2014年05月30日

『湖の雄 井伊氏』の「女地頭」

佐倉市に転居して1ヶ月になります。環境には、どうにか慣れてきましたが、生活スタイルを整えるにはもう少し時間がかかりそうです。先日明治大学博物館友の会の恒例の総会が行われ、特別講演会には辰巳和弘先生が登壇されました。顧問の大塚初重先生にも、お越しいただき、辰巳先生が古代人の「こころ」に言及されたお話を楽しく拝聴しました。
昨日、NHKで放映された『歴史秘話ヒストリア』「それでも、私は前を向く〜おんな城主・井伊直虎 愛と悲劇のヒロイン〜」を見ていて気づいたのですが、先日、辰巳先生から送っていただいた新書『湖の雄 井伊氏〜浜名湖北から近江へ、井伊一族の実像〜』(しずおかの文化新書16)に記載があることを思い出しました。
前半は、辰巳先生が発掘調査した天白磐座遺跡の考察で、古代からの郷名“渭伊郷”と祭祀遺跡が関わっていることを指摘し、この天白磐座遺跡で祭祀した司祭者が井伊氏につながることを解いておられます。
後半は、小和田哲男先生による井伊一族の歴史が記されています。戦国期に遠江の国人領主として戦国大名今川氏に仕え、ついには近世大名へ出世したのですが、『歴史秘話ヒストリア』の主人公となった女性に生きざまは興味深いものです。その女性の名は、井伊直虎として、古文書にも残されています。
龍潭寺の住職が江戸時代中期にまとめた『井伊家伝記』が、井伊直虎を知るための貴重な史料になっています。井伊氏は上述のように国人領主として今川氏に仕えていました。当主直盛には男子がなく、娘には次郎法師(次郎と法師は井伊氏の2つの惣領名を繋ぎ合わせたもの)という名も与えたようです。直虎の従兄弟にあたる井伊直親を婿養子に迎える予定で、順調に伊井谷(いいのや)支配を進めていました。ところが天文13年(1544)、直盛の叔父の二人が今川義元に誅殺されるという事件が勃発します。家督相続問題が背景にあったかも知れません、誅殺された叔父の一人は、直親の父・直満で、直親も信濃に逃亡します。のちに直親は今川氏のもとに復帰をはたすのですが、信濃にいる間に別の女性を正室に迎えていたため、直虎は婚期を逸することになったようです。『歴史秘話ヒストリア』は、こうした事情を直虎の視点で描いていました。さらなる不運が井伊氏には続きます。永禄3年(1560年)の桶狭間の戦いにおいて、今川義元とともに、父の直盛が戦死してしまいます。さらに、その跡を継いだ直親でしたが、今川氏の力の衰退に乗じたことが起因となったかもしれませんが、永禄5年(1562年)に家老の小野氏の讒言によって今川氏真に殺されます。存亡の危機に登場したのは、直虎だったわけです。龍潭寺の住職・南渓和尚のアイデアで「女地頭」が誕生します。こうした例は、実はそれほど珍しいことではかったようですが、いわば「中継ぎ」の当主を立派につとめあげた方のようです。
歴史はおもしろい。IMG_6648 (1200x1600)

sawarabiblog at 20:02│Comments(0)TrackBack(0)

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