2018年03月08日

中島京子さんの短編集『ゴースト』から戦争を考える

808caa51.jpg昨年(2017年)は、大腸がんの手術後の体調管理を気遣いながらの日々を過ごしました。現在もなお、手術の後遺症はありますが、比較的元気に過ごせています。飼い犬がいることで、朝夕2回の散歩を日課にしているので引きこもりになることは、避けられています。とはいえ、外出機会は手術前よりは減っています。多少、読書の機会が増えたかもしれません。

中島京子さんの短編集『ゴースト』(朝日新聞出版、2017)を読みましたが、さわやかな読後感が楽しめる作品群でした。「きららの紙飛行機」という作品を、例にしましょう。

幽霊のケンタは、自分がこの世に現れることができるのが、いつなのか自分ではわからないのですが、出現したあるとき自分の姿を見ることができた一人の女の子と出会います。それは、育児放棄した母親から、わずかな小遣いをもらって生き延びていた少女でした。ケンタは、その少女に向かって思いっきり仁義を切ります。「お控えなすって!手前生国と発しますは、東京でござんす。東京は神田でござんす。・・・」ここから、二人のたった一日だけの交流が始まります。紙飛行機はキャラメルの紙を器用に折って、ケンタが作って飛ばします。女の子にも作り方を教えます。

味わいは、作品そのものにありますが、石井光大さんの『浮浪児1945-戦争が生んだ子供たち』(新潮社、2014)がノンフィクションとして描いた時代を、ちょっと切ないおとぎ話として色付けしてくれました。

ちなみに石井光大さんの本で、戦後の混乱期に「浮浪児」としてしか生きることができなかった戦争孤児の姿が見えてきます。上野駅の地下道に、生活拠点としたのは1945年3月の東京大空襲だったとのこと、彼らが上野で生きられたのは、炊き出しもあったけれど、親族を探しに食糧を携えてやってきた人々が分け与えた食べ物が、有効に活用されたことがわかります。

もう一篇、「亡霊たち」という作品の主人公である千夏の曽祖父はフィリピンへの出征経験があり、あるときから「リョウユー」と会ってくるようになります。千夏は、母から曾祖父戦地でマラリヤにかかった身体で終戦の年の冬に帰国したことを知らされます。その曾祖父が亡くなってから、千夏は、大岡昇平の『レイテ戦記』などを読んで、日本が戦争をしていた時代のことを勉強します。そして、曾祖父が「リョウユー」と会っていたとき、どんな気持ちだったのかを想像してみます。いつの間にか、千夏にも「リョウユー」が見えるようになります。・・・・ここまでは、戦争の追体験のような切なさが残りますが、ぞっとさせられるのは、現代社会の景色がさりげなく描かれている場面です。「リョーユー」たちと同じ服装をした人たちが、外国人を追い出せと話しています。この人たちはおじいちゃんのいっていた「リョーユー」ではなく、「亡霊」なのかもしれないと千夏は思います。

戦争体験を引き継ぐというテーマこそ、現代社会にとって重要なのだを感じさせられます。

戦争の体験をベースにした作品として感銘を受けたのは、浅田次郎『帰郷』(集英社、2016)という短編集も同様です。戦争にまつわるさまざまな人生模様が描かれていて、心に刻まれる作品群でした。

例えば、「鉄の沈黙」という作品です。清田吾市は、野戦高射砲を修理の命令を受け、途中で魚雷艇に出くわしながらも船舶工兵によってニューギニアの瓢箪岬という前線砲兵陣地に送り届けられた。師団の主力部隊はすでに転進しており、この砲兵陣地は敵の追撃を阻止するためにだけ残されており、連日の空爆にさらされていた。吾市は大阪の造兵廠に勤務していた技術者であり、故障の原因を突き止め、高射砲は再び作動する。分隊長の青木軍曹は、修理の済んだ吾市に陣地を去るように命ずるのですが、吾市は、陣地に残って戦うことを選択するのでした。その思いは、こうです。

「大工や左官や、旋盤工や自転車屋が、工場で造った砲をこんなに大切にしてくれているのに、工場からの給金で養われ、大学の工学部まで進ませてもらった専門技術者が、砲に背を向けて立ち去ることなどできるはずはなかった。」

いのちを懸けて吾一が高射砲を修理する行為は、その結果が見えているだけに悲しいですが、空しいと思うこともできません。

sawarabiblog at 17:29│Comments(0)

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