2014年3月31日。タモリの「笑っていいとも」の最終回。ほとんど見てきたことのない「いいとも」だが、この日は昼間の最終回の本放送も、夜の生放送「グランドフィナーレ」も見続けてしまった。
高校生の頃夢中になったラジオの深夜放送「タモリのオールナイトニッポン」が、タモリが「笑っていいとも」の司会者として昼の顔になることと引き換えに終了したときにはずいぶん残念な想いをしたものだ。
32年間継続した「いいとも」が、タモリの才能と時間を浪費し、大きな欠落を招いてしまったというような印象は、そのスタートの時点から私の心の底にわだかまってる。
横澤:彼自身もやる気が無いわけだから、なんとなく言われた通りね……ほら、彼はどっちかっていうと他力本願型のタレントだから。
景山:台本の通りにちゃんとやっちゃうっていう人ですからね。
横澤:うん。だから言われた事はちゃんとやりますよという。そんな感じでやってたからあんまり盛り上がらなかったんだけども、僕は3日目ぐらいに、これはいけると思ったのね。
(中略)
横澤:だから一時、たとえば山藤(章二)さんみたいな人が休舌宣言したらみたいなことだとかさあ、つまり密室芸人のままいて欲しかったみたいなのはあったけど、もう無理だと思うのね。彼はもうとにかく白昼堂々芸人みたいなのになっちゃったわけだしさあ、それはそれでもって認められちゃったわけだし。それから国民的になったというか、冗談で彼が言う様に、国民のおもちゃって言ってんだけど、そういうふうになっちゃったから。もうそれはものさしで計る必要はないと思うんだ。
景山民夫「極楽TV」より 横澤彪×景山民夫(1983年11月)
昼の最終回。テレフォンショッキングでビートたけしを相手にトークするタモリを見たときには、がっついて前に出ようとするビートたけしをニヤニヤして受け流すタモリに、相変わらずのタモリらしさを見た。しかし、夜のグランドフィナーレで、番組に関わった芸人・タレントのごったがえす中にタモリの姿を見たとき、いいしれぬモヤモヤした感慨に襲われたのである。
しばしの明石家さんまとタモリのトークのさなかに続々と乱入した大物芸人たちのカオティックな渦の中で、なんら収拾することなくたたずむタモリ。SMAPのタモリ奉祝の歌唱。そしてタモリへの感謝メッセージとしてスピーチを延々と続ける芸人・タレントたちに、直立してあい対し続けるタモリ。
なんだか、タモリが天皇のように見えてきた。象徴としての天皇。中心の不在による統合の象徴。
御前会議のカオスの中で黙するタモリ。園遊会で、居並ぶ著名人を慰藉するタモリ。EXILEに奉祝されなくてほんとによかったと少し救われる。
「笑ていいとも」起用は、思えば密室の変態芸人タモリの「人間宣言」だったのかもしれない。「神」から「人間」になったタモリは、国民の統合の象徴の「天皇」としての公務を32年間不休で継続してきたのだ。「タモリ倶楽部」はタモリの御用邸。公務の合間に、お召し列車をチャーターしたりして楽しまれているのだ。
「天皇」というメタファーを私はネガティヴに使っているのではない。そんなこじらせた愛を感じるほどに、私の心の中にタモリがいる。タモリはどこへ行く?