2012年02月09日
あざみ野コンテンポラリーvol.2 Viewpoints いま「描く」ということ
横浜市民ギャラリーあざみ野で、「あざみ野コンテンポラリーvol.2 Viewpoints いま『描く』ということ」を観た。淺井裕介、椛田ちひろ、桑久保徹、吉田夏奈の4人展。4人の作家がそれぞれに異なった位相で「描く」ことにアプローチしており、絵を「みる」ということに揺さぶりをかけられる刺激ある展覧会だ。

淺井裕介は多様な素材を用いた、平面・インスタレーション・陶作品など展示。彼の泥絵や陶はまるでインドのミティラー美術だ。民間に伝承される「美」が手仕事を受け継ぐことによる触覚的な記憶に支えられているように、淺井の作品には自身の手癖、クリシェをためらい無く表出することで、「みる」者の意識の深いところに共有される絵を描くことのプリミティブな歓びを引き出してくれる。それは小さな世界なのだけれど、「みている」のに「触っている」ような確かさで意識の古層を刺激されるのだ。

島と海の風景を、立体的なジオラマへのペインティングで構成した吉田夏奈。いわば幾何学的立体による山水画の試みなわけだが、棚田・紅葉・ダム・潮の流れなどを模型化して抽出することで、「みる」ことがあたかもその場所に「いる」かのような空間体験につながっていく。地図を読むように島と海の空間を感じる楽しさ。

桑久保徹は、インスタレーションとして会場内にアトリエを再現。絵の具の匂いに満ちた空間に散在する絵画作品・オブジェ・絵の具のチューブ。たとえばゴッホのようなマチエールをもった「夜のうず」。この1点だけでも「みる」者の心を騒がせるに足るのだが、この作家の企てはもっと重層的である。映画の中に「映画」が出てくることがある。撮影所でラッシュフィルムをみる製作者たち。苦悩する映画監督を演ずる役者。桑久保の展示スペースはそんな映画内「映画」にも類比できる絵画内「絵画」なのだろう。彼の絵画作品を1枚の「絵」としてみること、この「アトリエ」の中の「小道具」としてみること。位相の異なる「みる」体験が同時に発生し撹乱される。「みる」ことと「考える」ことの間に宙吊りにされるとでも言ったらよいのか。

椛田ちひろは、漆黒の楕円が展示室いっぱいに広がる中に鏡面と黒鉛のオブジェが浮遊する。目にした瞬間、「2001年宇宙の旅」のモノリスだなと思った。大きなインクジェット紙のロールを油性ボールペンで塗りつぶした部分は、近くでみると赤銅色というか鉛のような感じ。外部の光を鈍く映しこんでいる様はブラックホールか。ボールペンで引っかいた多くの痕跡など制作に関わる膨大な身体性は、作品から距離を置いて対峙したときにはもはや感じられず、ただそこに「抽象」がある。
椛田の作品を前にしては、ただただ「みる」ばかり。時間や空間という言葉も無効になるような「存在」そのものを感じさせられた。今回の4人の作家の多様さの中でも、椛田の表現はひときわ「描く」ことと「みる」ことの揺らぎない関係を構築していたのではないだろうか。
会期は2月26日(日)まで 会期中無休 10:00〜18:00 入場無料

淺井裕介は多様な素材を用いた、平面・インスタレーション・陶作品など展示。彼の泥絵や陶はまるでインドのミティラー美術だ。民間に伝承される「美」が手仕事を受け継ぐことによる触覚的な記憶に支えられているように、淺井の作品には自身の手癖、クリシェをためらい無く表出することで、「みる」者の意識の深いところに共有される絵を描くことのプリミティブな歓びを引き出してくれる。それは小さな世界なのだけれど、「みている」のに「触っている」ような確かさで意識の古層を刺激されるのだ。

島と海の風景を、立体的なジオラマへのペインティングで構成した吉田夏奈。いわば幾何学的立体による山水画の試みなわけだが、棚田・紅葉・ダム・潮の流れなどを模型化して抽出することで、「みる」ことがあたかもその場所に「いる」かのような空間体験につながっていく。地図を読むように島と海の空間を感じる楽しさ。

桑久保徹は、インスタレーションとして会場内にアトリエを再現。絵の具の匂いに満ちた空間に散在する絵画作品・オブジェ・絵の具のチューブ。たとえばゴッホのようなマチエールをもった「夜のうず」。この1点だけでも「みる」者の心を騒がせるに足るのだが、この作家の企てはもっと重層的である。映画の中に「映画」が出てくることがある。撮影所でラッシュフィルムをみる製作者たち。苦悩する映画監督を演ずる役者。桑久保の展示スペースはそんな映画内「映画」にも類比できる絵画内「絵画」なのだろう。彼の絵画作品を1枚の「絵」としてみること、この「アトリエ」の中の「小道具」としてみること。位相の異なる「みる」体験が同時に発生し撹乱される。「みる」ことと「考える」ことの間に宙吊りにされるとでも言ったらよいのか。

椛田ちひろは、漆黒の楕円が展示室いっぱいに広がる中に鏡面と黒鉛のオブジェが浮遊する。目にした瞬間、「2001年宇宙の旅」のモノリスだなと思った。大きなインクジェット紙のロールを油性ボールペンで塗りつぶした部分は、近くでみると赤銅色というか鉛のような感じ。外部の光を鈍く映しこんでいる様はブラックホールか。ボールペンで引っかいた多くの痕跡など制作に関わる膨大な身体性は、作品から距離を置いて対峙したときにはもはや感じられず、ただそこに「抽象」がある。
椛田の作品を前にしては、ただただ「みる」ばかり。時間や空間という言葉も無効になるような「存在」そのものを感じさせられた。今回の4人の作家の多様さの中でも、椛田の表現はひときわ「描く」ことと「みる」ことの揺らぎない関係を構築していたのではないだろうか。
会期は2月26日(日)まで 会期中無休 10:00〜18:00 入場無料
2012年01月19日
空也上人 フィギュアになる!



最近の仏像フィギュア化ブームもすごいもので、とうとう六波羅蜜寺の空也上人像なんていうマニアックなフィギュアが登場した。口から飛び出す「南無阿弥陀仏」の六字をあらわすという六体の小さな阿弥陀仏まで再現されている。このフィギュア、インテリア小物として仏像を飾って欲しいというコンセプトで大小さまざまな有名仏を再現しているメーカーの商品なのだが、空也上人の鬼気迫る清貧なるお姿は、物欲にまみれたおのれの部屋の姿に対していやおうなく反省をうながすのだ。
きれいに片付いたモダンな部屋の中に置かれたなら、仏像も上質なインテリア小物になりうるのか?私のようにオブジェにまみれた生活では実感がわかないが、お洒落な空間に空也上人はちょっと困るでしょう。
ヤノベケンジも、アトムスーツを着た空也上人スタイルの等身大の自己像を作品にしているが、空也上人像の過剰な造形は、ヤノベのサービス精神旺盛な関西仕事と通じている気もするのである。
2012年01月01日
あけましておめでとうございます

今年最初の画像は、京都の建仁寺を訪れた折りに撮影した小泉淳作の天井画「双龍図」です。撮影は自由。同時代の作家の画業を、末永く寺宝として公開していこうという未来に向けての気概が感じられました。あまりに巨大なので、元小学校の体育館で制作されたという傑作。
こうした同時代の作家の仕事が未来を形作っていく現場に立ち会いたい。そんな気持ちで、今年も時代を共有する作家たちの美術に目を向けることを求めてみたいと思います。
たとえば、「北海道インプログレス」において炭坑町をイメージしたインスタレーションなどに、目黒区美術館の炭鉱展のときを超えるスケールで取り組もうという川俣正。
今年が、皆さんそれぞれに実りある一年になりますように。
2012年 元旦
追記:小泉淳作氏、今年になってお亡くなりになられたのですね。ご冥福をお祈りします。
2011年12月29日
2011年 私のお気に入り アート

今年を締めくくる「私のお気に入り アート編」
展覧会にあまり出かけず、部屋で中古レコードばかり聴いていた一年でしたが、印象に残る美術展は結構あるものです。
1位 杉本博司 アートの起源|宗教(猪熊弦一郎現代美術館)
今年唯一の遠征。「宗教」というタイトルが気がかりで(胡散臭くて)、四国丸亀まで。杉本博司の術中に見事とらえられ、その展示空間にある種の「霊性」を感じる。前の晩に飲みすぎて、二日酔いすれすれの精神状態の所為ばかりではない。ヨコトリの展示は、建築空間の力においても比肩できず。「巡礼」した甲斐あり。
2位 畠山直哉展 Natural Stories(東京都写真美術館)
かつてボタ山、ズリ山巡り歩いた私には、たまらなく美しい写真です。大きなプリントになるとその絵画的美しさを増幅する畠山の写真。陸前高田の震災後の写真が大きかったなら…。そう想像するのがためらわれるような、静けさの先にあるものが胸に迫りました。
3位 ベン・シャーン クロスメディア・アーティスト(神奈川県立近代美術館葉山館)
長年愛好する画家の回顧展はやはり特別なもの。「写真家としてのベン・シャーン」という視点を提示したこともポイント。絵画の制作背景を謎解きのようにネタばらしするわけだけれど、ネタバレでもシャーンの絵の力は揺るがない。
4位 五百羅漢(江戸東京博物館)
B級・グロテスクとの先入観を、見事に振り払われる真っ向からの仏画。参った。
5位 高嶺格 とおくてよくみえない(横浜美術館)
展覧会にあわせ発刊された書籍に心奪われた。横浜美術館に、モヤモヤして割り切れなくて不穏な空気を持ち込んだことは確か。出来れば巡回先の霧島あたりにも行ってみたかったな。
人が何を評価するのかについて考え、僕は「技術」や「完成度」よりも「方法」を提示する方に喜びを感じるのかもしれないと思いました。(中略)これはきっと大胆に聞こえると思いますが、僕はどこかで自分で作品を作りたくないと思っているのかもしれない。なるべくなら自分で作りたくない。
「とおくてよくみえない」高嶺格
6位 メタボリズムの未来都市展(森美術館)
あの誇大妄想のごときCGは、並みのSF映画を凌駕すること間違いなし。幻に終わったプランの数々にこれほど魅了されようとは。日本固有のデザインを取り入れた建築例には、どこか新宗教の建築物にも通じるものを感じた。天理教の「おやさとやかた計画」とか。五十嵐太郎の「新宗教と巨大建築」でも再読するか。
7位 「日本画」の前衛 1938−1949(東京国立近代美術館)
未知の画家の作品の数々を、手ごたえある構成でみせる優れた企画展だった。歴史を振り返る事の大切さ。戦争画を分断した過去としてとらえない視座に納得。
8位 ヨコハマトリエンナーレ2011
黄金町バザール、新・港村など周縁部の動きが引き立った今回のトリエンナーレ。竜宮美術旅館も解体されるし、再開発・浄化がすすみ空き地もなくなるし、黄金町はまさに今年が旬だったのでは。黄金食堂の屋台が楽しかった。新・港村では「最後のテレビ」というブースでサックス演奏もさせていただき楽しい体験。
9位 ジョセフ・クーデルカ プラハ1968(東京都写真美術館)
ドキュメントと、アートとしての強度ということについて考えさせられた写真展。山本作兵衛と炭坑記録画をめぐる思いにも似て。
10位 アンフォルメルとは何か?(ブリヂストン美術館)
フォートリエとの再会に、高校生の夏訪れた大原美術館の記憶が蘇った。今年最も私的なレビューをしてしまった。
次点
・日常/ワケあり(神奈川県民ホールギャラリー)
このギャラリーの企画は、ヒット多し。
・羊蹄丸 青函ワールド(船の科学館)
美術展じゃないけど、今年最も強烈だったインスタレーション。
・篠原有司男、岡本太郎を語る!!(岡本太郎美術館)
岡本太郎生誕100年を祝うボクシング・ペインティング最高!

「原爆を視る1945-1970」(目黒区美術館)をランクインすることが出来なかったことは、今年の悔恨ですね。2011年に「観られなかった展覧会」として記憶に残ることでしょう。延期ではなく中止の方向で行政が動いたようですが、何らかの形で、展覧会準備の成果が世に出ることを願いたいと思います。
追記:原爆展の不在。その事実が、今年この国で起こったことの背景に深く関与している。そんな気がしてなりません。(2011.12.31)
2011年 私のお気に入り 建築

今年は新しい建築との出会いは少なかったが、旧知の場所を再訪し印象も新たにその魅力を見直す機会に恵まれた。
1位 猪熊弦一郎現代美術館(丸亀)
杉本博司の個展「アートの起源|宗教」をみるために、2度目の訪問となった谷口吉生の名建築。エントランスからの吹き抜け空間の垂直に拮抗する「海景」シリーズの水平、トップライトをわずかに開放して光学硝子の五輪塔に光を取り込む演出など、展示の魅力を引き出す空間構成の妙に、この美術館のポテンシャルの高さを感じた。名作家具でくつろげる居心地よいカフェも健在。

2位 丹沢ホーム(丹沢)
ここも2回目の宿泊となった原広司設計のデザイナーズ国民宿舎(?)。はじめての時にはその奇抜な意匠にばかりとらわれてしまったのだが、今回感じたのはここがオーナー家族が生活を愉しむための場に招かれたゲストのような気分で過ごせる空間だということ。突拍子もない大階段も、ゲストの動線も配慮したくつろぎのスペースとして機能し、暑い夏には心地よく風が通り抜ける。サービスは普通の山の国民宿舎なのに、しっかりワインクーラーまであるところが心にくい。

3位 九段下ビル(東京)
今年を最後に取り壊される雑居ビル。関東大震災後に同潤会アパートなどと同様、復興のため建造されたこのビルが、東日本大震災の起こった今年姿を消すのは感慨深い。まあ、今まで都会の真ん中に残存していたこと自体が信じがたいような建築だ。裏手からの眺めは、かつて香港で目にした九龍城砦の姿を思い出させた。
建築展では汐留ミュージアムの「建築家 白井晟一 精神と空間」展が記憶に残る。
メタボリズムの未来都市展については、お気に入りアート編で触れよう。








