与那国島へ行ってみると、海というのが絶対的だ。まずそれが大前提として、世の中の基本として、青一色で島を取り巻いている。それを見ていると、頭の中がぎっしりと空っぽになる。ジーンと脳ミソのノイズだけが聴こえてくるような気がする。

赤瀬川原平「島の時間」


対馬・五島・奄美・沖縄の島々など、九州から西に連なる島をめぐった旅のエッセイ「島の時間」は、数多い原平さんの著作の中でも私の好きな一冊だ。日本の最西端の離島、与那国島についての原平さんの文章は、私をこの島への旅へと駆り立てた。

「頭の中がぎっしりと空っぽになる」とは、なんというフレーズであろうか。平易な日常語彙が、思いがけぬぶつかり合いをして明快なイメージを提示する。柔らかでさりげないが、深く凄みがある。

原平さんは自分の眼球カメラで観たものを言語化することの達人だ。原平さんの文章は、難解な事象を平易な言葉で表現する、というような「達人」のレベルを軽やかに超えた境地にある。常人には観ることができないものを、誰もが知っている言葉でさらっと描出し、私たちに見えるものにしてしまう。それは単なる巧みな解釈力を超えた、新しい知覚を創出するチカラのなせる技なのだと思う。

「目からうろこが落ちる」という表現があるけれど、原平さんは私たちの蒙昧な眼(まなこ)に張りついた常識を、平易な言葉のメスで引きはがしてくれる。あまりに切れ味が鋭いので、まるではがされたことに気がつかぬほどに軽やかに。

この本に出会ってすぐに、私は与那国島への旅を実現した。原平さんの著作を読むことは読書の楽しみにとどまらず、いつだって私を直接行動に駆り立てた。路上観察へ、パフォーマンスへと。ほんとに「いまやアクションあるのみ!」


その原平さんが世を去った。私にとっての「父が消えた」。で、沖縄の伊計島で観た墓地についてのこんな文章。

墓の形は亀甲墓や破風墓など本島と変わりはなかったが、ちょっと、墓の正面入口に履物と杖の置かれているのが珍しかった。草履であったり、革靴であったり。
(中略)
墓の脇に置いてあるというのは、故人がすでに故人として死んではいるのだけど、霊界では生きているわけで、だからご不自由のないようにと、たぶんそういう心づかいなのだろう。

赤瀬川原平「島の時間」

原平さんの墓の脇には中古カメラと靴が似つかわしい。霊界をあの原平さんならではの眼(まなこ)で観察して、「宇宙の御言」を賜りたいなあ。

合掌