。「人生は、本の中の物語とはまるで違っていた。」と語りはじめられるとともに今、この男には「あの音」だけが聞こえていることが読者に知らされます。「まもなく2番線に池袋・新宿方面行きの電車が参ります。危ないですから黄色い線までお下がりください。プォォォン、ゴォ―、ゴトゴト、ゴトゴトゴト、ゴト、ゴト・・・・」

かつて彼は、JR上野公園口の改札を出て、横断歩道を渡ったところにある公孫樹の木の植え込みの囲いに座っていました。上野恩賜公園のホームレスには東北出身者が多く、彼もまたその一人でした。レストランの食べ残しをもらえるし、炊き出しの日もあるので、食べ物に困ることはないのです。

人生を振り返るのですが、その思い出は切ない。出稼ぎの生活が普通だったので、帰郷してもなつかない子供たちだったが、隣町に遊びにつれていったことがあったという。金が足りなくて、ヘリコプターにのりたいとせがむ息子・浩一の願いをかなえてやれなかったことを思い返します。その息子が生まれたのは昭和35年2月23日、令和の年号になった今日では、天皇誕生日になっているので、わかりやすいです。さて、息子をヘリコプターに乗せてやれなかったことへの悔いが残ったままでしたが、21歳になったばかりで、東京で暮らしていた息子が、ある日、亡くなったと知らさます。

朝を迎えると、「浩一が死んだ」という事実に叩き起こされるのです。「浩一は、死んだ。明日も、これからもずっと死んだままだ」、そう思うと、心が震え、止まれなくなり、収められないのです。この地では男の子は「位牌持ち」と呼ばれているのですが、その「位牌持ち」がいなくなってしまった喪失感!

母親は「お前はつくづく運がねぇどなあ」と言いいます。男にとっては、不条理といえばよいのでしょうか。男の妻・節子は、通夜の席で浄土真宗の僧侶に問いかけます。「浩一は浄土さ行ったんべか?」住職の答えは、「往生と言って、仏様に生まれ変わるということなので、悲嘆にくれることはありませんよ。」さらに、節子は、問いかけます。「浩一ともう一回、・・・・もう一回話さいっぺが?」

この作品で、もうひとつ象徴的な出来事は、「山狩り」と呼ばれていますが、ホームレスが暮らしている「コヤ」を撤去する作業が、天皇が上野周辺を通行するに際に実施されることでした。主人公の生きざまそのものが、天皇家の方々と対比されているわけです。庶民の痛みに寄り添う天皇はしばしば、私たちの目に届くように演出されているのですが、他方では、善意の天皇家の方々の目には届いていないと思われますが、追い立てられ排除される底辺に生きる人々が存在していることを教えてくれる作品です。

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2020年04月06日

中島京子さんの『夢見る帝国図書館』を楽しむ

IMG_E8633中島京子さんの『夢見る帝国図書館』(文藝春秋,2019)は、読書の時間がこれほど楽しいものなのかと、あらためて感じさせてくれる作品です。進行する一つの物語の中に、もう一つの作品がちりばめられています。その作品こそ『夢見る帝国図書館』すが、さらに読み進め終盤には、本筋の物語にとって謎解きのヒントともなる斬新なスタイルの短い物語が内包されていたことを知ることになります。

「わたし」が喜和子さんと知り合ったのは15年ほど前のこと、場所は上野公園のベンチです。それはフリーライターだった当時、取材で国際こども図書館に行った帰りの出来事でした。その人は、短い白い髪をしており、端切れをはぎ合わせて作ったコートに、頭陀袋のようなスカートといった、まるで孔雀を思わせるような奇天烈な衣装をまとっていました。彼女は、ベンチの隣の席に腰かけ、屈託なく話しかけてきたのでした。その時もびっくりさせられたのですが、喜和子さんとはもう一度会ったのです。そしてその2回目の出会いの際は、喜和子さんのお宅にお邪魔することになりました。路地の奥にある間口の狭い木造二階建ての家屋に案内され、その4畳半の部屋には、樋口一葉全集をはじめたくさんの本で囲まれていました。

喜和子さんは、小説家と名乗った「わたし」に向かって「上野の図書館のことを書いてみないか」と誘うのです。彼女に言わせると、我が国に図書館が作られたわけは、福沢諭吉の洋行が発端だというのです。福沢諭吉は洋行から帰ってきて「西洋の首都にはビブリオテーキがある」と言ったのだそうです。明治新政府はこの言葉を受けて、近代国家を目指すのであれば、ビブリオテーキを作らねばと思い立ったのでした。なお、「ビブリオテーキ」は「文庫」のことです。

図書館の物語をはさみながら、喜和子さんの人生に迫っていきます。話を聞いていくと、彼女は幼い頃に、親の用事で東京に出てきて迷子になってしまい、上野の路地のバラックで復員兵とその友人の水商売らしき男と三人で暮らしていたことがあったということがわかりました。その復員兵のお兄さんの背嚢に入れられて、毎日のように図書館に通っていたそうです。こうして、彼女は、図書館に対する愛を育んだといえます。

「わたし」は喜和子さんとであった当時は、作家を目指していたのですが、その後大きな賞をもらい、作品が映画化されるくらいに著名になっていたことが読み取れますので、モデルは中島さんご自身のようです。喜和子さんにモデルがあったかはわかりませんが、とても魅力的な人物です。しかし、「わたし」が出会った頃の、突き抜けたキャラクターになるまでには、人生の辛酸を味わったことも読み取れます。わくわく読み進めさせるとともに、ほろっとさせてもくれます。

『夢見る帝国図書館』の物語では、樋口一葉をめぐるエピソードはちょっぴり泣かさえれます。図書館は、肩こりで近眼の一葉さん、薄命だった彼女に恋をするのです。自分の懐で、まるで飲み込むように近眼の目を駆使して、読破していく彼女がかわいくてたまらなかったのです。そして、彼女がお金で苦労していることも知っていました。なぜなら、湯島聖堂から上野に引っ越した図書館も、金の苦労話には尽きないのでした。戦費に泣かされたりしながら、その後も「帝国図書館」は翻弄され続けます。

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2020年03月27日

『たゆたえども沈まず』でゴッホの魅力を確認

IMG_8575遅ればせながら原田マハさんの『たゆたえども沈まず』(幻冬舎、2017)を読みました。ゴッホその人というよりも、周辺の人物を描くことで、偉大な画家の生きざまに迫っています。アート小説に、新たな傑作が付け加わったといえる作品です。原田さんの作品は史実をべースにしたフィクションですが、うっかりすると実話ではないかと勘違いしてしまうほど、架空の人物が主役を引き立て、よく知られたエピソードの背景に迫ってくれます。ファン・ゴッホの生涯をたどる興味が深まりました。。

1886年、加納重吉は、東京大学の前身である開成学校の先輩の林忠正を頼ってパリにやってきたところです。林忠正は日本美術を扱う「若井・林商会」で辣腕をふるっています。共同経営者の若井兼三郎が日本で買い付けた絵画をパリに送ってくるのですが、彼はとりわけ浮世絵の収集にはたけていたようです。それらを受け取った林がパリで販売するのわけです。作品のタイトルと重なるのですが、林忠正こそ「いかなる苦境に追い込まれようと、たゆたいこそすれ、決して沈まない」とパリへの憧れを語った人物でした。富山藩出身だった林は、加賀藩の出身である重吉をパリに迎え、会社の専務に据えたのです。加納重吉は、この作品の創作上の人物であり、物語の引き立て役です。

同じパリにいるのが、「グービル商会」モンマルトル大通支店の支配人、テオドロス・ファン・ゴッホ(テオ)です。彼は、最近登場していた「印象派」の画家たちには眉をひそめる金持ちの顧客に対し、商売上、心ならずも旧態依然の画風のアカデミー作品の購入を勧めていました。テオには4歳年上の兄フィンセントがいて、かつて同じように画商の仕事をしたことがあったものの、仕事からは撤退していました。けれども、この兄とは、性格も似通っていて、親友同士のような仲であることを、認めているのでした。フィンセントが自ら描くようになると、その画業を支え続ける存在になるのです。

ブローニュの森近くにある伯爵家のサロンで初めて挨拶をかわした重吉とテオは、いつしか親しい関係になります。テオの紹介で「タンギー親父の店」に出入りするようになり、名もない画家たちとも交流することになります。中でもテオの兄、フィンセントの絵には、引き込まれるような荒々しさ、鋭い刃物を突き立ててくるような、痛みと叫びがもたらされる感情が伴うのです。

原田マハさんの『いちまいの絵』(集英社新書)にはゴッホの「星月夜」をテーマにした章がありますが、ゴッホの行動は、他者の目には突拍子もないものに映るが。思い込んだらとことん突き詰める性分だったと書かれています。その一途な行動を、経済的にも支えたのは弟のテオでしたが、『たゆたえども沈まず』には、その苦悩の足跡がたどれるように描かれています。実話ですが、テオ自身も病気がちで、同じ性分だったのでしょう。兄を見送った後、わずか半年後に亡くなっています。こんなに親密な兄弟愛ということに驚かされます。

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2020年03月19日

映画『パウロ 〜愛と赦しの物語〜』

IMG_E8462新型コロナウイルスの感染流行の影響で、参加するいくつかのイベントが中止になりましたし、映画館に出向くのもためらわれました。たまたま更新期限も近づいていましたので、久々にレンタルショップに立ち寄りました。映画『パウロ 〜愛と赦しの物語〜』のDVDを借り、鑑賞しました。

タイトルの通り主人公はパウロですが、その事績を記したルカとの友情を軸とした物語になっていました。導入場面では皇帝ネロの暴虐さが描かれていて、ローマにおけるかなり陰惨なキリスト教徒への迫害シーンもあります。そうした状況の渦中にあって、ルカは投獄されているパウロに会いに行きます。ルカとは「ルカによる福音書」と「使徒行伝」の著者です。パウロは始めキリスト教徒を迫害していたが回心し、キリスト教の布教にとって重要な人物であることは、私たちはよく認識しているところです。また、映画の一場面としてパウロに起きたダマスコ途上の回心は、回想シーンとして描かれていますので、ポイントは押さえられています。
ネロによるキリスト教徒を迫害の象徴といえるのでしょうか、ローマ大火の犯人としてパウロは捕えられていたのです。獄中のパウロは鞭うたれ、ついには斬首の刑を宣告されてしまいます。ルカは看守を手なずけて、パウロの牢獄に潜入し面会することが出来たのです。その目的は、彼の言葉を聞き取り、後世に伝えるためです。しかしながら、この潜入は発覚してしまい、牢獄の責任者であるマウリティウスの知るところとなります。この出会いが、映画のストーリーの中では信仰・愛につながるものとなったことが後半に伝えられます。ルカは医師であり、マウリティウスの娘は重篤な病に冒されていたのでした。歴史上のパウロやルカの足跡を土台にしたフィクションですが、読み取るべきこともありました。

ところで、今年の四旬節ですが、新型コロナウイルスの感染流行に伴い集会自粛の余波をうけて、教会の公開ミサも中止となっていますので、YouTubeで配信されている菊地大司教による主日のミサに与っている状態です。思い返したのですが、その第二主日(3月8日)の福音朗読、第二朗読で「テモテへの手紙」が読まれました。

テモテへの手紙2(1章8b〜10節)
[愛する者よ、]神の力に支えられて、福音のためにわたしと共に苦しみを忍んでください。神がわたしたちを救い、聖なる招きによって呼び出してくださったのは、わたしたちの行いによるのではなく、御自身の計画と恵みによるのです。この恵みは、永遠の昔にキリスト・イエスにおいてわたしたちのために与えられ、今や、わたしたちの救い主キリスト・イエスの出現によって明らかにされたものです。キリストは死を滅ぼし、福音を通して不滅の命を現してくださいました。

『聖書と典礼』の注記を読んでみますと、パウロが「主の囚人」として獄中にあり、間近に迫る死を覚悟しながら書かれた手紙であろうと説明されています。切迫する処刑を目前に、「不滅の命」に言及しているところは、映画で描かれるパウロと重なります。もっとも、研究書によれば、この手紙はパウロの真筆とは言えないようですが、映画『パウロ 〜愛と赦しの物語〜』ではこの手紙が、ラストシーンを盛り上げていました。印象深く、心に刻まれました。なお、テモテはパウロの弟子となった人物で、リストラの信者のユダヤ婦人の子でギリシャ人を父に持つためあえて割礼を受けさせたと「使徒言行録」には書かれています。

映画のストーリーに戻りますが、牢獄のパウロを訪ねたあと、ルカが戻っていったのは、キリスト教徒たちが助け合いながら、隠れ住むコミュニティです。そのコミュニティのリーダーは、アキラとプリスラという夫婦です。ある日、コミュニティに 血みどろになって運び込まれた女性オクタビアは、夫と息子が殺されたと訴え、「これは私の血ではなく、殺された赤ちゃんの血」と泣き崩れるのです。迫害の残忍さを伝えるシーンです。怒る若者たちは、暴力による反撃を主張するようになるのですが、アキラたちは暴力に対して暴力で向かうのは信仰ではないと諭します。しかし、対立は深まっていきます。キリストの愛とは何かが、試される議論であり行動です。

ところで、このアキラ夫妻のことですが、「使徒言行録」には次のように記されています。(18章1〜3節)
「その後、パウロはアテネを去ってコリントへ行った。ここで、ポントス州出身のアキラというユダヤ人とその妻プリスキラに出会った。クラウディウス帝が全ユダヤ人をローマから退去させるようにと命令したので、最近イタリアから来たのである。パウロはこの二人を訪ね、職業が同じであったので、彼らの家に住み込んで、一緒に仕事をした。その職業はテント造りであった。」
 
映画で描かれてはいませんが、パウロの職業がテントづくりというのも興味深いのですが、この夫妻との友情はルカとしても伝えたかったところなのでしょう。

この作品に刺激され、あらためてパウロの足跡をたどってみたい思いに駆られました。

sawarabiblog at 17:03|PermalinkComments(0)

2020年02月20日

映画『パラサイト 半地下の家族』

IMG_8334アカデミー作品賞を獲得した公開中の話題作『パラサイト 半地下の家族』を見ました。ストーリーの詳細は書けません。監督からのお願いとして、「本作をご紹介頂く際、出来る限り兄妹が家庭教師として働き始める以降の展開を語ることはどうかお控えください」とありますので・・・

たっぷりと仕掛けが施されていて、アッとびっくりさせられる展開なのです。序盤の物語で伏線がすべてちりばめられると、一気にジェットコースタームービーです。家族全員が無職で半地下の住宅で暮らしているキム・ギテク一家ですが、ある日、長男ギウに、思いがけず家庭教師のアルバイトの話が転がりこんできます。アルバイト先の家庭は大金持ち、ギウは最初の面接でこの家の母娘に気に入られます。この就職をきっかけに、ギテク一家が次々に大金持ち家族に寄生(パラサイト)する生活が始まったのでした。

韓国社会では、半地下が居住空間ともなり得る住宅事情があるらしい。もともと、半地下の誕生には、北朝鮮と関わりがあるとのこと。北朝鮮との緊張関係が厳しくなった時代、有事の際の避難場所として住宅建築に当たって、地下層の設置を義務化したのですが、それには有事の時に避難場所として使う目的があったのです。現在では、その場所を居住空間として利用しているということになります。この半地下の住居暮らしは、まさしく「貧困」を象徴しているのです。

ギテク一家によって計画的に行われた、金持ち家族への寄生生活ですが、夫婦と息子・娘の4人とも入り込んだことで、完全に成功したかのようだったのですが、実は多少のほころびが生じていることも、描かれています。他人を装って入り込んだ彼らのにおいが共通しているという指摘を、金持ち家族の末っ子のダソンが何気なく言い放つ場面です。においのことについては、その延長として、大雨の日にソファで夫婦が会話する場面に引き継がれていました。映画なので、においは伝わりませんが、半地下暮らしのにおいは想像できるところでしょう。貧困な家族にとっては消しきれないそのにおいは、金持ちと比べれば、歴然と現れてしまう違いを示しているわけです。表には出さない差別感情ですが、私的な会話の中で表出した場面です。

ともあれ文句なく楽しめる娯楽映画ですが、現実社会の問題も適格に照らし出しているからこそ価値ある作品となっています。


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