中年とオブジェ

美術館・街で見かけたオブジェ 旅先で手に入れたオブジェ オブジェの視点で世の中を楽しむ中年の日常。

オブジェ









元永定正「水」

国立新美術館 GUTAI

長崎1987






これらは広島を思い出します。原爆タイプという名前をつければ、あまりにもエグイでしょうか。原爆の日に、広島市内の銀行の石段に坐っていた人の影がそのまま焼きついていた。あれです。あれと同じ原理です。この建物の影が、そのまま人間存在の影のようです。

赤瀬川原平「超芸術トマソン」

1987年長崎を旅したとき、街角で出会った「原爆タイプ」。被爆地長崎で目にすると、なんともいえず胸に迫るものがあった。

8月9日に寄せて、長崎の記憶。


長崎県の島原には、平和祈念像の作者である彫刻家北村西望の作品を集めた「西望記念館」がある。島原城の天守閣の内外に彫刻が多数展示された珍しい美術館。中でも日蓮上人坐像は迫力。

島原城公式サイトはこちら

原爆ドーム






8月6日。広島に原子爆弾が投下された日から今年で67年。このオブジェはその広島でみやげ物として作られたのであろう。簡素なドーム部分の表現だけでこれが原爆ドームであると分かるのは、それだけ我々の脳裏にこの負の遺産のイメージが鮮烈に刷り込まれていることの証だろう。

今、テレビ等の映像を通して目にしている福島第一原子力発電所の荒廃した姿は、将来にわたってどのようなイメージを我々の意識に植えつけることなるのであろうか。

この一見素朴で温かみのある原爆ドームの置物を眺めていると、私たちはまだ終わることの無い暗い深淵にさらされていることを思い知らされるのである。


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超芸術





炭鉱の島、長崎の池島で見た超芸術な光景

節電




採集地 尾道

ローマの休日





採集地 横浜

サックスを吹く男









採集地 十日町
     
     横浜

     埼玉  

monjuの智慧








採集地 日比谷

     福井

隠微な水栓





採集地 広島 宮島

TARO賞 岡本太郎現代芸術賞展



川崎市岡本太郎美術館で4月8日(日)まで開催中の岡本太郎現代芸術賞展を観た。いわゆるTARO賞である。第15回になる今年は、797点の応募から24組の作家が入選した。公募展らしく表現手法も作風も様々なごった煮の展覧会だが、TARO賞でなければ出会えないような、荒削りだけれどインパクトある作品もいくつか。

千葉和成ダンテ「神曲」 千葉和成 現代解釈集「地獄篇1〜7圏」のあまりに直截な表現は、他の美術展ではお目にかかる事が出来ないだろうとんでもなさ。どす黒い福島第一原発のオブジェと地下から迫り来る邪悪なもの。それを取り囲むパネル画の地獄図。麻原彰晃やビン・ラディンの彫像もある。また、資料として閲覧できる作家自身の出自を綴った文書や、酒鬼薔薇事件、911など数々の事件のスクラップ。作家がこの展示に込めたやり場の無いエネルギーの奔出を感じさせずにはおかない。この愚直なまでの作品が岡本敏子賞を受賞した。さすがTARO賞。

大賞であるTARO賞は関口光太郎「感性ネジ」。新聞紙をガムテープで覆って作られた巨大なネジ型の塔。イグアナ、マリリン・モンロー、管楽器、軍艦島のような団地群などのイメージが氾濫する。まるでインドのカジュラホの彫像だらけの塔のようでもあり、シュヴァルの理想宮の中にでもありそうな過剰に増殖する造形。

太田祐司「ジャクソン・ポロックの新作をつくる」は、イタコに降霊したポロックが絵を描く様子を、ヴィデオと完成した絵画の展示で見せる。イタコに憑依したポロックにいろいろインタビューするのだが、これが可笑しい。「あなたはアルコール依存症でしたね」と聞かれ「酒は今も飲んでる」と答えるポロック!出来上がった作品もなかなかの「新作」で、伝説上の存在となってしまったポロックをイタコが現世に引きずり降ろす面白さ。

そのほか東北画は可能か?「方舟計画」や、美大のゴミ捨て場から収集した美術作品に勝手にタイトルをつけ展示する島本了多と山本貴大「大学美術展覧会」なども気になった。

美術界の鬼っ子TARO賞。会場全体が「なんだこれは」というカオスにまでは至っていないが、これからも驚きあきれるような作家に光をあてて欲しいものだ。


ヤノベケンジのサン・チャイルド




2月26日、岡本太郎の誕生日に青山の岡本太郎記念館を訪れた。企画展「ヤノベケンジ:太陽の子・太郎の子」の最終日。雑然とした冬の記念館の庭に、鮮やかな黄色い放射能防護スーツを着た「サン・チャイルド」がそびえていた。

6メートルを超える巨大な像は、記念館に近づいたときすでに塀の外から姿をのぞかせていた。大きいだけではない。サン・チャイルドは実にいい顔をしているのである。脱力系の愛嬌あるトらやんに対し、希望に満ちた若々しい表情のサン・チャイルド。





岡本太郎記念館内部には、いたるところにトらやんたちが出現し、おなじみ太郎の人形に向かい合って、空也上人ポーズのアトムスーツを着たヤノベケンジ人形が突っ立ている。その異形に太郎がたじろいでいるかのようだ。岡本太郎のアトリエを訪問するというよりも、ヤノベケンジが太郎を乗っ取ったとでもいうべき構図。かつて「太陽の塔乗っ取り計画」を敢行したヤノベが、またしても太郎ジャックを仕掛けたのだ。

サン・チャイルドは大阪の万博記念公園、岡本太郎記念館を旅したのち、大阪の阪急南茨木駅前のロータリーに設置され3.11に除幕式が行われたそうである。茨木はヤノベケンジの出身地である。

3.11、原発事故、アトムスーツ、トらやん、そしてサン・チャイルド。ヤノベケンジの仕事には、先鋭なアーティストが持ちうる、世界のありようを予見する異能を感じずにはいられない。






2010年に富山の発電所美術館で行われた「大洪水」も、今思えば、そんな世界のダークサイドを見通してしまうヤノベの異能が発揮されたインスタレーションであった。洪水に飲み込まれる人家らしき建造物の姿が今にして3.11の大津波のヴィジョンと結びついてくる。この企画展自体、もし実施が3.11以降であったならば自粛もしくは展示内容に干渉がなされたに違いない。

来るべき世界を予見し、乗り越えていこうとする意思。ヤノベケンジはダークな妄想力、異能に支えられた稀有なアーティストである。

あざみ野コンテンポラリーvol.2 Viewpoints いま「描く」ということ

横浜市民ギャラリーあざみ野で、「あざみ野コンテンポラリーvol.2 Viewpoints いま『描く』ということ」を観た。淺井裕介、椛田ちひろ、桑久保徹、吉田夏奈の4人展。4人の作家がそれぞれに異なった位相で「描く」ことにアプローチしており、絵を「みる」ということに揺さぶりをかけられる刺激ある展覧会だ。



淺井裕介は多様な素材を用いた、平面・インスタレーション・陶作品など展示。彼の泥絵や陶はまるでインドのミティラー美術だ。民間に伝承される「美」が手仕事を受け継ぐことによる触覚的な記憶に支えられているように、淺井の作品には自身の手癖、クリシェをためらい無く表出することで、「みる」者の意識の深いところに共有される絵を描くことのプリミティブな歓びを引き出してくれる。それは小さな世界なのだけれど、「みている」のに「触っている」ような確かさで意識の古層を刺激されるのだ。



島と海の風景を、立体的なジオラマへのペインティングで構成した吉田夏奈。いわば幾何学的立体による山水画の試みなわけだが、棚田・紅葉・ダム・潮の流れなどを模型化して抽出することで、「みる」ことがあたかもその場所に「いる」かのような空間体験につながっていく。地図を読むように島と海の空間を感じる楽しさ。



桑久保徹は、インスタレーションとして会場内にアトリエを再現。絵の具の匂いに満ちた空間に散在する絵画作品・オブジェ・絵の具のチューブ。たとえばゴッホのようなマチエールをもった「夜のうず」。この1点だけでも「みる」者の心を騒がせるに足るのだが、この作家の企てはもっと重層的である。映画の中に「映画」が出てくることがある。撮影所でラッシュフィルムをみる製作者たち。苦悩する映画監督を演ずる役者。桑久保の展示スペースはそんな映画内「映画」にも類比できる絵画内「絵画」なのだろう。彼の絵画作品を1枚の「絵」としてみること、この「アトリエ」の中の「小道具」としてみること。位相の異なる「みる」体験が同時に発生し撹乱される。「みる」ことと「考える」ことの間に宙吊りにされるとでも言ったらよいのか。



椛田ちひろは、漆黒の楕円が展示室いっぱいに広がる中に鏡面と黒鉛のオブジェが浮遊する。目にした瞬間、「2001年宇宙の旅」のモノリスだなと思った。大きなインクジェット紙のロールを油性ボールペンで塗りつぶした部分は、近くでみると赤銅色というか鉛のような感じ。外部の光を鈍く映しこんでいる様はブラックホールか。ボールペンで引っかいた多くの痕跡など制作に関わる膨大な身体性は、作品から距離を置いて対峙したときにはもはや感じられず、ただそこに「抽象」がある。

椛田の作品を前にしては、ただただ「みる」ばかり。時間や空間という言葉も無効になるような「存在」そのものを感じさせられた。今回の4人の作家の多様さの中でも、椛田の表現はひときわ「描く」ことと「みる」ことの揺らぎない関係を構築していたのではないだろうか。

会期は2月26日(日)まで 会期中無休 10:00〜18:00 入場無料


追記:会期中に再訪したところ、椛田ちひろさんの「事象の地平線」の展示室の照明がより暗い演出に変更されていました。ボールペンの色面の赤味が増し、よりいっそう深遠な空間となっていると感じました。展示当初の会場を見た後で、作家の希望で照明の変更をしたとのこと。記録として画像をアップします。


空也上人 フィギュアになる!





最近の仏像フィギュア化ブームもすごいもので、とうとう六波羅蜜寺の空也上人像なんていうマニアックなフィギュアが登場した。口から飛び出す「南無阿弥陀仏」の六字をあらわすという六体の小さな阿弥陀仏まで再現されている。このフィギュア、インテリア小物として仏像を飾って欲しいというコンセプトで大小さまざまな有名仏を再現しているメーカーの商品なのだが、空也上人の鬼気迫る清貧なるお姿は、物欲にまみれたおのれの部屋の姿に対していやおうなく反省をうながすのだ。

きれいに片付いたモダンな部屋の中に置かれたなら、仏像も上質なインテリア小物になりうるのか?私のようにオブジェにまみれた生活では実感がわかないが、お洒落な空間に空也上人はちょっと困るでしょう。

ヤノベケンジも、アトムスーツを着た空也上人スタイルの等身大の自己像を作品にしているが、空也上人像の過剰な造形は、ヤノベのサービス精神旺盛な関西仕事と通じている気もするのである。

日常/ワケあり

昨日の午後、山下公園で開催されていたアフリカン・フェスタ2011に行ってみた。メインステージのトリ、マリ共和国出身のキーボード奏者Cheick Tidiane Seckのバンドは強烈であった。黒く重いビートが呪術的に効いてきてクラクラする。そのあと、近くに来たついでと神奈川県民ホールギャラリーの「日常/ワケあり」を鑑賞。これが実によく、期待を超えた展示だった。

江口悟田口一枝播磨みどりの三人展。江口のインスタレーションは、明るく軽妙な空間で「日常/ワケあり」というタイトルから連想されるイメージに一番近い。日常のオブジェをひとひねりした仕掛けに気づき、ハッとさせられる。そのあと展開する田口・播磨の展示室は闇の中や薄明かりの中に現れるオブジェが、白昼夢のような静謐な心象を抱かせる。何しろアフリカンバンドの興奮の余韻が一気にクールダウンされたのだから、ただならぬ空間となっていることは確か。

このギャラリーの特徴である階段のある吹き抜け大展示室に広がる田口一枝の世界は、2007年に、この展示室を黒い糸で埋め尽くした塩田千春の個展「沈黙から」にも迫る空間演出だ。








「※全作品繊細にできています。お手を触れたり、荷物が当たらないようにご注意ください。」という注意書きに納得の、表現自体の繊細さ。階段があったり細長かったり、マイナスとなりがちなこのギャラリーの作りが、作品の奥行きを引き出すために有効に使いこなされているのも特筆すべき点だろう。会期は11月19日(土)まで。撮影可能。

杉本博司 アートの起源|宗教



丸亀市猪熊弦一郎現代美術館で、杉本博司ひとりを取り上げて2010年11月から継続中の「杉本博司 アートの起源」。「科学」「建築」「歴史」というサブテーマのもとに展示が行われてきたそうだが、その最終章のテーマ「宗教」に私はことのほか興味を抱いた。また、谷口吉生設計のクールでモダンなこの美術館の空間が杉本作品とどう響きあうのだろうかという視点も、今回丸亀まで私が向かった大きな要因だ。

杉本の展示空間は大きく二つ。
エントランスを抜け1Fから2Fにかけての吹き抜けを取り囲んだスペースの中央には、平安時代の木造十一面観音立像。周囲には水平線と空だけを写した「海景」の大判の連作が、吹き抜けのヴァーティカルな力と拮抗して広がっている。

「これは補陀落渡海(ふだらくとかい)だな」と思い至る。南海の彼方の観音が住まう浄土「補陀落」を目指して、多くの捨身行者たちが死出の旅路にでたという故事。

そして3Fの天井の高い展示室に配されたのは、天井近くにまで届く木組みの大階段とその頂に天窓の光を受けて輝く小さな五輪塔。これは光学硝子でできているという。五輪塔は、フロア上の目の高さにも多数設置され、中をのぞくと「海景」の図像が封じ込まれている。さらに木彫のキリスト胸像が佇立し、三十三間堂の千手観音たちを写した大判の「仏の海」がずらりと水平に並ぶ。

ここにあるのは、いずれも「宗教っぽさ」を漂わせた模型・模像である。木組みの大階段自体も、巨大建築だったという古代の出雲大社拝殿の大スロープを連想させるではないか。しかしこの空間には確かに「霊性」を感じさせる何かがあった。いわば精緻に作り込まれた「霊性の模型」。ここは神社の境内でも沖縄の御嶽(うたき)でもない。なのに神聖な場所の持つ「霊性」がかすかに顕現しているのだ。

来場者に配布されるリーフレットには杉本博司による五輪塔についての解釈など、韜晦な言説戦略がなされていた。その言葉を鵜呑みにする必要はない。杉本は言葉を超えて「宗教」というテーマを空間に現出させることに成功しているのだから。

美術という「宗教」においてカリスマとなった杉本博司は真の美術家たりうるのか。「オズの魔法使い」の正体が機械仕掛けのカラクリを操る奇術師であったように、杉本が作った世界は小器用な模型に過ぎないのかも知れない。

しかし、あまりに精緻なジオラマは、時に実景をもしのぐのだ。




※最後の画像は、横浜トリエンナーレ2011横浜美術館会場で撮影した海景五輪塔

太郎の顔 岡本太郎記念館(青山)

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TARO OKAMOTO

かつての岡本太郎の自邸・アトリエであった青山の岡本太郎記念館。冬のある日に訪れたが、ジャングル化した庭の木に生えた奇妙な実までが太郎の作品のようであった。

生誕100年 岡本太郎展

岡本太郎展
岡本太郎展
岡本太郎展
岡本太郎展

東京国立近代美術館の「岡本太郎展」を観てきた。パリ時代・縄文土器の発見・久高島の御嶽(うたき)・太陽の塔・顔のグラスなどなど太郎をめぐるキーワード辞典のような展覧会。これらの中から気になるものが見つかったら、是非太郎各論へと入り込んでいくとよいだろう。この展覧会ひとつで岡本太郎を片付けてしまうことなかれ!
岡本太郎が死んだことを嘆いたって、はじまらない。今さら死んでしまったことを嘆いたり、それをみんなが嘆かないってことをまた嘆いたりするよりも、もっと緊急で、本質的な問題があるはずだ。

自分が岡本太郎になればよいのだ。

「岡本太郎宣言」山下裕二(1999年)


展覧会では、ごく短く編集されたタモリの「今夜は最高」出演時の映像が流れていたが、こんな動画を見つけた。なにか人々には見えないものと常に闘い続けた太郎の、悲壮な哀感が伝わってならない。



※展覧会場最後にひとつ持ち帰れる「おみくじ」はこんなのが出た。

下手なら、
むしろ下手こそ
いいじゃないか。


岡本太郎宣言
岡本太郎宣言
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コーヒーは壷屋焼で

コーヒーカップ

那覇の、国際通りから牧志の公設市場へと賑わいをみせるエリアを通り抜けると、「壷屋やちむん通り」という石畳の美しいひっそりした街並にたどり着く。数多くの焼き物の窯元直営の店が並んでいるが、ここまで来る観光客の姿は少ない。

そんな壷屋焼の街に、現在は実際に使われてる窯はほとんど無く、製作は読谷村などに移転した工房で行われているそうだ。清正陶器小橋川卓史さんは、平成17年に那覇市に特別許可を得て、壷屋に陶器工房を復興。壷屋の窯で焼くことにこだわった。東大寺の法会に銘々皿を奉納もした、若手の実力派陶工だ。父清正さんに師事して受け継いだ小橋川家の陶器は赤絵と魚の文様に特徴がある。渋く重みのある赤い陶器の色彩に包まれた店内。魚の姿も重厚で、ぼってりしている。

サーターアンダギーやらさんぴん茶やらを店番をするお母さんからいただきながら、のんびり欲しいものを見つける楽しさ。那覇を訪ねる度に通って、父清正さん・兄卓史さん・弟明史さんと清正陶器の作品が揃ってきた。次は何を探そうか。沖縄にもしばらく行っていない。

壷屋焼

毎日欠かせぬコーヒーは、やっぱりこういう存在感ある器で飲みたい。モダンなデザインのカップではしっくり来ないんだなあ。世界のどこかの農園で栽培されたコーヒー豆が自分の手で挽かれて、沖縄の陶器の中で香る。旅という非日常から持ち帰られた日常の器は、つかの間、旅の感覚を呼び覚ましてくれる。

追記:日常と非日常という言葉は、いままで私の書いてきた文章に使われることが多かったと思う。しかし、東日本大震災からひと月を過ぎ、「日常」という言葉と自分の毎日とのあいだになんともしがたい齟齬を感じている。精神科医の蟻塚亮二が著書「統合失調症とのつきあい方―闘わないことのすすめ」の中で書いたこんな言葉を思い出した。

「変わりないですか?」という質問は、患者さんとの面接での常套句のようなものだが、実は変わりが無いのが一番いい。考えてみれば、先週と同じように今日があり、今日と同じように明日がある、というのは当たり前のようだが、ありがたいことだ。明日も今日と同じように生きていると保障できる人なんてこの世にはいないのだから。

牛のようなもの

牛のようなもの

古道具屋で、骨董市で、旅先で、ネットオークションで、いろいろなオブジェと出会う。私が自分のものにしたいと感じるオブジェにはどんな基準があるのか。おぼろげだが考えてみる。

■手作り感があること
私が手に入れるのはアートコレクターの範疇にはないものなので、いわゆる一点ものはほとんど無い。それでも、作った人の手仕事が感じられるモノにひかれる傾向は強い。海外の民芸品なども、実際には量産体制で作られているのだろうが、木・焼き物・石など素材の質感とちょっといびつな品質に魅力を感じて手にすることが多い。したがって一般的なフィギュアにはあまり興味が無い。

■役に立たないこと
私の集めているものなど、ひとの目にはガラクタであり無用の長物である。本来機能美が求められる食器などでも、沖縄の壷屋焼のコーヒーカップなど、ぼてっとして目的をはみ出た「過剰性」のある器が好きだ。部屋のインテリアを引き立てるための小物の域を超えて家中に散在するオブジェたちは、役に立つお洒落さも持ち合わせていない。赤瀬川原平は、街の中の無用の長物的物件を「超芸術トマソン」と命名したが、我が家のオブジェたちも私の無意識下の欲動が顕在化した「無用の用」のために存在しているのかもしれない。

■ナンダカよくわからないこと
岡本太郎に言わせれば「何だこれは!」と了解不能な「べらぼうなもの」にこそ感動があるという。私の集めるオブジェたちにも、ひとめ見て「美しい」とか「かわいい」と感じるモノはほとんど無い。むしろ仮面や、仏像から原爆ドームのミニチュアにいたるまで「念」がこもっていて不気味な感じのするモノが多い。言葉に置き換えられないナンダカよくわからない力の存在。水木しげるはニューギニアの精霊たちのオブジェをコレクションしている。横尾忠則は涅槃像とか瀧のポストカードとかY字路の写真とか、テーマを絞り込んで集中的にコレクションをするようだ。私のオブジェの集め方は雑駁で、コレクションと呼べるような代物ではないのだが、ナンダカよくわからないことに熱がはいってしまう点は彼らに通じる感覚があるのだ。

今回紹介するオブジェ、「牛のようなもの」はこれらの条件にあてはまる奇妙な彫刻。近所のリサイクルショップで出会った。作品名も作者も不明だが、腹部には「JAPAN」と印字されている。もちろんひとめ惚れであった。

壊れた太陽の塔

太陽の塔

2011年3月11日の東日本大震災は、横浜の我が家にもはじめて経験するレベルの揺れをもたらした。本棚に横積みしてあった本や、天井近くに置いてあった軽いダンボール箱などが振動で落下し、大型テレビを載せたラックは30cm近くずるずると移動した。

「中年とオブジェ」を名乗るとおり、家のあちこちに散在するオブジェたちも転倒したり、床に転げ落ちたり。それでも破損したのはわずか2品にとどまった。

増長天太陽の塔

奈良の猿沢の池沿いのみやげ物屋で入手した、東大寺戒壇院の四天王フィギュアの中の増長天の持つ槍の先端が折れた。

そして海洋堂制作の太陽の塔のフィギュア(1/350スケール)は、金色の「未来の顔」の支持部分が折れ、頭頂部の避雷針がもげ落ちた。

岡本太郎生誕100年の今年に東日本大震災が発生し、我が家のオブジェの中で太陽の塔が壊れたことには、なにか偶然ではないチカラの存在を感じた。甚大な被害が発生した東北の地は、太郎が日本を再発見するフィールドワークを重ね多くの写真を記録した場所でもある。

子供の頃大阪万博に出かけられなかった私が太陽の塔をはじめてみたのは、ずいぶん後のことだった。テレビや写真でイメージには接していたが、実物を目の前にしたときのインパクトは強烈だった。まさに「べらぼうなもの」としかいいようのない巨大で呪術的で圧倒的な存在感。以来、岡本太郎は私の敬愛する「芸術家」のひとりだ。

形あるモノはいずれ失われる。私のささやかなこのブログで、あらためて自分の日常とともにあるオブジェたちのことを記録に残していこうという気持ちがわいてきた。「中年とオブジェ」のスタートした原点に返ってみよう。

after an earthquake 2011.3.30

この太陽の塔は、以前からあるソフビの小さいタイプ。


※先日、友人と作ったホームページ「観光」から「中年とオブジェ」に一挙に転載した「東北JAZZ遍路」。その後web上の情報から、釜石のタウンホール・大槌のクイーンのマスターや陸前高田のジョニーのママが無事らしいことを知った。何年も前に一度訪れたに過ぎない旅行者の私の心に今でも思い出が残る、温かく印象深い方々である。皆さんのご無事に安堵するとともに、失われたものの大きさを前に今はまだ言葉がみつかりません。
プロフィール

テツ

「中年とオブジェ」とは赤瀬川原平の名著「少年とオブジェ」へのオマージュである。美術、オブジェ収集、エリック・ドルフィーを愛好する。

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