採集地 東京(テツ撮影)

赤瀬川原平が脚本を書いた映画がある。勅使河原宏監督の「利休」(1989年)。三國連太郎が千利休、山崎努が豊臣秀吉を演じている。黒人の従者をひき連れ、奇抜なファッションで耳目をひく織田信長像を映像化し、利休の茶の湯の深遠に触れ、独特の秀吉を描いた、静かだが異色の作品である。

この映画の脚本執筆がほぼ終わるころ、原平さんは岩波書店から請われて一冊の新書を書いた。

「千利休 無言の前衛」岩波新書

茶の湯とはなにか、侘びとは、千利休とは何者なのか。脚本執筆をとおして思いめぐらされた原平さんの自在で独特な考察。それはやがて、原平さん自身が駆け抜けた「前衛」の時代、そして「路上観察」という表現についての自問へとゆるやかに結びついていく。

トマソンや路上観察物件は、自分で作るものではなくすべて他人が作ったものである。その他人にしても、その自分の知らないところで出来てしまったようなものである。それを歩きながら見つけて、写真に撮って眺める、ただそれだけのことだ。すべては他力によって成されたことで、他力のエネルギー変化を見ているだけで、その解釈以外に自力による働きかけはどこにもない。
考えてみれば、そもそもは自力創作の不毛を見たところから、他力の観察発見に転じているのである。だから路上の物件を見ても、それが無意識的に作られたものほど面白い。こちらに向けて作られたものは、おうおうにしてうるさい、暑くるしい、どうしても避けてしまう。
利休の言葉に、
「侘びたるは良し、侘ばしたるは悪し」
というのがある。それは路上観察をやっていればおのずからわかることだ。人の恣意を超えてあらわれるもの、そこにこそ得がたいものを感じる。利休の言葉もそれを指している。人の作為に対して自然の優位を説いているのだ。

赤瀬川原平「千利休 無言の前衛」

原平さんの「路上観察」は、ただ単に街で変なものを見つけてレポートするという次元にはない。都築響一の「珍日本紀行」などの仕事にあるエキセントリックさとも無縁である。ではなぜ、原平さんは「路上観察」をするのか?
上記の文章の中のこの一文に、その真意はある。

考えてみれば、そもそもは自力創作の不毛を見たところから、他力の観察発見に転じているのである。

ネオ・ダダ、読売アンデパンダン、ハイレッドセンター、東京ミキサー計画、通貨模造疑惑による千円札裁判。戦後の日本美術を撹拌した「前衛芸術家」赤瀬川原平。その自力創作不毛の果ての「路上観察」。次の文章はその原平さんの実相を突きつけている。

前衛としてある表現の輝きは、常に一回限りのものである。世の中の形式の固まりを壊してあらわれ、あらわれたものは、そのあらわれたことでエネルギーを使い果たす。その前衛をみんなで何度も、というのはどだいムリな話なのである。みんなで、といったときにはもう抜け殻となっている。そもそもが前衛とは、みんなに対する犯罪的存在なのである。すでにある固まったものを壊してこそあらわれてくる。その瞬間に、世の形式を倒す毒素として、一瞬の悪役としてあらわれるのだ。
しかしいまの世の中は、そこのところを履き違えることになった。一回性をもって特権的に許される瞬間の悪、その前衛の民主化である。前衛をみんなで、何度も、という弛緩した状態が、戦後民主主義による温室効果となってあらわれている。自由と平等という、いわば戦後民主主義の教育勅語が、ふたたび私たちの頭脳を空洞化している。

赤瀬川原平「千利休 無言の前衛」

たとえば珍しいマンホールの蓋の発見を繰り返し続け、分類整理する「トマソニアン」と原平さんの「超芸術トマソン」の思想は、位相の異なる似て非なるものなのである。原平さんは、なんとなく面白い、優柔不断な好々爺という晩年のイメージをまといながら、最期まで「前衛芸術家」でありつづけたのだと私は感じる。

「千利休 無言の前衛」という一冊は、「赤瀬川原平 無言の前衛」としても読みとれる著作である。