2018年06月16日

『万引き家族』が描いた現実

4e2ca44d.jpg話題作『万引き家族』を見ました。

街角のスーパーで、連係プレーで万引きをした親子(治と翔太)が、その帰り道でコロッケを買って歩いていると、団地の1階の廊下で小さな女の子が、凍えているのを見つけます。女の子に声をかけると、二人の誘いに従って、着いてきます。家には祖母の初枝、治の妻の信代、信代の妹の亜紀が暮らしていました。信代は「もう少し金の匂いのするもん拾ってきなよ」といいながら、女の子にうどんを差し出します。女の子の腕にはやけどのあと、腹にもいくつもの傷やあざが見つかりました。治と信代は、このままでは誘拐になるからと団地に女の子を返し向かいますが、両親が喧嘩していて「産みたくて産んだわけじゃない」と母親のわめきを聞くと、置いていくわけにもいかず。結局、連れ帰ることにしました。

女の子の両親は児童相談所には子供を「親戚の家に預けた」とうそをついていたため、しばらくは発覚しなかった「誘拐」でしたが、事件として報道されると、家族は女の子の髪を切り「りん」と名付けます。「りん」も新たに生きることを選ぶのです。

先日、目黒区での幼児虐待死事件が報道されたばかりでしたので、余計に切実な思いにかられました。ほのぼのとした日常生活を過ごしている日々ですが、同じ日本の片隅にこのような悲劇があることを、忘れることができません。

亜紀はマジックミラー越しに接客するJK見学店で働いていますが、一人の常連客と共鳴するものを感じ、密かに交流をしています。何らかの傷を持つもの同士が響きあう関係ですが、常連客は言葉を発しないのです。そこに安心感があるのかもしれません。亜紀の傷は詳しくは語られませんが、癒されるのは常連客との静かな時間なのだと知らされます。

この家族には血縁関係はなく、利害で結ばれていることが後半に明らかにされます。単なる犯罪者集団であるとみなしてしまえば、嫌悪感しか生じないことになってしまいますが、現実社会が生み出した疑似家族であることを、直視する必要がありそうです。

祖母の死を秘匿して、年金受給を継続した行為や、逮捕された治を見捨てて逃げ出そうとした行動は、「本当の家族」だったら、あり得ないと感ずるかもしれません。しかし、本当の血縁同だからといって金銭を巡る争いは避けられないもので、そうした事例に事欠きません。決して、他人事と言って笑ってみることもできないと思うのです。

虐待されていた女の子が映し出された、ラストシーンの意味するものは何でしょうか。

映画は、日常生活の一日であるテレビドラマとは全く違う影響を与えてくれるものだと思います。観ることを選択することから、始まるので多少先入観はありますが、あらすじを伝えることでは決して伝わらない、心の芯に働きかけてくれるものを感じ取ることができるのです。すべての作品がそうであるとは言えませんが、この作品「万引き家族」は、余韻が長く残ります。

いや、テレビドラマにも秀作がありました。血のつながっていない家族を描いたものとして坂元裕二さん脚本の近作、『anone』と『カルテット』がありました。心の響きあうことで、「家族」という「共同体」が築かれるということに、気づかせてくれる作品だったことを思い出しました。

sawarabiblog at 22:08│Comments(0)

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