2015年08月10日

三菱一号館美術館で開催中の「画鬼・暁斎」

2f2e2807.jpg先日、三菱一号館美術館で開催中の「画鬼・暁斎—KYOSAI 幕末明治のスター絵師と弟子コンドル」のブロガー特別内覧会に行ってきました。8月4日から、後期展示が、始まったばかりです。残念ながら前期展示を見る機会がなかったので、今回ご招待の連絡をいただくことが出来、展示を楽しく見ることが出来ました。英国人建築家のジョサイア・コンドルは政府に招かれ明治10年(1877)に来日、日本の近代建築に功績を残した人で、三菱一号館や鹿鳴館の設計者でもあります。そのコンドル氏ですが、日本美術に関心を寄せ自ら暁斎の弟子になって、その画業を伝える貢献をしていることを、今回の展示を通じてよくわかりました。きわめて刺激的な展覧会でした。
内覧会では、美術館の野口学芸員の解説ならびにTakさんのご案内というか、軽妙な掛け合いのミニ・トークショーを聞かせていただき、展示を楽しむポイントを教えていただきました。
3Fの会場、最初の1室に暁斎の《枯木寒鴉図》が展示されていますが、明治14年(1881)に開催された第2回内国勧業博覧会で伝統的書画の分野で妙技二等賞を受賞した作品です。一等の該当作はなかったため、この博覧会での最高賞です。暁斎はこの絵に自ら100円という値段をつけたため、非難を浴びたそうですが、言い値で日本橋の榮太楼本舗の主人が買い上げ、現在に伝えてくれたものです。
コンドル氏の絵画も見事なもので、暁斎も高く評価したばかりか親交を深めていたことが、展示されている《暁斎絵日記》でも知らされます。上野で待ちあわせて日光方面に旅立つ情景や吉原の料亭で揮毫号するコンドルの姿などが描かれています。また、コンドルの《Kyosai sensei at Nikko,August.5》という作品が展示されていましたが、暁斎が宿で描いている日常的な姿を描いてすがすがしく感じました。コンドルの画は、素直に受け入れられます。暁斎への心酔ばかりでなく、日本文化そのものへの感心も深く、歌舞伎、日本舞踊や生け花などにも及んでいます。コンドルが暁斎に入門したのは内国勧業博覧会での受賞がきっかけで、明治14年からのことですが、その交遊は暁斎が亡くなる明治22年(1889)まで続きました。「暁英」という画号をもらうほど絵画の腕も確かなもので、暁斎からも愛された弟子だったこともわかります。
ところで、暁斎は、もと「狂斎」と号していました。筆禍事件がきっかけです。明治3年(1870)10月、書画会で描いた風刺画が官憲にとがめられ、逮捕・投獄されます。明治大学博物館にもパネルで展示しているのですが、投獄された様子を描き獄屋が極めて劣悪な環境であったことを示しています。笞刑50を受け放免されます。詳細は不明のようですが、この事件によって暁斎は新時代に対応する生き方を選択し直すことになったのかもしれません。
今回の展示では、メトロポリタン美術館所蔵の暁斎作品も展示されています。《うずくまる猿図》など愛らしく、ほのぼのとした味わいを感じます。ユーモラスばかりでなく、渋みのある暁斎作品を堪能できます。
(写真は主催者の特別な許可を得て撮影しました。)

sawarabiblog at 11:15│Comments(0)TrackBack(0)

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