牛のようなもの

古道具屋で、骨董市で、旅先で、ネットオークションで、いろいろなオブジェと出会う。私が自分のものにしたいと感じるオブジェにはどんな基準があるのか。おぼろげだが考えてみる。

■手作り感があること
私が手に入れるのはアートコレクターの範疇にはないものなので、いわゆる一点ものはほとんど無い。それでも、作った人の手仕事が感じられるモノにひかれる傾向は強い。海外の民芸品なども、実際には量産体制で作られているのだろうが、木・焼き物・石など素材の質感とちょっといびつな品質に魅力を感じて手にすることが多い。したがって一般的なフィギュアにはあまり興味が無い。

■役に立たないこと
私の集めているものなど、ひとの目にはガラクタであり無用の長物である。本来機能美が求められる食器などでも、沖縄の壷屋焼のコーヒーカップなど、ぼてっとして目的をはみ出た「過剰性」のある器が好きだ。部屋のインテリアを引き立てるための小物の域を超えて家中に散在するオブジェたちは、役に立つお洒落さも持ち合わせていない。赤瀬川原平は、街の中の無用の長物的物件を「超芸術トマソン」と命名したが、我が家のオブジェたちも私の無意識下の欲動が顕在化した「無用の用」のために存在しているのかもしれない。

■ナンダカよくわからないこと
岡本太郎に言わせれば「何だこれは!」と了解不能な「べらぼうなもの」にこそ感動があるという。私の集めるオブジェたちにも、ひとめ見て「美しい」とか「かわいい」と感じるモノはほとんど無い。むしろ仮面や、仏像から原爆ドームのミニチュアにいたるまで「念」がこもっていて不気味な感じのするモノが多い。言葉に置き換えられないナンダカよくわからない力の存在。水木しげるはニューギニアの精霊たちのオブジェをコレクションしている。横尾忠則は涅槃像とか瀧のポストカードとかY字路の写真とか、テーマを絞り込んで集中的にコレクションをするようだ。私のオブジェの集め方は雑駁で、コレクションと呼べるような代物ではないのだが、ナンダカよくわからないことに熱がはいってしまう点は彼らに通じる感覚があるのだ。

今回紹介するオブジェ、「牛のようなもの」はこれらの条件にあてはまる奇妙な彫刻。近所のリサイクルショップで出会った。作品名も作者も不明だが、腹部には「JAPAN」と印字されている。もちろんひとめ惚れであった。