2014年01月19日

埴輪から古代人の心を読み解く

ffc3c9c0.jpg明治大学博物館に出向くのは、友の会の一員としてボランティア活動に参加させていただいているためですが、興味深い資料が数多く展示されていて楽しめます。常設展示ではないので、現在は見ることができませんが、昨年の「新収蔵資料展」に玉里舟塚古墳の埴輪の復元品が展示されていました。『王の埴輪』の特別展が行われたのは2010年10月〜12月でしたが、それ以降の整理作業の成果でした。(「ミュージアムアイズ」60号(2013年3月発行)に掲載された忽那敬三学芸員の論考を、以下の文章の記述のために参照させていただきました。)

写真の力士像は、今更ながら興味をそそられます。「笄(こうがい)帽をかぶる男子」とされていた上半身は茨城県立博物館にあり、下半身の一部は明治大学に所蔵されていたもので、明治大学博物館が再整理している過程で発見したのだそうです。右足と台部は想定復元で、博物館友の会のボランティアのKさんが作られたということですが、なかなかの力作です。出土状況から、造り出しに置かれていたらしいと報告されていますが、このような力士埴輪の全身像は国内でも数例しかないので、重要です。まわしの部分と上半身がぴったり接合したことで力士と判明しました。笄帽の例としては、埼玉県の酒巻14号墳に一例があって、若松良一氏が髷と解釈しているようですが、忽那学芸員は明らかにかぶりものであろうと説明されます。帽子をかぶっているというのも、多少違和感がありますが。変わっているのは次の点です。通常、力士像は片手を腰にあて、もう片方の手を上にあげているのですが、この力士は手を前に突き出しているようなポーズをとっています。

ところでおさらいですが、埴輪の起源については、弥生時代後期に吉備地方で墳丘墓の供えられた壷形土器とそれをのせるため器台にあるとされています。赤彩され、器台形土器には特殊な孔があけられ特殊な文様が描かれ、「特殊壺」「特殊器台」と言われます。定型化された古墳の出現に伴い埴輪に変化し、円筒埴輪や朝顔形埴輪が生まれ、やがて家形埴輪が登場します。器物埴輪が生まれ、鳥や獣をかたどった形象埴輪は、人物埴輪の登場も促したるわけです。人物埴輪の登場は5世紀後半と言われています。この力士埴輪ですが、近年、島根県で5世紀の例が出土しているところから、人物埴輪出現当初から存在していたらしいと考えられるようになっています。

辰巳和弘氏の『「黄泉の国」の考古学』(講談社新書、1996)は私の大好きな本の一つですが、力士埴輪についての考察が興味深い。通常のポーズである片手を腰に当て、他方の腕を大きく振り上げる所作は大相撲の横綱の土俵入りに似ているとみておられます。さらに、同様のポーズが古墳壁画に見られることを指摘しています。この力士の所作には、「反閇(へんばい)」と呼ばれる地霊征服を目的とした呪的行為であるとの説が書かれている、『古墳の思想』(白水社、2002)という著書で述べておられるのに気づきました。
「反閇」は、陰陽道で用いられる術で、神楽の演目にもなっていますが、道教にその淵源を持つとされています。相撲の起源をたどることにもつながりされに興味が増します。

人物埴輪については、保渡田八幡塚古墳の人物埴輪群を分析した首長権継承儀礼説がありますが、さまざまな解釈が成り立つ余地があるようです。辰巳氏は「他界の王権祭儀」ととらえます。「被葬者の他界での一層の幸いを願って、立派な居館の姿を墳丘上に創造しようとする人々の心がそこにある。墳丘の規模と形象埴輪の間にしばしば見受けられる不均衡はそこに生じる。」(『「黄泉の国」の考古学』)

辰巳氏は、「形あるところに心あり」というお考えを強調される方で、古代人がこうした造形に込めた思いを読み解こうとされているので、いわゆる考古学者の枠を超えておられるのかもしれません。人物埴輪を読みときながら、古代人が古墳築造に込めた思いが見えてくるならば面白い。

sawarabiblog at 19:50│Comments(0)TrackBack(0)

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