2017年11月13日

堀田善衛『路上の人』が伝える中世ヨーロッパ

afaf7a95.jpg入院中にカタリ派を題材にした物語を読みましたが、同じカタリ派を題材にした小説があることに気づきました。30年以上前に堀田義衛さんが書かれた作品『路上の人』(新潮社、1985)です。今日では、読む人も少なくなっていると思いますが、堀田さんが、ピレニーに近いカタルーニャに住まいを移して執筆に取り組んだというほど思い入れのある作品です。滅びし者たちへの敬意を感じることができます。
 
主人公のヨナは北イタリアの高寒な山の中で生まれ、17歳くらいの頃に、生まれた村を出たらしい。彼が育った村の言葉は、どこへ行っても通じず、いつしかヨナは、自らの言葉を持たないと同時に、すべての言葉を持つものになっていました。相手に合わせて話すテクニックを身につけたのです。路上生活者であるヨナは、ヨーロッパ各地を往来する僧侶や騎士の従者となることで暮らしているのですが、少し足を引きずって歩いています。、障害者である振りをするために、左脚を折り曲げていた暮らしをしていた時の後遺症でした。
 

従者の生活は騎士とではなく、僧侶との方が自らの教養も固まり刺激的ではあったようです。しかし僧侶との日々は、時には処刑される危険を伴うものでもありました。なぜなのでしょうか。

ヨナが知ったかぶりの知識でうかつに、「不法なれど有効なり」と言ったり、わざと水を自分にかけて、「これは洗礼でなく、洗濯です」と笑わせるための冗談話をしたりすることは、当時の宗教論争に関わりがあり、異端者として疑われかねないものことだったのです。 話のしめくくりに「心のまずしいもののもたらす笑いは、人の心のしこりを解き、奢れる者の笑いは人を傷つけるのです。」と話したことがその筋にまで伝わり、危険視されるようになります。

ヨナは、懐かしく思い出しました。トレドで客死した一人の僧、フランシスコ会のセギリウスのことです。彼が属する会派が、祖師フランシスコの考えていたのとは違うものに変貌してしまっていることに怒っていたことを、ヨナは覚えていました。もし自分が死んだら、書き綴っていた羊皮紙をローマに届けてもらいたいと、セギリウスは話していたのですが、死んだあとで気づいたことには、小間物箱の底に隠してあったはずのその羊皮紙が消えてしまっていました。ヨナは、セギリウスが毒殺されたのではないかと思いながら、かつて一緒に訪ねたことのあるシトー会のミレトの僧院を再訪しようと思い立ちます。

ヨナは、その僧院に雇われることになりました。僧院の副院長から呼び出されたヨナは、従者であったときにセギリウスの秘密をどれだけ知り得たのかを調べられます。どうにか、話を切り上げることができたものの、ヨナに向けた「好奇の心は、ときとして罪を生む」との副院長の言葉は、ヨナの背筋が寒くさせます。

ヨナは、この僧院で堂々たる偉丈夫の騎士と出会い、従者になるように命じられます。その騎士とは、アントン・マリア・デ・コンコルディア伯爵といい、物語の展開につれて徐々に明らかになってきますが、アルビジョワ十字軍には批判的な人であり、カタリ派の人びととの間を仲介することを、自らの任としているようなのです。

さてその後のヨナの運命は・・・・

モンセギュールの戦いまで続く物語ですが、著者の堀田さんはキリスト教会の現状に対して、かなり辛辣なお考えの持ち主のようです。それは、騎士アントン・マリアの言葉としてしばしば表現されています。例えば、アッシジを評して、「托鉢と労働によって生きる筈のフランチェスコ会の本拠はまるでアラビアのバザールの如きことになっていた。」
であるとか、伯爵の思いが、カタリ派の人たちに語りかける言葉にも表れています。

「山を越えてアラゴンへ行け、迫害はあってもここほどではない。・・・アラゴン王の下でということが望ましくないとあれば、もっと南へ下って、イスラム教徒の支配するコルドバか、グラナダへ行け、もっと寛容である」と言ったのです。

異端審問が制度化されつつあったこの時代の、異端審問官の不寛容は、多少こっけいとも思えることまで行っています。聖別された墓地に埋葬するわけにはいかないという理由で、異端者の墓を掘り起し、遺体を火刑に処するという出来事もあったのです。

また、異端審問の時代への関心が高まってきました。学び続ける必要を感じます。

sawarabiblog at 13:56│Comments(0)

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