sayabycolor

どんな私も、どんな未来も、さやいろ。

ひとは、自分がされたことしかできないけれど、ひとは、自分がしてもらえたことを返していけるのだから。悲しさを感じられる今日に感謝する。

7月。

自分がいちばん苦しかった去年の夏、
苦しめてしまったあのひとに謝りたい。

許してもらえるかどうかじゃなくて
ようやく季節は反転して
前を向けても
感覚だけふわっと残って
結局、聴かれたことも、
答えられなかった。




過去は幻影だけ残すけど
もうその言葉を受け止めるほどの大きさも
キャプションも、空気も、フレーミングも、
忘れられたらいいのに、
記憶はいつだって残酷だ。




いまじゃないから、綺麗だけど
いまも、また綺麗に映る景色もスクリーンも
例えば、五感の通りなんだな。








もう、何言ってるかよくわからない。
もう一度、答えを、感じたい。


求めてばかりなのは、
彼が言った通り、自分を好きだから。
なにも感じないあのひとを傷つけたい。

それでも、好きになるのも
付き合うのもいつもあんなひとばかりだ。

12年前のワールドカップ決勝、そういえばここで見ていた。

変わらずいられる場所が、心地よくてありがたい。
こんなつながり、ありがたい。


変わらないものも多いけれど、
きっと変わったことのほうが多くて、

いつも変わりたいと切望していた時代も、
いまもそう変わりないけれど
変わらない関係が、ありがたい。





いつかあんな風になりたい。

過去しか振り返らないのは、今を伝えてしまうのが危ないのをもう痛いくらい気づいているから。

昔、好きなひとに言われた。









「足りないんじゃなくて、多すぎるんだよ。」



いつも足りないものばかり求める私は
結局そのひとと付き合えなかった。

どうして付き合えなかったひとの記憶って
こんなに鮮やかなんだろう。

彼氏になるとわすれるのに。
わすれられるのに。
新しい恋をすればわすれるのに。









そうだな、そんなとこが好きだった。

ひとはいつでも自分にないものを求めて
そう、あたしは、それだけは持っているから、
そう、ないものを求めているんだな。

そうゆう、キミを好きだった。
そうだ。


それが、才能だった。キミの才能だった。

あたしは、それが欲しかったのにな。




ちょっと前に、友だちに言われた。
「さやかって本質的に恋愛いらないよな。」


もうね〜意味が分からなかった。
こんな恋愛体質のあたしのどこに、
恋愛が必要ないのだ!!!!!と。

結局、そういうことなんだよね。
自分に足りないものを求めることと
そのひとを好きなのはちがうような
結局、自分が、そのひとになりたい。

自分を好きな人を、好きになる。
あたしになんて興味も持ってくれないひと。

だから、好きなのかも。
好きだったのかも。

似てたから、弱かったから、好きだった。


愛を持って、捨てられるもの、
愛しているから、捨てられるもの。

思い出だけじゃ生きてなんて行けないのに
いつも私は過去に生きている。
いつ今を生きられるようになるんだろう。


愛しているよ  だから捨てる
優しい場所も  君の声も




人は悲しみが多いほど人には優しくなれるって本当ですか。悲しさばかりの今日に明日はありますか。

この間検査のためにCTを撮ったら
脳が驚くほど綺麗だった。

この脳のどこに、傷つき悲しみばかり感じてしまう
懲罰的思考回路が組み込まれているのかと思うくらい













・・・悲しい。




また、あんな日もあったと思える日が来るまで
悲しみよりも幸せを感じられる
まだあるものに今日も感謝する。

帆と風と「さやか」のゆくえ

編み終えてから、ひも解きたくなった。




父は私に、読んでいた本の小説家の娘の名前を名付けたらしい。
母は学生時代、辞書が愛読書だったらしい。



果たしてそんな両親の娘がどうしてこんなにも
怜悧さだけもらい忘れてしまったものか。。
生かされたふたりへのコンプレックスで
殺されてしまうのではないかと思うことが多々ある。


盛夏が尋常な暑さではなかった代わりに
もう夏というには少し時節遅れの夏休みに、
私の名前の由来を求めて四国に旅立った。
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「恩讐の彼方にだったか、父帰るだったか
定かではないが菊池寛の娘の名前」が名付けの所以だったと知ったのは
たしか去年のこと。
高松の知人に事情を説明すると嬉々として、
菊池寛記念館に連れて行ってくださった。

ついに、待ち望んでいた瞬間がくるはずだった。
あまりにも音が美しくて決めたというその"さやか"
このどこにその回顧資料が展示されているのだろうと
胸が踊る想いで館内を一歩、また一歩冒険する。




目の前に飛び込んできた家系図に、
さやかの文字はなかった。

一緒に来てくださった初老のご夫婦の手前
落胆する表情も見せる訳にもいかず
学芸員の方に伺ってみると
ヒロインのお名前やも知れないので
追って連絡をいただけるという約束で
高松を後にした。




風が代わり、あんなに強く眩しかった日射しは
穏やかに晩秋を告げていた。
目の前には純白の寒椿と薄紅の御会式桜が咲いていた。

ポストに届いたくすんだ鼠色の封筒を開く。
卒業論文かと見間違うほどの厚い資料には
出版物としての刊行すべて当たったが
”さやか”という人物は所在しなかった旨が記されていた。






果たして、、、
父はなにを読んでこの名前を名付けてくれたのだろうか。

結局、答えは見つからず迷宮に吸い込まれた。

父親が漢字、母がカタカナ、娘がひらがなでは 
あべこべだろうと
さやけしと広辞苑を引き、与えてくれた漢字は
未だにどこかコンプレックスで暗く陰を落としていると錯覚するほどの
人生には到底追いつかない。

だから、人と会うときには
どんなにつらくても"明るく"振る舞わなくてはならないという
強迫観念にも似たものを背負う。


いつかふと引き寄せられるように
この名前が解かれる日がくるのだろうか。

そんなことを考えながら
読み終えた作品は温かかった。

自分の名前の由来を知らないと笑ったそのひとの言葉を、
いつか今が甘い思い出になった頃
私もあのひとと同じように誰かに伝えるのだろう。







舟を編む がすごい好きだった。
もう知ってると思うけれど。
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