2015年05月29日

「国家神道は解体されたか」という問い

4月のことでしたので、今さらとは思いますがなかなか思考がまとまらず、書くのを控えていました。支離滅裂を承知で、備忘的に記します。『天皇崇敬と国家神道の展開〜 近代日本における立憲デモクラシー と国家主義的 対抗ビジョン』と題する講演会を拝聴しました。講師は上智大学神学部教授(宗教学)の島薗 進先生、テーマとしてはやや難解でしたが、大事な問題提起だったと痛感しています。

日本人は無宗教かというと疑問符が付きます。少なくとも、戦前、日本人は「国家神道」を信仰していたのではないのか・・・・これは鋭く突きつけられた問いです。

そもそも「国家神道」とは何か?と問われて、正確に答えを出せるでしょうか。それは「神社神道」のことだという定義もありますが、それは違うのだという理解から始まります。

島薗先生の著書である『国家神道と日本人』(岩波新書)から引用します。

「国家神道という用語は、明治維新以降、国家と強い結びつきをもって発展した神道の一形態を指す。それは皇室祭祀や天皇崇敬のシステムと神社神道とが組み合わさって形作られ、日本の大多数の国民の精神生活に大きな影響を及ぼすようになったものである。皇室祭祀や天皇崇敬のシステムは、伊勢神宮を頂点とする国家的な神々、とりわけ皇室の祖神と歴代の天皇への崇敬に通じている、国家神道に置いては「皇祖皇宗」への崇敬が重い意義をもっており、神聖な皇室と国民の一体性を説く国体論と結び付く。」

「国家神道」概念を広くとるか、狭義に解釈するかはとても大切なことらしいです。
「国家機関となり、諸宗教と異なる特別な地位をもった神社神道」とするのは制度史的に規定された狭義の概念規定であり、これに対して宗教史的にはもっと広い概念で定義づけられると言われます。当日配布されたレジュメには々餡筏ヾ悗箸覆辰真声區斉鮫皇室神道9饌里離ぅ妊ロギーと記されています。これは村上重良氏による規定です。しばしば、国家神道は神社神道と説明されていることが多いようですが、島薗先生は「天皇崇敬」の面を見なくてはならないと主張されます。

明治維新は祭政一致を掲げていたのですが、神社は宗教ではなく「祭祀」とみなしたことによって「政教分離」との矛盾を回避していました。近代民主主義は、政教分離・法による支配によって成り立ちます。明治時代の憲法でも天皇の政治的権力は抑えて、立憲体制の下で政治を行うことを是としました。しかし、その裏側では祭政一致をもくろむ動きが常にあります。今日のカレンダーにも明確です。今日でも、4月29日「昭和の日」(旧・天皇誕生日)、11月3日「文化の日」(旧天長節→旧明治節)、11月23日「勤労感謝の日」(旧新嘗祭)など皇室祭祀と極めて関係が深い祝日となっていることに気づかされます。もともと明治憲法で、天皇がお祭りする日を、祝祭日に定めたとことに由来しています。かつては春季皇霊祭、秋季皇霊祭であり、現在の建国の日はもとは紀元節でした。

明治23年「教育勅語」が発布されます。「朕惟フニ我カ皇祖皇宗國ヲ肇ムルコト宏遠ニヲ樹ツルコト深厚ナリ」とはじまります。天皇の威光を「皇祖皇宗」にさかのぼって褒めたたえます。「聖徳」は社会福祉に現われます。済生会は恩賜病院であることを思い出してくださいと、のことです。

国家神道は上から押し付けられたものばかりではなく、明治国家が植えつけた尊王の理念を国民が受容していくものでもありました。宗教団体や、右翼団体に限らず地域の自主組織も尊王を掲げるようになります。その中でも軍隊が持った役割は大きいといえます。エリートは、建前としては尊王であっても、本音では近代民主主義であったのですが、時代風潮は変わり、美濃部達吉らが追われる世の中になっていくのです。

一般には、「国家神道」とは、「大日本帝国の国教、あるいは祭祀の形態の歴史学的呼称であり、「国体神道」や「神社神道」とも、また、単に「神社」とも称した。」とされていますが、島薗先生は、この解釈は狭いと論じておられるわけです。また村上重良氏の先行研究には学ぶことが多いのですが、大日本憲法によって「天皇=現人神」信仰になったことに力点を置かれていることには、島薗先生は批判的で、これは1930年代以降の事であると明言されます。新田均氏の説などを『国家神道と日本人』では紹介していますが、それ以前には天皇崇敬の根拠として、天皇「神孫」論や、君臣「徳義」論があったことを、指摘され、歴史的な理解の必要性を教えてくれます。

昨今の、政治的環境がいつしかもはや戦後ではなく、新たな「戦前」に向う時期になるのかも知れないと考えると、あらためて「国家神道」とは何かを問いかける必要があると感じさせられています。

おさらいです。島薗先生は「国家神道」として成立したのは、天照大神という神的な起源と系譜を持つ天皇が統治する祭祀、とりわけ皇室祭祀を国家統合の中核としながら、全国の神社を伊勢神宮および宮中三殿に鎮座する天照大神を頂点とした神々の体系と組織したことにあるとされます。さらには天皇と国民との関係には歴史的に深いきずながあり、それは「万世一系の国体」として捉えられること、こうして天皇への崇敬とその国体思想に基づく道徳とを育もうとするべきだと、思想形成されてきたことを指摘されます。

GHQ の「神道指令」で用いられたアメリカ的な理解を超えるためには、上記のような認識を深める必要があるようです。難しいことですが、私のような戦後生まれの世代にとって体験してきた皇室への理解にも再考を促してくれることになると思います。

あらためて、講師の問いかけである「国家神道は解体されたか」についての考察を進める必要を感じています。

sawarabiblog at 23:18│Comments(1)TrackBack(0)

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この記事へのコメント

1. Posted by さわらびT   2015年06月15日 19:33
『天皇の料理番』とても面白いドラマで毎週見ています。ところで、昨日こんな場面がありました。明治天皇崩御のしらせを新聞で見つけと主人公の秋山篤蔵君は、大いにショック、なぜなら「現人神」たる天皇陛下の崩御です。ケチをつける気はありませんが、天皇を「現人神」とする庶民感覚は、1930年代以降に顕著になるという理解からは描き方に違和感を覚えました。
ところで、ドラマですが、それから秋山篤蔵君に天皇の料理番に推挙されたという話が届きます。「わし、福井の平民の出でえ、小学校しか出てませんし、寺も破門になってますし、実家の金も宇佐美さんのノートも盗んで…ひ、人の女房も…」
大使は、2番目からは聞かなかったことにしますと、上手にかわしてくれました。

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