春風の旅

1983年佐賀県生まれ。酵素玄米と重ね煮ごはん。時々干し野菜、猫との暮らし、自転車、お散歩、空、川、絵本、妖怪。 特技は、なんでもないことを意味ありげに言うこと。読んでもつまらないであろう日記の数々。

体調が少し戻ってきた気もするけれど、
低調なまま安定してしまっている感じが否めない。

エネルギーが沸いてこないこのかんじ、うむむむむ。

昨夜、遠くに住む友達と電話した。
すごく久しぶりに話したので、近況報告することがありすぎて、長電話になった。

そのなかで、友達が「文章を書くと、どの視点から物事を見るか(書くか)で、全然違う出来事になっちゃうね」という話をした。

本当に、その通りだねぇ。

出来事を決めるのは、①本人による視点と解釈、②切り取りポイント じゃないかしらね。


①視点と解釈
事実はひとつしかないというけれど、
解釈は星の数ほどある。

事実を事実のままに見ることが出来たら、その人はいつもフラットな気持ちなのだろうけれど、
それじゃぁなんとなく味気ないと私は思う。
事実にその人自身の解釈や意味づけが加わり、喜怒哀楽の濃淡が出てこそ、彩りある人生といえよう。

人は、過去の事実を重ねて生きていくのではなくて、自分のフィルターを通した解釈を重ねて生きている。

だから、実は自分が思う過去っていかようにも変えられて、変幻自在なのだと思っている。
過去を決めるのは、今。
今に集中して、自分をハッピーにしていれば、自分の物語は大きく変わる。
そう思う。

②切り取りポイント
いろんな切り取り方があるんだろうけれど、時間軸での切り取りポイントも大事。
すごく悲しいことがあったあとは、「悲しい出来事があった」ということになるけれど、
例えば1年後にその出来事のおかげですばらしいことがあったとしたら、それは
「あの出来事のおかげ様で~~~」っていうお話になる。
当たり前のことだけれど、いつの時点でそれを語るのかで、全然違う。

人生って、最後の結末は「死ぬ」っていう事実でしかない。
そこに至るまでは全部途中であって、結果が出たような気がしているだけ。
全てのストーリーはまだ終わっていないから、今何か抱えていたとしても、続編を楽しみにしつつ今を楽しんでいればいいのだと思う。


てな感じで、「昨夜、友達と長電話した」ってことを、なんかいいこと話したみたいに切り取れば、
ブログが1記事書けちゃうわけで。
人はみな、自分の日常を、その人なりに編集しつつすごしているのである。



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(瞬間冷凍されちゃったみたいな葉っぱが、なんともきれいで見とれてしまった。)


いやはや、週末は絶不調につき寝込んでいました。
明日はなんとかお仕事行けるかな。

心と体を、いつも健やかに保とう。


お布団の中で、猫たちの写真に癒されたわたし。


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春が恋しい。
この春は、わたしにとっても変化のある春。
本当にありたい私でいるためには、怖さをこえる必要がある。
決心するたびに、わたしに近づく。

頑張るぞ。

インターネットのおかげで、いろんな人と出会えるようになったけれど、
でもその「いろんな人」の多様性ってそんなにあるわけでもないなと思う。

ただ、同じようなクラスタの人々と手軽に広くつながれるようになったに過ぎないと感じている。

特に、FBやインスタはそうかもしれない。

だから、「世界が広がった」のは「同じクラスタ同士がつながりやすくなった」ということであり、
良くも悪くも「同じ価値観の共有」「常識の強化」がされやすくなったのではないかなと思う。

これ、少し意識しておく必要があるなと、折に触れて思う。
結局は井の中の蛙だ。
「井」が大きくなっただけの蛙なのかもしれない。

いつもと違う集まりに行くだけで、全く違う話題を、全く違う価値観により議論されていたりする。

世界は、小さな世界の集合体だ。

自分のいる世界を楽しみつつ、クラスタ間を行ったり来たり、意識的に超えていける自分でありたい。

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