すくいあげる光それぞれの物語

February 09, 2009

女たちの夏

車窓の外に拡がる五月の空に視線を泳がせた。三時前。そろそろ息子の学校では建物から出て来た生徒達が列をなして、いつもの喧騒の中、迎えに来る親を辛抱強く待つことだろう。苦い想いを噛み締めながらハンドルを握る。読み終えたばかりの本の余韻がわだかまり、自分の中に巣食う焦燥感を目前に突きつけられたようで痛みが胸をよぎる。

故・森瑤子さんのエッセイ集には、三十代半ばを過ぎ作家としてデビューを飾るまでの心の軌跡が鮮明に描写されている。平穏な日々を享受していた三児の母が「全世界に闘いを挑む」覚悟で小説を世に出したのはなぜか。青春の煌きを喪失した事実を空しく凝視し、このままで老いるのは厭だと心で叫び声をあげたからだ。髪振り乱した「団地のおばさん」になってしまうのは「厭だった、絶対に厭だった」。そう彼女は繰り返す。「x ちゃんのママ」だけではあまりにも空しい。一人の人間としての生き方を追求したい。そんな切望で胸を焦がす女性は多いだろう。これは、女性誌で性懲りもなく取り上げられる「主婦か、キャリアウーマンか」という二者択一の問題とは異なる。エプロンをスーツに着替えた途端に揺るぎない世界が確立する訳ではない。もっと奥行きが深い内面の問題なのだ。

娘達が遊ぶビーチで森さん自身は本の世界に埋没していたという。私にも子供を公園で遊ばせながら小説に身を浸していた、いや、浸さずにいられなかった日々があった。生きるも独り、死ぬも独り。時おり私は心の中で呟く。妻として母として至福の家族ドラマに身を置いていたとしても、その心地よい温もりに馴れすぎたあまりに人は皆独りだという事実を忘れたくないと自分に言い聞かせる。孤独から目をそらしたいとは思わない。むしろ孤独を正面から見据え生涯の友として付き合って生きたい。子供に夢を託す生き方は選びたくない。

夏が、終わろうとしていた。森瑤子さんのデビュー作「情事」はこの文で幕を開ける。彼女の心の叫びが凝縮されているようで、この一文を反芻せずにいられない。秋には秋のよさがあるのよ。そう言い切れるほど私は人間ができていない。仄かに甘い薫りを含んだ碧い風や緑が零れ落ちそうな木々の間から放たれる白い光の矢に彩られた夏はあまりにも美しい。一生青春などという使い古された表現を声高に叫ぶ気は無いが、心では常に瑞々しい夏の風と光を輝かせていたい。ほとばしる想いに胸を熱くしながら車の窓を開け、友達とはしゃぐ息子に手を振った。



sayakakandajp at 07:14│エッセイ バックナンバー 
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