2016年04月07日

『バラカ』を読み終えて

3b280da5.jpg朝日新聞3月27日の書評(筆者は明治学院大学教授の原武史氏)が印象に残りましたので、さっそく桐野夏生さんの新刊『バラカ』(集英社、2016)を読みました。さまざまな媒体で著者からのメッセージを目にする機会も多く、気になる作品でした。原武史氏の書評はエピローグにまで触れているので、結末を楽しみにしている方は、その箇所には目をつぶる方がよいかもしれませんが、「すぐれた小説家は同時にすぐれた思想家でもある。」と松本清張を引き合いに、平成を照らし出す小説家として著者の桐野夏生さんを評価しておられることに私は興味を持ちました。書評の一部を引用します。

「古来、洋の東西を問わず、思想家はあるべき政治や社会の理想像を語ってきた。だが桐野夏生は、ユートピアではなく、ディストピア(暗黒郷)を徹底して描こうとする。一見正反対なその手法は、現実を逆照射する点で、思想家に通じるものがあると思う。かつては松本清張の推理小説が現実との鋭い緊張関係を保っていた。清張が昭和という時代を照らし出す小説家だったとすれば、桐野夏生もまた平成という時代を照らし出す小説家といえる。」

この指摘がきになり、小説の構成や文体までも、松本清張作品のように感じられてきました。作品の評価としては、この書評で十分満たされているのですが、一読者として私なりに心に響いた箇所を拾い出しておきます。

SF小説といえるかもしれません。設定は、地震と津波によって原発が爆発し、東半分が壊滅した後の2019年の日本です。いわばパラレルワールドですが、首都機能が大阪に移っていて、東京からは人々が逃げだしているのです。サスペンス小説ともいえるハラハラドキドキ感も満載ですが、何よりも震災後の日本にとって、決してあってはならない日本の姿がおぞましい。それは虚構ではなく、私たちがいま体験している現実の社会を照射していると感じられるからこそ怖いのです。

タイトルになっている「バラカ」とは、震災後に警戒区域で発見された一人の少女の名前です。ただし「バラカ」は本名ではありません。「神の恩寵」を意味していると説明されますが、人身売買される子供に共通につけられた名前という設定ですが、何とも皮肉なネーミングです。この少女は日系ブラジル人夫婦の子として生まれたのですが、さまざまな事情で夫婦が離れ離れになったことが原因で、中東のドバイで人身売買にかけられてしまうのです。そして日本人によって買われた「バラカ」がたどる運命は・・・・・

この日系ブラジル人夫婦は、ブラジル人が多く働く群馬県のO市で結ばれた仲でしたが、結婚後になって夫であるパウロ(佐藤隆司)の行いに愛想がつきた妻のロザは、プロテスタント系の宗教団体「聖霊の声」に傾倒していきます。この教会の牧師(ヨシザキ)との夫の確執が、物語の次の展開につながります。多彩な人物の描写を通じて現代を浮き上がらせているのでしょう。この教会ですが、拠点とする建物を新たに作ることなく、元映画館やボーリン議場、廃工場などの古い建物を利用して活動しています。またテレビチャンネルやインターネットを利用して信者を獲得しているようです。牧師が、宣教のよりどころにしているキーワードは「失敗のサイクル」、一人一人が人生に失敗するきっかけを持っていて繰り返すということを意味しているようです。パウロにとっては、飲酒や暴力がその原因ではないかと牧師は示唆します。夫婦はともに日本人を祖先に持ち、日本人の顔と体を持っているけれど、日本に居場所を見いだせない生きにくさをかかえていることは共通しているのですが、ストレス発散の方向、心持ちがすれ違ってきていたのです。しかし、夫のパウロは牧師から妻を引き離すことを目的に、そして何より自らの「失敗のサイクル」を絶つために、労働者を募集しているというドバイ行きを決断します。しかし、その行動が裏目に出ます。

ドバイは人口の8割が他国から来た労働者から成っていて、生粋のドバイ人はほんのひとにぎりだが、結婚と同時に一軒の家を与えられ裕福な生活を保障されるというのですが、外国人労働者には厳しい世界で、パウロはすぐに失業します。ドイツに更なる出稼ぎに向かいますが、妻子がドバイで行方不明になったことを知るのです。妻子を探すため、パウロは、やむなく「聖霊の声」教会の牧師を頼るという始末です。この牧師は物語の展開において思わぬ形で再登場します。

大震災を経験したのちに、牧師は詩編を引用した説教の準備を行います。
「放射能に毒されつつある父祖の大地に、肉を捧げ、血で雪ぎ、骨を埋めます。・・・なぜそんなことができるのか。簡単です。神が私とともにおられるからです。」
「たとい死の陰の谷を歩くことがあっても、私は災いをおそれません。あなたが私とともにおられますから。あなたのむちとあなたの杖、それが私の慰めです。」(詩編23)

物語の重要な登場人物ですが、川島という存在は不気味です。おぞましい風貌と行動から、「悪魔」といってよい存在として描かれています。この人物が、牧師の思いをその肉体をも傷つけて断ち切るのです。聖なるものへの対峙が、生々しく描かれていると感じました。

さて、主人公の「バラカ」はどうなったのでしょうか。被曝がもとで甲状腺がんの手術を受けることにもなります。そして反原発派の人々との出会いを糧にしつつも、いつしか原発をめぐる生々しい政治の渦中に巻き込まれていきます。ドラマは三部構成になっていて、第2部では震災が描かれますが、全体としては近未来小説となっていて第3部では震災から8年後、つまり2019年が描かれます。小説の世界では東京も放射能汚染のために半ば壊滅状態といってよく、オリンピックも舞台は大阪に移っています。その廃墟といえる東京で物語は大いに展開します。原発推進派と反対派の狭間で「バラカ」は人権を蹂躙される扱いを受けていきます。虚構の世界ですが、ちょっと歯車が狂い出せば、そうなるかもしれないリアル感も漂わせてくれます。考えてみれば、ナチスが闊歩していた時代が、現実世界にも存在していたと考えるだけでも、ぞっとさせられます。

著者の桐野さんがインタビューに答えている記事をいくつか拝見しました。

「今の政治の流れは恐ろしい。秘密保護法ができてしまい、都合の悪いことは隠してしまおうという世の中です。」(『赤旗』日曜版2016年4月3日号)

「震災後、特に顕著な傾向に、レイシズム(人種差別)やミソジニー(女性嫌悪)があって、男性性を誇示するためだけに女を支配する川島はその象徴ですね。」(週刊ポスト2016年4月8日号)

許せない現状に立ち向かう毒のある小説といえます。登場人物の川島とはユートピアならぬ、デストピア(理想が崩れた暗黒世界)の象徴的な存在として描かれているのです。
これは余談になりますが、ドバイについて次の記述が気になりました。「パウロはドバイに来て初めて、この世は金さえあれば不可能はないと知った。」

どういうことでしょうか。

「最大の贅沢は、巨額の金を使って海水を淡水に変え、毎日何回も水遣りをして、不毛の砂漠を美しい緑の土地に変えたことではないだろうか。」

金の威力が絶大ならば、原発の安全対策も無尽蔵に金を消費することによって可能だといえるかもしれません。あえて言えば、少しでもケチるくらいなら地震大国の日本に危険な原発を設置すべきではないともいえます。

大変なインパクトを与えてくれる物語が、生まれたことに感謝します。

sawarabiblog at 11:50│Comments(0)TrackBack(0)

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