2015年09月25日

読書会『檻のなかの子-憎悪にとらわれた少年の物語 』

17e2db97.jpg森司教との読書会。今回は、トリイ・ヘイデン著『檻のなかの子―憎悪にとらわれた少年の物語 』(早川書房)でした。作者のトリイ・ヘイデンは1951年5月21日、米国モンタナ州リビングストンの生まれ、HPに教育および心理学の経歴として以下の記載があります。
「特殊教育補助(情緒障害)、特殊教育教師(情緒障害、学習障害)、主任教師(精神医学ユニット)、大学講師(特殊教育)、大学院講師(特殊教育)、リサーチコーディネーター(大学の精神医学ユニット)、児童心理学者、児童虐待コンサルタント。
特定の職業に執着しないで、研究と実践を行い、さらにその実践を記録にとどめた方のようです。

この作品はノンフィクションで、「選択的無言症(elective mutism)」の少年との出会いと治療の記録であり、一人の人間の回復の物語です。選択的無言症は主に子供に起きる情緒障害です。心理的な理由があって話すことを拒否する子供たちですが、普通は場所によっては話すことが出来るということのようです。

トリイがセラピストとして向き合うのは、8年間、誰とも口をきかず、日中ずっと児童養護施設の机の下でおびえて暮らす15歳の少年ケヴィン。ひとたび恐怖心が爆発すると、猛獣のように暴れまわり、周囲や自分を傷つける。トリイにとっては、初めてといえる恐怖を覚えることもあったという。しかし、ふたりで机の下にもぐっての長い努力のすえ、ついにケヴィンは言葉を発します。しかし、それは快方への長い道のりのスタートラインにたったに過ぎなかったのです。

ケヴィンは、ある日トリイに一枚の絵を見せます。それはあまりに精密で写真のようにリアルだったとのこと、画才に恵まれた少年だとわかりますがが、描かれているのはグロテスクです。男が腹を裂かれ、路上に腸をぶちまけられ、死肉をカラスがついばんでいる・・・・彼が心の奥に封じ込めていた激しい憎悪を、絵で表現したのです。彼自身と妹たちが義父から受けてきた、虐待の事実が徐々に判明します。

一時はすっかり治ったように見え、トリイの手をはなれたケヴィンでしたが、傷害事件を起こし、精神病院に送られるなど、波乱万丈です。交流で回復が順調に進んでいたのですが、突然、少年と関わりを閉ざされてしまったりします。経緯は、ちょっと複雑です。しかしながら、もう一度、あらためて心ひらく相手として呼び出されることになります。幼い子供ではなく、思春期の少年という事情もあることから、性的に微妙な関係も生じますが最終的には、道は開かれます。

この物語に脇役ながら同時に、描かれているのはチャリティというネイティブ・アメリカンの少女、家庭に居場所が見つけられずにトリイの自宅をしばしば訪れ、なかなか帰ろうとしない。この少女を見捨てることもしないので、心に傷を負った子供たちとの付き合いというのは、大変な仕事だと思わされます。家庭に居場所を持たない女の子のケアに携わっている橘ジュンさんのことが頭をよぎりました。橘さんは、渋谷をパトロールして家出少女とおぼしき女の子に声をかけ話を聞いています。ボンドプロジェクトとして、電話相談も行っています。こうした試みを通じて、孤立から救っているのだと思います。ノンフィクションであるこの物語の登場人物は、トリイに出会うことで救いの道が見えてきました。

この物語の背景には、児童虐待、育児放棄といった社会問題があります。チャリティの場合は、家族の校正が不安定で、アルコール依存症や、喧嘩、売春中が見受けられ、母親にも問題があると書かれています。「乱暴な感情の爆発とひきこもった敬虔な気持ちとの間で揺れていた。」
チャリティは理想の家族の物語を作ることで世間と向き合っているようです。あるとき彼女は、警察に保護されてしまいます。警察は母親にではなく、トリイにコンタクトしてきます。チャリティが、連絡先として伝えたからです。「お母さんになってもらいたい」、とチャリティは訴えます。トリイにとっては、この子は抱きしめたくなるタイプの子ではないらしいのですが、それでもトリイのやさしさは伝わっています。

森司教は、「愛」について話されました。それは信頼関係と、相手に対する誠実さによってもたらされるのだということです。心に闇を持つ人々を受け止め、解きほぐしてこられた司教ならではでの体験に基づいています。人間は、自分の居場所の確認を求めるものであり、「あなたはかけがえのない存在である」と声をかけられるところこそ、居場所だとわかるのです。それには、人間の内側が見えてこなければわからないのです。著者のトリイは、その人間理解が出来ていて、ケヴィンがどんなに荒れていても、うまくいかなくても誠実さと、自分は見捨てられないだろうという期待感を与えてくれ存在だったということになります。「ブライアン」となることで、多くの人の目をいったんごまかせますが、トリイはまだ伝えていない何かがあることを直感的に感じています。カウンセラーは、渡り鳥が羽を休めるための止まり木だということを、トリイ自身がわかっています。何も言わないが、心に闇をもった少年の心を引き出す場を提供することが可能だったのは、その自覚も持っていたからです。

長い物語ですが、読む価値があることを実感しています。傷を負った少年の回復の記録としても貴重なものですが、どうしても気になることがあります。虐待した父親の問題もまた独立した物語として描かれる必要があるのはないのか。加害者としての存在でのみ登場しますが、なぜこれほど残虐な行動が可能なのだろうと、戦慄を覚えます。また、娘が夫に暴行されるのを止めることなく、傍観し続けた母親の心の奥には、迫り切れていないようにも思えます。ケヴィンが心を痛めたのは、こうした母親の行動に由来しています。トリイが直接向き合ったケヴィンは、立ち直りますが、この母親は、現実逃避をしたままなおかもしれません。

もとより、トリイは殺人事件がうやむやなまま決着したことに憤りを隠してはいません。「わたしはふとヒトラーの強制収容所のことを思った。あそこで起こったことは、それほど想像もつかないことではない。あれのミニ版ともいえるようなことが、私たちの身の回りで毎日起こっているのだ。そして、わたしたちも、ドイツ人と同じように、ほかのほうをみて忘れているのだ。」
現代社会には、このような現実があります。

sawarabiblog at 19:36│Comments(0)TrackBack(0)

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