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もうすぐ9月21日。ブログ「中年とオブジェ」もとうとう5周年を迎える。今夏の青森旅行の折、新幹線車内の通販カタログからまた珍妙なネタを入手した。光触媒の人工「さかき」と、柏手を2回ならすと15秒間点灯する灯篭。15秒って、いったいどこからわり出された長さなんだ?

先日、千葉市美術館の「MASKS―仮の面」展を観て「移動する聖地」という小文を書いたけれど、神棚というのも仮面同様、自宅に携帯する「聖地」だよなあ。本当の聖地の仮の姿。いわば「霊性の模型」に向かって柏手を打つ。だったら「さかき」や灯篭だって「模型」でいいのかもしれない。

「中年とオブジェ」も最近はアートのネタにシフトしてきているのだが、アートこそはこの世界の成り立ちを抽出して写し出す「模型」を造る営為であると思う。たとえば自然の猛威である大洪水を、反復可能で安全な模型化した発電所美術館のヤノベケンジ

宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」の中には「標本と模型」のモチーフが繰り返し描かれる。午后の授業で見る「銀河の模型」。第三章に登場する「鉄道の模型」とジョヴァンニの父が学校に寄贈した「巨きな蟹の甲らだの、となかいの角だの」の標本。そしてプリオシン海岸では、学者が120万年前の化石を「標本」にするため発掘している。

標本や模型というのは、世界を知るための見取り図であろう。建築模型や設計図から、建築物の生み出す空間に思いをめぐらすように、アートを介して人は世界の成り立ちを想像する。私はアートの魅力を、「模型」としての精緻さ・巧妙さと、それが喚起する想像力の大きさに求める。

模型としての完成度のみを誇るアートでは、満足できないんだなあ。

※昨年、Twitterをはじめて以来、食い物のことをブログで書くことがめっきり少なくなった。つぶやくだけで終わる展覧会も多い。これからの「中年とオブジェ」は、どうしても考えを書きまとめたい時・写真をアップしたい時の更新となるでしょう。できは悪くても、おやっと感じられるような「模型」を作っていければと思います。