2015年12月26日

中島京子『長いお別れ』

b21a9766.jpg是非読んでみたいと思っていました。読み終えて、さわやかな風が通り過ぎていく思いでした。一言、「お疲れ様でした」と誰かに言いたくなる。

誰に言いたいのだろうとふと、考えます。介護に格闘した家族にだけ向けられているわけでもないのです。周囲を振り回し、傍若無人にふるまったかに見える一人の老人が旅立ったことへの、そしてその人生がゆるぎないものであったことへの、限りない敬意を表しているのです。ほのぼのとし情感に包みこまれて、後味の良い物語になっています。

アメリカのハイスクールの校長先生の言葉として紹介されていますが、認知症をアメリカでは「長いお別れ(ロンググッドバイ)と呼ぶらしい。それは・・・
「少しずつ記憶を失くして、ゆっくりゆっくり遠ざかって行くから」
作者本人の介護体験が、ベースになっていることを知りました。それだけに、リアリティがある読み物になっていることがわかります。

同窓会の会場がある駅に到着したのに、そこに来た理由がわからなくない帰宅してしまった出来事が、主人公の東昇平さんの病気が家族に顕在化したことを示すエピソードとして語られています。初期のアルツハイマー型認知症と診断され、進行を遅らせるための薬が処方されます。「認知症は直らないけれど進行を遅らせることはできます」というのは、現在でも治療に対する共通理解なのでしょうか。アリセプトという薬を私の父にも、飲んでもらっていたことを思い出しました。

物語の主役の東昇平さんはかつて区立中学の校長や公立図書館の館長をつとめたようなインテリですので、思いもかけないところで能力の一端を披露してくれます。孫に何回も小遣いを渡して喜ばれもしますが、デイサービスで行われる漢字テストでは優秀な成績をおさめ、あまり化で生活する孫にとっては読めない漢字をすらすら読み、「蟋蟀」といった字をこともなげに書いてしまうので、尊敬されもします。孫の名前も憶えていない、おじいさんなのですが、・・・。その能力を褒めると、その理由を孫に伝えるのに、「相撲」、「発明」、「金槌」といった関連性のない言葉が次々に飛び出します。おじいちゃんはどうも、「昔取った杵柄」とでも言いたかったようです。どこまでが、経験に裏打ちされているエピソードなのかはわかりませんが、笑いを誘われるシーンです。

私の父の場合ですが、食べたばかりの昼食なのに、食べことを思い出せなくなっていた初期症状の頃ですが、入院中の母の見舞いに行くためにタクシーに同乗したことがありますが、運転手にてきぱきと行き先を指示しているので、驚いたことがあります。家庭内で崩れかけていても、対外的にはしっかりしている時期もあったな、と思い返しています。

物語では、亡くなった教員仲間で親友だった中村先生の通夜に参列したとき、友人たちに向かって「ところで、中村はどうした?」と尋ねるエピソードなどが、ユーモラスに描かれていますが、こんな風に病状は緩やかに進行していきました。家族だけでなく、友人たちにも病気であることが知られます。

東昇平さんの意識により添って書かれているところがあり、印象的でした。脳トレタイムがお気に入りで、ビデオ鑑賞は苦手、「退屈が嵩じると射得に帰りたい気持ちが起きてくる。どうでもいいからここを出て、一人になりたいような気もする。」母がお世話になった介護付き老人ホームでも、時おり映画鑑賞をしていましたが、最後まで見ていられる老人が少なかったことを思い出しました。集中力が持続しないのでしょうね。すぐに飽きて、その場から退場してしまいます。周囲には、わがままに映る状況を、本人の目で描写してくれているわけです。

この物語の味わい深さを受け止めています。

sawarabiblog at 23:00│Comments(0)TrackBack(0)

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