2015年12月15日

安保法制について考える講演会in生田

1e946456.jpg自宅からはかなり遠いのですが、11日(金)明治大学生田キャンパスまで足を運びました。「安保法制について考える講演会in生田」という催しがあると知り、参加しました。このキャンパスの一角には明治大学平和教育登戸研究所資料館があります。
館長の山田朗先生の講演が最初にありました。生田キャンパスは、かつて旧日本陸軍によって開設された陸軍登戸研究所が建っていたところですが、戦後になって明治大学がこの土地を取得したそうです。この研究所は、秘密戦兵器・資材を研究・開発していて、正式名称は「第九陸軍技術研究所」というのですが、研究・開発内容を決して他に知られてはいけなかったために、「登戸研究所」と秘匿名でよばれていたのです。明治大学博物館友の会の行事で、訪問したことがあります。(ブログでも紹介しました。2012年02月21日)
講演で山田先生は陸軍登戸研究所の歴史から学びつつ、今日の安保法制の危険性を指摘されました。すでに「特態秘密保護法」が成立していますので、憲兵に相当する軍事警察の設置が必然になるとのこと、すでに憲法の卵(自衛隊情報保全隊)が存在していて、スパイ機関が設置につながることを指摘されました。「憲兵」とは、本来警察しかない逮捕権を持つ存在です。戦争とは、いきなり発生するものではありません。平時にこそ準備されています。護衛艦はすでに大型化され空母に匹敵するなど着々と装備が整えられ、実質的に兵器の準備が進んでいることを説明して下さいました。
次いで、お二人目の講演は、専修大学文学部元教授・専修大学史編集副主幹の新井勝紘先生でした。国立歴史民俗博物館にお勤めだったこともあって親近感のある先生です。「五日市憲法草案」を中心テーマに話されました。
2013年11月、皇后美智子妃は誕生日の宮内庁記者会見での質問への回答文書で、「五日市憲法草案」にふれ「近代日本の黎明期に生きた人々の、政治参加への強い意欲や、自国の未来にかけた熱い願いに触れ、深い感銘を覚えたことでした。(中略)市井の人々の間に既に育っていた民権意識を記録するものとして、世界でも珍しい文化遺産ではないかと思います。」と述べたと報道されたことからお話を始められました。美智子妃を感銘させたその「五日市憲法草案」とは、どのようなものなのか。新井先生に導かれながら、着目点を記します。嚶鳴社草案を参照しながら、独自の憲法草案を作りあけたこと、そのための討議が重ねられていたらしいことも、あらためて知ることが出来ました。今の日本国憲法につながる思想を読みとることができます。
開かずの蔵であった深沢家の土蔵を最初に開けたのは、1968年8月のこと、研究者としてこれだけの大発見に遭遇するのは稀有のことらしい。大学4年で、歴史的現場に立ち会った新井先生は大学教員となり、今年で定年を迎えたとのこと、「五日市憲法草案」は東京都指定有形文化財となっています。
「五日市憲法草案」が参照した嚶鳴社草案と比較すると、同文の箇所は意外と少なく、嚶鳴社草案に該当条文がない箇所も多く国民の権利に力点を置いた独自の案として考えられていることがわかります。
同時に発見された討議題集(深沢権八手録)には63項目ありますが、例えば「自由ヲ得ルノ捷径ハ智力ニアルカ将タ腕力ニアルカ」・・・つまり自由の権利を獲得するための近道は、知恵によるか暴力に訴えるか・・・「増税ノ利害」「女戸主ニ政権ヲ与フルノ利害」「女帝ヲ立ツルノ可否」・・・興味深い議題が続いています。そのほかに「私擬五日市討論会概則」という史料があり討論のルールを定めています。その内容を見ると、意外と厳しく「発議者ハ新規ノ論旨ヲ挙ケテ之ヲ説明スルノ権利ヲ有セス、前キニ述ヘシ所ノ論旨ニ依リテ答弁スルヲ得ヘキノミ」とあって途中で意見を変えることはできないと定めています。
土蔵を開けるきっかけとなったのは、利光鶴松という方の存在でした。千葉卓三郎は夭折しますが、そのあとに教員となった利光鶴松さんという方は、小田原急行鉄道(現・小田急電鉄)の創業者なのですが、手記を残しています。「深澤権八氏ハ五日市地方ノ豪農ニテ頗ル篤学ノ人ナリ」と記し、しかも東京の出版物は何でも深澤家の書庫にあり自由に読めたというのです。この自由なコミュニティを羨望の念を持って思わざるを得ません。
「五日市憲法草案」は、地方自治権についても言及されています。
「府県令ハ特別ノ国法ヲ以テ其綱領ヲ制定セラル可シ府県ノ自治ハ各地ノ風俗習例ニ因ル者ナルカ故ニ必ラス之ニ干渉妨害ス可ラス其権域ハ国会ト雖モ之ヲ侵ス可ラサル者トス」
私たちが享受している「日本国憲法」に通じる思想性の高みが感じられます。知られているように、「日本国憲法」の作成にあたっては、鈴木安蔵さんらの憲法研究会案を参照しているのですが、植木枝盛の憲法草案がベースになっています。
限られた時間内でのお話でしたが、エッセンスをお話しいただきました。
岩手県久慈市の小田為綱家文書から発見された「憲法草稿評林」という史料についても言及されました。この史料は元老院起草の憲法草案を批判したもので、ひとつの憲法構想といえるものですが、皇統が断絶したときは「統領」を選出するとの記述あり、共和制にふれた稀有の憲法草案といえるとのことです。国民の意識がここまで進んでいたとは言えないだろうが、記憶すべきものだと指摘されたことが印象に残りました。学ぶことの多かった集いでした。

sawarabiblog at 23:23│Comments(0)TrackBack(0)

トラックバックURL

コメントする

名前
URL
 
  絵文字