2017年10月31日

須賀しのぶ『また、桜の国で』に学ぶ

494613b2.jpg須賀しのぶさんの『また、桜の国で』(祥伝社、2016)を読み終えました。ずっしりとした手ごたえを感じる力作で、生きることの意味を問い直させてくれました。観光旅行でしたが、2008年にポーランドに行きました。その旅でアウシュビッツを訪ねる機会もあって、大国の狭間で翻弄されたポーランドの歴史を顧みる必要を思い知らされましたが、この作品を読んで、あらためて重要な歴史的出来事を想起させられました。タイトルは、登場人物たちが、圧政とのたたかいの中で培った友情を確かめつつ、生きのびて日本での再会を願い、誓った言葉でした。
主人公の棚倉 慎(まこと)は、日本大使館の外務書記生ですが、当時の大使が実名で登場するので、緊迫した外交関係がリアルに思われます。主人公がなぜ、ここまでポーランドへの思い入れを持ち、生死をかけた行動に結びつけるのだろうか、それほどまで追い込まれたのだろうかという疑問がないではありませんが、ストーリーとして迫力満点です。ワルシャワ蜂起に至るポーランドでの日々は、とりわけ痛ましい歴史的事実を伝えてくれます。

1938年9月30日、ミュンヘン会談によって、ドイツ系住民が多数を占めていたズデーテンをチェコスロバキアからドイツ割譲を承認する報道があった日のことでした。日本大使館に着任するため棚倉がベルリンからワルシャワに向かう列車の中で、後に生涯の友となるヤンとの縁になった事件が起こります。ヤンは、列車内のコンパートメントで同室だった医師と酒の上でのいさかいから、自らがユダヤ人であると名乗ったことで騒ぎになります。SS隊員までが介入してくるのですが、乗り合わせた棚倉はドイツと防共協定を結ぶ日本の大使館員であることを伝え、その医師とSS隊員の怒りを鎮めます。棚倉はヤンを自分のコンパートメントに招き入れ、お互いの身の上話を語ることになるのです。この出だしは、偶然の出会いとしても、かなり都合のいいストーリー展開にも思えますが、見て見ぬふりが出来ないという、棚倉の性分を伝えるシーンです。

慎がポーランドにあこがれることになった理由がありました。それは少年時代のある出会いから生まれました。読者である私たちも、当時の歴史的な背景を知る必要に迫られます。かつて、日本ではいわばポーランドブームとなった出来事があったようです。

1920(大正9)年夏、慎は自宅の庭に潜んでいたポーランドの少年を見つけました。声をかけて、わかったことは、その少年がロシアからやってきて、日本の仏教系の孤児院に預けられていたポーランド孤児の一人だということです。当時のロシアは1917年の革命後の混乱で内戦状態にあり、シベリアにはロシアに祖国を滅ぼされたポーランドの政治犯や内戦の混乱を逃れてきた人たちが多数いて、とりわけ親と死別した子供たちはかなり悲惨な状況にありました。赤十字の求めに応じて、日本政府はその窮状に応え、子供たちを受け入れます。彼らをポーランドに帰国させるまでの有効な手段として、日本には多くの孤児たちが滞在していたのです。

慎と出会ったその少年の名は、カミル。孤児院から脱走してきたことがわかりました。カミルは、大きな秘密をかかえていました。孤児となった理由もその秘密に隠されていました。話を聞いた慎にも、心に秘めた思いがありました。父親がロシア人であることから、容貌が日本人離れしているために、親しいと思っていた友人からも違和感を持たれるという心の傷を持っていました。慎とカミルはお互いの境遇を理解し、秘密を分かち合うことになったのです。

この時期のポーランドですが、1918年の第一次世界大戦の実質的終結によって、独立を回復しました。そして翌年、ヴェルサイユ条約によりポーランド共和国が成立します。二人が出会った1920年から翌年にかけては、ロシア革命後の内戦状態に乗じたともいえるのですが、ポーランドはソビエト=ロシアとの戦争になっていました。

ポーランドの政治状況は、歴史的にも複雑なのですが、大国間の利害に振り回され分断と再生を繰り返していました。『また、桜の国で』の舞台となるのは、ロシア(当時はソ連)とドイツに分断された第2次大戦の時代ですが、独立を失っていた時代はそれ以前にもありました。1830年、パリの7月革命に影響された11月蜂起と称される民族蜂起が起こります。当時のポーランドはロシア皇帝を統治者とする王国で、一定の自治も認められていたのですが、デカブリストの乱以降、皇帝による反動政治が行われていました。そこでロシアによる支配に対抗して、士官候補生から成る秘密結社が決起したのが11月蜂起でした。(渡辺克義『物語 ポーランドの歴史』2017、中公新書 参照)

この蜂起は翌年、ロシア軍に鎮圧され、以後は言語も含めロシア化を強制されることになります。しかし、ポーランドの人びとは、決して自らのアイデンティティを失わなかったのです。周辺国が圧倒的にロシア正教であるのに対して、カトリック国であることも、その証明になるだろうと、記されている箇所は興味深く読みました。ポーランドの人びとの頑迷さともいえる心根が、示されていますね。ちなみに、ショパンの「革命のエチュード」が出版されたのは、この時期だったようです。蜂起の挫折が投影されているとも言われています。

ポーランドを象徴するショパンですが、このエチュードにまつわる、棚倉家のエピソードが綴られる場面が描かれています。慎がポーランドに向かう前の、親子の対話ですが、慎の父親セルゲイは、この曲を聞くと責められる思いになるというのです。セルゲイは植物学者、渡航してきた日本で伴侶を得たのですが、革命によって祖国ロシアに戻れなくなっていました。白系ロシア人を救済する組織で働きながら、家族を優先して、その志を貫けなかったことを悔やんでいます。さらにセルゲイが負い目を感じるのは、ポーランドに対する、ロシア側のむごい仕打ちです。親子の対話は読み応えがありました。

物語は進行します。1938年、慎はワルシャワに赴任してきます。ポーランドはヒトラー・ドイツからの要求と対峙していました。作品にも描かれていますが、グダンスク(ダンツィヒ)のドイツ併合などをはねつけていましたが、こうしたドイツともソ連とも等距離を保つというポーランド外交は、危機に瀕していました。1939年8月31日夜、ポーランドは総動員令をかけますが、時すでに遅く、ついに第二次大戦が幕開けになります。9月1日未明、グダンスク(ダンツィヒ)を親善訪問中のドイツ巡洋艦がポーランド守備隊に発砲、宣戦布告はありません。9月3日、英仏両国がドイツに宣戦布告、しかし両国は静観していました。ポーランドも自らの身で守りぬくしかありません。作品の、英仏両軍に対する辛辣な表現が印象に残ります。

「頼もしきフランス軍は、一度はドイツとの国境を超えたものの、十キロと行かぬうちに砲火を浴び、一発も反撃せずに逃げ帰った。イギリス軍はベルリンの上空に侵入したが、彼らが落としたのは爆弾ではなく、侵攻をやめよと訴えるビラだった。彼らがポーランドと結んだ条約に従って行った軍事支援は、これで全てである。」
 
ワルシャワ蜂起に至るすさまじい戦いの歴史をたどることになります。ポーランドの歴史に深く思いを寄せるとともに、充実した読後感が味わえる作品です。

sawarabiblog at 10:42│Comments(0)

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