2017年05月13日

『家康江戸を建てる』から教えられたこと

cdd1331d.jpg門井慶喜さんの小説『家康江戸を建てる』(祥伝社、2016)を読みました。家康は信長や秀吉に比べて注目度は低いようですが、かなり用意周到な人物だったことにこの連作集を読みながらあらためて思いました。秀吉から与えられた関八州、とりわけ江戸を家康が今日につながる計画都市の基盤をいかにして作り上げたのかに視点を定め、とても面白い読み物になっています。

秀吉から与えられた新領地の代わりに、現在の所領である駿河、遠江、三河、甲斐、信濃と交換させられたのですから、家臣一同は、こぞって反対します。しかし家康はこれをうけいれ、小田原でも鎌倉でもない江戸城を住居に選びます。この江戸を年月かけて、現代につながる大都市に変えたのは、この物語に登場する多くの技術者たちだったことが明らかになります。

第一話「流れを変える」では、伊奈氏が登場します。家康が江戸の地ならしを託したのは伊奈忠次という人物、かつて一向宗門徒の一斉蜂起の際には、あえて鎮圧行動を怠り家康の怒りを買って追放された男でした。しかし武人としてより文官としての生き方を選んだ忠次には、新しい時代を作る為の役割が与えられたのです。それは利根川東遷の端緒を切り開くための事業でした。治水や灌漑、検知、交通網の整備等々、激務に忙殺されて完成に導かれなかった忠次の利根川東遷事業は、次男の忠治に引き継がれます。伊奈忠治は、見沼溜井を作った方ですので、馬場小室山遺跡に集うものの一人としては、すでに馴染み深い存在です。

ところで忠次の長男・熊蔵は、父親の薫陶を受けたものの家康の命で駿府に呼ばれました。それは武門の誉れを与えようとした家康の計らいだったのですが、秀頼との戦いを優先していた家康の意向に応えることができず、34歳という若さで世を去っていました。思いがけず忠治は父親の事業を引き継ぐことになったのです。そして物語は忠治の息子・半左衛門の代に及びます。その時代にはすでに治水から利水を目的としていました。しかし、忠治ともども利根川東遷事業を完成するという目標を、忘れてはいませんでした。完成を待たずに忠治は亡くなりますが、常陸川との合流が実現します。伊奈の家は、そののちも関東郡代をつとめる家となったのでした。

第二話「金貨を延べる」の登場人物は後藤庄三郎ですが、長谷川長安とのやり取りの描写を面白く感じました。家康が関東入国して三年、文禄四年(1595)、後藤家当主の弟、長乗が京から江戸にやってきます。従者として付き従った橋本庄三郎は、二年後長乗が帰洛しても江戸にとどまり大判鋳造の腕前を家康に披露します。しかるに、家康は大判の製造中止を命じました。その命令を伝えた人物は代官頭の長谷川長安、猿楽師の出身と言われ、かなり癖のある人物のようですが、徳川家臣団の重鎮となっていました。庄三郎とのやり取りの描写が面白い。庄三郎は家康の命令を実行すれば、いずれ太閤大判を凌駕することを見ぬきます、これを聞いた長谷川長安は、「いくさじゃ、これは貨幣戦争じゃ」と目を輝かせます。庄三郎は後藤家の養子となることを願い出ますが、屈辱を味あわされます。猶子として一代限りの「後藤庄三郎光次」と名のることのみ許されたのです。いまだ秀吉政権の力が優位だった時代です。しかし秀吉が亡くなり、関が原で天下の様相は一変します。合戦の後、家康の発行した慶長小判は全国流通のものでした。庄三郎がその技術を発揮し、貨幣は信頼できる通貨としての役割を果たす基礎を作ったのでした。

最初の二つの物語のあらすじ、時代背景などを簡単に書いてみましたが、面白さはこの連作集を読むことで堪能できると思います。第三話「飲み水を引く」、第四話「石垣を積む」、第五話「天守を起こす」と続きます。第四話にも長谷川長安が登場しますが、庄三郎と出会ったころとは人変わりして、驕慢の振る舞いがひどい人物として描かれています。長安死後に、遺児たちが死罪になった原因を「放埓さが家康の癇にさわったものと思われる」と断じています。ただし、「21世紀の現在においても長安はその民政官僚としての功績をじゅうぶん評価されているとはいいがたく」とも述べられていることも気になりました。謎の多い人物と言えるようで、興味をそそられました。

sawarabiblog at 13:55│Comments(0)TrackBack(0)

トラックバックURL

コメントする

名前
URL
 
  絵文字