2018年02月09日

唯川恵『淳子のてっぺん』に感動

bd19fe52.jpg「田部井淳子さんをモデルに書き上げた、渾身の長篇小説」というキャッチコピーを目に留め、唯川恵さんの『淳子のてっぺん』(幻冬舎、2017)を一気に読みました。

女性初のエベレスト登頂で著名な田部井さんの、幼少時からの足跡をたどっています。海外遠征に女性だけのパーティで挑みますが、互いの嫉妬感情なども困難をきわめた出来事も赤裸々に描かれていました。実在の人物なので、書きにくいこともあったかと思うのですが、あまり脚色めいたところも感じられず、すがすがしい思いが残ったのは、モデルとなった田部井さんご夫妻の人柄そのものの反映なのでしょう。

「東北の高校生の富士登山」の一場面を描写したプロローグは印象的です。昨年12月に、NHKで「田部井淳子 人生のしまいかた」という番組の放映があり、高校生を励ます田部井さんの姿も映されていましたので、イメージしやすかったこともあり、興味に拍車をかけけてくれました。

作品では作品では石坂順子→田名部淳子として登場しますが、「病気になっても病人にはならない。」という気持ちで富士登山に臨んでいます。ガン宣告を受けて、一度はうろたえ、絶望感に包まれたものの、おたおたした自分の気持ちを立て直し、「この年まで好きに山に登って来たではないか。思い切り生きてきたではないか。」と応援いただいている人々の思いをも乗せて、富士登山プロジェクトの成功に願いをかけます。

女の子が一人、登山道から外れて岩に腰かけているのをみつけて、淳子は声をかけます。どうやら軽い高山病の様子です。深呼吸し、水を飲ませ、話してみるのです。震災の体験を話しながらてうちとけたその女の子は、淳子に「なぜ病気なのに苦しい思いをして山に登るんですか」と問いかけます。答えを自分自身で探って欲しいと考えた淳子は、その女の子に富士登山に参加した目的を問い返します。「もしかしたら自分が買われるかもしれないって思ったんです。」という答えを引き出します。淳子の伝えたのは「踏み出すその一歩が、生きてる証なんだから」という言葉です。

フィクションを交えていますが、淳子さんの、人生の歩みが語られます。子供の頃から活発で負けず嫌いの淳子は、幼馴染の勇太が登った岩にかじりつき落ちてしまいます。幸いにも大事には至らなかったものの、「女のくせにあんな岩に登るなんてどうかしてる」とからかわれるほどでした。夏休み、担任の先生が提案した一泊二日の那須岳登山に参加した淳子は、登山の魅力に開眼します。先生は、世界でいちばん高い山を教えてくれます。当時は前人未踏だったエベレスト(標高8848メートル)にヒラリー隊が発登頂に成功したのは淳子14歳、1953年の出来事でした。

大学生になった淳子に訃報が届きます。印刷業を営む父親の急逝です。東京生活で御岳山に登ったことがきっかけで山の魅力に引き寄せられた淳子は、故郷で淳子の帰郷をのぞむ母への思いを振り切り東京で就職します。そして母が期待していた帰郷を裏切ったばかりでなく、週末は山登りの日々という、心配性の母が聞いたら卒倒しかねない生活をし始めていました。山の魅力は、そのうしろめたさを超えていたのでした。山岳仲間は男ばかりの世界でした。居心地の悪い思いを経て退会したこともあり、別の登山仲間とも出会います。それが同士のパートナーとなる「マリエ」でした。偶然に、「サスケ」と呼ばれていた名物山屋との出会い、いつしか人生のパートナーになっていきました。田名部正之は高校生の頃結核性カリエスに罹り、当時は歩けなかったという。病と闘いながら登山できる喜びを味わうという人生にいつしか、淳子の何かが共振したようです。

そしていよいよ海外遠征のお話しへとつながってきます。最初に挑戦したのは夫の正之さん、モデルの田部井正伸さんは本田技研にお勤めだったようで、本田宗一郎の心意気を感じさせてくれる場面も登場しています。長期休暇を申請した、正之に「そんなに好きなら行って来い。好きなことがあるから、仕事も頑張れるんだ。」とオヤジさんとよばれる社長はキップの良さを見せてくれています。

次にチャンスが巡ってきたのは、淳子です。最初の目標はアンナプルナでした。ところが、この海外遠征は世間の無理解による資金集めの困難ばかりではなく、女性隊員同士の嫉妬から生じるもめごとから、一部の隊員が脱落するなど苦労が絶えなかったのです。山に登ることの、むずかしさは意外なところにあったのでした。女性同士のやり取りは、思いのほか激しいものです。それだけ登頂することは、プライドをかけた戦いだったとも言えるのでしょう。

ハイライトはエベレストですが、タイトルの『淳子のてっぺん』の意味は意外なところにありました。それは、読んでのお楽しみです。

田部井淳子さんが遺された著作から引用します。

「エベレスト当時のことを私は今も克明に覚えている。・・・・・シェルパたちも本当によくやってくれた。雪崩で酸素や食糧などが少なくなっても、最後のアタック隊を出そうと全員が力を出し合ったその努力のおかげで、私は8500メートルという最終テントにいたのだ。降りてゆくシェルパ一人ひとりに私は本当にありがとうと心から感謝した。」(『再発!それでもわたしは山にのぼる』文藝春秋、2016 より)

sawarabiblog at 13:57│Comments(0)

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