2018年01月16日

帚木蓬生『守教』が伝える信仰の姿

791a43bb.jpg帚木蓬生さんの最新作『守教』上下巻(新潮社2017年9月刊)を読みました。キリスト教の受容と迫害の歴史を生活者の視点で描いています。フィクションならではの、生き生きとした会話が楽しめます。人びとが新しい教えの到来に、耳目をそばだてていた様子が丹念に描かれています。物語の中心となるのは300年に及ぶ庄屋の家族の歴史ですが、江戸時代の禁教の時代を潜伏キリシタンとして乗り越え、信仰を守り、そして伝えぬいた事実の重みをじっくりと味わうことができました。

キリスト教伝来によって、生活者には生きる希望と目的が明らかになったという思いが伝わります。象徴する人物は、アルメイダ修道士です。実在の人物が次々に登場しますが、キリスト教はあえて「イエズス教」と名称を変えています。史実とはくいちがいもありますので、虚構の世界といっても、パレレルワールドとして読むと面白いかもしれません。福岡県三井郡大刀洗町にある今村天主堂が建設されている地が、主要な舞台になっていたことがわかりました。今村はキリシタン大名、大友宗麟の領地でした。この作品の中で「大殿」と呼称されていますが、その大殿の夢の実現の一端を担う人物として、一万田右馬助がまず登場します。

平田久米蔵は捨て子です。彼は、アルメイダ修道士が作り上げたミゼルコルディア(慈悲の家)で養育されました。その捨て子を養子として迎えたのが、大殿の家臣である右馬助でした。一万田家はもともと大殿の重臣でしたが、その一族が豊後の領主となった大殿に反逆した際にあって、唯一その誘いに乗らなかったのが右馬助でした。そのため、大殿の信頼は厚かったのです。

実際に、大友宗麟が領主になるにあたっても後継問題の内紛があり、大友宗麟は結果的に勝利できたので、キリスト教信仰に近づく死生観はその時から、芽生えていたのかもしれません。

さて、作品のストーリーに戻りますが、大殿の夢とは、九州一円をイエズス教(キリスト教)の王国とすること、戦乱の時代が終わり、領民が穏やかに暮らせることだというのです。大殿の命によって、右馬助は日田から西に十里の地、筑後領の高橋村の大庄屋として後半生を生きることになります。大殿はザビエル師から授かったという金色の刺繍が施された紺地の絹の布を右馬助に与えた。金色の刺繍は3つの文字であり中央に十字架が描かれているというのですが、イエズス会の紋章のIHSのことでしょうか。

博多の商人、コスメ興善がアルメイダを助け秋月に教会を立てた人物として登場します。アルメイダ修道士はもともと南蛮貿易で財を成した商人でした。コスメ興善から書簡で、アルメイダと筑前国古処山の城主である秋月種実への仲介を、原田善左衛門に依頼します。

秋月氏の始祖は、原田種雄という人で鎌倉将軍から筑前秋月荘を与えられたことを機に秋月氏を名乗ります。作中の原田善左衛門は、祖父の代に商人となったという設定です。善左衛門は秋月の忠臣、板井源四郎に種実への取り次ぎを依頼します。そして、アルメイダ修道士が種実の城中で説教をすることができたのです。「人間はデウスと言う神から創られ、神のように正しい振る舞いをしてこそ、その霊魂は生き続けるのだ」という教えを善左衛門も聞きました。この教えは、病弱なコスメ興善が、いつも笑顔を忘れず、死を恐れない態度の信仰心のよりどころではないかと善左衛門は思い至るのです。

大庄屋となった右馬助は、高橋組の村々にイエズスの王国を築こうと働きます。かつて、いくさで百姓から種もみを奪ったことを、悔いるのです。村々をまわる右馬助と平蔵の前に、アルメイダ修道士が現われます。ヴィヴァ・ローダ(生ける車輪)と称されるほどの、アルメイダの健脚ぶりを伝えていることは、興味をそそられます。大庄屋の一家全員が洗礼を受けることになります。右馬助はフランシスコ、妻の麻はカテリナ、久米蔵はトマスの洗礼名を授かると共に、ロザリオの祈りも教えられたのでした。

さらに数か月後、アルメイダは高橋村に再びやってきたときは、トレス神父に代わり新たに布教長となったカブラル神父、およびクラスト修道士を伴っていました。夕餉の際、神父は畳に座れないので、腰掛を用意した箸も使えず、自ら用意したスプーン、フォーク、ナイフを使って食事をしたと書かれています。アルメイダの行動と対比しながら記述されているのですが、作者の帚木さんはこの場面でカブラル神父の尊大さを表現したかったようです。翌日のミサには多くの村人が、自作のロザリオを手に持ち集まってきます。神父は、自らの人生と行いをデウス・イエズスの教えに添うようにと説きます。20人を超える村人が洗礼を受け、使徒信経、主の祈り、天使祝詞が唱えられます。ファチマの聖母の祈りも伝えられたということになっていますが、聖母の出現は今から100年前の出来事ですので、この記述は勇み足のように思います。

さらに数年後、カブラル神父は、アルメイダ修道士、モンテ神父と共に高橋村を再訪します。モンテ神父から大殿の近況が知らされます。正室の奈多夫人の権勢が高まり、大殿との確執が明らかになっていた。『日本史』を書いたフロイスですが、奈多夫人を「イザベル」と呼んでいます。旧約聖書・列王記に登場するイスラエルの王アハブの王妃で預言者エリアを迫害した女性に、なぞらえているわけです。

モンテ神父がミサの司式をし、拙いながら日本語による説教をします。新たな受洗者が名乗り出てきたので、用意した竹筒の水に指を浸して神父が洗礼を授け、「コンタツ」をしましょうと呼びかけるのですが、村人たちの大半がすでに祈りの言葉を覚えていたのでした。なお、「コンタツ」については、「ロザリオを繰りながら祈るしぐさ」と書かれていますが、一般的には信心具であるロザリオのことをさしますが、この作品では祈りをも表現しているようです。

3人の聖職者を秋月に送った久米蔵は原田善左衛門に伴われ、博多まで出向きます。博多の教会はかつて焼き討ちされていまだ再建されていない状態でした。博多からの帰り道、カブラル神父について、アルメイダ修道士の不満を聞きます。カブラル神父は日本人が同宿から修道士になることに反対だというのです。日本人神父の誕生は少し先になります。

博多の教会が再建された天正3年(1575)にフィゲイレド神父が、さらに天正6年(1578)にはモウラ神父が高橋村を訪れます。そしてミサには500人近くの村人が集まり、大庄屋の屋敷はまるで教会のようだったと表現されています。信仰の実りのある時代が、生き生きと描かれているのです。

その後、日田からの親書でカブラル神父により大殿が受洗したことを知ります。しかし、大友氏はこの年、耳川の戦いで島津氏に追い詰められ敗戦、大友宗麟も務志賀の本陣を引き払い豊後へ陸路で敗走したという史実が示していることは、その後の信徒たちの受難を予告しているかもしれません。

この物語はさらに続きます。浦上四番崩れの時代まで描かれていますが、右馬助の時代から数世代に及び、信仰を守り伝えた歴史の重みをあらためて感じました。

sawarabiblog at 19:24│Comments(0)

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