まだ香港に九龍城砦が存在した末期、イギリスから中国への返還前の香港を訪れた。この時、何かお土産のオブジェが欲しいなあと探したのだが、漢方の薬など見に行った薬局の店頭で一目ぼれしたのがこの大きい方の鍼灸経穴人形。ちなみに小さい方は渋谷スペイン坂の中国雑貨店「大中」で後に買ったもので高さは26センチある。この巨大な経穴人形はディスプレイ用だったのか、一般商品だったのか忘れてしまったのだけど、かなり法外に安価に買うことができた。
香港にはその時を含め回を重ねて出かけたのだが、久しく行けないうちにあの都市景観の風物詩だった路上に激しく張り出した無数のネオン看板が、今では撤去され「美化」されたのだという。2025年11月のニュースで香港の高層住宅で大規模な火災が発生したことを知ったが、いまだに建築用の足場は竹で組まれていたそうで、往時に見かけたその不思議な軽やかな構造物を思い起こした。
この人形を土産にした旅をさかのぼること数年、私の初めての海外旅行体験は香港の街歩きだった。文筆家山口文憲は「香港 旅の雑学ノート」などの著書で、「時代が許せば、上海の街で暮らしてみたかったけど、自分の時代にコスモポリタンになれるのは香港暮らしだった」というように自身の香港での生活のことを書いていたけれど、返還前の香港は近代的な高層ビルと高層住宅群、下町、商店、屋台街、ナイトマーケットなどが交錯する猥雑で活気ある都市だった。その初めての旅では、ナイトフェリーで中国本土の広州の街を訪ね、長距離の夜行列車で水墨画のような奇岩の桂林に足を延ばした。
列車の窓から目にする中国南部の広大な大地はどこまでも続く赤茶けた乾燥した世界であった。大都市である広州の街並みも、香港を経験したあとにはひなびて土と埃の街という印象を残した。返還を将来に控えていた香港は、いずれは中国という巨大な大地に飲み込まれ、茶色い土の中に埋もれるようにその都市のきらめきを失ってしまうのかもしれない。その時の私はそんな思いにとらわれた。実際の歴史は中国の経済発展によってまた異なったものになったけれど、その時の思いはある意味、現実になったような気がする。
鍼灸経穴人形に目をやると、そんな香港のことが私の頭の中を去来するのである。






