2017年03月31日

『最後の医者は桜を見上げて君を想う』

『最後の医者は桜を見上げて君を想う』(二宮敦人著 TO文庫 2016)を読みました。

フィクションとはわかっているものの、テーマは重いので、描かれている出来事に真摯に向き合わざるを得ませんでした。私と妻は同時期にがんが見つかり、現在も治療中の身でありますので、他人事とは思えず、作品に向き合いました。新聞広告で、この作品の存在を知りました。縁あって出会ったこの作品を読み進めるにつれ、登場人物たちの思いに引きずり込まれました。とりわけ、「いのち」に向き合う医師の視点が明確に照射されていることには、深い関心を呼び起こされます。

主人公の一人である医師の桐子修司は「死神」とあだ名で呼ばれているのですが、それは患者に対して、迫りくる「死」を受け入れ、治療優先でなく残された日々を大切に使うこと説いているからでした。説得された患者は治療を拒否し、より良き「死」を迎えようとしています。こうした桐子医師の行動に真っ向から反対する副院長の福原雅和は、治療を優先しギリギリまで生存にこだわり、治療を続けようとする考えを貫いています。

作品では、三つのエピソードが綴られます。最初のエピソード(第一章)は、急性骨髄性白血病を告げられ、即刻入院治療を余儀なくされたある会社員の事例です。私にとって、大切な友人をおそったのが白血病だったこともあり、抗がん剤の副作用で苦しむ患者の姿は、読んでいてかなりが辛かったです。

物語には、対立する二人の医師の中を取り持つ音山晴夫も登場します。実は、この三人は同期であり、福原の父親が経営する武蔵野七十字病院に桐子と音山が協力し、勤務医となっている関係です。皮膚科の医師である桐子が、問題人物となっていることに対し、副院長福原は思うところがあり、監視役として看護師の神宮寺千香をアシスタントにつけています。いわばスパイ役です。事あらば、桐子を病院から追い出そうとしているのです。

さて物語ですが、白血病と診断された会社員の浜山は、回復の希望を抱いて治療に臨みます。ところが骨髄移植にあたってドナーによる骨髄の提供が拒まれてしまいます。移植前処理は進行しているため、放射線治療と抗がん剤の投与も余儀なくされますが、その副作用がすさまじいことが記されます。骨髄移植の代替案として、一座不一致の一本しかない臍帯血移植を行うことになりますが、急性GVHD(移植片の宿主に対する免疫学的反応)がおきてしまうのです。

患者の浜山は桐子医師とも、じっくり相談したうえで、病とたたかうことにしたのですが、残念な結果になってしまうのです。浜山は、桐子医師に妻にあてた手紙を託します。妻への思いは切ないですが、自分のいのちを病院の意向によるのではなく、自ら選択したことが伝えられています。

治療方針をめぐる福原副院長と桐子医師の意見は対立し続けます。

福原は、「医学で説明がつかないような劇的な回復を見せる患者。多臓器不全から不死鳥のように蘇った患者。誰もに匙を投げられながら、綺麗さっぱり癌の消えた患者・・・医者である以上、知らないとは言わせない。奇跡はあるんだよ。最後まで諦めずに戦えば、奇跡は起こりうる」と桐子に迫ります。

桐子は答えます。
「奇跡の存在を患者に押し付ける。それがどれだけ残酷なことか、わかっているのか?」
二人の医師の考え方はいつまでも平行線です。

もうひとりの医師、音山の存在が、この作品のキーパーソンになります。
第二章の、大学生のエピソードはさらにつらく悲しい。そして、最終の第三章は医師が進行癌に冒されていたことから、医師たちはさらに悩ましい選択を迫られるのです。

がん手術で入院体験をした我が身にとって、生々しい描写もあり戸惑いながら読み終えました。「死」をめぐる葛藤は、医師のみならず誰にも起こりうる問題です。結論が、出しにくいことを思い知らされる作品です。

sawarabiblog at 15:47│Comments(0)TrackBack(0)

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