2013年02月11日

秀吉は秀頼の父だったのかという問い

691e5522.jpg服部英雄『河原ノ者・非人・秀吉』(山川出版社、2012)の、「秀頼の父」が話題となっていることを知りました。論考は秀吉の出自にもかかわる被差別民にも言及されますが、秀吉の人格・行動を検討したこの章のみしか読んでいません。とりあえず、興味あるところから読んでみてもかまわないでしょう。
秀頼の父親は、秀吉ではありえないという指摘は、おそらく的を射ているのでしょう。学界の動向はともかくとして、常識的に考えれば、多くの側室がいながら、永年子供ができずなかったにもかかわらず茶々(淀殿)には生まれたというのはどう考えても不思議なことです。秀頼、非実子説を論証するプロセスはおもしろい。民俗事例では、子のない夫婦には神仏に祈願して、参籠するとその宗教的陶酔が頂点に達するとともに、妻は法悦体験して子供を身ごもるという。某教団の教祖様が行ったようなエクスタシー体験が行われたということでしょうか。不妊治療は、このように行われたらしいです。
淀君もこうした不妊治療を行ったのではないか、と服部先生は想定します。同書から引用します。
「通夜参籠と同じ装置が設定された。聚楽城または大阪城の城内持仏堂が参籠堂になったか。宗教者が関与したと想定する。宗教的陶酔をつくり出すプロは僧侶ないし陰陽師だった、・・・・人格を持たないこと、それが必須条件だった。人格があれば、豊臣家の将来に禍根を残す。親権者の登場は避けねばならない。・・・・・茶々が承知さえしていれば、第三者である男と茶々が、互いにまったく顔を知ることなく性交渉することは可能であった。おそらく現代の非配偶者間受精の考え方と同じだっただろう。」
こうして、鶴丸が誕生します。鶴丸は秀吉の後継ぎとして、北政所のもとで養育されます。しかし鶴丸は夭折、次にいよいよ秀頼の誕生秘話が語られます。茶々の立場から見れば秀吉は親のかたきには違いなく、したたかに生きた戦国期の女性像が見えてきます。

sawarabiblog at 23:23│Comments(0)TrackBack(0)

トラックバックURL

コメントする

名前
URL
 
  絵文字