カルラトリオの 2nd アルバム『龍との約束』はレコーディング当初(2020年2月)、まだ続いていたコロナ禍が終わることを見込んで若干リリースするタイミングを遅らせたつもりでしたが、まさかここまでコロナ禍が長引くことになるとは全く予測できませんでした。そのためリリース後もなかなか人前で演奏する機会を作ることができずに一年半弱が経過してしまっていたのですが、ようやく昨年末の横浜(モア・ハーモニー)でのミニライブと先週の都内(用賀:キンのツボ)におけるライブで 2nd アルバムの楽曲を存分に披露することができました。これでこれらの楽曲がやっと自分らの手から離れたと言いますか、まるで成仏させたかのような感覚が湧いてきまして、バンドとしても次のステージに向かえそうだなと安堵しているところです。前回の 1st アルバムの時もそうでしたが、これを機にライナーノーツをこちらのブログに転載して一つの区切りにしたいと思います。
図らずもこの『龍との約束』と題したアルバム中の一連の楽曲は、近年僕が抱いた自然への「畏怖」を原動力にして書かれた曲ばかりです。私たちはまだ自然のごく一部しか理解できていません。科学が進歩し、文明が発達し、生活が急速に便利になった今こそ、謙虚に自然と向き合い、正しく畏れ敬い、感謝する必要があるのではないでしょうか。そしてそれが大いなる存在と人間との真の意味での「共生」に繋がることだと僕は思います。
少し話が大袈裟になりましたが、この美しく素晴らしい自然をみんなで大切にして暮らしていきましょうね。
焔(ほむら)・・・ある御堂で仏像を拝観していた折、ふと古い壁板に描かれた不動明王の絵に気づきました。近づいて見ると背炎の中に鳥のような顔が見えます。「確かこれは迦楼羅さまのお顔でしたか?」と地元保存会の人に訊くと「はい、そうです。迦楼羅焔(かるらえん)です。不浄なものを焼き清めてくれる火だそうです。」暫くその燃え揺らぐ焔の中の鋭い眼を見つめていた僕は次第に畏怖の念が沸き起こるのを覚え、帰宅してすぐにこの曲を書き始めました。
海と蜉蝣・・・蜉蝣(かげろう)は最後の脱皮で成虫になると口が退化し、ほぼ一日で交尾を果たし命を全うするのだそうです。そのため雌の腹の中は食べ物の入る隙もなく卵で満たされていると。か細く小さな蜉蝣の身体の中も卵たちにとっては母なる海でありましょう。優しく包まれながら聴いていた母の鼓動。それは生きとし生けるもの全てに受け継がれてきた遥かなる生命の記憶。
龍との約束・・・ある物語のプロローグ 〜 愛するものを守れ。森を守れ。水を守れ。土を穢すな。火を放つな。欲に溺れるな。過信するな。耳を傾けよ。正直に生きよ。己を大切にせよ。これらの戒めを守ればこれから起こりうる幾多の苦難から私たちを守ってくれると。それが私たちが守り伝えてきた龍との約束なのです。 〜
醪(もろみ)・・・一昨年までの3年間、自宅の軒下で自家製の醤油を作っていました。春に友人夫婦と共同で醪を大きな樽に仕込み、様子を見ながら天地返しを繰り返し、冬に搾り師さんをお呼びして搾っていただきました。天地返しの度に変化していった味と香り。そして搾りたての醤油の旨味が口の中に広がったとき、樽の中の微生物たちがこの世に生まれてきた喜びを謳歌する姿が目に浮かびました。私たちは微生物の多様で不思議な力の恩恵を受けています。
オケラ節・・・幼少の頃、大好きな絵本の中にオケラが出てきました。土に潜れて川を泳げて空も飛べてしまうスーパーマンのような虫。当時は野原や公園で一生懸命探しましたが結局オケラには出会えずそのままに。ところが四十路手前で就農して暫く経ったある日、耕していた畑の土からオケラがピョンと飛び出て初のご対面。あまりの嬉しさにオケラと一緒に腕をシャカシャカさせながら危うく僕まで土に潜るところでしたが、そうなったらなったで "オッケーら !?"
草むしり・・・里芋の草むしりをしているときに浮かんだ曲。隣のベテラン農家さんが「米は一年に一回しか作らないから中々上手にならねぇよ」とぼやくのをその時は笑って聞いておりましたが、考えてみれば自分がこの里芋を育てるのも残りの人生であと20数回かもなぁと。毎年同じように育てているつもりでも自然相手なものですから決して同じように穫れるとは限りません。それでも人はお天道様に頼りながら、土を耕し、種を蒔き、草をむしり、稔りを待ち、恵みを分け与えていただくのです。今僕の目の前に広がっているこの田畑の光景が続くかぎり。
https://karuratrio.wixsite.com/japanese-jazz/cd
図らずもこの『龍との約束』と題したアルバム中の一連の楽曲は、近年僕が抱いた自然への「畏怖」を原動力にして書かれた曲ばかりです。私たちはまだ自然のごく一部しか理解できていません。科学が進歩し、文明が発達し、生活が急速に便利になった今こそ、謙虚に自然と向き合い、正しく畏れ敬い、感謝する必要があるのではないでしょうか。そしてそれが大いなる存在と人間との真の意味での「共生」に繋がることだと僕は思います。
少し話が大袈裟になりましたが、この美しく素晴らしい自然をみんなで大切にして暮らしていきましょうね。
焔(ほむら)・・・ある御堂で仏像を拝観していた折、ふと古い壁板に描かれた不動明王の絵に気づきました。近づいて見ると背炎の中に鳥のような顔が見えます。「確かこれは迦楼羅さまのお顔でしたか?」と地元保存会の人に訊くと「はい、そうです。迦楼羅焔(かるらえん)です。不浄なものを焼き清めてくれる火だそうです。」暫くその燃え揺らぐ焔の中の鋭い眼を見つめていた僕は次第に畏怖の念が沸き起こるのを覚え、帰宅してすぐにこの曲を書き始めました。
海と蜉蝣・・・蜉蝣(かげろう)は最後の脱皮で成虫になると口が退化し、ほぼ一日で交尾を果たし命を全うするのだそうです。そのため雌の腹の中は食べ物の入る隙もなく卵で満たされていると。か細く小さな蜉蝣の身体の中も卵たちにとっては母なる海でありましょう。優しく包まれながら聴いていた母の鼓動。それは生きとし生けるもの全てに受け継がれてきた遥かなる生命の記憶。
龍との約束・・・ある物語のプロローグ 〜 愛するものを守れ。森を守れ。水を守れ。土を穢すな。火を放つな。欲に溺れるな。過信するな。耳を傾けよ。正直に生きよ。己を大切にせよ。これらの戒めを守ればこれから起こりうる幾多の苦難から私たちを守ってくれると。それが私たちが守り伝えてきた龍との約束なのです。 〜
醪(もろみ)・・・一昨年までの3年間、自宅の軒下で自家製の醤油を作っていました。春に友人夫婦と共同で醪を大きな樽に仕込み、様子を見ながら天地返しを繰り返し、冬に搾り師さんをお呼びして搾っていただきました。天地返しの度に変化していった味と香り。そして搾りたての醤油の旨味が口の中に広がったとき、樽の中の微生物たちがこの世に生まれてきた喜びを謳歌する姿が目に浮かびました。私たちは微生物の多様で不思議な力の恩恵を受けています。
オケラ節・・・幼少の頃、大好きな絵本の中にオケラが出てきました。土に潜れて川を泳げて空も飛べてしまうスーパーマンのような虫。当時は野原や公園で一生懸命探しましたが結局オケラには出会えずそのままに。ところが四十路手前で就農して暫く経ったある日、耕していた畑の土からオケラがピョンと飛び出て初のご対面。あまりの嬉しさにオケラと一緒に腕をシャカシャカさせながら危うく僕まで土に潜るところでしたが、そうなったらなったで "オッケーら !?"
草むしり・・・里芋の草むしりをしているときに浮かんだ曲。隣のベテラン農家さんが「米は一年に一回しか作らないから中々上手にならねぇよ」とぼやくのをその時は笑って聞いておりましたが、考えてみれば自分がこの里芋を育てるのも残りの人生であと20数回かもなぁと。毎年同じように育てているつもりでも自然相手なものですから決して同じように穫れるとは限りません。それでも人はお天道様に頼りながら、土を耕し、種を蒔き、草をむしり、稔りを待ち、恵みを分け与えていただくのです。今僕の目の前に広がっているこの田畑の光景が続くかぎり。
https://karuratrio.wixsite.com/japanese-jazz/cd