2008年06月27日20:04
2008年03月08日06:57
2008年02月22日07:12
2008年02月12日23:25
2008年01月26日09:42
2007年04月10日00:27

art-life+ vol.9石塚元太良展
「はじまりへの導線 -Trans Alaska Pipeline-」
4.3-15
営業時間:11:00-20:00(会期中無休)
スパイラル tel.03-3498-1171
http://www.spiral.co.jp/index.html
***********************
とてもよかった。
アラスカのパイプラインを撮影したシリーズ。長い壁面を利用して、パイプラインをつなげた大伸ばしのセットは圧巻。石塚作品に通底するワープ感覚が見事表現されている。
そのほかの写真はむしろ、足で稼いだ身体性を感じる作品が多いのも興味深い。
どこでもドア的な瞬時の移動への欲望と、実際にその場に身を置く「体験」への欲望。この二つがセットになっているところが石塚元太良の現代性であり、作品の魅力の根幹をなしている。
というわけで、石塚作品の良質な部分がストレートに感じされる展覧会だった。
*会場ではパイプラインを模した筒型のケースに入った写真集を販売している。限定500部販売。近日中にハードカバー版も出る予定。筒型バージョンは書店売りしないらしいので、会場で買うか、スパイラルのサイトから購入できる。
*先日発売された別の写真集はこちら↓
2006年12月07日11:08

写真展を見たとき、良いとか悪いとかいう以前に何も感じないことがけっこうある。
むろん、それは見る側、つまりぼくの感受性の鈍さ、という場合もあると思う。しかし、その一方で、良いか、悪いか、あるいはその二つのどちらかに収めきれない何かを感じることはたしかにある。
采女未和写真展「カノン」はぼくにとって、何かを感じた写真だった。
サービス判の写真を入れるくらいの額の中に、さらに余白をとっているモノクロ写真である。その写真がパラ、パラと並んでいる。写っているのは、まとめてしまえば、日常の中で出会った人、モノ、光景といったところだが、そういうまとめ方は失礼だと思える程度に内容がある。
その内容というのは、これまた乱暴に言ってしまえば、孤独でメランコリーな心情だ。しかし、「日常」「孤独」という、ありふれた言葉の範疇からはみ出していたり、あるいはその中に混ぜられている色彩に変化がある。イメージが見る側の記憶を刺激し、懐かしさと、切なさを感じる。
小さいサイズの写真っていいな、ということもあるんだろう。このサイズを選んだ、というのは明らかに写真家の戦略である。しかし、その写真の内容、展示方法については、とりとめながいというか、無意識的にすぎて、多くの人の心をとらえるには、“取っ手がない”感じもする。しかし、そんなことは大きなお世話かもしれない。
とりとめをつけて、展示としてのたくらみをこらすことで、この写真家の作品はぐっとよく見えるような気もするけれど、そういうまとめ方をしていいものか、とまた大きなお世話なことも考える。このへんはおいおい考えるということで、ここでは結論を出さないでおこう。
最後にもう一つ共感したこと。この写真家がオリジナル・プリントを売ることに真剣なところだ。小さいサイズの写真は額込みでも手ごろな値段だ。エディションを管理することにも意識的なようだった。写真家として自分の足で立ち、歩いていこうという姿勢も、この小さな写真展の作者にふさわしいと感じた。
采女未和写真展「カノン」
2006.12.1〜12.29(日・祭休み)
18:00〜24:00
ギャラリー・バー
アガジベベー(新宿ゴールデン街まねき通り)
03-3205-8239
**************************************
2006年09月12日11:06
堂々たる写真。
プリントされた写真の大きさではなく、写真の作風として大きさを感じる。
都市の、モノクロの、ランドスケープと言ってしまえばありきたりに聞こえるが、この写真には発見がある。見るものにイメージネーションを喚起する力がある。
会場にいた作家ご本人に感想を求められたが、言葉もなかった。写真の力の源泉である光について、あるいは都市空間の光と影について、写真を前に考えるのが精一杯で、気の利いたことなど考え付かなかった。
ところで、最近、自分が写真ギャラリーに関わっているせいか、写真を見せる「場」について考えることが多い。
「倍音の虹」で感じたのは、写真の内容とギャラリーが合っていないのではないか? ということだ。しかし、この内容の写真をどこで展示し、どのように享受すべきなのかと考えると、いまの日本にはうまい「置き所」がないような気がする。
ギャラリーだけではない。メディアもしかりだ。
優れた写真であると思う。しかし、その写真に見合った器がない……。これは作家の責任ではない。しかし、森下以外のいわゆる写真作家に共通する問題点として考えなくてはならないことだと思う。作品内容とギャラリー、メディアがマッチしてこそ、幸福な出会いが生まれると思うからだ。
とはいえ、写真に興味のある人なら、いまここで森下大輔の写真を見ておくべきだろう。とにかく、彼の写真をじかに見る機会が得られるのだから。
期日は明日まで。
森下大輔のホームページ↓
Morishita Daisuke Homepage
森下大輔写真展「倍音の虹」
9月5日(火)〜9月13日(水)
コニカミノルタプラザ
プリントされた写真の大きさではなく、写真の作風として大きさを感じる。
都市の、モノクロの、ランドスケープと言ってしまえばありきたりに聞こえるが、この写真には発見がある。見るものにイメージネーションを喚起する力がある。
会場にいた作家ご本人に感想を求められたが、言葉もなかった。写真の力の源泉である光について、あるいは都市空間の光と影について、写真を前に考えるのが精一杯で、気の利いたことなど考え付かなかった。
ところで、最近、自分が写真ギャラリーに関わっているせいか、写真を見せる「場」について考えることが多い。
「倍音の虹」で感じたのは、写真の内容とギャラリーが合っていないのではないか? ということだ。しかし、この内容の写真をどこで展示し、どのように享受すべきなのかと考えると、いまの日本にはうまい「置き所」がないような気がする。
ギャラリーだけではない。メディアもしかりだ。
優れた写真であると思う。しかし、その写真に見合った器がない……。これは作家の責任ではない。しかし、森下以外のいわゆる写真作家に共通する問題点として考えなくてはならないことだと思う。作品内容とギャラリー、メディアがマッチしてこそ、幸福な出会いが生まれると思うからだ。
とはいえ、写真に興味のある人なら、いまここで森下大輔の写真を見ておくべきだろう。とにかく、彼の写真をじかに見る機会が得られるのだから。
期日は明日まで。
森下大輔のホームページ↓
Morishita Daisuke Homepage
森下大輔写真展「倍音の虹」
9月5日(火)〜9月13日(水)
コニカミノルタプラザ
2006年07月23日23:59

ヤスダ・アキノリさんの写真は何年か前からちょっとずつ見る機会があり、前回、八丁堀のアートスペースモーターでの個展も見ている。やわらかいトーンの美しいモノクロプリントによるランドスケープ。音を失った、記憶の中の世界のようだった。
しかし、反面、その静けさがおとなしさのほうに流れていってしまわないかと、少し不安にも感じた。夾雑物を排し美意識を貫くということは、反面、小さな世界を作って満足してしまうという危険性があるからだ。
写真の面白さは、予期せぬもの、コントロールできないものを前にした小さな人間(写真家)のリアクションにある──と個人的に思っているので、ヤスダさんの世界のまとまりの良さに危惧を感じたのである。
しかし、今回の展示は少し様子が違った。写真を撮るきっかけになった8年前のニューヨークでのスナップショットと、昨年撮影したランドスケープを展示している。自身の原点ともいえる過去の作品と現在の自分の作品とを同時に並べることで、前回の個展よりもヤスダさん自身の生っぽい部分を垣間見ることができた。
この一枚、ということであれば、ヤスダ・アキノリ流繊細な美意識が感じられる水辺の写真を選ぶ。しかし、その美しいイメージを支えているのが、いっしょに並べられた、なんということのないスナップショットなのではないかと思うのだ。
展示された写真の触れ幅が、写真家が何を見てシャッターを切るのかを考えさせてくれる。高円寺の裏道のギャラリー・カフェという空間のささやかさも作品とマッチしていた。
ところで、ヤスダ・アキノリさんと会場で話していて感じたことがひとつある。それは、一昨年あたりから始まっている写真の“回顧”気分についてだ。
昭和を代表する写真家たちの大規模な回顧展、あるいは、過去の名作写真集の復刻、中堅〜ベテラン写真家の若き日の写真の発表など、写真の世界ではちょっとした回顧ブームである。
ヤスダさんはまだ若い写真家だが、8年前の作品を展示した理由について「印画紙があるうちに焼いておきたかった」と言っていた。
銀塩からデジタルへとパラダイムシフトが起こりつつある今だからこそ、銀塩時代の写真が回顧、あるいは復刻、発表される。それがすべての理由であるわけではもちろんないが、「さよなら銀塩」という気分もこの流れに大きく影響しているのではないだろうか。
ヤスダ・アキノリさんのサイト:fly to the sky
ヤスダ・アキノリ写真展「雨相月」
期日:2006年7月12日(水)〜7月23日(日)
場所:cafe gallery & bar mone(百音)(高円寺)
2006年07月14日02:42
中京大学アートギャラリーCスクエアで開催中の写真展「distance─関口正夫・三浦和人そして牛腸茂雄─展」に合わせて行われたシンポジウムを見てきた。
タイトルは「スナップショット考 〜日常を撮る行為について〜」。
以下、断片的に気になったこと、考えたことなどを書いておきたい。
■会場を見回すと、観客の平均年齢が意外と高かった。
大学が会場なので、もっと学生が多いのかと思ったが、真面目な写真愛好家が多いという印象。観客の真剣度も高かった。
70年代に「コンポラ写真」なるムーブメント(?)があった。名付け親は写真家で、多くの写真家を育てた教育者でもあった故・大辻清司だ。
今回の展覧会の主役である三人の写真家(関口正夫・三浦和人・牛腸茂雄)は、そのコンポラ写真家と目された、当時の若手写真家たちである。
三人のうち、牛腸茂雄はすでに亡くなっている。早世の写真家としてご存知の方も多いだろう。関口と三浦は牛腸が写真を学んだ桑沢デザイン研究所の仲間たちだった。いずれも大辻清司の教え子である。
二人に加えて、シンポジウムには高梨豊がパネリストとして参加している。
高梨がこのシンポジウムに出演した理由は今回の展覧会の企画者だから。高梨はこのギャラリーの運営委員の一人でもある。
また、高梨と展覧会の三人の写真家、そして司会の写真史研究家・大日方欣一も大辻清司の教えを受けているという共通項がある。
■高梨豊とコンポラ写真
三浦・関口・牛腸が大辻に導かれるように写真を始めた当初(ようするに、彼らが二十代の70年前後当時)から、高梨も自分の作品と近いものを感じていたという発言に、目からうろこが落ちた。
高梨豊とコンポラ写真──この両者の結びつきに無頓着だった自分に驚いた。どうも自分のなかで、高梨豊とコンポラ写真は違う位相に置かれていた。しかし、高梨豊の「東京人」がのちの「コンポラ写真」の元祖であるということに気づくと、ぼくのなかでの関心事にひとつの流れがあることに気づかされる。
高梨が「カメラ毎日」に「東京人」を一挙36ページ掲載したのが66年1月号。
その2年後の「カメラ毎日」1968年6月号に『現代の写真「日常の情景」について』に高梨、牛腸ほかの作品が掲載される。その特集に、大辻清司が「主義の時代は 遠ざかって」という文章を寄せ、いわゆる「コンポラ写真」の定義をしている。
シンポジムで配られたその資料を読むと、大辻清司が考えていた「コンポラ写真」のパースペクティブの広がりと奥行きを感じる。巷に流布している「コンポラ写真」のイメージよりも、「写真」にとってもっと普遍的で、本質的な問題がそこで書かれている。
■三浦・関口・牛腸が桑沢デザイン研究所で受けた写真教育について。
空を撮らせて画面構成について考えさせたり、テクスチャーの再現について課題を出された。写真家であり、やはり教育者でもある石元泰博がシカゴのニューバウハウスから持ち込んだ教育法を基にしたものだという。
2004年に「牛腸茂雄展−自己と他者−」(三鷹市美術ギャラリー/三鷹市芸術文化センター)で「課題」の写真をすでに見ていたので、知ってはいたけれど、関口さんも牛腸さん同様、デザイナー志望だったのに、大辻さんのすすめで写真にのめりこんでいったことは初めて知った。
デザインと写真の関係も「コンポラ写真」を考えるうえで重要なファクターなのではないだろうか。
最後になったが、展覧会についても書いておこう。
■関口・三浦の変わらぬスタンスと持続力
関口、三浦という「生き残った」二人の写真家の出発から現在までの変わらぬスタンスと、その持続性を目の当たりにすることができたのが何よりの収穫だった。
60年代後半なら2000年代までという長いタームであるにもかかわらず、作品から感じられるのは、町や人への変わらぬまなざしだった。時代風俗を超えていくその力強さに唸ったというか……。感動した。
■16ミリ作品「街」
三浦・牛腸がもう一人の友人が共同で桑沢デザイン研究所時代に制作した16ミリ作品「街」をDVDで見ることができた。展覧会場で会期中に上映している。
まさに、スナップショットのようなムービー。映画でありながら、あまりにも「コンポラ写真」なので、びっくりした。パンなどの映画的なカメラ移動は禁じて、カメラでスナップを撮るようにというコンセプトで3人それぞれに撮影し、編集したものだという。三浦・牛腸の写真が突如として動き出したかのような不思議な味わいが面白かった。
第75回企画「distance─関口正夫・三浦和人そして牛腸茂雄─展」
会 期 2006年6月26日(月)−7月29日(土)
休 館 日曜、祝日
開館時間 午前9時−午後5時 入場無料
中京大学アートギャラリーCスクエア
http://www.chukyo-u.ac.jp/c-square/top.html
詳細はこちら↓
http://www.chukyo-u.ac.jp/c-square/2006/75/75top.html
■シンポジウム
「スナップショット考 〜日常を撮る行為について〜」
パネリスト:高梨豊、関口正夫、三浦和人、大日方欣一(司会)
日 時: 7月8日(土) 13時30分〜15時
会 場: 0703教室(名古屋キャンパス・センタービル7階)
タイトルは「スナップショット考 〜日常を撮る行為について〜」。
以下、断片的に気になったこと、考えたことなどを書いておきたい。
■会場を見回すと、観客の平均年齢が意外と高かった。
大学が会場なので、もっと学生が多いのかと思ったが、真面目な写真愛好家が多いという印象。観客の真剣度も高かった。
70年代に「コンポラ写真」なるムーブメント(?)があった。名付け親は写真家で、多くの写真家を育てた教育者でもあった故・大辻清司だ。
今回の展覧会の主役である三人の写真家(関口正夫・三浦和人・牛腸茂雄)は、そのコンポラ写真家と目された、当時の若手写真家たちである。
三人のうち、牛腸茂雄はすでに亡くなっている。早世の写真家としてご存知の方も多いだろう。関口と三浦は牛腸が写真を学んだ桑沢デザイン研究所の仲間たちだった。いずれも大辻清司の教え子である。
二人に加えて、シンポジウムには高梨豊がパネリストとして参加している。
高梨がこのシンポジウムに出演した理由は今回の展覧会の企画者だから。高梨はこのギャラリーの運営委員の一人でもある。
また、高梨と展覧会の三人の写真家、そして司会の写真史研究家・大日方欣一も大辻清司の教えを受けているという共通項がある。
■高梨豊とコンポラ写真
三浦・関口・牛腸が大辻に導かれるように写真を始めた当初(ようするに、彼らが二十代の70年前後当時)から、高梨も自分の作品と近いものを感じていたという発言に、目からうろこが落ちた。
高梨豊とコンポラ写真──この両者の結びつきに無頓着だった自分に驚いた。どうも自分のなかで、高梨豊とコンポラ写真は違う位相に置かれていた。しかし、高梨豊の「東京人」がのちの「コンポラ写真」の元祖であるということに気づくと、ぼくのなかでの関心事にひとつの流れがあることに気づかされる。
高梨が「カメラ毎日」に「東京人」を一挙36ページ掲載したのが66年1月号。
その2年後の「カメラ毎日」1968年6月号に『現代の写真「日常の情景」について』に高梨、牛腸ほかの作品が掲載される。その特集に、大辻清司が「主義の時代は 遠ざかって」という文章を寄せ、いわゆる「コンポラ写真」の定義をしている。
シンポジムで配られたその資料を読むと、大辻清司が考えていた「コンポラ写真」のパースペクティブの広がりと奥行きを感じる。巷に流布している「コンポラ写真」のイメージよりも、「写真」にとってもっと普遍的で、本質的な問題がそこで書かれている。
■三浦・関口・牛腸が桑沢デザイン研究所で受けた写真教育について。
空を撮らせて画面構成について考えさせたり、テクスチャーの再現について課題を出された。写真家であり、やはり教育者でもある石元泰博がシカゴのニューバウハウスから持ち込んだ教育法を基にしたものだという。
2004年に「牛腸茂雄展−自己と他者−」(三鷹市美術ギャラリー/三鷹市芸術文化センター)で「課題」の写真をすでに見ていたので、知ってはいたけれど、関口さんも牛腸さん同様、デザイナー志望だったのに、大辻さんのすすめで写真にのめりこんでいったことは初めて知った。
デザインと写真の関係も「コンポラ写真」を考えるうえで重要なファクターなのではないだろうか。
最後になったが、展覧会についても書いておこう。
■関口・三浦の変わらぬスタンスと持続力
関口、三浦という「生き残った」二人の写真家の出発から現在までの変わらぬスタンスと、その持続性を目の当たりにすることができたのが何よりの収穫だった。
60年代後半なら2000年代までという長いタームであるにもかかわらず、作品から感じられるのは、町や人への変わらぬまなざしだった。時代風俗を超えていくその力強さに唸ったというか……。感動した。
■16ミリ作品「街」
三浦・牛腸がもう一人の友人が共同で桑沢デザイン研究所時代に制作した16ミリ作品「街」をDVDで見ることができた。展覧会場で会期中に上映している。
まさに、スナップショットのようなムービー。映画でありながら、あまりにも「コンポラ写真」なので、びっくりした。パンなどの映画的なカメラ移動は禁じて、カメラでスナップを撮るようにというコンセプトで3人それぞれに撮影し、編集したものだという。三浦・牛腸の写真が突如として動き出したかのような不思議な味わいが面白かった。
第75回企画「distance─関口正夫・三浦和人そして牛腸茂雄─展」
会 期 2006年6月26日(月)−7月29日(土)
休 館 日曜、祝日
開館時間 午前9時−午後5時 入場無料
中京大学アートギャラリーCスクエア
http://www.chukyo-u.ac.jp/c-square/top.html
詳細はこちら↓
http://www.chukyo-u.ac.jp/c-square/2006/75/75top.html
■シンポジウム
「スナップショット考 〜日常を撮る行為について〜」
パネリスト:高梨豊、関口正夫、三浦和人、大日方欣一(司会)
日 時: 7月8日(土) 13時30分〜15時
会 場: 0703教室(名古屋キャンパス・センタービル7階)
2006年06月27日15:22
写真家、大西みつぐ企画による多面的かつ複合的な写真イベント。
大西みつぐといえば、都内の銭湯で写真展を開くなど「ご当地写真展」を開いてきた。その土地を撮った写真を、その土地で見せる。その土地に住んでいる人と、その土地に興味がある人、そして大西みつぐの写真が好きな人が交差する。そんな空間を作ってきた。
「Tokyo East Perspective」は会場の錦糸町駅近くの“東京の東側=下町”を題材にしながら、その土地のイメージをめぐる冒険が繰り広げられる、趣向が凝らされた写真イベントだ。 大西みつぐの「ご当地写真展」の拡張版である。
「墨東写真」 というタイトルのグループ展では長野重一・春日昌昭・須田一政・飯田鉄・大西みつぐ・中里和人・兼平雄樹・佐藤信太郎という世代の異なる写真家たちの作品が展示されている。著名な写真家が入っているというだけでなく、若い世代から大ベテランの巨匠まで、世代も、作風も、被写体も異なっている。
時間軸としては、戦後間もない頃までさかのぼり、水平方向には、それぞれの写真家の個性が捉えた町の姿が写し出されている。
長野重一の戦後間もない下町のスナップ、春日昌昭の高度経済成長期の移り変わる町の風景、須田一政の劇的な人物写真、飯田鉄の「川のある風景」、大西みつぐの軽妙かつ躍動感のあるスナップショット、中里和人の下町の「夜」、兼平雄樹の同潤会アパートの最期、佐藤信太郎の現代の東京東部の密集した住宅地の上に上がる花火。
時間と空間、写真家のまなざしと哲学が交差して、見ごたえがあった。
また、写真家志望の若者たちが職人のもとを訪れて粘り強く撮影したという「すみだ職人列伝」も面白く見た。
中里和人さんの展示ではすでにおなじみの「小屋」も展示され、各種イベントも予定されているなど、盛りだくさんだ。
ご当地、というと、その地域の人が対象というイメージだが、東京の東側の「下町」文化は日本人の心に普遍的に存在する心象風景のひとつでもある。
会場となっているのは倉庫。いかにも下町風な少し古ぼけた倉庫の一角に展示された写真は、ホワイトキューブのギャラリーで見る写真とは一味違う生々しさがあった。
写真展「Tokyo East Perspective」
7月1日まで開催中。
11:00〜19:00無休。
墨田区横川「鈴木興産1号M倉庫」
(最寄り駅は錦糸町)
詳しい内容はこちら↓
公式サイト
大西みつぐといえば、都内の銭湯で写真展を開くなど「ご当地写真展」を開いてきた。その土地を撮った写真を、その土地で見せる。その土地に住んでいる人と、その土地に興味がある人、そして大西みつぐの写真が好きな人が交差する。そんな空間を作ってきた。
「Tokyo East Perspective」は会場の錦糸町駅近くの“東京の東側=下町”を題材にしながら、その土地のイメージをめぐる冒険が繰り広げられる、趣向が凝らされた写真イベントだ。 大西みつぐの「ご当地写真展」の拡張版である。
「墨東写真」 というタイトルのグループ展では長野重一・春日昌昭・須田一政・飯田鉄・大西みつぐ・中里和人・兼平雄樹・佐藤信太郎という世代の異なる写真家たちの作品が展示されている。著名な写真家が入っているというだけでなく、若い世代から大ベテランの巨匠まで、世代も、作風も、被写体も異なっている。
時間軸としては、戦後間もない頃までさかのぼり、水平方向には、それぞれの写真家の個性が捉えた町の姿が写し出されている。
長野重一の戦後間もない下町のスナップ、春日昌昭の高度経済成長期の移り変わる町の風景、須田一政の劇的な人物写真、飯田鉄の「川のある風景」、大西みつぐの軽妙かつ躍動感のあるスナップショット、中里和人の下町の「夜」、兼平雄樹の同潤会アパートの最期、佐藤信太郎の現代の東京東部の密集した住宅地の上に上がる花火。
時間と空間、写真家のまなざしと哲学が交差して、見ごたえがあった。
また、写真家志望の若者たちが職人のもとを訪れて粘り強く撮影したという「すみだ職人列伝」も面白く見た。
中里和人さんの展示ではすでにおなじみの「小屋」も展示され、各種イベントも予定されているなど、盛りだくさんだ。
ご当地、というと、その地域の人が対象というイメージだが、東京の東側の「下町」文化は日本人の心に普遍的に存在する心象風景のひとつでもある。
会場となっているのは倉庫。いかにも下町風な少し古ぼけた倉庫の一角に展示された写真は、ホワイトキューブのギャラリーで見る写真とは一味違う生々しさがあった。
写真展「Tokyo East Perspective」
7月1日まで開催中。
11:00〜19:00無休。
墨田区横川「鈴木興産1号M倉庫」
(最寄り駅は錦糸町)
詳しい内容はこちら↓
公式サイト
春日 昌昭写真 / 佐藤 嘉尚文
生活情報センター (2006.7)
通常24時間以内に発送します。
生活情報センター (2006.7)
通常24時間以内に発送します。
消えゆく同潤会アパートメント
posted with 簡単リンクくん at 2006. 6.27
橋本 文隆編 / 内田 青蔵編 / 大月 敏雄編 / 兼平 雄樹写真
河出書房新社 (2003.12)
通常2-3日以内に発送します。
河出書房新社 (2003.12)
通常2-3日以内に発送します。
2006年06月22日23:44

長く旅をした人なら誰でも「フラッシュバック」を経験しているはずだ。「フラッシュバック」というのは薬物常用者が、薬物使用時に見た幻覚をシラフの時に見ることだが、長い旅には薬物常用と同じような効果があると思う。旅から離れて日常にどっぷりと浸かった毎日を送っているある朝、不意に、石畳の硬い感触や、ドミトリーのベッドから見えた青い空や、背の低い椅子にかけて食べたチャパティーのことを思い出す。それが旅人の「フラッシュバック」だ。
白石ちえこの「アマリリス通り」は日本の各地で撮影されたモノクロの写真シリーズである。その来歴は知らず、ただ、どこかの町に迷い込んだように会場内を見て歩いて飽きなかった。一応、経験的にこの風景は日本だとわかるけれど、日本であることにさしたる意味はないのだろう。日本でなくてもいい。なくてもいいが、旅先である必要はあったかもしれない。いや、物理的に旅先である必要もなかったのかもしれない。必要だったのは、写真家の頭の中が旅の途中であることだったのではないか。そんな妄想が頭に渦巻いた。
「アマリリス通り」は現実を丹念に正確に写し取るという点で、とても誠実な写真だ。ブレたりボケたりはしていない。まっすぐに、その路地や電柱、動物や、動物のレプリカ(置物)を撮っている。しかし、ただ真面目に撮っているだけではない。写真からはそれらをすべて等価に、自分が見たいように見るんだという強い写真家の意思を感じる。写真家は、写真に撮ったことで、これらの風景や動物やモノを自分のものにしているのだ。そして、その所有欲は写真の持つ悲しみに結びついているのだと気づかされた。
旅の途中、ぼくらはシャッターを押す。その場を、そのモノを、その関係を取っておきたくて。でも、そんなことはできはしない。写真はその表面を記録するだけ。偽モノなのだ。しかし、脳が見せるフラッシュバックのように、偽モノから旅の世界を新たに作り出すことはできるのかもしれない──そんな切実な思いが、「アマリリス通り」の世界を支えているとぼくは思う。
白石ちえこ写真展「アマリリス通り」
2006年6月2日(金)〜6月30日(金)
(日曜・月曜・祝日 休館)
営業時間 11:00〜19:00(最終日〜14:00)
ギャラリー冬青
2006年06月19日23:18

父の日がいつか即答できる人がどれくらいいるだろう。
答えは6月の第3日曜日。アメリカから輸入された記念日だそうだ。ちなみに母の日は5月の第2日曜日。
この写真展のタイトルは「父の日」で、まさに会期中に父の日が入っている。(今年は6月17日だった)。
父と父の父(つまり写真家にとっては祖父)と親子三代で旅行した模様をモノクロでスナップしたシリーズである。
親子三代の旅というのはきっと珍しいと思う。ぼくは生まれたときには祖父は亡くなっていたし(たぶん)、父親もすでにいないので、親子三代の旅をやるチャンスは、息子(もうすぐ3歳)が男の子の父親になるまでありえない。少子化の時代にはそのチャンス自体が稀かもしれない。
自分が親子三代の旅をできるかどうか、考えてしまったというのは、それほどこの写真展で描かれている旅が楽しそうだからだ。三代のなかでもっとも若い写真家は、カメラを持つことで自分の父親と祖父を「親子」として捉えなおす。きっと、それまでは、自分を中心に父と祖父がいたはずだ。その父と祖父が父と子だったと気づく。その発見が写真からもうかがえる。
写真家自身、この旅は父の祖父への親孝行だったのではなかったかと書いている。自明すぎることはあんがいそれとはわからないものだ。カメラのようなメカニカルなものが介在して、自明のことがあらためて見えてくる。
写真もプリントも仕事が丁寧で見ていて心地よかった。父と父の父という関係性へのまなざしにも周到なものを感じる。個人的な写真であるには違いないが、物語の引っ張り出し方にプロフェッショナルの腕を感じた。
2006年6月14日(水)〜6月20日(火)
戎谷 康宏(えびすや やすひろ)写真展
「Father's Day」
受け継がれてゆくもの
コダックフォトサロン
2006年06月13日10:26

写真に限らず、表現というのは結局のところ“闘い”だと思う。相手は何だっていい。世界だろうと、自分だろうと、石ころだろうと、虫けらだろうと。相手の大小は問わず、勝ち負けも関係なく、ただひたすら闘いつづける姿勢そのものが作り手なのだと思う。
田原喜久江「Rock on the city」からぼくが感じたのは、闘いつづける作家の肖像である。“Rock”は音楽であり、精神のありようでもある。生き方そのものだと言ってもいい。かくあるべしという固定した、安定した価値観を揺さぶり、破壊するものが“Rock”の本質だとぼくは思う。田原の写真から感じるのは、写真を通して、現実の街を「かくある」と思い込んでいるぼくらの眼を揺さぶるパワーである。
写真はすべてモノクロ。プリントのサイズは全紙だが、実際のサイズよりも大きく感じた。展示点数は33点。それなりの点数で決して少ないということはないが、それでもまだまだこの写真家の街を歩き、風景をつかんだ写真を見たいとも思った。
写真を撮ることで、写真家が何と闘っているのかはわからない。いや、写真家自身に何かと闘っているという意識は薄いかもしれない。しかし、街を歩き、シャッターを切るという行為を続けていく原動力になっているのは、「街が好き」「写真が好き」などという甘っちょろい“優しさ”などではないはずだ。“怒り”や“苛立ち”とも少し違う。生きることにつきもののもやもやとした霧のような感情……軽い憂鬱に立ち向かう勇気こそがこれらの写真に通底する力強さなのだと思う。
何十枚でも何百枚でも見せてほしい。そう感じさせてくれる写真展だった。
会期:2006.6.12-16
東京都渋谷区神宮前4-17-3
アーク・アトリウム B02
表参道画廊
2006年05月28日23:14

今はもうなくなってしまったが、ぼくが育った家には庭があった。まだ元気だった母がいつも心をくだいていたのは庭の手入れだった。猫の額ほどの庭に窮屈そうに植えられた庭、手を入れないと荒むばかりの生垣。少年時代のぼくにとっては、母親のちっぽけな虚栄心の象徴のように見えて不愉快このうえなかった。家がなくなるときには、清々したと思ったくらいだ。
越間有紀子写真展「superimpose」には住宅地のエアポケットのような光景がモノクローム写真に写されている。打ち捨てられたような裏庭、切り立った崖を背景にした家、ウィンドウ越しの奇妙なモノ。野放図に自己主張する玄関までのアプローチに植えられた木々。
ぼくがまず感じたのは一種のノスタルジーだ。モノクロというせいもあるけれど、ここに写っているものは、現代とは関係なくそこにただ存在している。いわば時間の流れから取り残されたものたちである。
しかし、ノスタルジーの甘さだけではない味わいも感じる。むしろ、ノスタルジーを否定する方向へ働く力、たとえば、暴力的な、凶暴な力の漲りである。
とくに強くそう感じされるのが、住宅地の植物だった。手入れが放棄されているような植物の姿は、時間の流れとともに生命力をたくわえ、人間の生活の荒廃をあざ笑うようにテリトリーを拡張している。
一軒家につきものの木々ほどその家の状態を如実に示すものはないだろう。いま考えれば、母が木々の世話に熱心で、よく庭師を呼んで木々の世話をさせていたのは、家の状態をきちんとするために必要だったのだ。家が生きていれば、木々はコントロールできる。しかし、家が機能しなくなると、植物は暴走を始める。好き勝手に枝を伸ばし、家の印象は荒んだものになる。母が庭や生垣の手入れにこだわっていたのは、“家”を維持するためのこだわりだったのだろう。
植物の力強さは、まるで人間のノスタルジーなんぞ鼻で笑っているかのようだ。越間有紀子の写真は、ノスタルジーの心地よさにとどまらず、進行中の荒廃の中から何かをつかみ出そうとする過程にある写真だと思う。
その何かとは、たぶん、時間と記憶にまつわることであるのではないかという漠とした予感はあるが、それは彼女のこれからの作品を見ることで、あらためて考える課題にしておこう。
越間有紀子公式サイト
……and photographs
越間 有紀子 写真展「Superimpose」
会場: Place M
2006年05月22日 〜 2006年05月28日
2006年04月11日22:27

最初の1枚目。歌舞伎町の表玄関、夕暮れの靖国通りの交差点にストロボを炊き、仕事へ行く者、遊びに行く者たち(魚たち)を浮かび上がらせる(上記DMに使われた写真がそれ)。
歌舞伎町の内側で撮影した写真が並ぶ。酔っ払ってうずくまる男、カメラにVサインをしてみせる若者たち、クルマに乗ったただならぬ雰囲気の男。一方で、雪の日の路地もある。この海には、たえず、さまざまな種類の魚たちが入り込み、風景も人も移り変わっていく。
いわゆる迫力のあるドキュメントとはちょっと違う。歌舞伎町で起こっているコト(事件とか事故とか)ではなく、その「場」をとどめておこうと撮影されたシリーズに思える。一歩引いたところから、歌舞伎町という「背景」を撮ろうとしたというような。「ブルーオーシャン」というタイトルになぞらえれば、歌舞伎町という海の環境調査と言ってもいいだろう。
したがって、魚と生息地域はともに画面に写しこまれている必要性がある。会場で作者の権 徹氏にうかがったところ、ハッセルブラッドとマミヤに55ミリの広角レンズをつけて撮影したという。「一歩引いて撮った」というこちらの印象とは裏腹に、実際の撮影現場ではどの被写体に対しても、かなり近寄って撮影したそうだ。
権 徹(KWON CHOUL)氏はフォトジャーナリストとして「Days Japan」や週刊誌、月刊誌に寄稿しており、「Days Japan」には、京都のウトロの立ち退き問題や歌舞伎町のレポートが掲載されている。氏にとって歌舞伎町は「職場」でもあるということになるが、マスメディア向けのショッキングな写真(まさにコトを写した写真)とは別に、こうして、モノクロ中判のシリーズを撮り続けていることは敬意に値する。
ともすれば、事件、事故ばかりがクローズアップされる歌舞伎町だが、人間の営みが続けられている一つの町であることには違いないからだ。
「ブルーオーシャン」に見る歌舞伎町の海は、決して美しい海ではないが、餌が豊富で集まる魚の種類もさまざま。活気のある興味深い海域であることは間違いない。2000年代初頭の歌舞伎町という町を記録した写真としても貴重である。
権 徹展
[ブルーオーシャン]
4/11(火)〜4/17(月)
10:00〜19:00(最終日は16:00まで)
会期中無休
★会場の様子はこちらを参照↓
ブルーオーシャン(裏の裏は、表…に出せない!)
2006年04月01日23:26

写真を撮るということは、理屈ぬきに面白い。
その面白さにもいろいろあるわけだが、たとえば、コレクションがその一つだろう。
いま、ここにある「面白いもの」を1枚の写真に封じ込めること。それ、すなわちコレクションの楽しみそのものである。写真は出会った「何か」をコレクションするためのメディアとして実に有効だ。
濱田純也写真展「Toge」(新宿ニコンサロン)はポートレート写真のシリーズである。若い女性、奇抜なファッションの男性、中年男。社会的なポジションはさまざまだが、共通していることがある。ぼくらが暮らしているこの世界と、ほんのわずか、あるいはそれなりに大きな、違和感を感じさせることだ。風景から浮いている、そんな存在感を放っている。
それを「個性」と呼ぶことにやぶさかではないが、そんな手垢にまみれた言葉を使うことはやめたほうがいいだろう。むしろ、個性という言葉を使わないために、これらの写真があると考えたほうがいい。
人間が個別であればあるほど、社会の風景から飛び出していく。溶け込めない。溶けない「核」のようなものを写真にとってとらえ、コレクションしようとしたのがこのシリーズではないかと思う。コレクションすることによって、それぞれの特殊性が浮かび上がってくる。その「強さ」が見る者を引き付ける。
もしかすると、それは珍しい種類の蝶を標本する作業に似ているのかもしれない。

「I」と「II」というより、「表」と「裏」ではないかと思う。ニコンサロンで開かれた展覧会は、写真家のコレクションに広がりがあり、それだけ社会性が増している。しかし、プレイスMのそれは、写真家のコレクションへの欲望が素直に表出されていて、個人的な色彩が強い。
むろん、素直ならいい、というわけではないのだが、ニコンサロンという表舞台のバックヤードを見せるような身も蓋もない行為(と、本人が自覚しているかはわからないが)には、ぼく個人として共感を寄せておきたい。
好みの蝶を集めて楽しむことと、さまざまな種類の昆虫を集めて整理分類することとは、微妙に違う仕事のような気もするが、そのいずれもがコレクションの面白さをはらんでいることはいうまでもない。若い写真家が、今後、この二つの路線をどのように展開していくか、注目したいと思う。
濱田 純也展
[Toge]
3/28(火)〜4/3(月)
10:00〜19:00(最終日は16:00まで)
会期中無休
*大阪ニコンサロン
6/1(木)〜6/6(火)
10:00〜18:00
会期中無休
2006年02月19日22:18
写真家の渡部さとるさんのワークショップ2BのOB・OGによるグループ展。「以前にも別のメンバーのグループ展を見に行ったことがあるが、自己満足に終わらず、写真表現へ一歩踏み出している感があった。個人的に、写真ワークショップの動向を追っているのだが、注目のワークショップだと思っている。
「渡部さとる『+9』photographers」も内容充実。どれもしっかりとした「狙い」を持って写真を撮り、まとめていることが感じられた。
以前、プレイスMでのグループ展で展示作品を拝見し、印象が強かったken1row.akiyamaの「東京ポラ日記」の近作が見られたことも収穫だった。
そして、「先生」を務めている渡部さとるさんも、現在、ギャラリー冬青で展示している写真展「da.gasita」では展示していない、米沢のカラー作品(夏)を展示していた。
また、渡部さん以外の9人の参加者が、渡部さんが提唱する「絞りF16、感度分の1」で撮影した作品を展示しているのも面白い。
2Bというワークショップの場で、彼らが得たものと、(表現として)返したものが両方ある。グループ展というくくりを積極的に生かそうとしている、サービス精神がとてもいいと思った。
本日最終日。
渡部さとる 「+9」 photographers
イシハラユウスケ、内村 創、ken1row.akiyama、しもはら まさみ、
jirota、出口 こずえ、平野 貴信、宮崎 ツヨシ、渡辺 綾子
2006年2月16日(木)〜2月19日(日)
ICHYS GALLERY
「渡部さとる『+9』photographers」も内容充実。どれもしっかりとした「狙い」を持って写真を撮り、まとめていることが感じられた。
以前、プレイスMでのグループ展で展示作品を拝見し、印象が強かったken1row.akiyamaの「東京ポラ日記」の近作が見られたことも収穫だった。
そして、「先生」を務めている渡部さとるさんも、現在、ギャラリー冬青で展示している写真展「da.gasita」では展示していない、米沢のカラー作品(夏)を展示していた。
また、渡部さん以外の9人の参加者が、渡部さんが提唱する「絞りF16、感度分の1」で撮影した作品を展示しているのも面白い。
2Bというワークショップの場で、彼らが得たものと、(表現として)返したものが両方ある。グループ展というくくりを積極的に生かそうとしている、サービス精神がとてもいいと思った。
本日最終日。
渡部さとる 「+9」 photographers
イシハラユウスケ、内村 創、ken1row.akiyama、しもはら まさみ、
jirota、出口 こずえ、平野 貴信、宮崎 ツヨシ、渡辺 綾子
2006年2月16日(木)〜2月19日(日)
ICHYS GALLERY
2006年02月18日22:22

ギャラリーには、白いキューブが点在し、そのうえに色とりどりの本がある。
開くと、そこには外国の風景が写っている。どれも、ピントが甘かったり、ブレていたりする。
外国旅行で、たいていの人はカメラを手に、シャッターを切る。写真によって「何か」をとどめたいからだ。
しかし、その「何か」とは何なのだろう。
そして、その「何か」は写真によってとどめておくことが可能なのだろうか?
その写真がクリアに、シャープに写っていればいるほど、記憶のなかの「何か」から離れていきはしないか。記憶のなかの風景に較べて、写真に写っているもののほうがみずぼらしい。そんな経験はないだろうか?
ぼくは、初めて外国旅行に出かけていったとき、カメラを持っていかなかった。行き先はタイだった。外国で写真を撮る日本人が嫌いだった。写真を撮ることで、何かを持ち帰ろうとすることがたまらなく貧乏くさく思えた。
岡本正史の写真は、何かを持って帰ろうという貧乏くささがない。むしろ、何も持って帰れないことを証明するような写真である。珍しいもの、生涯二度と訪れることがないかもしれない場所を「撮る」ことの不可能性。
それでも、写真を撮るということの決定的な矛盾。
その相克に、アーティスト岡本正史の知性と教養を感じる。
岡本正史展「I will forget」2006.2.18 - 3.4
Art & River bank