2009年11月13日

松本清張さんの召集

太宰治とともに生誕100年を迎えた作家、松本清張さんの作品は一時期愛読しました。古代史に造詣も深い方で、東アジアの古代文化を考える会で講演を拝聴する機会も多々あったことを思い出します。
今年はしばしば太宰治と比較されることの多いようですが、私ども世代にとっては物心ついた頃には太宰はすでに物故していましたので、実は清張さんの方がなじみ深いのです。周知のように清張さんは、学歴から言えば高等小学校卒で、少年時代から手に職をつけて働き、一家を支えてきたわけです。太宰が地方の大地主の息子という出自を持つのとは対照的です。
『半生の記』に記されたあとがきには、「いわゆる私小説というのは私の体質には合わないのである。そういう素材は仮構の世界につくりかえる。」と、ご自身の作風を語っています。太宰が自らを小説にかなり直截に投影しているのとは趣きが異なっているようにも思われます。作品世界と実生活とは似て非なるものといえます。とはいえ、読みようによっては清張さんの小説からも面白い発見があるかもしれません。小説の主人公に自らを投影していたことは、『或る「小倉日記」伝』の主人公への思いやりにみちた視線にもうかがえます。
清張さんは、家族を支える日々を続けながら昭和17年(1942)12月に「教育召集」、翌年6月には2度目の召集、軍隊生活を体験します。30歳過ぎの家族もちが召集された理由を、推察する言葉が告げられます。召集検査の係の方から「おまえ、教練にはよく出たか」と聞かれた清張さんは、「あまり出ていない」と応えます。「ははあ、それでやられたな」とその係の方は漏らします。
「この一言は今でも耳に鮮やかに残っている。教練に不熱心な者は懲罰的に戦場に引っ張り出すくらいのことは市役所の兵事係には出来たらしい。人間の生命など、案外こんな一役人の小手先で自由になるものだと知った。」
こうした発見とともに、軍隊生活には別の新鮮な体験を語っています。社会生活では、存在を認められないほどの差別的な待遇を受けていたけれど、軍隊では個人を顕示が可能になり、新鮮な体験であったことを述べています。戦後、懸賞小説に応募して、作家デビューのきっかけになるのですが、太宰の作家人生と時間が重ならないのは神様のイタズラでしょうか。

清張さんが差別待遇を受けながらも働き、また兵役に従事していたころ、太宰はいくつかの秀作を送り出していました。潜在的に戦争への疑念をいだきつつ書かれた作品のひとつ『右大臣実朝』では、「アカルサは、ホロビノ姿デアロウカ。人モ家モ、暗イウチハマダ滅亡セヌ」と実朝に語らせています。反語的な表現ですが、明るさの中に滅びが見えるのは、今の世にも通じています。その時代と向き合い、物語を通じて伝えてくれたものは滅ぶことのない珠玉のメッセージです。

主日の福音朗読箇所にイエスの次のような言葉があります。「滅びない」ということの意味を私は問い続けています。
「天地は滅びるが、わたしの言葉は決して滅びない。その日、その時は、だれも知らない。天使たちも子も知らない。父だけがご存じである。」(マルコによる福音13章31-32節)

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2009年11月04日

犯罪被害とゆるし

10月31日、真生会館で、河野義行さんのお話を聴講しました。少年時代のいたずらや、奥様とのエピソード、家族計画などジョークを交えたトークに魅了されました。とはいえ主題は、松本サリン事件で犯人扱いされた1年間のご心労は並大抵のものではなかったと想像されます。
サリンの後遺症が抜け切れないままでの退院、事情聴取、自白の強要といった事態に的確に対処されたことなど貴重な体験をうかがうことができました。自分がその立場に立たされたとき、同じような対応ができるのか、問いかけて見ますが、できそうもないですね。それにしても警察だけでなく、メディアも先入観をもって報道したことは、今日の事件報道にも通じているのではないのか、そんな疑問も生じます。被害者なのに、犯人扱いされることは当事者にとってどれほどの痛みだったのでしょうか。まして、意識不明の重度障害者になられた奥様のことも気遣いながら・・・

「事件発生からわずか23時間で警察が犯人のレッテルを作り、マスコミがそれを貼ってしまった。」(河野義行『「疑惑」は晴れようとも』(文春文庫あとがきより)

地下鉄サリン事件は、結果的に河野さんを冤罪から救ったわけですが、河野さんを犯人扱いし続けたことで、あれほどの犯罪を未然に防止できなかったことにもなります。河野さんは、幸いなことに生命の危機も脱することができましたが、それにはサリンにも対応した薬が処方された幸運もあったとのことでした。

「被害者の社会的なケアがなおざりになることで、犯人を憎む気持ちがむき出しで放置されていることがまず問題でないかという気がしてならない。実際、犯人が死刑になったとして、被害者・遺族はそれで本当に満たされるのだろうか。むしろ恨みの対象がなくなって気が抜けてしまうかもしれない。」(河野義行『「疑惑」は晴れようとも』(文春文庫)

犯罪被害に対しては、ケアがなされてこなかったことへの警鐘を鳴らしますが、同時に、加害者にも人間として尊重する姿勢を崩されないところは見事です。そして実践しておられます。オウムの元信者の方との交流を続けておられることも、伝えてくださいました。

河野さんが、辛かった時期にいただいた手紙の一節に「コリント人への手紙」の言葉があったそうです。この手紙は、河野さんが犯人であったとしてもという前提で書かれていたそうですが、今が試練であるとしても自分は必ず超えられると、自らを励まされたとのことです。河野さんが励まされたパウロの言葉を引用しておきましょう。私自身も励まされた言葉です。

「あなたがたを襲った試練で、人間として耐えられないようなものはなかったはずです。神は真実な方です。あなたがたを耐えられないような試練に遭わせることはなさらず、試練と共に、それに耐えられるよう、逃れる道をも備えていてくださいます。」(コリントの信徒への手紙一 10章13節)


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2009年10月26日

裁判員制度と、「裁き」の意味

他人事だと思っていた裁判が身近になりつつあります。任じられたわけでもありませんが、国民の誰でもその可能性がありますし、人が人を裁くという行為の意味を問いかけています。森司教の講座を拝聴してあらためて自らに問いかける必要を感じています。(森一弘「新しい裁判員制度を迎えて」『家庭の友』2009年7月号、参照)

森司教は、まず字典から語源を明らかにします。(藤堂保明編・『新漢和大辞典』)その字典に、「裁き」とは「衣服を仕立てるために長い布地を適当に切ること」と書かれていることから、森司教は衣服を仕立てるという嬉しい目的があることに着目します。これを人間関係にあてはめて考えておられます。あたかも一枚の布のようにしっかりと結ばれている人と人との関係が前提にあるのであって、しかるにそのかかわりを断って相手を自分の人生から排除してしまう行為が「裁き」となるのです。それは人間社会にはしばしば見られることを指摘されます。そして人を裁くということは、重荷となる相手を背負いきれないという人としての弱さを証することになるのですが、しかしキリストは、そんな弱い人間に警鐘を鳴らしているのです。

「あなたがたも聞いているとおり、『目には目を、歯には歯を』と命じられている。しかし、わたしは言っておく。悪人に手向かってはならない。だれかがあなたの右の頬を打つなら、左の頬をも向けなさい。あなたを訴えて下着を取ろうとする者には、上着をも取らせなさい。だれかが、一ミリオン行くように強いるなら、一緒に二ミリオン行きなさい。求める者には与えなさい。あなたから借りようとする者に、背を向けてはならない。」(マタイによる福音 5章 38-42節 )

さらに森司教は、「人を裁くな。あなた方も裁かないようにするためである。」(マタイ7章 1節)の意味を解き明かしてくださいますが、私たちもこの聖書の言葉をかみしめたいと思います。

裁判員制度にはすでに様々な問題点が指摘されています。
先日も冤罪の問題を取り上げましたが、まず有罪か否かを判断することが問われます。本人が自供したにもかかわらず、犯罪事案の当事者ではなかったということが素人である裁判員が短期間の審理だけで判断できるものなのでしょうか。足利事件で証明されたことは、捜査段階での予断もありますから、ということは捜査にまでさかのぼって、検証しなくてはならないことなのでしょうか。私は、裁かれる人への客観的な判断を持てるか、自信はありません。
以前引用したことのある辺見庸さんの『愛と痛み』は世間が司法に持ち込まれる危険を指摘しています。光市母子殺害事件などを契機に、現在では重罰化が世論といえるでしょう。辺見さんはあえて言います。
「世論は異物を排除し、同時に私たちは世間から排除されることをもっとも恐れる。・・・しかし、私たちはそれを踏み超えなくてはなりません」

光市母子殺害事件は、確実に私どもの家族に対する思いという素直な感情を揺さぶりました。愛する妻子を突然失った本村洋さんの日々の記録を読ませていただき、涙が止まりませんでした。(門田隆将『なぜ君は絶望と闘えたのか 本村洋の3300日』新潮社、2008 参照)

著者は、死刑判決を聞いた後の本村さんを、次のように表現しています。
「本村は、絶対泣くものか、と思った。当然の結果が出ただけなのである。人を殺めた者が、自分の命で償うのは、当たり前のことなのだ。
その当然の結果が出ただけなのである。
本村は、死刑制度というのは、人の生命を尊いと思っているからこそ存在する制度だと思っている。残虐な犯罪を人の生命で償うというのは、生命を尊いと考えていなければ出てくるものではないからだ。」
そして告げています。本村さんが闘い司法を動かした原動力は、「家族への愛であり、彼が構築してきた死生観だった。多くの人に励まされ、本村君は、最後には、犯人に自らの「罪」と向き合わせたのである。」

しかし、あえて書くことにします。もう一度、視点を変えてみることも必要だと思わせるレポートを目にしました。

『福田君を殺して何になる−光市母子殺害事件の陥穽−』(インシデンツ、2009)という出版物が、現在店頭に並んでいます。被告人であるF君の匿名性が問題になった本ですが、一読して著者の主張にも賛同できる点もあります。氏名不詳のF君ではない一個人が、死刑囚となっていることを認識したいと思います。著者の増田美智子さんは、誠実に関係者の証言を聞き記していると思います。本村さんを激怒させてしまった手紙がしたためられた経緯を知ることも必要ではないかと感じさせられました。この書物の存在価値を認識する意見は少数かもしれませんが・・・

もちろん被害者の本村弥生さん・夕夏ちゃん親子の無念も、そして遺族の洋さんの思いも念頭から忘れることなく、想像力を研ぎ澄まそうと努めます。それは世論に左右されることのない自己の意思を確立することでなければなりません。私たちは、現行の裁判員制度のもとで的確な判断が可能か否か、試されています。

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2009年10月20日

映画『パンドラの匣』〜希望の小石を見つめて

太宰治の『パンドラの匣』が映画化されました。芥川賞作家の川上未映子さんが出演されている話題の作品です。小説は、もともと戦時下に書かれたものでしたが、作品内容が時局にあわないという理由から出版をさまたげられ、かつ校正の段階で不幸なことに戦災にあっていったん滅失してしまった作品です。『雲雀の声』というその作品は幻と消えましたが、あらためて戦後の状況下で書き直すという試みがなされました。それが『パンドラの匣』です。奥野健男氏は「小説という芸術が、時代のアクチュアリティと、不変の人間性との、どちらに本質があるのか、どちらに比重がかけられているのかという問い」が投げかけられていると述べておられます。(新潮文庫の解説から)

こうした作品の面白さが映画でどのように表現されているか、興味を持ちました。というのも、小説は「ひばり」が親友に向けた手紙の形式になっていて、実はその手紙に、ちょっとした“うそ"が混じっているのです。それは思春期の青年の恥じらいがさせたようなものですから、私などにはとてもほほえましく思えるものなのですが・・・

このあたりをどう表現しているのか、と思いながらて映画を見てきました。小説とは設定が変わっていたのですが、健康道場から退場した「西脇つくし」という人物が、主人公の「ひばり」が出す手紙の相手方になっていて、重要な役どころになっていました。小説では、顔が見えないので最後のオチになっている「竹さん」の容貌ですが、映画では最初からその姿が見えてしまっていますから、工夫がこらされています。また、映画としてのオチは意外な形で表現されていました。竹さん役の川上未映子さん、監督の要望が実現したのだそうですが、すっかり役柄にはまってましたね。

題材としては、結核療養所が舞台ですし、太宰が種本とした日記の書き手は、すでに亡くなっていたわけですが、パンドラの匣の隅に隠されていた小石に記された「希望」そのままのように、描かれています。スクリーンを通してですが、死と隣り合わせて生きていた仲間と励ましあう姿を見つめながら、むしろ現在の私たちの方こそ「希望」を失っていないか、問いかけられた思いでした。そして太宰治の作品が今に生きていることをあわせて感じていました。

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2009年10月16日

『差別と日本人』を読みながら

ベストセラーになった『差別と日本人』(角川oneテーマ21、2009)、野中広務氏と辛淑玉さんの対談ですが、辛さんが野中氏の実像を引き出していて魅力ある読みものになっています。
出自を、野中氏は「部落」、辛さんは「在日」であること前面に出して対話をしていますが、その対話のところどころに辛さんの批評がはさまれています。それは、野中氏にとっては多少厳しいともいえる評価なのです。
たとえば・・・・
「野中氏の語る「部落」には主体的な政策理念や解放理念ではなく、なぜかいつも利権がらみの話がでてくる。部落に住むわたしの友人の一人はそのことについて、「彼は自民党だったから、良質の運動家は彼には近づかなかったのではないか。だから、具体的な差別の現場で闘っている人との接点が少なかったのではないだろうか」と語った。友人の指摘は、自分自身の経験に照らしてもうなずけるものだった。」(p87)
 被差別体験と向合いながら、つい先ごろまで政権与党であった自民党に属していた野中氏の生き方には問い直すべき弱点も辛さんの視野からは見いだせるのでしょう。私が感じたことですが、石川一雄さんの受けた差別裁判について言及することもない野中氏のそっけなさには、多少ガッカリさせられます。
しかし、小泉政権誕生とともに野に下った野中氏が、引き続き政治の中枢に居残ることが出来たなら、人心を荒廃させた小泉劇場を打ち破れたかもしれないという可能性を想像することもしてみた方がいい、そんな気にさせられます。
 それにしても部落出身者であることをはっきりと宣言した政治家が、ここまでのぼりつめた例はないようです。それにつけても野中氏の生き様と対極に位置するのが某前総理、私には彼がカトリックの信者であることがどうしても信ずることが出来ません。決して傷つけられることのない幸せな人生をすごされたのでしょうか。前総理にぬぐいきれない差別意識があることにもこの著では言及されているのです。私は次の主日のミサで朗読される福音の言葉をあえて想起しました。自らに突きつけられた言葉です。

「あなたがたも知っているように、異邦人の間では、支配者と見なされている人々が民を支配し、偉い人たちが権力を振るっている。しかし、あなたがたの間では、そうではない。あなたがたの中で偉くなりたい者は、皆に仕える者になり、いちばん上になりたい者は、すべての人の僕になりなさい。」(マルコによる福音 10章42-44)

私自身は支配者になることもない存在ですが、とはいえ「皆に仕える者になる」ということもまた苦難の選択に違いないと思うものです。


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2009年10月05日

『斜陽』の一場面と福音

太宰治の代表作、『斜陽』、その一場面から・・・・

最後の貴婦人であるお母様が息を引き取ります。
「お父上の時は、さっと、お顔の色が変ったけれども、お母さまのお顔の色は、ちっとも変らずに、呼吸だけが絶えた。その呼吸の絶えたのも、いつと、はっきりわからぬ位であった。お顔のむくみも、前日あたりからとれていて、頬(ほお)が蝋(ろう)のようにすべすべして、薄い唇(くちびる)が幽かにゆがんで微笑(ほほえ)みを含んでいるようにも見えて、生きているお母さまより、なまめかしかった。私は、ピエタのマリヤに似ていると思った。」

太宰の筆は、滅びていくものへの愛惜を伝えて余りある名場面をこしらえてくれています。一人の貴婦人が、穏やかに、人生の修羅から立ち去っていく。その姿はピエタのマリアに似ていると語り手の「かす子」は思うのです。その死に顔が、なくなったわが子を見つめる母の姿に似るとは意外です、なまめかしいと見えながらも、深い悲しみに満ちているのでしょうか。むしろ、これはお母様を見つめる「かず子」の心象風景ともいえるのでしょう。こうした母の死に直面し、イエスによる12弟子の派遣を想起するあたりは独特の展開といえましょう。
そういえば、7月頃の福音朗読で味わいましたが、イエスは弟子たちに何物を持たないことを前提にして弟子たちに旅立ちを命じたのでした。今年はマルコ年ですから、マルコによる福音を読みました。太宰の引用はマタイによる福音からのようですが・・・・

「蛇のように賢く、鳩のように素直になりなさい」とイエスは伝えました。
そして「かず子」もまた旅立ちます。「戦闘、開始」!

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2009年09月27日

『戦場のピアニスト』の光

近くの映画館で、リバイバル上映中の「戦場のピアニスト」を見ました。古い作品なので客席は閑散としていると予想していたのですが、思いのほか席が埋まっていました。一度TV放映で断片的に見たのですが、じっくりと映画館で2時間半の作品を見ると重みを感じることができました。
ナチスの迫害から生き延びることのできたの、実在のユダヤ人ピアニストがモデルです。昨年、ワルシャワを訪問しましたが、私が生まれる以前のこの町に生起した事柄えお映像を通して見つめるとあらためて愕然とさせられました。いとも簡単に人が射殺される場面は、私たちの時代ではベトナム戦争を想起させます。映画とは、どれだけの想像力を引き出してくれるかが、重要なのだと思います。
ラスト近く、ドイツ軍の将校との出会いの場面は白眉です。蜂起の後、ドイツ軍に徹底的に破壊されたワルシャワの町の廃墟に隠れ住む主人公が、缶詰を必死にこじ開けている場面、その目の前に突然現れた将校がピアノを弾かせます。その演奏に感動したのでしょう、将校は主人公を見逃すばかりか食料を援助してくれるのです。結局、迫り来るソ連軍を迎えてドイツ軍は撤兵しますが、将校は「生きるも死ぬも神のご意志だ」と告げ、主人公に防寒用にと軍服まで渡して去っていきます。
ドイツ兵に救われたというエピソードが、ポーランドにとっては好まれない出来事だったとも聞きます。歴史は人類になんと厳しい試練を与えたものだと思わされます。
ところで偶然ですが、監督のポランスキー氏が滞在先のスイスで警察当局に身柄を拘束されたことが27日、分かったと報道されています。32年前のわいせつ容疑とのこと、真相はいずれ明らかになることでしょう。この映画の輝きに、影響を及ぼさないことを願います。


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2009年09月25日

特別展《芥川龍之介の書画》

日本近代文学館で、特別展《芥川龍之介の書画》が開催されています。芥川は文才だけでなく画才も秀でていたことがうかがわれます。河童の画はすでになじみ深いものです。画家や俳人といった友人たちと布施弁天に赴き、寄せ書きされた巻物となった書画が展示されています。職業作家となった芥川が、小説からは切り離されいわば私的な部分が表現されていてなかなか楽しい雰囲気が伝わります。また、昨年、ご遺族から提供された「幻の遺書」もはじめて展示されています。前回は写しのみ展示されていたのですが、今回は実物の展示、肉筆で見ることによって、息遣いも伝わりますし味わいは深まります。毅然とした意志を伝えて旅立ったことが偲ばれます。

ときおり私なりに芥川作品にふれてきました。『邪宗門』を素材に少し考えてみましょう。未完の作品なのですが、芥川には珍しく、長編となりうる可能性をたたえながらも、ついに書き継がれることがありませんでした。『地獄変』の続編の体裁をとっていながら、ストーリーにもテーマに連続性はありません。解説などを読みますと登場人物である堀川の大殿と若殿モデルは道長・頼通親子らしいですのが、この親子の葛藤劇は刺激的です。
さて、物語が進行していきますと、若殿の恋のライバルともいえる「摩利信乃法師」という異形の沙門が出てまいります。この人物が都に「邪宗」をひろめます。「天上皇帝の神勅」を伝えるのですが、十字架らしきもの(「十文字の護符」)を持っていますことからも、明らかにキリスト教の伝道者といえるようです。その教えの本尊が「女菩薩」と表現されていますが、「赤裸の幼子を抱いて」いますのでこちらはマリア像ですね。この人物を配置することで芥川は、日本の神々との比較の表現などを構想していたのかもしれません。当時、キリスト教が伝わっていたとする解釈を小説の設定として、芥川が受け入れていたことをうかがわせます。
話の前半に登場する「菅原雅平」という人物が、失恋の果てに流浪を重ね、都に再び現れたと解釈できます。「摩利信乃法師」は、四条河原の非人たちとともに起居しています。そして盲目の目を開いたり、足のなえた人を歩かせたりするのは、イエスの業を思わせます。いわば虐げられた人々の中にいるのです。
芥川が描いているのは、必ずしもイエスにならう生き方というわけではありません。しかし 恋の敗残者とはいえ一度挫けた心を癒す営みの中で、いかにして信仰に向かったのか・・・、書かれていない部分に私の興味は向かいます。苦悩し、信仰に向かう心に日本の神々は答えを与えることができなかったのでしょうか。芥川作品から、あらためてこうした思いをはせることができます。


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2009年09月19日

冤罪はなぜ生まれる?

足利事件の犯人とされた菅家利和さんと、松本サリン事件の被害者である河野義行さんが対談した興味深い本が出版されました。(『足利事件 松本サリン事件』、TOブックス)
冤罪を晴らすことは並大抵の努力ではないことは、「狭山事件」の石川さんの例でも明らかですが、菅家さんは再審で無罪判決を勝ち取る前にすでに釈放されたわけですから、特異な事例になりますね。検察が無罪と認めるほど明白な冤罪ですが、検察サイドが早期決着せざるを得ない事情もあるようです。私たちは、冤罪を生み出す背景に着目し続けなければなりません。
河野さんの場合は、メディアが容疑者扱いをする中で、逮捕されることなく闘いぬきました。しかし警察が被害者である河野さんを被疑者扱いしたことは、地下鉄サリン事件を阻止できなかった結果にもつながっています。見込み捜査といいますか、先入観はおそろしい。間違いを正す勇気を持てるか、様々なことを問いかけています。

実は、20代の頃ですが、家宅捜索を受けたことがあります。突然、数名の刑事?が訪ねてきました。近隣の手前もありとりあえず室内に入ってもらいました。捜査対象の事件には、全く心当たりはありませんでしたが、何がしかの書類を持ち帰られました。一人で室内に押し込まれたような状態で、数名の警察官に取り囲まれていると何もできないことを思い知らされました。(すぐに、弁護士を通じて抗議したおかげもあったせいか、それ以後身辺に変化は生じませんでしたが、後日同世代の方々数名が逮捕されました。しかしその人々は無罪でしたし、最終的には、未解決事件となりました。)

体験を通じて思うのですが、菅谷さんのように、いきなり犯人扱いされた一市民が「うその自白」までさせられることは、あるだろうと想像することができました。菅谷さんは、こうして殺人事件の犯人とさせられました。
報道によってしか知りえないことが多いため、当事者から直接聞く機会は多くありません。報道の裏側を見抜く目も養う必要があるようです。

『訊問の罠−足利事件の真実』(角川書店)は菅家さんの冤罪を晴らすために尽力された佐藤弁護士との共著ですが、長い闘いの中で培った洞察に満ちています。佐藤さんは、ご本人と会って「犯人ではない」ことを確信したといわれます。むしろ警察犯罪といってよいほどの冤罪事件ですが、裁判という機会を得て冤罪を注ぐことができるはずですが、それが機能していないことも知らされます。この著書では、あえてこの事件に関与した同業の弁護士、あるいは裁判官の名前も記して批判しているところにも着目しました。無実であることは、本人に会えばわかるハズだが、「わが国の裁判官は、書面を読むことで真実を見極めることができると確信(錯覚)しているのです。」と佐藤弁護士は述べています。たとえ警察官が過ちを犯したとしても、検事が正すことができる。しかしそれも叶わなかった、と告げています。裁判員制度がスタートした現在、私達が真実を見つめることができるかが問われています。


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2009年09月11日

太宰治の作品と聖書

「イエスは、弟子たちとフィリポ・カイサリア地方の方々の村にお出かけになった。その途中、弟子たちに、「人々は、わたしのことを何者だと言っているか」と言われた。弟子たちは言った。「『洗礼者ヨハネだ』と言っています。ほかに、『エリヤだ』と言う人も、『預言者の一人だ』と言う人もいます。」そこでイエスがお尋ねになった。「それでは、あなたがたはわたしを何者だと言うのか。」ペトロが答えた。「あなたは、メシアです。」するとイエスは、御自分のことをだれにも話さないようにと弟子たちを戒められた。」(マルコ8章27-30節)

太宰治の短編『誰』は、マルコ福音書のこの箇所の引用から始まります。イエスに迷いは無く、弟子たちを導くための過程の問いと思えるのですが、イエスがあたかも宣教に迷い苦悩しているかのように、私は何者なのか、と問いを発しているように太宰は理解します。太宰と聖書のかかわりについて、以前にもふれたことがありますが、主日の福音朗読がこの箇所ですのであらためて関心を持ちました。
福音は、ペトロが的確にイエスをメシアと喝破したことを告げていますが、次のくだりでペトロは叱責を受けます。ここでペテロの中にいるサタンが名指しされるのです。

小説では、太宰がある学生から「なんじはサタン、悪の子なり」といわれて穏やかならざる心情になり、そもそもサタンとは何か・自分はサタンなのか、と調べる展開になります。そして、なんとなく得心がいったところで、どんでん返し的な読者からの糾弾で締めくくられます。太宰のこの読み方といいましょうか、感じ方は個性的で面白く味わうことができます。

「それからイエスは、人の子は必ず多くの苦しみを受け、長老、祭司長、律法学者たちから排斥されて殺され、三日の後に復活することになっている、と弟子たちに教え始められた。しかも、そのことをはっきりとお話しになった。すると、ペトロはイエスをわきへお連れして、いさめ始めた。イエスは振り返って、弟子たちを見ながら、ペトロを叱って言われた。「サタン、引き下がれ。あなたは神のことを思わず、人間のことを思っている。」それから、群衆を弟子たちと共に呼び寄せて言われた。「わたしの後に従いたい者は、自分を捨て、自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい。自分の命を救いたいと思う者は、それを失うが、わたしのため、また福音のために命を失う者は、それを救うのである。」(マルコ8章27-30節)

短編『誰』が書かれたのは、太平洋戦争勃発前夜です。時代との向き合い方に、キリスト教の教えに学ぼうとする姿勢が見られるように思えます。10月8日に記されたという作品(『新郎』)には、戦争による意識の高揚感とともに、「一日一日を、たっぷりと生きて行くより他は無い。明日のことを思い煩うな。」と聖書の引用(マタイ6章34節)をしながら、覚めた視線を持ちつづけているように思います。また、次の一文も、聖書とのかかわりをよく伝えています。
「私の人間は変ってしまった。強い光線を受けて、からだが透明になるような感じ。あるいは、聖霊の息吹きを受けて、つめたい花びらをいちまい胸の中に宿したような気持ち。日本も、けさから、ちがう日本になったのだ。」(『十二月八日』)

さて、「自分の命を救いたいと思う者は、それを失うが、わたしのため、また福音のために命を失う者は、それを救うのである。」というイエスの言葉をかみしめるとき、26聖人の一人、12歳のルドビコ茨木を思い起こします。処刑を逃れさせたいと棄教を勧める代官に対して、つかのまの生命と永遠の生命を交換は出来ないと述べたと伝えられます。まさに信仰の力が働いていたのだと、申しあげるほかありません。

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