2014年07月28日

増尾伸一郎さんが亡くなりました

増尾伸一郎(東京成徳大学人文学部教授)さんが25日に亡くなられた・・・・
どうも本当のことらしいけれど、現実感が全くないのです。増尾さんは、八千代市の東京成徳大学に勤めておられるので、偶然、遭遇することはあったのかも知れませんが、私が古代史に興味を持たなかったらこのようなお付き合いすることにはならなかったことでしょう。不思議なつながりで、今では自然に心を通わせることのできる存在になってくださっていました。博学の方でありながら、私たちに学問の素人に対しても尊大になることなどなくきわめて謙虚に接してくださり、かつ気遣いを怠らない方でした。

『<聖徳太子>の誕生』で聖徳太子不在論を提起された大山誠一氏に出会ったことがきっかけです。この書の誕生に協力されたお一人が増尾さんでした。シルクロードの会という古代史勉強会に「増尾伸一郎」さんを講師に迎えたいと思ったのは、『東アジアの古代文化』106号に掲載された「日本書紀の編纂と天皇号の成立」という論考を読んだからでした。お親しい間柄であることを知っておりましたので大山先生にご紹介の労をとっていただき、勝田台駅前で初めて増尾さんにお会いすることになりました。とにかく気さくなお人柄で、すぐに打ち解けることができました。「先生とは呼ばないで欲しい」と何度もをおっしゃるので、それからご本人に対しては「増尾さん」としか呼びかけていません。

シルクロードの会の講演会は2002年9月13日のこと、「天皇号はいつごろ、どのような思想を背景にして成立したのだろうか。国号「日本」の採用とともに、古代律令国家の形成過程の根幹に関わる問題として、これまで多くの研究が積み重ねられてきた。今回の報告では、津田左右吉「天皇考」(1920年)以来の成果に学びながら、とくに漢字を媒介にした東アジア文化圏の動向を視野におきつつ、その歴史的意義を再考したいと思う。」と講師コメントを書いていただきました。ご承知のように、増尾さんは、ワープロを一切使わない方なのです。いただいたFAX原稿をパソコン入力して、あらためて校正をお願いします。この時に限らないのですが、増尾さんは丁寧に校正してくださいます。(息子の遺稿集の原稿をいただいたこともあります。)

また、この講演では、早稲田大学所蔵の津田左右吉文庫にある自筆の書き入れがある「天皇考」のコピーを資料として配布してくださいました。私達市民向けの講演会では、労をいとわずこうしたサービス精神を発揮してくれます。講演時点での「天皇号」研究をまとめていただきましたが、津田左右吉のすごさを伝えてくれるお話でもありました。当時、「天皇」をテーマに取り上げたことの大変さは感じるとともに、書き直そうとしていたことを知って驚きでした。津田左右吉を論じることでもあったこの講演は、増尾さんの研究姿勢を示しているともれます。

増尾さんにもっともっとこの世での活躍の時間を与えてほしかった。合掌。

sawarabiblog at 15:25│Comments(0)TrackBack(0)

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