2016年09月19日

「大人のための心理童話」から得たもの

05be870d.jpg久しぶりに森司教との読書会に出席しました。

今回の課題図書は『大人のための心理童話―心の危機に処方する16の物語(上)(下)』(早川書房、1995)、その中の2つの物語を読みながら、参加者が次々に思いを述べました。

この本の中身ですが、アラン・B・チネンというユング派の心理学者が世界の童話からピックアップした物語を素材に、その童話から導きだされる中年男女の心の危機を分析しているものでした。読みやすい心理学の本という理解も可能です。
上巻の「まえがき」に「物語は人間の無意識を解明」と述べていますし、また「一人の大人として人生のさまざまな問題を乗り切ろうとするとき、中年童話は大いに役立ってくれるだろう」と、著者は童話が持つ力を評価しています。精神分析医ということですので、童話が患者の処方に役立つものであることも伝えているわけです。

読書会で取り上げられた物語は、上巻と嵬椶痢嵬魍笋竜嫖勝廚函同じく上巻番目の「死と心の旅」の2つでした。

まずぁ嵬魍笋竜嫖勝廚里話しです。夫婦げんかの絶えない中年夫婦が子牛の世話を見る、見ないでまた喧嘩になり、どちらか先に口を聞いた方が負けとなり、罰として働くことと決めます。すると妻が外出、留守番する夫のところに乞食、巡回床屋、老女、泥棒が次々に現われます。夫は、これは妻のはかりごとだと思い、口を聞かず何もしないでいます。すると彼らは食べ尽くし、髭を剃り、男の顔に化粧を施し、財産を奪って逃げてしまいます。戻ってきた妻は、夫を責め、そればかりか、泥棒たちを追いかけ、彼らを騙しながら財産を取り戻すというお話です。おのれの非を悔い改めたのでしょうか、それから夫は妻の仕事を率先して行うというハッピーエンドの結末です。

このおかしみのあるペルシャの物語について著者は、父権制の強力なイスラム文化から生まれたことに着目しつつ、世界中に男女の逆転の物語は多いとも言っています。それゆえ、男女の役割の逆転は中年には重要な問題だというわけです。世界の民俗例も引き合いに出して、同様なテーマに満ち溢れていることを伝えています。

この物語では、男女の逆転は屈辱を伴っています。夫は化粧され、すべての財産を失ってしまう存在になっています。男性にとって男女の逆転はトラウマになりかねない、と著者は書いています。実は、女らしさに対する拒絶は、さまざまな文化にまたがり、男性心理の奥底に存在するからだということです。

男性は「男性らしさ」、女性の「女性らしさ」とは何か、いわゆるジェンダー(=社会的、文化的に形成された男女の違い)について言及したくなりますが、物語の前提としては、男女の役割分担が、決まっていることが必要です。役割分担が固定している場合、男は外に出て仕事、女は家事に専念するということになるでしょう。
著者は、自身の執筆体験から、欠けている女性的要素を取り入れたということです。その女性的要素とは「情緒、感情、個人的反応、人間関係」と書かれています。このあたりは、著者の保守的見解ではないかと批判も可能かもしれませんが、この表現をとりあえず

心理学的分析として理解することにします。
さらに面白いことに、物語の主人公である妻の行動を評して、「妻は冒険心があり、独立心旺盛で、積極的だが、男になったわけではない。彼女はたんに彼女自身になったのだ」と解釈しているところが独特です。

男にとって、耳が痛くなる指摘もあります。「意識するしないにかかわらず、多くの夫族は卑劣にも、当初、中年での妻の成長を阻止しようとしているのである。」
夫のもとに帰るという物語の結論に、著者は積極的な評価を与えています。イスラム社会特有の父権主義の制約以上に、妻は「自発的に、意気揚々としてもどってゆく。」しかも、女性的要素を失うことないことは、子牛を連れて家を出て行ったことに明らかだとも言っています。財産を取り戻して帰宅した妻は、夫が生き方を変えたことにも気づきます。

中年童話では、不愉快な登場人物たちは改心する、言い換えれば自己改革する。中年は、自分の欠点を受け入れて、生き方を変えてしまうという。この転換ができない人は、きっと苦難の人生が続くことになるのでしょう。中年には柔軟性という美徳が与えられるらしい。青年時代には、「粘り強さ」が求められている。
最後に面白い指摘があります。中年童話には魔法が欠けているということ、魔法ではなく人間的英知で問題解決をしていくのだという。年を重ねるのも悪くはないかな、と少しばかり思わされます。

もう一つの物語は、─峪爐反瓦領后
億万長者の男は、「わたしはどうしても死にたくないんです。」と如来に頼みます。如来から渡された紙の鶴に乗って、男は不老不死の国に行きます。ところが、数年するとあきてしまい、故郷に帰りたくなった男は、またの鶴に乗って戻ろうとします、その途中で、嵐に襲われ、鶴は海におち、溺れそうになると「助けて!死にたくない!」と叫びます。そこへ如来が現われ、これは如来が見せてくれた夢であることを告げられ、「お前には忍耐強さも信念もない。不老不死と不滅の秘密は、おまえには授けられない。お前は自分の運命に満足しなさい。」と諭します。男は、もとにもどって安穏な生活を送るようになりますが、如来は億万長者に自分だけの不老不死を求める変わりに、子供たちを養い、隣人を助けよ、と諭されたのです。

ここでは人生にとって大きな問い、死について論じられます。不老不死を求めて実現すると、今度はその生活に飽き飽きしてしまうというのは、皮肉です。変わらない生活にうんざりして、死を願います。それでも、死が目前に迫ると思わず助けを乞うので、如来から大いに叱られてしまうのですが、知恵を授けられます。それは、いわば当たり前の処世訓です。

著者はこの物語の二つのテーマに言及します。その一つは「生殖性」です。自分自身の不老不死を求める代わりに、「子供たちを養い、隣人を助けよ」と告げます、物語が示唆しているのは、盗賊の存在だと解釈しています。人のものを盗むというのは自分の正当な所有物ではないものを所有することであり、それと同様に男は自己中心的であって、資格がないのにもかかわらず「不老不死」を得るようとしたのだということ、物語の説得性の由縁を教えてくれます。なかなか含蓄が深い。テーマを補強するものとして「折り鶴」の登場に言及しています。折り鶴は生殖性の象徴(鶴は生涯一夫一婦制と言われる)なので、物語に登場する必然性があるというのです。

「億万長者は自己中心的だから、まず生殖性を身につけなくてはならない」と著者は、述べていますが、物語の主人公には家族もあるのに、人生の楽しみをどこに見つけていたのでしょうか。死にたくない理由は妻子との幸せな暮らしを持続したいということではないようです。根っからの、風来坊の自己満足とでもいえるのでしょうか。

二つ目のテーマは実用主義であると著者は指摘します。如来の知恵の書こそが、実用主義を伝えていると指摘しています。「死ぬべき運命は、中年の男女を高邁な精神活動や世界を救うことに傾倒させるのではなく、世俗の秩序に立ち返らせる」と言うのです。これは、意味深い指摘です。生きている日常の大切さに気付かせられるということでしょう。例示したのは、エイズ患者のガイという人物です。彼は、過去のトラウマと向き合い、克服し人生を楽しむようになったというのです。「逆接的だが、死は生きることに対して実際的な知恵を与えてくれるのである。」
私の経験上では、そのような見事な死生観に出会ったことはありませんし、死につながる病を受け入れることは決してたやすいことではないように思っています。

余談になりますが、人が死ぬとどこに行くのか、という問いに答えはあるのでしょうか。神様のみもとへと、私などは素直に考えているカトリック信者であり、「死の恐怖」は信者になる以前より軽減していますが、誰も見たことのないですし、そのありかも不明な「天国」の存在については正直なところ、疑問もないわけではありません。答えの不明な死後のことよりも、今の暮らしをどれだけ充実させられるかの方に、関心があります。「天国」は死者との再会の場だと、漠然と考えています。

物語で、男性が主人公になっていることにも理由があると著者は指摘しています。女性は、出産等で、死の意識させられる機会が多いけれど、男性は戦争がない平和な時代には死すべき運命を否定することが可能なのだということです。「権力と栄光に慣れている男にとって死すべき運命は衝撃的だし屈辱なのである。」
死とともに夢の重要性がテーマになっているとのことです。著者は夢にまつわる二つの物語を紹介します。中国の『夢』は使用人を酷使する金持ちが、夢では自分が働かされる立場になることで、夢の意味を理解し現実世界の投機を控えめにし熟睡できるようになった。ユダヤの『王様の夢』は、残酷なお触れで国民を処刑した王が、囚人となって拷問される夢を見てこれまた悔い改める。

ここで、ユングとフロイトの夢理解の違いも伝えています。
「ユングはこの夢の機能を強調し、夢は意識下の思考の限界を補い、抑圧または否定されている問題を提起すると述べている。」
フロイトの研究対象は若者であり、彼らはつらい問題を否定したり避けたりするので、夢は抑圧を反映している。年長者になると、若いころ抑圧されていた問題が出現するという。従って、両者の夢理解の違いは対象者(若者と年長者)の違いであり、夢は中年になると抑圧から啓示になることを示しているという。
「夢を変化の使者として利用することで、中年童話は現実的なトーンを保っている。」

夢か現実か境目のしれない放浪の旅に出た中年はその経験を経て、より精神的な健康と幸福を得ることができるらしい。
読書会で取りあげられたこの2つの物語以外にも、含蓄深い解釈を読むことができます。

sawarabiblog at 22:36│Comments(0)TrackBack(0)

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