2016年11月14日

沖縄の基地に思う

40b0b359.jpg船橋学習センターガリラヤで、沖縄学習講座・パネルディスカッション「沖縄に触れて思うこと」が11月11日(土)に実施されました。思いのほか参加者が少なかったのは残念でしたが、沖縄体験学習の集いをふり返るには得がたい機会となりました。

旅の3日目は現代の沖縄を知る学習です。最初に向かったのは宜野湾市の嘉数高台公園です。ここは沖縄戦の激戦地で、1945年4月、この嘉数高台をめぐり16日間にわたる戦いの跡が刻まれている場所なのだそうです。同年、4月1日に沖縄本島に上陸した米軍は、読谷・嘉手納を制圧し、さらに部隊を南北に分けて進軍したのです。日本軍が反撃に転じたのが7日頃からだったようです。嘉数高台をめぐる攻防は本当に熾烈を極めたと聞いていますが、必ずしも米軍の一方的な攻勢だったわけではなかったことを知ることができます。

現在は公園として整備されており、公園内には世界平和を願う地球儀をイメージした展望台があり、普天間基地を一望できるビューポイントになっています。公園内において日本軍が使用したトーチカ、陣地壕などを見ることができました。

さて、この沖縄戦こそが現状に引き継がれる原因であることも思い起こすべきでしょう。
バスの中からでしたが、沖縄国際大学に米軍機が墜落した現場を見ました。米軍のヘリコプターが落ちたのは、2004年8月13日のこと。事故直後、消火作業が終わった後にアメリカ軍が現場を封鎖し、事故を起こした機体を搬出するまで日本の警察・消防・行政・大学関係者が現場に立ち入ることが妨げられました。これは、日米地位協定に基づいた対応なのですが、あくまで日本国内の出来事なのにもかかわらず、米軍が優先されるのは、巧妙なからくりによって、「米軍は何も制約されない。日本国内で、ただ自由に行動できる」仕掛けになっているからです。(詳細は、前泊博盛編著『本当は憲法より大切な「日米地位協定入門」』参照)

住民の日常生活を脅かし続ける普天間基地は、写真で見るようにオスプレイも配備されていて危険性はさらに増していることがわかります。普天間の所属機や同飛行場を使った米軍航空機による事故が、今なお絶えないこともガイドさんから教えていただきました。

普天間基地をのぞんだ後、佐真下ゲートから基地内をさらに近距離で見ることになりました。市街地の真ん中にある基地だからこそ危険と隣りあわせです。道路を横断するのに、この地では、「右見て、左見て、そして上を見て」と交通安全の確認が必要らしい。

普天間基地返還と引き換えに辺野古基地建設を日本の政府は約束しました。ところが、考えてみれば、おかしな話です。占領状態ではないのですから、基地を日本に返還すれば済むことです。植民地でもない日本領土から、外国軍隊は撤退することが当然と思うのが素直な国民感情ではないでしょうか。

辺野古の基地建設は、基地の永続化につながるだけでなく国民負担が膨大になることも予想されています。これは安全保障と米軍に依存する体制を選択したということの最大の弊害なのだと思います。「世界一危険な基地」と称されるほどの普天間基地の現況は、よくわかりますが、基地の負担を沖縄だけに押し付けて良いのか、そもそも基地の存在は必要なのか問いかける必要を感じます。

「県外移設」を具体的に問題提起したのは2009年民主党の鳩山政権でした。日米関係勢力、とりわけ日本の官僚の抵抗にあって鳩山首相の思いは実現せず、結果的に、沖縄県民の願いは打ち砕かれましたが、その願いは翁長知事誕生に引き継がれています。
実は「県外移設を阻んでいるのは「本土」の日本人であるという高橋哲哉氏の指摘にも耳を傾けたい。「本土」と沖縄とが引き裂かれている「日本」の本当の姿を映し出している構図なのではないか、と自省を迫るものです。(高橋哲哉『沖縄の米軍基地』集英社新書、2015)

旅のガイドをしてくださったYさんもしばしば言及されていましたが、1947年9月に発せられたという「天皇メッセージ」の重みもあらためて刻んでおきましょう。
「天皇は、沖縄(および必要とされる他の諸島)に対する米国の軍事占領は、日本に主権を残したままでの長期租借―25年ないし50年ないしそれ以上の―という擬制に基づいてなされるべきだと考えている。」(同上書から「天皇メッセージ」の一部を引用しました。詳細は同書を参照してください。)

日曜日の訪問だったので工事も休日で、辺野古の海は静かでした。監視小屋のテントを訪問して説明していただきました。辺野古の浜を分断するキャンプシュワブの固定フェンスが設置されている場所も見てきました。鉄条網ならまだしも、固定フェンスは生態系を破壊してしまいました。ここには監視カメラが設置されていましたので、私たちは新たな危険グループとして認識されたかもしれません。
理不尽な思いをいだかされ続けた旅でした。沖縄の方々に寄り添う思いを新たにしました。

sawarabiblog at 18:32│Comments(0)TrackBack(0)

トラックバックURL

コメントする

名前
URL
 
  絵文字