2015年07月31日

映画『沖縄うりずんの雨』

2f3f8655.jpg岩波ホールで上映中の映画『沖縄うりずんの雨』の期間終了が近づきましたので、一昨日見てきました。上映開始30分前の午後2時に神保町の駅に着いたのですが、すでに当日券を購入する長い列ができていました。
映画の中で、資料映像とともに告げられていましたが、米軍にとって、沖縄はひとつの「戦利品」に過ぎないことだという認識に愕然としました。さらに思ったのは、日本にとっても沖縄は、防波堤の役割を与えられた存在だったと言えるのでしょう。この無念極まりない扱いに対して、憤りはどこに向けるべきなのでしょう。捕虜になれば殺されるからその前に自決せよと、民間人をも脅した戦時下の日本の教育は、人々を悲惨な死に追いやるものでした。元米陸軍の砲兵だったドナルド・デンカーさんの証言は、洞くつから出てきた日本人が、自分の頭にピストルを突きつけるしぐさをしたことを伝えていました。米兵は、捕虜になるより死ねという日本の思想教育を体感したのです。
いずれにせよ一人一人の人間の尊厳という視点とは、無縁です。それが戦争というものなのでしょう。
映画では知花昌一さんが説明していましたが、集団自決のあったという読谷村波平のチビリガマでの出来事は衝撃的です。洞くつの内部に残された骨、包丁、鎌などは家族が殺し合う集団自決の実態を否応なく想起させるものでした。アメリカ軍に殺されるより、母親に殺される方がいいと、誰もが思ったというのです。なんということでしょう。言葉が出ません。知花カマドさんは娘を抱いて外に出て生き残りました。どうして出たかは、わからないが、そのとき姉妹たちを連れていかなかったことには悔いが残ると話しておられました。限界状況に追い込まれていて、何かに導かれるように取った行動が生死をわけたということになるのでしょうか。占領下の沖縄は、米軍基地の島となりました。立ち退きを強制される沖縄の人々の資料映像が映し出され、ナレーションがかぶさります。「征服した島の敵国民を、米軍当局は公正に扱っています。」
復帰運動は、日本国憲法があり、戦争もしない、軍隊をもたない、そして基本的人権の保障される国への帰属を求めたものでした。いわゆる「コザ暴動」は、従順だと米軍から思われていた島民の本当の怒りの爆発でした。1972年、日本復帰が実現します。
しかし、復帰後も基地は残ります。1995年、少女性暴力事件が島ぐるみ闘争につながります。この性犯罪の加害者の一人がインタビューに応じています。悔いていることは伝わりますし、被害者への思いも伝わります。だけども、犯罪を未然に防ぐことこそ大切なことだと思うものです。
性暴力事件は数知れません。歌人の玉城洋子さんの語ったエピソードも印象的です。小学生の頃、女子高校生と二人で道に迷っていたところ、米兵がジープに乗せてくれたそうです。ところが、どうも行き先が違う。その高校生のお姉さんは、とても賢くて「神様にお祈りしたら、この人は悪いことはしない。一緒にお祈りしましょう。」と言ってくれたそうです。悪夢のような一夜だったけれど夜明けには、無事に村にたどりついたという。人々は、この島で暮らしています。

“うりずんの 雨は血の雨 涙雨 礎の魂 呼び起こす雨”(渡嘉敷島 小嶺基子さんの作品)※
※「うりずん」とは潤い初め(うるおいぞめ)が語源とされ、冬が終わって大地が潤い、草木が芽吹く3月頃から、沖縄が梅雨に入る5月くらいまでの時期を指す言葉。4月1日から始まった沖縄地上戦がうりずんの季節に重なり、戦後70年たった現在も、この時期になると当時の記憶が甦り、体調を崩す人たちがいることから、沖縄を語る視点のひとつとして、このタイトルが付けられたとのことです。(映画プログラムを参照しました)

sawarabiblog at 10:02│Comments(0)TrackBack(0)

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