2015年03月19日

フランシスコ教皇の思いをめぐって

フランシスコ教皇が2013年3月13日に選出されてから2年が経ちました。15日の朝日新聞の記事では、「庶民に寄り添う姿勢と改革への強い意気込みで人気を集まるが、冗談を交えた率直な発言や、慣習にとらわれない姿勢が、時に物議を醸す。」と評されていました。バチカン公会議の終了年から50年、私たちには様々な問いかけがあることを感じています。
3月7日(土)カトリック船橋学習センターガリラヤで、ホアン・マシア神父の講座「フランシスコの思い」がありました。受講者は20名ほどでやや控えめな参加人数でしたが、多くの恵みをいただく時間となりました。
マシア神父は話し出されました。・・・今度、教皇の思いについて話すと、メールしようと思ったけれど、やめました。なぜなら、その返事は決まっていて、「マシアよ、私について話しするな。」と言われるのがわかっているからです。神父はその根拠として、『福音の喜び』にはっきり書いておられると言われます。「教皇について話すよりも、イエスの言葉・福音について話しなさい。教会について話すより、イエスキリストについて話してください、掟などについて話すよりも神の慈しみについて話してください」(『福音の喜び』38)
主催者からいただいている今日のタイトルは「フランシスコの思い」となっていますが、教皇の勧めに従って、「イエスの思いはいつくしみの福音」と変えましょう。・・・このように話し始められたことで、すでにマシア神父の伝えたかったことは、尽くされています。
一番隅に追いやられているもの、抑圧されているものの存在がある限り、私たちは出かけていかなければならない。これが教皇のメッセージです。

新約聖書を引用しましょう。教皇がしばしば引き合いに出される章句です。
「イエスはそこをたち、通りがかりに、マタイという人が収税所に座っているのを見かけて、「わたしに従いなさい」と言われた。彼は立ち上がってイエスに従った。イエスがその家で食事をしておられたときのことである。徴税人や罪人も大勢やって来て、イエスや弟子たちと同席していた。ファリサイ派の人々はこれを見て、弟子たちに、「なぜ、あなたたちの先生は徴税人や罪人と一緒に食事をするのか」と言った。イエスはこれを聞いて言われた。「医者を必要とするのは、丈夫な人ではなく病人である。『わたしが求めるのは憐れみであって、いけにえではない』とはどういう意味か、行って学びなさい。わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招くためである。」(マタイ9章9−13節)

教皇の言葉は、特別に格調ある文章で表現していないのだそうです。「必要のあるところに出向いていく姿勢」などという堅苦しい表現より、教皇の言葉を原文のまま訳すならば、「みなさん、出かけっぱなし」といった方が、適切だと、マシア神父は巧みに伝えてくれました。それは、「いつも出動態勢でいなさい」と心掛けることなのです。
現代は人と人のつながりが断ち切られていて、「無縁社会」とも呼ばれるほどですが、人をいつくしむような社会にするように見直さなければなりません。フランシスコ教皇は「慈しみの洪水を引き起こしてください」と言われているそうです。
「自分が神の慈しみの受け取り手であることがわかったなら、私もまた人をいつくしむようになりたいものだと思うものです。」
仏教の言葉でいえばこれは、「法喜」「法悦」にあたるのだとマシア神父は、話されました。東西文化に精通する研究者らしい比喩ですね。つまり、教えを聞いて知る喜びのことを指しています。講座のタイトルを、「慈しみの喜悦」とでもしたかったとも語ってくださいました。
ヨハネ福音書8章2〜11節、イエスは言います。「あなたたちの中で罪を犯したことのないものが、まず、この女に石を投げなさい」この福音をしばしば引用されるフランシスコ教皇には、断罪すべきものを断罪しないと批判が保守的立場の人から投げかけられているようです。イエスは、女性にこれから道をはずさないように、諭しただけで、断罪するために来ていたわけではなかったこと、その大切な意図を私たちは想起したいものです。

とても素晴らしいお話でしたので、聴講された方から、是非また聞かせてくださいとの声が寄せられました。7月には「現代世界憲章について」の講座が予定されています。

sawarabiblog at 12:43│Comments(0)TrackBack(0)

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