2013年11月26日

森司教の連続講座『現代社会にけなげに生きるために』

084311c8.jpg信仰年を機にカトリック習志野教会では、これからの福音宣教を進めるために船橋に学習センターを設立することを企画・準備しています。当初、10月の開所を目指していましたが、諸事情のため時期を来年5月に変更しました。今回の森司教による講座は、センターの開講講座として予定していたのですが、習志野教会を会場に12月までの3回連続講座として行なうことにしました。すでに2回の講座が実施され多くの信徒ならびに未信者の方も教会に足を運んでくださいました。森司教はいつも笑顔でやさしく語られますが、中身は決して甘くはなく、ちょっぴり辛めのお話になりました。なお、サブタイトルは以下の通りです。

 嵜佑旅せは、どこに・・・生きる原動力としての幸せ願望・・・」
◆嵌鬚韻蕕譴覆た誉犬痢悩み、苦しみ、悲しみに直面する時・・・」
「人が、世界が信じられなくなる時・・・」

森司教はお話の名手と言える方です。初めにドキッとさせてから、巧みに私たちの心をつかんで離しません。「みなさんは、本当に幸せだと思っていますか」という問いかけから始まりましたが、「ほどほどの幸せ」という問いに挙手が集まります。実はこれには、多少いじわるな仕掛けがありました。私たちの多くは、ほどほどの幸せをかみしめています。ところが、「幸せ」だと思うのには、その日の天候に恵まれていたり、体調がよかったりという外的条件が必要であって、それは自分ではどうしようもないことだとおっしゃいます。そして人は世界の中心ではないと、厳しく語られます。社会は一人一人の人間に対しては残酷で、組織の利益が優先されるというのは、確かに実感できることです。まして、戦争は著しく個々人の尊厳とは無縁です。私たちの住む日本で暮らして幸せなのでしょうか。東京オリンピックで浮かれ気分のときにも、内戦で傷つき苦しみの渦中にいる人々への思いを失ってはならないと、森司教は伝えてくださいました。こうした戦禍で命を落とす人々のことを考えると同時に、日本には毎年3万人を超える自死者とその30倍にも及ぶといわれる未遂者がいる現実も知っておかなければなりません。一つの実例として、次のような話をされました。リストラを言い渡され、衝動的にビルの3階から身を投げたものの、幸い一命を取り留めた男性は、家族の存在を忘れていたことに対して、妻から責められます。家族は外的条件の一つではあるのですが、その寄り添いがどんなに大切なものであるのかをその男性は知らされたのです。私たちは、ここに希望の灯を見ることができます。

ところが、家族の中にこそ苦しみの原因がある場合もあります。第2回の講座では、娘さんが自死されたことで苦しむ女性から相談を受けていると話されました。その女性は、ご主人との関係も思わしくないために、相談する相手もなく、救いが見いだせないということです。寅さんで典型的ですが、一つの失恋で傷ついても、また別の女性に恋することで回復するという、いわば「生活の知恵」を人は持っています。通常の苦しみであれば、一つの可能性が閉ざされたとしても、別の可能性を探すことができるのですが、この場合は「生きる」ことそのものが、消えかかっているのです。希望の灯りは見えるのでしょうか。
森司教は、山での遭難体験を語られました。絶望の時を過ごす中で、彼方に山小屋の灯りが見えたことで、気持ちが回復しそれこそが希望であったのです。人智を超えた大きな存在に出会うことこそ希望の光りである、信仰につながります。このように、大いなる存在を仰ぐことは一つの解決策になるのですが、逆にいのちの底を見て、その底を貫くような答えの出し方もあるのだ、ともおっしゃられました。

いのちの底を見る、とはどういうことなのでしょう。自分の人生を突き詰め、苦しみ抜くことで、果たして解決の糸口が見えるのでしょうか。森司教のお話を正しく受け止められているか自信はないのですが、神のことを、苦しみを受け止めるスポンジのような存在として考えたらよいと言われたことがヒントかもしれません。信仰の本質です。つまり信仰というのは、決して知的な作業で獲得できるものではなく、いのちの営みに身を委ねることのようです。それが出来れば、苦しみからの脱出が可能になるようです。

人は何度でも傷つき、悩み、苦しむ存在です。一つの解決法として、「人生の責任を神に取らせる」といいです、ともおっしゃられたことには思わず笑いを誘われました。人間を作ったのは神なのだから、その神に責任をとってもらえばいいのだというのです。洗礼を受けるということは、いるかいないかわからない「神」に保険をかけているようなものだ、という比喩はともすれば難しく考えがちな「信仰」の本質を伝えてくださいました。それこそカテキズムの講座では習わない教理です。

かけがえのない一人一人の人間をいとおしむこと、人は寄り添う存在を必要としているものであること、そして神に包まれていることを深く認識できれば、苦しみ、悩みを乗り越えられるということのようです。

たくさんの名言とともにキリストのメッセージを伝えてくださいました。第3回目の講座(12月10日)が待ち遠しいです。

sawarabiblog at 22:42│Comments(0)TrackBack(0)

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