2017年03月09日

村上春樹の新作『騎士団長殺し』

db3f42a4.jpg『1Q84』以来の、新作長編ということで、今回も話題が先行した村上春樹作品ですが、ようやく読了しました。発売前には一切内容が明かされないので、すべての読者は同じスタートラインに立って物語世界に没入することになります。第1部と第2部が同時刊行、1000頁の長編ですが、読みやすさは抜群、朝日新聞の齋藤美奈子さん書評は、「ハルキ入門編」と書いていましたが、ファンの期待は裏切らない安定感があります。ただし、読み終わってみると、問題提起はなされたままで、何か置き去りにされたような思いも残りました。

語り手は画家である「私」、最後まで名前が明かされることはありません。名前からイメージされる人物像を拒んでいるかのようです。肖像画を描くことで生計を立てていた「私」ですが、ある日、いきなり妻から離縁を言い出され、その場で承諾します。しかし、いたたまれない思いをいだいて愛車を駆って、東北、北海道への旅に出ます。放浪の旅の数か月を経て、気持ちの整理が着きつつあったことと資金力の限界もあるのでしょう、腰を落ち着ける先を探します。都合の良いことに、友人の「雨田政彦」の父親が暮らしていたという小田原郊外の山頂の一軒家を借りることになり、そこでひとり暮らしを始めます。友人の父親は、画家として著名な「雨田具彦」(あまだともひこ)ですが、今は認知症が進み高級老人ホームで暮らしています。

読み進むにつれ、タイトルの「騎士団長殺し」は雨田具彦の手になる未発表の作品に関連付けられていくことがわかってきます。そして、その絵は、モーツアルトの歌劇「ドンジョバンニ」に着想を得て描かれたことを「私」は察知します。雨田具彦氏の画業については、「私」が知る限り荒々しい種類の画を描いたことはなく、穏やかで平和な表現であり、画の題材を古代にも求めることも多く、人々の評価は「近代の否定」「古代への回帰」と言われ、「現実からの逃避」とまで批判されていたようです。

ところが、「私」がこの山荘で発見した作品は、騎士団長を殺害するという残酷なシーンが描かれていたのです。なぜ、雨田具彦は、この作品をこの山荘に隠したのか、謎ときを勧めるうちに、若き日のドイツ留学時代の、雨田氏は反ナチ活動に関わっていたらしいことがわかってきます。

読み始めは、一人称で語られることからかなり狭い世界の物語のようでしたが、歴史的な広がりを感じさせる内容もはらんでいることがわかります。しかし、それもどちらかと言えば、「私」にとってはひとつの背景でしかなかったようにも思います。いつもの村上春樹作品の特長といえます。読者に注意を喚起してくれますが作品世界では、それほど大きなインパクトではなく、むしろ「私」の出会った人々や、幻視ともいえる体験が重さをもって語られていきます。

さて、リヒャルト・シュトラウスの歌劇「薔薇の騎士」も作品世界を彩ります。隣家の、「免色渉」とい人物がたずねてきてから、「私」の生活は波乱に満ちたものになってくるのです。その免色氏が選んだレコードが、ショルティ指揮ウイーンフィルの「薔薇の騎士」全曲盤でした。この歌劇は、奔放な侯爵夫人が愛した若者が、美しい娘に恋をして自ら身を引くというストーリーで、先日「らららクラシック」で取り上げられていて、「美しい恋の終わり」を描いた作品と言われていましたが、村上春樹はこの作品を登場させることで、読者に何を印象付けているのでしょうか。

作品にちりばめられた多くの仕掛けが作品の造形を堅固にさせていますが、いつもながらに上記の二つのオペラにとどまらずクラシックの名曲が多く紹介されているのは、楽しませてもらいました。そういえば、『1Q84』では、いきなりヤナーチェクの「シンフォニエッタ」が青豆の乗るタクシーの車内のFM放送から流れているという描写からところから始まっていました。

長い、長い一人語りの物語は、唐突に終焉を迎えてしまっているように思います。語られていたのは東日本大震災の数年前の出来事だったことを私たちは知らされます。従って、現在からは10年くらいさかのぼる時期になります。まだ語られていないことが、あるように思えますし、プロローグがあってエピローグを記していないのも気になります。絵画作品「騎士団長殺し」の本当の行く末を、私たちは知る権利があるように思えてなりません。作家の描写力が伝えた作品が、訴えかけてきます。

sawarabiblog at 22:08│Comments(0)TrackBack(0)

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