2018年04月04日

窪 美澄『やめるときも、すこやかなるときも』を読んで

3da58904.jpg入院前のことなのですが、図書館で窪 美澄さんの『やめるときも、すこやかなるときも』(集英社、2017)を借りてきました。何気なくタイトルに惹かれて手に取ったのですが、一気に読んでしまいました。

主人公である二人の出会いは、結婚式のパーティーの会場でした。少々、女癖のわるい須藤壱晴は、深酒が過ぎたのか記憶が定かでないままその翌朝、女性を自宅に連れ込んだことに気づきます。彼には一緒に寝ている女性の身体を、親指と人差し指を使って測る癖があって、この日も自然とそうしていました。壱晴は寝ている女性をそのままに、仕事場に向かいます。彼は家具職人、師匠から譲り受けた工房で作業をしています。この女性がもう一人の主人公です。物話は、交互にそれぞれの思いが交錯しながら進行します。

そして翌日、仕事場に訪ねてきた女性は個展のパンフレットの製作を依頼した会社の営業担当者、本橋桜子が訪れます。壱晴は全く気付いていませんでしたが、偶然にも桜子は一昨日、自宅で寝ていた女性だったのでした。彼女の脚の付け根から膝の裏まで、そして膝の裏からかかとまで指で長さを測ったことを思い出します。彼女をイメージして椅子を作るのなら素材は無垢の木だろうと思うのです。

少し品性を描く人物かなと思いきや、実は、壱晴は毎年、身体に不思議な症状があらわれるのです。「記念日反応」と名付けられているようですが、それは特定の時期に起こります。今年は、桜子と話している最中にそれが起こってしまったのでした。

物語では、お互いの人生が、その歩みの中で何らかの傷みを伴っていることに気づき、ましかしたら、単なる行きがかりかと思われるほど、一種の勢いを伴って結婚を前提にした付き合いが始,里任后

壱晴が毎年声を出せなくなったのには、どんな体験が起因になっているのでしょう。

桜子は声が出ないという症状は、ストレスや心的外傷で起こることを知ります。桜子はいまの自分の家庭環境を受け入れています。経営する会社が倒産してから父親は暴力をふるう存在になり、桜子は家計を支えるための勤めを続けなくてはならない。急に声が出なくなった壱晴のことが気になります。

出会ったきっかけは、特に桜子にとっては二度と会いたいとは思えないような関係性と思えますが、偶然とはいえ仕事の付き合いがこの関係を、真摯なものへと少しづつ変えてくれます。実人生で、このようにうまく進むとは思えませんが、お互いの痛みを慰め合いでもなく、寄り添える関係になっていけることが、関係性の構築にとってひとつの分岐点になるのかな、と思いました。嫌な思いを感じさせることなく、最後まで読み通せました。

sawarabiblog at 16:39│Comments(0)

コメントする

名前
 
  絵文字