2009年11月16日
‘文化’資源としての<炭鉱>展

‘文化’資源としての<炭鉱>展は大きく三つのパートにより構成された複合的な企画である。
Part.1<ヤマ>の美術・写真・グラフィック(目黒区美術館1階・2階展示室)
炭鉱というテーマにフォーカスした、様々な時代の多様なメディアの作家の作品が集められている。展示室のパーテーションも多めで、その展示数は膨大。
Part.2川俣正コールマイン・プロジェクト(目黒区美術館区民ギャラリー)
川俣正の巨大インスタレーション「景」が、美術館の隣の地下ギャラリーのフロア全面に展開。炭坑町の出身である川俣の原風景を表現したジオラマとなっている。
Part.3特集上映<映像の中の炭坑>(ポレポレ東中野)
11月28日(土)からはじまる、炭鉱が登場する映画を上映する企画。劇映画・ドキュメンタリーなど全14作品を紹介。
さらに、美術館閉館後の公開講座<夜の美術館大学コールマイン・アート学科>を開講。参加者には、「石炭クッキー」、「石炭キャラメル」などの各地の「黒スイーツ」の試食や、旧産炭地のワインの試飲などの特典もあり。
今回のエントリでは、Part.1<ヤマ>の美術・写真・グラフィックの出品作品の中で注目すべき山本作兵衛の「筑豊炭坑絵巻」について紹介しよう。

山本作兵衛さんは明治二十五年筑豊に生まれた。十二歳で炭坑のツルハシ鍛冶に弟子入りし、十四歳で入坑、以来六十二歳まで筑豊の小ヤマで炭坑夫として生きた。その後も七十歳を過ぎるまで、閉山あいつぐ廃坑の夜警員として働いた。
昭和三十二年、作兵衛さん六十四歳の時、突然天の啓示を受けたかのように、筑豊炭坑の記録画を憑かれたように描きはじめる。以来描いた絵は実に一千枚にのぼる。文字通り作兵衛さんが生きた明治、大正、昭和三代にわたる筑豊炭田百年の壮大なドラマが克明に描かれている。日本の近代化を裏で支えた暗闇の地底の世界がはじめて、一人の老人の絵によって、その全貌を現したのである。
この画業は名も無き一坑夫によってなされた偉大な民衆絵画の記念碑である。
「反芸術綺談」菊畑茂久馬
坑内作業、ヤマの生活・娯楽、炭坑からの逃亡者へのリンチ、刃傷沙汰、爆発事故など、筑豊の歴史を伝える山本作兵衛翁の炭坑画は、日本有数のアウトサイダーアートともいえるだろう。貴重な原画をこれだけまとめて目にすることは、得がたい機会だ。その妄執とさえ感じられるエネルギーが、絵を通して伝わってくる。
さらには、この山本作兵衛の炭坑画数百枚を、マンダラのようにコラージュして模写したあの「美学校」の生徒による大壁画も今回展示されている。「美学校」といえば、赤瀬川原平等が講師を勤め、渡辺和博や南伸坊が学んだことで知られている。「九州派」の美術家菊畑茂久馬が美学校の講師を委嘱されたとき、「ぼくが講師をやるなら、山本作兵衛描くところの筑豊炭坑画を教課本にして生徒たちに模写させ、大壁画をつくる。それ以外は絶対駄目だ!」とごり押しして実現したプロジェクト。今回その大壁画にはじめて対面して、混沌としたパワーに圧倒された。
山本作兵衛関連のコーナーのインパクトは、炭鉱に対する予備知識がない人の心にも訴えかけるものがあるに違いない。
語りたいことが多すぎて困ってしまうこの展覧会、続きはまた別エントリで。
※11月28日(土)の夜の美術館大学は菊畑茂久馬氏の「山本作兵衛〜筑豊に吹き狂う夢」

2009年11月12日
夜の美術館大学コールマイン・アート学科
目黒区美術館ではじまった、‘文化’資源としての<炭鉱>展。私の20年来のマイブームである「炭鉱」が、美術の文脈で取り上げられるこの展覧会。会期中、閉館後の美術館で「夜の美術館大学コールマイン・アート学科」という公開講座が企画されている。全15回のこの講座の中で私が注目しているのが、11月14日(土)の吉岡宏高氏の回である。NPO法人炭鉱の記憶推進事業団理事長・札幌国際大学准教授の吉岡氏であるが、川俣正氏と同様、北海道の炭坑町のご出身で、高校では川俣氏の後輩。
ドイツのルール地方では、炭鉱や製鉄所の遺構を保存し、文化的資源として、産業遺産ツアーの対象としたり、レストランや美術館への再生、コンサートなどイベント・スペースとしての活用をするなどの取り組みが行われている。日本でも近年、長崎の軍艦島が注目され、観光上陸の実現・世界遺産化を目標にするなど話題となっているが、ルール地方のツォルフェライン炭鉱は、すでに世界遺産として登録されている。
吉岡氏は、こうしたドイツでの先行例を長年調査している日本の第一人者であり、私も彼のウェブ上でのレポートを目にしたことがきっかけで、2001年にはルール地方の産業遺産を訪問する機会を得た。
2010年には川俣正氏の参加するアート・プロジェクトが計画されているというルール地方の最新情報に触れることができることを期待している。また、吉岡氏が地道に活動をすすめている北海道空知(そらち)でも川俣氏のプロジェクトが始動しているそうで興味深い。
「空知、ルール、ウェールズ〜炭鉱を楽しみ、味わい尽くす方法」と題された吉岡氏の講座は、川俣氏のプロジェクトとの関連性からも要注目である。
2001年ドイツでの画像を紹介。(撮影はTaka氏)

世界遺産ツォルフェライン炭鉱のシンボル、立坑櫓(たてこうやぐら)。

炭鉱施設の内部は、インダストリアルデザインのミュージアムとして再生されている。

巨大なガスタンクは、天窓が造られイベントスペースになっていた。

製鉄所跡の広大な施設には、ドイツの写真家ベルント&ヒラ・ベッヒャーのお馴染み給水塔タイポロジー写真が。
ドイツのルール地方では、炭鉱や製鉄所の遺構を保存し、文化的資源として、産業遺産ツアーの対象としたり、レストランや美術館への再生、コンサートなどイベント・スペースとしての活用をするなどの取り組みが行われている。日本でも近年、長崎の軍艦島が注目され、観光上陸の実現・世界遺産化を目標にするなど話題となっているが、ルール地方のツォルフェライン炭鉱は、すでに世界遺産として登録されている。
吉岡氏は、こうしたドイツでの先行例を長年調査している日本の第一人者であり、私も彼のウェブ上でのレポートを目にしたことがきっかけで、2001年にはルール地方の産業遺産を訪問する機会を得た。
2010年には川俣正氏の参加するアート・プロジェクトが計画されているというルール地方の最新情報に触れることができることを期待している。また、吉岡氏が地道に活動をすすめている北海道空知(そらち)でも川俣氏のプロジェクトが始動しているそうで興味深い。
「空知、ルール、ウェールズ〜炭鉱を楽しみ、味わい尽くす方法」と題された吉岡氏の講座は、川俣氏のプロジェクトとの関連性からも要注目である。
2001年ドイツでの画像を紹介。(撮影はTaka氏)

世界遺産ツォルフェライン炭鉱のシンボル、立坑櫓(たてこうやぐら)。

炭鉱施設の内部は、インダストリアルデザインのミュージアムとして再生されている。

巨大なガスタンクは、天窓が造られイベントスペースになっていた。

製鉄所跡の広大な施設には、ドイツの写真家ベルント&ヒラ・ベッヒャーのお馴染み給水塔タイポロジー写真が。
2009年11月06日
聖地チベット−ポタラ宮と天空の至宝


上野の森美術館で開催中の「聖地チベット−ポタラ宮と天空の至宝」。予想を超えてでかいブツ(仏)がたくさんあったなあというのが第一印象。
2006年に埼玉県立近代美術館で開催された「マンダラ展」は、仏像・タンカ(仏画)のほか、バター彫刻・砂マンダラまで網羅し、チベット密教の教えを理解させようとする内容で、キャプションのわかりやすさ・丁寧さが印象に残った。それに比して、今回の「聖地チベット」展は「至宝」の言葉そのまま、きらびやかなお宝をとにかくお見せしますよという趣向。チベット仏教の歴史や、チベットと元・明・清の関係、チャム(仮面舞踏)、チベット医学など様々な切り口は提示されているのだが、チベット理解への入り口としては「マンダラ展」には及ばなかった。
それでも、日本の仏像とは全く異なる次元の美しさを持つチベットの仏像は刺激的。とりわけその造形や信仰に興味を引かれるのは、父母仏(ぶもぶつ)という男女が交合した姿を表わしたチベット密教ならではの仏像だ。
後期密教では、大胆にセックスを行法の中に取り入れたヨーガ(性瑜伽)が説かれるようになりました。仏教が堕落したという人もありますが、当時はまだDNAや遺伝子はおろか、精子や卵子も発見されていない時代です。男女の和合から胎児が形成され、それが次第に人間に成長してゆく段階は、当時の人々にとって、宇宙の神秘にも比すべき、不思議な現象だったに違いありません。そこで後期密教では、曼荼羅の宇宙生成のプロセスを、仏と神妃の和合により説明しようとしたのです。
「曼荼羅イコノロジー」田中公明
はなやかな仏たちが目立つなか、パドマサンバヴァやツォンカパなど、チベット仏教史上の偉大な人物の肖像が展示されているのも見所。とりわけ苦行するミラレパの姿は、小さめながらうれしい存在。清貧の行者ミラレパ(1040〜1123年)とその師マルパの師弟物語はチベット人の心を深くとらえてきたという。
ミラレパの伝記(『ミラ・ナムグル』)や詩集(『ミラ・グルブム』)は、チベット人のもっとも愛する宗教文学だ。修行者も俗人も、みんながその物語を愛好している。ミラレパの物語をとおして、私たちは、チベット人の魂の秘密に触れることができるのである。
「魔術から仏法へ」中沢新一(『チベットの聖者ミラレパ』に所収)
私がミラレパの存在を知ったのは、ネパールの書店で「MILAREPA」というコミック本を手に入れたのがきっかけだった。オールカラーで、神々のイメージや修行中のヴィジョンが美しく描かれたコミックである。のちに、中沢新一が訳した日本語版も出ていることを知り入手した。「聖地チベット」展は、残念ながらこのコミックから受け止めたほどのチベット仏教の奥深さは伝えてくれなかった。※もっぱらその侘びさびを玩味される日本の仏像も、開眼当初は金ピカで極彩色であったのだということは、チベットの諸仏を目にする機会に、あらためて思い起こすべきであろう。
2009年11月02日
絵葉書コレクション 台湾


久しぶりに絵葉書コレクションの紹介。台北に小旅行したのは何年も前になるが、茶藝館で中国茶を楽しみ、夜市の屋台、レストランと食い倒れの2泊3日だった。上のコラージュ写真の絵葉書、中正紀念堂や圓山大飯店などが賑やかにレイアウトされているが、絵葉書のタイトルはフォルモサ(Formosa)。台湾の別称で「美しい」という意味のポルトガル語からきているという。
下の絵葉書は総統府。日本統治時代の総督府である。10月10日の国慶日(建国記念日)には、このように華やかに装飾されるそうだ。
この2枚の絵葉書を見ると、台湾にけばけばしいイメージを感じるかもしれないが、普段着の台北は活気がありながらも、どこか郷愁を感じさせる街だった。
2009年11月01日
皇室の名宝―日本美の華 1期

東京国立博物館の「皇室の名宝」展1期もまもなく終了。若冲の動植綵絵にヒートアップした前半戦であったが、まずは「第1章 近世絵画の名品」についてつぶやいてみる。
●20年近く前、古書店で手に入れた1971年東博での「若冲特別展観」の図録。手に入れた当時は、とにかくカラー図版の「群鶏図」などニワトリに惹かれた。「動植綵絵」の存在自体、図録に載っていたのに見過ごして記憶の彼方へ。
●最近、1971年の図録を本棚から発見。「会場の都合で、動植綵絵三十幅は、会期を前後二期に分け、概ね十五幅ずつ展示する。」という記載があった。釈迦三尊像三幅も出展!
●釈迦三尊を中心に左右に30幅が対になった相国寺で観た展示では、「仏画」としての印象が強く全体と細部の織り成すコスモロジーに感動した。そのときの感想はこちら。
●今回は類似した画題を並べて眺めてみて、「絵画」として見比べた感じ。
●唐獅子図屏風は京博で観たときのほうがでかく感じた。6曲1双だったせいか。
●北斎、西瓜がこんなになまめかしいなんて。
●動植綵絵のあとに観ると、抱一の花鳥十二ヶ月図がいわさきちひろのように淡く見えた。
1971年の図録の表紙はこれなのである。「第2章 近代の宮殿装飾と帝室技芸員」の人形や置物、工芸品の数々は、「皇室の審美眼」がいかなるものなのか、そんなことを思わせた。
赤瀬川原平・山下裕二・南伸坊の三人は「日本美術観光団」の中で、宮内庁三の丸尚蔵館の「近代日本の置物と彫刻と人形と」という展示を見てこんな鼎談をしている。
赤瀬川 見る前は、美術館で置物っていうのが不思議な感じがしてたんだけど。
山下 それこそ狙い通り(笑)。展示室に入る前に、主任研究官の大熊敏之さんにそのへんのことを伺いましたよね。アカデミックな美術史研究ではこれまで対象にしなかったような所蔵品がたくさんあって・・・。
赤瀬川 大熊さんも最初は戸惑ったけど、やがてモノに教えられて新しい地平が見えてきたと、あの話は面白かった。
南 そう、モノなんだよね。彫刻は芸術で置物は芸術じゃない(笑)。芸術の人はオキモノなんていわないもんな(笑)。置物ってモノなんだよね。置物おもしろいよ、モノとしておもしろいし、すごい。
山下 「すごい」の価値基準の物差しに、「作るのがたいへん」っていうのがまずあるでしょう。ここにあるものはその極致。
三人はこの時、「蘭陵王置物」や、「官女置物」なんかを目にしている。「蘭陵王置物」はお面が外せて、下にまた顔があるなどと盛り上がったり。
作るのがたいへんなモノに実体(手ごたえ)のある価値を見出し、作家の創造力とか個性とか、近代的な主観が入り込む余地のない「美」。それが「皇室の名宝」の価値基準なのかもしれない。
上流階級の子女と、隅田川の水上生活者を描いた鏑木清方の「讃春」がこうした置物と並んでいるさまは、大らかなようでもあり、その審美眼についていけない感もあり。

日本美術観光団
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2009年10月26日
村田朋泰「2」 GALLERY MoMo Ryogoku

両国のGALLERY MoMoで観た村田朋泰の個展「2」。ギャラリーのウィンドウから覗くインスタレーションにはじまり、オブジェ・映像・ペインティング・アンティークの机の上に置かれたテキストなど、精神の深層に働きかけるような濃密な世界が広がる。ギャラリーの奥に進むと会場には一面の枯葉。照明を落とした中に、大きな白い本のページが開かれ、人形やオブジェが織り成すアニメーションが投影されている。ギャラリーのリノベーションの際に残されたふるい木造の構造材までが、村田ワールドの舞台装置のようだ。そして行き止まった果てには不思議な祭壇に人形が。祭壇の前のテーブルに置かれた小冊子を読む。
一卵性双生児の僕は、僕ともう一人の弟(もしくは僕自身の影)という関わりについて、幼少のころからその性格や考え方の違いで普通の人が意識しなくてもいいことまで意識するようになります。簡単に言えば、それは、人間というものは似たものを二つ並べると「比較」し「分け」「差別化」をはかりたくなるということです。そこからおこるさまざまな出来事を僕は僕なりに消化しなくてはなりません。弟は僕に「影」という存在に徹する仕組みのようなものをつくっていった気がするし、もしかしたら僕自身が自ら彼の影的存在として振る舞っていこうとしたのかもしれません。どちらが先になにかを仕掛けたかを明確にすることはとても難しいのです。
村田朋泰個展「2」パンフレットあとがき
文中の「影」という言葉はユングの深層心理学の「元型」のひとつである「影」のことであろう。人間は無意識のうちに自分にとって受け入れがたいこと、「悪」を自分の「影」としてイメージするという。一卵性双生児の兄弟を持つ村田にとっては、弟と自分の関係は影の病とされる二重身(ドッペルゲンガー)にも等しいものなのかもしれない。
二重身の現象とは自分が重複存在として体験され、「もう一人の自分」が見えたり、感じられたりすることである。精神医学的には、自分自身が見えるという点から、自己視、自己像幻視と呼ばれ、また二重身、分身体験などとも言われる。
二重人格、二重身の現象に典型的に示されるように、「二」ということは大きい意味をもっている。二はそれまで未分化であった一と異なり、そこに分離、対立、葛藤などが生じてくる。人間の意識の構造を考えると、善悪、天地、父母、精神と物質などの多くの対立する事象や概念が、それを支える柱となっていることが解るのである。
河合隼雄「影の現象学」
村田の「影」である弟に心臓手術の体験があるという事実から、この個展のモチーフの多くは紡ぎだされている。心臓や血管のオブジェ・手術器具・腑分けという言葉。また「女の子」や「男の子」のモチーフはユングの元型の「アニマ」、「アニムス」を想起させる。作家が自身の出自・来歴とユング的な深層心理学の語法から、この個展の世界を創造したことは明らかだろう。
いわば、この個展そのものが村田自身の箱庭療法であるということができるのではないだろうか。しかしここに表現された事象を表層的な言葉に還元することは難しい。言葉に寄りかからない深層の表現。村田朋泰は単なるアニメーション作家というポジションに収まらない、精神性を追求する方向へ向かっていくのであろうか。
箱庭を作るのも物語を作るのも、言わば同じことである。しかし、箱庭は非言語的である。日本人はどちらかというと、こちらの方が得意で、これは日本で箱庭療法が発展したひとつの要因であると思う。
欧米人が箱庭を作ると、作った後にその人が、これは「私」で、この石は「父親」です、この木は「母親」を表わしていて、などと結局は言語によって説明したりする。なかなか言語から離れられない。
それに対して日本人は「何となく」とか「面白いから」などと言って説明抜きで、ものを置き、それが結果的には深い表現になっていたりする。(河合)
「村上春樹、河合隼雄に会いにいく」

影の現象学 (講談社学術文庫)
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村上春樹、河合隼雄に会いにいく (新潮文庫)
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※両国MoMoでの個展はすでに会期終了しているが、現在日本橋高島屋美術画廊Xで「村田朋泰 ゆるゆる☆ズ」が開催されている。こちらはぐっとポップでキャッチーな個展になっているそうだ。(11月9日まで)
2009年10月23日
谷中のカヤバ珈琲

芸大から谷中へ抜けていく交差点の角の喫茶店「カヤバ珈琲」。ここ数年開いている様子が無いなあと気になっていた。先日、上野に出かけた折に足を伸ばしてみると営業しているではないか。でもいつもシェードで覆われていたガラス窓が開放され、なんだか様子が違う。
実は平成18年秋、店主がお亡くなりになり閉店。地元有志により復活再生が目指されて、今年9月に再スタートしたところなのだそうだ。店内はリノベーションされ、天井板をガラス仕様にして梁が見えるようにしたり、モダンな照明器具を使ったり、変化はしているのだが、レトロな椅子やカウンターのレンガ壁などは昔からの雰囲気を残し、落ち着いた空間に仕上がっている。改修・管理には近所の銭湯を再生したギャラリー「SCAI THE BATHHOUSE」が関わっているとのこと。
窓からの明るい光と、渋みのある内装の生み出す居心地の良さを味わいながら、モーニングセットをいただいた。上野の美術館めぐりの前に気力をチャージするのに、ぴったりの場所だ。月曜定休・8時〜18時営業。
2009年10月22日
光 松本陽子/野口里佳

「光 松本陽子/野口里佳」最終日、国立新美術館へ。野口里佳の写真の世界に深く引き込まれた。
連作「フジヤマ」の映し出した富士山の風景は、見知らぬ惑星の荒涼とした光景のようだ。地球のものではないかのような大気や岩石の存在。自我や感情を感じさせない点景としての人物たち。このSF的な異界の感覚は、与那国島の海底遺跡を捉えた「星の色」にも通底していた。
「太陽」シリーズのまばゆい陽の光は、終末を迎えた世界を照射するかのようで、神々しさに包まれる。光に満ちた画面の中に一羽の鳥が佇立する「マラブ」は、沖縄のサンクチュアリである御嶽(うたき)を連想させた。
巨大な重機が水をすくい上げる無為な作業を写した「水をつかむ」。まるで壮大な神話の中の古代の装置のようでもあり、未来の機関のようでもある。
そして「飛ぶ夢を見た」で空に航跡を描いたロケットは、「飛ぶ夢を見た2」で宇宙空間の無数の星の中をワープするイメージにつながっていく。
展示全体を通じて感じられたのは、ここではない何処かへと向かっていくベクトルと、この世界そのものの存在を見据える深遠なまなざしだ。野口里佳のスタンスには、新しい世界を切り開いて行こうとする、宇宙に内在する個体としてのパーソナルな在りようと、神の目で宇宙全体を見つめているような超越性が二重構造で存在している。
宮沢賢治について見田宗介が論じた「宮沢賢治―存在の祭りの中へ」のこの一節は、そのまま野口里佳に向けられるような気がする。
わたしたちは、内部にありながら同時に外部にあるという二重化された眼の位置を、何の不自然さもないように詩人と共有してしまっている。
一方、松本陽子の作品ではグレーの絵画と緑の絵画のシリーズが、深みがあり心地よく感じられた。今回の展覧会がこうした個展の抱き合わせのような形式になったことには疑問もあるが、ふたりの作家に共通して感じられたのは、その表現が精神世界の深みに向かって入り込んでいってしまいそうな危うさであろうか。人が「光」を見るとき、何かが兆しているものだから。

宮沢賢治―存在の祭りの中へ (岩波現代文庫―文芸)
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2009年10月20日
最近のギャラリー徘徊

トーキョーワンダーサイト、本郷と渋谷が今なかなかすごいことになっている。TWS本郷では公募展「トーキョーワンダーウォール」で選抜された作家たちの展示企画、「TWS―EMERGING2009」が継続しているが、2階のスペースすべてを占めて展示されている海谷慶の彫刻が、1点勝負ながら強力。はじめに作品が視野に入ったときは、なんだかわからない抽象彫刻かと思った。ところがあらためて眺めてみると、それは巨大なテーブル珊瑚だ。具象であることを突き詰めていった先に、抽象的な造形が立ち現れる。自然の造形が持つ有機的な美を人工的にトレースすることで、巨大な彫刻は人工と自然の融合した独特の風合いを持つに至っている。これはまるで一種のフロッタージュだ。
薄暗い展示室の空気そのものが、海の底のように重く静かに感じられる心地がした。
TWS渋谷は、大巻伸嗣「絶・景−真空のゆらぎ」。とにかく膨大な量のスラグ(ゴミの燃焼より生じる人工物)をギャラリーに運び込み、圧巻のインスタレーションが展開されている。作り込みはかなり大雑把なのだが、スラグの堆積の上をジャリジャリ歩く感覚は異様。私はシャボン玉の大巻よりも、この暴力性の方が好きだな。
既に会期が終了しているが、両国のGALLERY MoMoの村田朋泰は、深層心理に働きかけるような沈潜する世界が素晴らしかった。MoMo両国は初訪問だったが、リノベーション前の建物からそのまま引き継いだレトロな木造の構造材は、まるで村田ワールドの舞台装置のように作品世界と共振していた。この個展については稿を改めて言及してみたい。
藤城清治 軍艦島を影絵に

ブログ「ジョヴァンニッキ」のジョヴァンニさんからの軍艦島の影絵が出品されるという情報が無ければスルーしていただろう藤城清治「光と影展」。子供の頃からおなじみの美しいメルヘンの世界のなかに、突如長崎の炭鉱の廃墟の島「軍艦島」の不気味な姿が現れる。ライトボックスになった光源からの透過光が廃アパートの窓から漏れるさまが美しい。荒れ果てたコンクリートの質感の表現も予想を超えたリアルさだった。私自身、何度か軍艦島を目にしているが、丹念なスケッチに裏打ちされた軍艦島の異形は、そのディテールにいたるまで克明で、現存しない立坑櫓(たてこうやぐら)の姿を描いたことにより、単なる過去の遺物ではない「生きている歴史」を伝えている。
広島の原爆ドームも見事な大作で、ドームの下に蓮池が広がり蓮の花が輝いているという荘厳なアレンジ。
長崎の被爆遺跡である一本足鳥居と被爆クスノキの山王神社の影絵や、離島の小さな天主堂のスケッチなど、長崎の風物に触発された老大家(1924年生まれ)の旺盛な創作力に驚かされる。
藤城の親類である雑民党の東郷健から依頼された、ゲイ雑誌の表紙デザインの仕事も紹介されていたが、これがなかなかセンスがいい。軍艦島とゲイがキリスト教系の教文館のギャラリーで脚光を浴びるというのも、藤城清治のメルヘンのうちに秘めたエネルギーの過剰さゆえか。
※10月18日(日)で会期終了


