2022年08月26日

深緑野分さんの『スタッフロール』

IMG_E1538深緑野分さんの『スタッフロール』(文藝春秋、2022)を読みました。

1948年、2歳だったマチルダはまだ犬を知らなかったので、病気でベッドにいた時に見たのはまさしく怪物だったのです。それは、異様に長い首を持ち、頭は不釣り合いに大きく長方形で、大きな尖った耳をはやしていました。種明かしをすれば、怪物に見えたものは、父の友人のロニーが作った影絵であったのですが、マチルダにとって、その姿は心に染み付いてしまったのでした。
小さかったマチルダはハリウッドで働いているロニーから、そこが「夢の製造工場だよ」と教えられます。動物が言葉をしゃべったり、魔法使いが空を飛んだりするのです。ロニーはさらに、粘土で造形する面白さも教えてくれました。しかし、ある日、ロニーはマチルダの前から姿を消し、二度と会うことができませんでした。物語の中盤に明かされるロニーの消息は、「赤狩り」という政治的な時代背景に翻弄された結果だったのです。父親から聞かされ衝撃を覚えますが、「同じ時立場になったとき、お前は間違えないと言えるか?」と問われ、マチルダが「間違えない努力はする」と答える場面が描かれていますが、心が揺さぶられます。

とはいえ映画に魅了され、父親の願いに反して、その夢をあきらめきれなかったマチルダですが、夢の世界に進むために選んだ方法は、両親をかなり落胆させたことでしょう。せっかく入学した名門大学の勉強には身を入れることができず、辞めてしまいます。そしてアルバイトで蓄えた金と、「ハリウッド御用達、ヴェンゴス工房の助手募集」のチラシを携え、ニューヨークにやってきます。そのチラシには、面接日と時間制限が記されていたのですが、不慣れなため道に迷い、不審な男につかまりかけますが、そんな彼女の苦境を救ってくれた男性がいました。チャールズ・リーブという名の合成背景画家でしたが、目的地まで案内してくれ、運よく助手に雇われることになります、しかし、まだまだ苦労は続きます。女性の特殊造形師として活躍することになるのですが、スタッフロールにその名が記されることがなかったのです。そしてCG技術が進歩したことが、造形にこだわるマチルダにとって苦悩は深まっていきます。『レジェンド・オブ・ストレンジャー』という作品を手掛けることになり、マチルダは怪物Xを造形することになります。自身の幼児体験がその造形に深く関係していることを、読み手である私たちに喚起させてくれます。この作品では、監督がデザインと造形を任せてくれたのですが・・・・。

二部構成になっていて、第二部ではCGクリエイターとして活動するヴィヴィアンが主人公になります。第一部の主人公のマチルダと、どのように関わっていくの、見どころ満載です。世代を超えたこの二人が出会うことができるのでしょうか。楽しみながら読み進めました。

この作品の時代を特徴付ける世相としては、ロニーの挫折の原因となった赤狩りのことだけでなく、 ベトナム戦争も背景にあることを気づかせてくれ、それぞれ登場人物の生き方に影を落としています。

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2022年07月18日

島田雅彦さんの『パンとサーカス』がもたらす毒と癒し

IMG_E1511島田雅彦さんの『パンとサーカス』(講談社、2022)という長編を、読み終えましたが、この本を読んでいる期間に、たっぷり浴びせられた毒を抜くにはどうすればよいのかが気になり始めました。私たちは実際に我が日本の政治の腐敗を垣間見てきたわけですが、それ以上のことは知ることを拒んできたともいえましょう。この作品は痛快に、あるべき社会の姿を見せてくれました。
そんな思いにとらわれていた時に、要人が個人の銃弾によって殺害される事件が起こったのでした。著者の島田氏は、「自分の小説の中でしか起きない出来事かと思っていた。」とつぶやかれていたほどの意外性のある事態が現出したわけです。殺害された要人は、「国葬」を予定されるほど神格化されそうな様相を呈しており不気味ですが、一方。要人殺害の容疑者が提起したのは、政界にも深くコミットした某宗教法人のカルト的性格であり、反社会的実態でした。
さて、そんな思いがよぎる今日この頃ですが、作品世界に戻りましょう。主人公はふたりです。火箱空也は暴力団火箱組の跡取り、御影寵児は東大法学部卒の秀才ですが、二人は高校の同級生で秘密結社「コントラムンディ」(世界の敵を意味するラテン語)を親密な交流をしていた仲だった。二人はこんな会話を交わします。世界滅亡の時、誰か一人だけを助けられるとしたら誰を選ぶかと設問し、その答えとして空也は、サバイバル能力の高いホームレス、寵児は、孤独に強いやつ、自分の世界に引きこもって人類の遺作を作り続けるからだという。ともに今の世界では必要性を認められていない人格です。実在のホームレス詩人、黄昏太郎の名前が登場します。二人とも奇縁ですが、それぞれの体験の中で黄昏太郎と出会っていたのです。
黄昏太郎は多摩川の河川敷に身を寄せていたものの、首都圏を直撃した台風で小屋が流されたため、雨露をしのげる場所を求め、川崎の避難所になっていた母校を訪ねたもののホームレスと知られ断られてしまいました。このモデルとなる出来事が実際に台東区で起こったことは記憶にあります。ところで、黄昏太郎ですが、商店街のシャッター前で雨宿りしていたところ、その店の女性に、扉を開け中に入れてもらえました。その女性は桜田マリア、空也の異母妹にあたる女性であることが読者にも知らされます。マリアはよきサマリア人にたとえられています。
マリアは幼馴染の女性の謝金を肩代わりした挙句、母親の営んでいる居酒屋を手伝いながら、キャバレーやソープランドで働いています。空也が手をまわして、解決してしまったので、進学していた大学の文学部に通えるようになります。ただし、この解決方法をマリア自身は知りません。マリアは反撃や復讐を好まず、右の頬を打たれたら、左の頬を差し出すような性格に生まれついています。マリアは大学で、宗教学の講座を好んで受講しています。講師の児玉は「善きサマリア人」のたとえに触れ、実際にあった出来事を話します。病者、負傷者その他の困っている人を助けようとした行為が結果的に望ましくないものだったとしても救助者の責任を問わないとする「善きサマリア人法」が日本では適用されないというお話です。それは、児玉講師の父親の話であったことから、マリアも自分の秘密を打ち明けます。
作品のタイトル「パンとサーカス」は、古代ローマの詩人ユウェナリスが、愚民化政策をあてこすった言葉に由来しているとのこと。政治的関心を失った民衆には食料(パン)と見世物(サーカス)を与え、盲目的状態に置くことで、支配は容易になるという考え方を指しています。
波乱万丈の展開で、読者を飽きさせる暇を与えず、最後まで展開される物語、読み終えた後の爽快感を共に味わいましょう。癒されますよ。

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2022年07月16日

『マイホーム山谷』の衝撃

IMG_1523末並俊司さんの『マイホーム山谷』(小学館、2022)は、衝撃的な作品でした。千葉監督作品「マザーテレサと生きる」にも登場した「きぼうのいえ」の創設者の山本雅基さんの現在の姿が赤裸々に描かれています。ご本人の十分なご理解をいただいた上でのことでしょうが、もし私自身がこのような状況であったとしたら、身を隠したいと思うでしょう。
この「きぼうの家」とは、マザーの「死を待つ人の家」をお手本に、山谷のホームレスの終焉の場所として構想され実現したものだと理解しています。山谷を福祉タウンにしたいと山本さんは、願っていてその実現に努められたのだと思います。
山本さんによれば、施設の名を、ある司祭が提案した「きぼうの家」としたものの、この計画自体はかなり無謀なので、「無謀の家」だと言われたと述懐しています。確かに建設費からして億単位の事業ですから、「無謀」な挑戦だったことでしょう。
パートナーの美恵さんと組んで、地上4階全21室の民間ホスピス施設が2002年10月に完成しました。
83歳の入居者、田代さんとのエピソードは微笑ましく美しいと感じます。食堂では嚥下障害でのどを通らない食事も、路上暮らしが長かった田代さんは、日向ぼっこしながらだとスムースに食事がとれるのです。学んだのは、入居者一人ひとりに合わせたて手を差し伸べる必要性でした。
この作品を読むまでは、山本さんの理想が実現し、今なお活躍していると思い込んでいたのですが、そんな想像とは全く異相の事態を伝えてくれました。また、執筆者の末並さんご自身も覚悟を持って、行動した人のようです。要介護の両親を在宅介護の末に、続けて看取り、その後で山谷に飛び込んで初めて、いわばうつ状態で過ごす中で山本さんに出会ったのでした。希望と救いを山本さんに求めて近づいたのに、その期待は見事に裏切られたのでした。
パートナーだった美恵さんとも離別し、孤独の生活を強いられていました。しかも、山本さんは、かつては保護者であった立場とは逆転し、保護される側になっていたのでした。ある時期から、仕事のストレスが原因でパニック障害を引き起こしていました。抗うつ剤を処方されながらアルコールに逃げ込むという生活は、さらに深刻な弊害を引き起こしたのです。
破綻した生活環境にあって、山本さんは一方では、「常識人」から見ればかなり無茶な寄付行為もしています。例えば、東京ディズニーランドのチケットをNPO団体に大量に寄付したことがあるというのです。その団体は、チケットを無駄にしませんでした。あるご一家は、失明する可能性の高いお嬢さんをお持ちでしたが、その団体は、ご一家全員分のチケットをお渡しできたことで、ご家族全員が楽しい思い出ができたことを喜ばれたというエピソードを伝えています。山本さんの善意は間違いなく報われています。
山本さんの今後の可能性を信じながら、このレポートを前向きに読み取りたいと思いました。


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2022年05月27日

『同志少女よ、敵を撃て』

IMG_E1444大きな話題となっている、逢坂冬馬さんの『同志少女よ、敵を撃て』(早川書房、2021)を読みました。男性作家ですが、女性目線で描かれています。
物語の舞台は、セラフィマが暮らすイワノスカヤ村。要塞都市トゥラとモスクワの間にある。戦争が始まって攻撃されることはないと疎開していなかった。突然、パリチザンがいるとの疑いでドイツ軍が村を覆ったのです。この場面は凄惨です。村人の言い訳など聞かず、」即座に打ち殺す描写は、まさしく現代、生起しているウクライナの出来事と重なりました。(兵士でない村人がロシア兵に殺されたのは、ウクライナのキーフ近郊の街、プチャです。)

ドイツとソ連の戦いの真っただ中、セラフィマが暮らす村がドイツ軍に攻撃され、母も含め村人全員が殺されてしまいます。セラフィマも銃口を突き付けられ、まさに射殺される寸前、突入してきた赤軍に救われます。その中に、精悍な顔立ちで細身の身体の女性兵士イリーナがいました。彼女は、問いかけます。「戦いたいか、死にたいか」
セラフィマは、葛藤の末、イリーナが教官を務める訓練学校で一流の狙撃兵になることを決意するというのが、物語の導入です。セラフィマが生きることを選択したのは、母を撃ったドイツ人狙撃手と、赤軍兵士の中でも、母の遺体を躊躇なく焼き払ったイリーナにも復讐するのだと、決心したからでした。
同様の境遇に置かれた他の狙撃兵志望の女性たちと共に、数多くの訓練を重ねたセラフィマですが、やがて独ソ戦における重要な戦線であったスターリングラードでの戦いに向かうことになります。

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2022年04月26日

柚木麻子『らんたん』

IMG_E1420柚木麻子さんの『らんたん』(小学館、2021)を読み終えることができました。記憶に留めておきたい作品だと、思いました。歴史小説としては、登場人物たちも華やかで、興味がそそられます、主人公は、女子教育に尽力した恵泉女学園中学・高等学校の創立者・河井道という人物で、なじみは薄いのですが、知名度が抜群な人物たちが、次々に登場しますので華やかです。帯に記された物語のキーポイントは、「明治、大正、昭和――女子学校教育の黎明期。シスターフッドを結んだふたりの女性が世界を変える!」というもの。

物語の導入シーンが、卓抜です。大正最後の年、天璋院篤姫が名付け親だという一色乕児(いっしきとらじ)は、渡辺ゆりにプロポーズしました。しかし彼女からの受諾の条件は、シスターフッドの契りを結ぶ河井道と3人で暮らす、という前代未聞のものでした。乕児は、驚きはしたものの感情が表に出ない性格が功を奏し、条件を承諾して結婚が実現します。二人の女性がタッグを組んで、変えたものは何だったのでしょうか。

河井道という人物は、生涯独身を貫いたのですが、出身としては、伊勢神宮で代々神職を務める家に生まれました。ところが、明治維新後の政府の財政削減策により世襲の官職が廃止されたことで、父親は職を失ってしまいます。失職を恥じた一家は、顔見知りの少ないことが理由で北海道に移住します。函館に着いたのは明治19年(1886)のこと、河井家はそこでキリスト教と出会いました。父親のいとこが牧師になって、函館の伝道所に派遣されていました。このくだりも面白いです。神職の一家がいとも簡単にキリスト教に改宗してしまいます。まさに人間とは生活の知恵を活用できる存在です。

それから紆余曲折があったものの、いくつかの出会いの良縁が結び付けてくれ、当時10歳だった河井道は、サラ・クララ・スミスの生徒となります。スミス女学校(後の北星学園)においてキリスト教に基づいた人格教育を受けたのです。新渡戸稲造先生とも出会うことにもなり、先生とお菓子を食べながらおしゃべりするという至福の時間を持つこともできたのです。この経験は河井の人生の基礎となり、後の学校運営に生かされたと言えるのでしょう。北星学園卒業後には、小樽でクララ・ロースが始めた静修女学校の開校にあたり、生徒と寝起きを共にして教科を教え、寮母を務めました。

日清戦争後の明治30年(1897)、上京し、津田梅子宅に寄宿しながら学びます。東京での暮らしに慣れるとともに、津田梅子が学んだブリンマー大学に留学することを望みます。そして、明治31年(1898)、新渡戸夫妻と一緒に渡米します。新渡戸先生は、お子さんの遠益ちゃんを亡くされて沈みこんでしまった夫人のメアリーさんの静養を兼ねて渡米することを決めたからでした。ちなみに、この作品の題名「らんたん」というのは、ブリンマー女子大の伝統で、上級生から下級生に知識の象徴として継承されるランターンの火のことを指しています。

明治37年(1904)、ブリンマー大学を卒業し帰国すると、東京の女子英学塾(後の津田英学塾)の教授に就任します。シスターフッドの関係を生涯続けた、ゆりとの出会いのシーンの描かれ方も、心温まります。戦時下の苦労は、厳しいものですが、道の生涯が満ち足りたものであったことは、得心できました。


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2022年03月24日

『われ弱ければ 矢嶋楫子伝』を読む

IMG_E1364長期に及ぶコロナ禍で、在宅時間が長くなりました。映画館に足を運ぶことすら控えていますが、できる限り情報を受け取ることのできるチャンネルを広げておきたいです。
新聞記事で、山田火砂子監督、主演常盤貴子さんの映画『われ弱ければ 矢嶋楫子伝』が公開されていることを知りました。映画を見る機会は、DVD化されてからになると思いますが、とりあえず三浦綾子さんの原作を読んでみようと思いました。(小学館文庫、1999)

ドラマの主人公である矢島 楫子(やじま かじこ)は、1833年6月11日〈天保4年4月24日〉、肥後国(熊本県)に生まれています。幼名はかつといいます。すでに多くの兄姉がいて、次男が夭折したこともあって、男子の出生を望んでいた父母からは、お七夜が過ぎても名前が付けられず、姉の順子が命名したとされています。男子が望まれたのは時代背景と土地柄にもよるとのこと、著者の三浦さんが地元の郷土史家から聞いたことのようですが、妻は夫に絶対服従で、洗濯用たらいが男女別であったり、物干しざおが別々だったりといった男尊女卑の傾向が如実でした。とはいえ、両親は、「衆に優れた」人物であったことも、三浦さんは伝えています。祖父の弥平次は名が知られている人物で、伊勢詣りの途中、岩国で錦帯橋を見学、洪水のたびに流される郷里の橋を思い、眼鏡橋を研究の末、翌年には完成させたという。この眼鏡橋を見学した総庄屋の三村和平の娘と、弥平治の息子忠左衛門が夫婦となって生まれたのが、かつを含む子どもたちでした。姉の配偶者にも言及されていて、順子は、横井小楠の高弟竹崎茶堂と結婚、久子は徳富家に嫁ぎ蘇峰、蘆花の母親となり、また、つせ子は横井小楠に嫁いでいます。

兄、直方はかつをかわいがり、かつもまた直方の助手としてよく仕えたようです。かつの伴侶として、兄と同じく横井小楠の弟子であった林七郎という人物が選ばれます。ところが、かつの人生は、この結婚によって苦労を強いられることになります。七郎の酒癖の悪さは常軌を逸しているといって過言ではないです。白刃を抜いて子どもたちまで脅すというのですから、相当悪質です。かつは半盲状態になるほど追い込まれ、いのちの危機を感じ子供を置いて実家に戻ったのは結婚して十年は過ぎていました。不安定な生活状態を続けたのち、明治5年1872、40歳のかつは、病に倒れた兄直方の看病のため、東京に向かいます。蒸気船に乗り込んだかつですが、人生の転機を感じるのです。船の楫が、改名を思い立たせました。「わたしのようなめだたない小さな女でも、楫のように大きな船を動かすことができるかもしれない。」

第二の人生を歩みだした楫子はその能力を開花したようです。直方の家では家政を取り仕切り、教育伝習所に学び教員資格を得ます。明治6年1873学制がしかれ。全国に小学校が設置されるとともに、小学校訓導試験に合格した楫子は芝の桜川小学校で教育者としての道を歩みだします。当時教員初任給3円のところ、学力もあり、年齢も高かった楫子は5円だったとも記されています。教育者としての矢嶋梶子の優れた点は、生徒の自治能力を信頼しきっていたことにあります。それを象徴する言葉として「あなたがたには聖書がある、自分で自分を治めよ」、述べたことこが伝えられています。

一方で、妻ある男性との間に、子供が生まれたという一大事件ともいうべき出来事が、あります。あまりといえば、あまりの出来事といえましょう。それを徳富蘆花は、許さなかった。蘆花は、子供を置いたまま離婚したことや、妻子ある男性との間に子をもうけたことを厳しく指弾しました。「惜しむのは、叔母は二つの秘密を残して死んだことです。・・・私はその大きな謎の秘密を解決する日、懺悔する日をどんなにか期待したことでしょう。」

実の娘である妙子を、養女として引き取り育てたというのですが、あまりにも劇的な人生だったと思わざるを得ません。名声は高まることの背後に、こうした出来事があったことが信仰へ傾斜する思いとか重なるのではないでしょうか。梶子は書いています。
「私の生涯の後半の事業として残す基督教婦人矯風会は、強きが故に設立したのではなく、弱気が故に、實に弱きが故に、人間の行路を少しでも誘惑を減じ、人生を歩み安くする為に、建てたものです。」

キリスト教信仰への道は米国の宣教師のミセス・ツルーとの出会いが契機になります。出会いは、明治11年(1878年)のこと、楫子は転職して築地にあった新栄女学校の教師になります。修身と聖書を教えたようですが、キリスト教徒でもない楫子が聖書を教えることになったのです。受洗は、その後のことですが、そのきっかけはこの作品では喫煙が関係していることとして描かれています。喫煙もまた楫子の弱さの象徴だったかは、不明ですが、ボヤ騒ぎを起こしたものの、ミセス・ツルーは楫子を咎めず「私こそ謝らなければなりません。でも、今日のぼや騒ぎは、神様の大きなお恵みですね。」と微笑むのでした。楫子にとって、神が身近になった出来事だったのでしょう。

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2022年02月27日

中村文則『逃亡者』

IMG_E1281中村文則『逃亡者』(幻冬舎、2020)はかなり読みにくい作品でした。重層的な構造になっているのでわかりにくさがあるのですが、入れ子構造になっている箇所などは、それぞれ独立した物語としても読み応えがありますので、面白さがにじみ出てきます。主人公の山峰健次はフリージャーナリストで、『戦争で稼ぐ人々』という作品が売れて知名度が上がったようです。これまでの戦争で、利益を得た企業や、戦争の背後にある経済的利益を追求する作品だというのですが、平和と人権に基づいているというのですから、作中でも読めるのであればと、興味は沸きます。主人公は喪失感をいだいたまま、行動することになるのですが、その原因は、恋人アインとの死別がもたらしたものでした。アインはヴェトナムの歴史を語ったのですが、大国の圧政と戦ってきたことが主張されていて、印象深いものでした。

この作品の物語の中核をなすテーマ自体は、ことさら難解というわけではありません。伝説のトランペットを手に入れた主人公が終われる立場になっています。そのトランペットには、何らかの魔力が秘められているのでしょうか。

山峰は、そのトランペットの詳細を保守系のネットニュースで知りました。マニラの戦場でトランペットを奏でたのは“鈴木”という20歳の美青年と称されるほど女性的な顔立ちをした兵士でした。その独奏に兵士たちは酔いしれたという。山中で連合軍に追いつめられた日本軍は、飢えや病で朦朧としていた兵士たちは戦いに向かう力は残っていなかった状況の中、“鈴木”のトランペットが鳴り響いたのです。玉砕を覚悟して臨んだ戦闘は玉砕とはならず、自軍にも倒れたものは多かったとはいえ敵は殲滅したという伝説的な物語が語られていました。

物語の導入部分、山峰は、謎の人物“B”という男に追われています。そこはケルン、その場所にも、魔物が住んでいるのかもしれません。作中でも言及されていますが、2015年の大みそかケルン大聖堂前の広場で集団暴行事件が起こっています。事件の容疑者がみな「外国出身者」だったことから、移民・難民の問題が過熱することになりました。しかし、移民に対して排斥する行動が起こった際には、ケルン大聖堂はそうした行動に異を唱えるためなのでしょう、明かりを消したとのことです。実際に生起し、正面から問いかけられている課題が、この作品には随所にちりばめられて提起されています。

山峰自身の物語としては、ルーツである長崎の、潜伏キリシタンの歴史に言及することになります。ところで、物語のキーである伝説のトランペットを見つけたのは、マニラの子どもたちでした。そしてその子たちに英語を教えているというアインとの出会いは、物語に華やぎを与えてくれます。しかしアインもまた時代の難問を背負わされた存在でした。アインのルーツの一つに日本があるというのです。それは山峰のルーツとも通じ合います。17世紀、長崎にいたスペイン商人と日本人女性との間に生まれた女性を遠い祖先に持っていることから、日本への関心があるのだと山峰は聞かされます。アインは、突然来日し、山峰が講義を持つ大学に「もぐり」受講して山峰を驚かせたのです。しかし、現代日本における外国人労働者の実態という課題が浮き彫りにされます。入国したアインは借金返済のため、違法を承知でギャバクラでの働きを選ばざるを得なくなっていたのでした。

シンフォニーのような構造を持っている作品といえばよいのでしょうか。完結した物語として通読することも可能ですが、楽章ごとに耳をそばだてるような読み方が、よいのかもしれません。アインが、山峰に語った夢の中であらゆる映像が同時に、すごい勢いで見えたという。それはヴェトナムの女性の蜂起かもしれないし、遠い混血児の祖母が追放される姿だったり、重層的で、アインは、これはきっと人間の脳では処理しきれない事柄だと考えます。そして、人間が処理することのできる表現方法を求めていたのでした。

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2022年01月24日

桐野夏生『インドラネット』が面白い

IMG_1190桐野夏生さんの『インドラネット』(KADOKAWA、2021)は、飛び切りの面白さでした。カンボジア社会の現実がこの作品に描かれた通りなのかは、判断つきませんが、エピソードの一つで、登場人物がカトリックの神父に助けられたと語る場面は、後藤神父を思い出しました。

主人公の八目晃は、大学卒業後IT企業の小会社で契約社員として働いていました。しかし、人生の目標もなく会社勤めとは言え、無為な日々を過ごしている日々です。自らを無能な人間と思っている晃にとっての輝きは、かつて友人付き合いをしてくれた野々宮空知の存在でした。高校時代の同級生だった空知は、長身で運動神経も抜群、そして美しい顔立ちで、晃と親友づきあいをしてくれるにはおよそふさわしくない存在だったのです。家が近くだったこともあり、しばしば入り浸っており、そして空知の姉妹もたぐいまれな美貌の持ち主だったことも驚くべきことでした。

空知は美大生になったものの、突然アジアに旅に出たまま、帰ってきませんでした。付き合いは途絶えていた、ある日、母親からのLineで空知の父親が亡くなったとの連絡を受けたことから物語が動き出します。弔問に伺った帰路に、安井という男から声をかけられます。空知の姉、燈子の元夫だというその男からカンボジアにいるらしい空知を見つけてほしいと要請されます。そのための費用負担もするという。

晃は職場で性差別言動に対する抗議を受けていて、嫌気がさして会社を辞めたい気持ちが嵩じているところでもありました。この晃という人物、かなりなダメ人間です。実は、海外旅行は初めだったこともあり旅慣れない晃は、紹介された安宿に宿泊したところ持参した現金をすっかり奪われるという始末なのでした。ところが、運よくというのか、筋立ての面白さとしてか、同宿した「鈴木」と名乗る女性の助言を得て、アルバイトとしてその宿で働くことになります。

ゲストハウスの裏手にあるしもた屋の婆さんことニエットさんは、流暢な日本語を話します。彼女はポル・ポト政権時代の虐殺で家族を失い、難民として日本に逃れた経験を持つ女性でした。その女性を助けてくれたのが、カトリックの司祭だったというエピソードになっています。

先の展開が読み切れず、謎が深まっていく。読書の楽しみを満喫させてくれる作品でした。

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2021年12月23日

上間陽子さんの『海をあげる』が響く

IMG_E1144『海をあげる』(筑摩書房、2020)を読みました。著者の上間陽子さんは、普天間基地のある宜野湾市に住んでいます。すでに『裸足で逃げる』という作品で著名な方ですが、まだご著書を読んだことがありませんでした。この『海をあげる』はエッセイ集で、冒頭の「美味しいごはん」は、本人の離婚にまつわる体験を書いておられるのですが、赤裸々な心情描写に打ちのめされました。

もともと、上間さんは沖縄で生まれた方なのですが、一時東京で暮らしたあと、沖縄に戻って未成年少女たちの支援と調査を続けておられるそうです。『裸足で逃げる』には、その少女たちの実情が描かれています。現在は、琉球大学教育学研究科の教授です。

「きれいな水」の章を読んでみましょう。保育園で上間さんの娘さんは、水をたっぷり飲ませていただき、水の大好きな子供に育ったとのこと、お風呂でも蛇口に口をつけて飲みます。ところが、2019年5月、自宅の水道水が汚染されていることが分かったのでした。水源は嘉手納基地近くの北谷浄水場、この事実を突きつけられて、上間さんは悲しみに沈むのでした。娘には、水道水を飲ませられないという事実が衝撃でした。2018年3月、戦争があったときに宜野湾市にあった自然壕に隠れた体験を持った女性の話を聞くことができました。お話によれば、1945年4月、多くの人がその自然壕にいたそうですが、海からの艦砲射撃が激しくなり、日本軍と一緒に壕を出て南に移動したそうです。ところが、その女性が逃げたルートはまさに、住民を盾に移動した日本軍壊滅のルートに重なっていたのでした。生き残っていったん捕虜収容所に入り、解放されてからは母親と自宅に戻りバラックで戦後の生活が始まったという。女性は、自分のことを「艦砲の喰ぇぬくさー」と表現します。艦砲射撃という化け物が、人間を食い散らかした後に残った残骸という意味です。その女性の家に、上間さんは娘さんも連れて行ったことがあるそうです。戦争によって、自宅が徹底的に破壊されたあと、暮らしを再建させたその女性の生きざまをわが娘にどう伝えればいいのか、上間さんはあらためて問いかけています。

「優しいひと」の章では、元山仁士郎さんとの出会いとその後の交流が記されています。行き違いでしかないような言葉のやり取りを行ってしまったことを、上間さんは反省しつつ、元山さんが「辺野古」県民投票を求める運動の中で行ったハンガーストライキへの支援を、するようになった経緯を伝えています。元山さんが、上間さんに投げかけたのは、「講演とか調査とか、執筆することの意義はわかります。でも、もっと広げて、もっと直接社会に訴える活動をすることも必要だと思います。」という言葉でした。元山さんのその言葉を、当初は受け止めきれなかったけれど、そのあとで届いた謝罪のメールを見て反省したと正直に伝えています。会見のその日になぜ、一致点を探ろうとしなかったのか、問答無用で追い返してしまった自らの軽率な行為を恥じておられます。人間関係が構築されていく生々しさに、読み手の私は感動しています。

本のあとがきで上間さんは、「この本を読んでくださる方に、私は私の絶望を託しました。だからあとに残ったのはただの海、どこまでも広がる青い海です」と記しています。この問いかけは、胸を打つとともに、私たちの心にさざ波を寄せるのでした。

「私は静かな部屋でこれを読んでいるあなたにあげる。私は電車でこれを読んでいるあなたにあげる。私は川のほとりでこれを読んでいるあなたにあげる。この海をひとりで抱えることはもうできない。だからあなたに、海をあげる。」

既に多くの読者を得ている書物ですが、さらに一人でも多くの人が読み、沖縄の現実を知っていただくことを願います。

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2021年11月25日

『ある男』を読み、死刑制度を考える

IMG_E1064ひと月以上前になってしまいましたが、10月12日(火))に開催された日弁連主催のシンポジウム「死刑廃止の実現を考える日」をオンラインで視聴しました。基調講演が芥川賞作家の平野啓一郎さんだったことに、関心をいだいていました。

もともとは死刑存置派だったという平野さんですが、自作がフランス語などに訳されたことから、海外に出向く機会があり、ヨーロッパでの死刑制度が廃止されている現状も認識されて、廃止派に変わられたそうです。死刑制度に潜む問題点を指摘し、私たちが納得できうるように話してくださいました。

同時に気づいたのですが、『悲しみとともにどう生きるか』(入江杏編著、集英社新書、2020)に平野さんの講演録が載っていますが、平野さんの死刑制度の対する考えが述べられていますので、あらためて参照しました。とりわけ、死刑を排すべき理由の一つとして、袴田巌さんの冤罪を挙げておられるのは印象深いご指摘です。平野さんがおっしゃるように、もしも同じことが自分の身に降りかかってくることを想像すると、大変恐ろしいことです。

このシンポジウムでは、平野さんの小説『ある男』(文藝春秋、2018)に「死刑制度」がもたらす影響力に言及している箇所があることに、気づかせていただきました。この物語の語り部ともいえる城戸弁護士の思いがつづられている場面です。シンポジウムでも朗読されていた該当箇所です。

「しかし小林健吉の生育環境が悲惨であることは事実であり、彼の人生の破綻が大いにその出自に由来していることは明白だった。国家はこの一人の国民の人生の不幸に対して、不作為だった。にも拘らず、国家がその法秩序からの逸脱を理由に、彼を死刑によって排除し、宛(さながら)に、現実があるべき姿をしているかのように取り澄ます態度を、城戸は間違っていると思っていた。律法と行政の失敗を、司法が、逸脱者の存在自体をなかったことにすることで帳消しにする、というのは、欺瞞以外の何ものでもなかった。もしそれが罷り通るなら、国家が堕落すればするほど、荒廃した国民は、ますます死刑によって排除されなければ排除されねばならないという悪循環に陥ってしまう。」

『悲しみとともにどう生きるか』の第5章が、この本のタイトルと同じ平野さんの「悲しみとともにどう生きるか」に充てられています。ポイントの一つとして着目した点ですが、同じ時代の社会にいる人間は「準当事者」であること、「準当事者」として事件を受け止めようという指摘です。震災被害について感じたことでもあるそうですが、私たちは「当事者」と「非当事者」という分け方を当たり前に考えているのですが、俯瞰した視点で見るならば、当事者の周辺にいることで、「当事者ではない」という形での関与はあるのであろうということ、さらに加えて考えうるに同一の時代に生きている限り、かかわりはあるのあって、それを「準当事者」と平野さんは表現しています。納得しました。IMG_E1065

平野さんの考えすべてを簡単には要約できないので、多くの方に是非読んで欲しいと感じました。私は、単純ですが、信仰真からでもありますが、神様しか人の死を決めることはできないという立場から、死刑制度には反対しています。もちろん、冤罪で死刑を執行された人がおられたことには、戦慄を覚えます。もちろん、カトリック教会が、多くの間違いを犯したことも認識しています。だからこそ、死刑は制度として存在することに反対し続けます。

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