中年とオブジェ

美術館・街で見かけたオブジェ 旅先で手に入れたオブジェ オブジェの視点で世の中を楽しむ中年の日常。

本の虫干し『ピカドン』




1945年8月6日 午前8時15分、
広島市民の上に、人類史上初めて、
1発の原子爆弾が落された。
人々はその時の太陽の百倍の閃光を
"ピカッ″と言い、続いておそった
衝撃波を"ドン″と呼んだ。

「ピカドン」木下蓮三・小夜子


はじめて、アニメ「ピカドン」を目にしたのはいつのことだったか。ヒロシマの原爆を思うとき、忘れることのできない印象をあたえた7分ほどの短編アニメーション作品である。作者は木下蓮三と妻、小夜子。手塚治虫が設立した虫プロで活躍したアニメ作家だ。

日本的な柔らかな色調の画面。原爆投下の日の朝の描写が静かに続く。効果音とBGM以外にセリフは一切ない。通勤の路面電車、乳飲み子を抱く母、軍需工場。やがて上空に米軍の爆撃機が現れ、原爆を投下する。

そのあとは凄惨な情景が、カラフルでさえある色調で描かれる。閃光・爆風・灼熱。焼けただれた女子高生、肉が溶け崩れていく母子、川の水を求めさまよう人々。





その後、このアニメを見る機会はなかったのだが、図書館でこの作品が絵本化されていることを知り、後年手に入れることができた。アニメの進行をそのまま巧みに紙面に構成した、フルカラーの絵本である。原爆投下直後の壮絶な画面も再現されている。静止画による「ピカドン」も、オリジナルのアニメに劣らない鮮烈な印象を与えてくれる一冊だ。

アニメ「ピカドン」がDVDなどでソフト化されていないか、広島の平和記念資料館のミュージアムショップで尋ねてみたこともあるのだが、入手することはできなかった。





漫画「はだしのゲン」を有害図書扱いしたり、平和記念資料館の皮膚の焼けただれた再現人形を残虐を理由に撤去要求したり。原爆の惨禍の忘却を加速するような動きを感じるいま、アニメ「ピカドン」やこの絵本のことを、多くに人に知ってもらいたいという思いを抱く。目をそむけたくなるほどに悲惨な被害をヒロシマは体験したのだということを抜きにして、脱色された原爆言説のみが流通するようになってはならないのではないだろうか。






あの人について思い出すこと




高校生の時、図書室に揃っていた現代美術の全集。夏休みの一人旅で大原美術館を訪れ出会ったポロックや、フォートリエ、フォンタナ。前衛美術にむくむくと心ひかれた僕は、むさぼり読んだその全集の中の1枚のモノクロ図版にくぎ付けになった。
白衣を着てマスクをつけた若者たちが、街頭をほうきで掃き、雑巾がけし、歩道をルーペでのぞき塵を除去している。ハイレッド・センターによる銀座路上清掃ハプニングであった。
すっかり感化された僕は美術部などの仲間を巻き込みあるグループを結成した。体育祭に乗じてアクションペインティングのパネル画を校庭の隅に設置し、校内放送のサービスを悪用し架空のイベントや集会の告知を次々に放送部に依頼し、昼休みに校内の中庭を大きな額縁や石膏のデッサン像を抱えて集団で無言の行進をした。行き着く果てには、メンバーみんなでサックス・クラリネット・トランペット・手作りパーカッションなどをやみくもに手にし前衛即興集団演奏に突き進んだ。
この経験がなければ、僕はのちにサックスの演奏をするようにはならなかっただろうと思う。


白夜書房の雑誌「写真時代」に連載された「超芸術トマソン」の概念の登場は衝撃だった。そのころ日本各地を旅していた僕と友人のグループは、トマソン探索にも熱中した。観光地ではない地方の街の変な看板、街頭のオブジェ。そして九州の筑豊を旅したときに出会った、かつての炭鉱跡地に残る巨大な遺構がきっかけで全国の廃坑をめぐる旅を重ねるようになった。しまいにはドイツの旧産炭地まで探訪する始末。そう、炭鉱の廃墟に残された意味不明の建造物は僕にとって巨大なトマソンだったのだ。


数年前に長いブランクのあとサックスの演奏を再開し、チェリストのジョヴァンニ・スキアリさんと始めた即興演奏ユニット。いくつかの候補の中からユニットの名称は二人の「これしかない」という合意で決まった。
「トマソンズ」
ジョヴァンニさんも、カメラを持たせると行く先々で不審者のように思わぬ被写体を発見しては写真で採集する「路上観察」のひとだったのだ。


横浜市民ギャラリーあざみ野で最終日に駆け込んだ「散歩の収獲」展。路上観察の写真展示と愛用のカメラコレクションが公開された。最終日、閉幕を前にカメラマンと一緒に会場風景の撮影をしに来ていた赤瀬川原平さんに遭遇した。会場内のベンチに腰かけ休まれている原平さんに、展覧会カタログへのサインをおずおずとお願いした。

「どうも、ありがとう。お名前は?」
「テツです」
「東京からおこしですか」
「いえ、横浜です。近所なんです」
「ほう、横浜。わたしも生まれは横浜なんですよ」

柔和な表情の原平さん。穏やかでゆっくりとした口調でお話になる。

「僕は、今年の夏に藤森先生の高過庵にのぼることができました。茅野市美術館のイベントの抽選に当たりまして」
「ほう、そうですか。あれ、揺れるでしょう」
「はい、ちょっと怖かったです」

原平さんの顔がほころび、グッと親密な気持ちにさせられた。カメラマンから原平さんを撮影したいらしく声がかかったのだが、原平さんは「もう少し待ってて」と僕の相手を続けてくださった。

「今回の展示は、美術マニアにもウケるタイトルがありましたね。『伝・光悦』とか『階段を下りる裸体』とか」
「そうねえ…なんとなくね。あんまり美術とか思わないんですけどね」(苦笑)
「カメラのコレクション、面白いですね。ステレオカメラには驚きました」
「そうね。あれ見てると飽きないんですよ。今度の展示はカメラのほうがいいんじゃないかな」

短い時間だったが、原平さんと言葉を交わすことができた喜び。あとになってじわじわと気持ちが高揚してきたことを覚えている。それが最初で最後の原平さんご本人との対面であった。


「私淑」という言葉がある。直接に教えを受けたわけではないが、その仕事や著作をとおして師として仰ぐこと。僕にとって「私淑」という言葉はまさに赤瀬川原平さんのためにある。原平さんは僕の人生の数多くの扉を開いてくれた。その死によって、僕がこれからくぐろうとしていた門は、まるで「無用門」のようにコンクリートで塗りこめられてしまったような想いがする。

でも原平さんの死をいくら嘆いたってしかたがない。そう、岡本太郎流に言うならば「自分が赤瀬川原平になればよい」のだ。のらりくらり、気負わず、焦らず。優柔不断にいこう。

赤瀬川原平 無言の前衛


採集地 東京(テツ撮影)

赤瀬川原平が脚本を書いた映画がある。勅使河原宏監督の「利休」(1989年)。三國連太郎が千利休、山崎努が豊臣秀吉を演じている。黒人の従者をひき連れ、奇抜なファッションで耳目をひく織田信長像を映像化し、利休の茶の湯の深遠に触れ、独特の秀吉を描いた、静かだが異色の作品である。

この映画の脚本執筆がほぼ終わるころ、原平さんは岩波書店から請われて一冊の新書を書いた。

「千利休 無言の前衛」岩波新書

茶の湯とはなにか、侘びとは、千利休とは何者なのか。脚本執筆をとおして思いめぐらされた原平さんの自在で独特な考察。それはやがて、原平さん自身が駆け抜けた「前衛」の時代、そして「路上観察」という表現についての自問へとゆるやかに結びついていく。

トマソンや路上観察物件は、自分で作るものではなくすべて他人が作ったものである。その他人にしても、その自分の知らないところで出来てしまったようなものである。それを歩きながら見つけて、写真に撮って眺める、ただそれだけのことだ。すべては他力によって成されたことで、他力のエネルギー変化を見ているだけで、その解釈以外に自力による働きかけはどこにもない。
考えてみれば、そもそもは自力創作の不毛を見たところから、他力の観察発見に転じているのである。だから路上の物件を見ても、それが無意識的に作られたものほど面白い。こちらに向けて作られたものは、おうおうにしてうるさい、暑くるしい、どうしても避けてしまう。
利休の言葉に、
「侘びたるは良し、侘ばしたるは悪し」
というのがある。それは路上観察をやっていればおのずからわかることだ。人の恣意を超えてあらわれるもの、そこにこそ得がたいものを感じる。利休の言葉もそれを指している。人の作為に対して自然の優位を説いているのだ。

赤瀬川原平「千利休 無言の前衛」

原平さんの「路上観察」は、ただ単に街で変なものを見つけてレポートするという次元にはない。都築響一の「珍日本紀行」などの仕事にあるエキセントリックさとも無縁である。ではなぜ、原平さんは「路上観察」をするのか?
上記の文章の中のこの一文に、その真意はある。

考えてみれば、そもそもは自力創作の不毛を見たところから、他力の観察発見に転じているのである。

ネオ・ダダ、読売アンデパンダン、ハイレッドセンター、東京ミキサー計画、通貨模造疑惑による千円札裁判。戦後の日本美術を撹拌した「前衛芸術家」赤瀬川原平。その自力創作不毛の果ての「路上観察」。次の文章はその原平さんの実相を突きつけている。

前衛としてある表現の輝きは、常に一回限りのものである。世の中の形式の固まりを壊してあらわれ、あらわれたものは、そのあらわれたことでエネルギーを使い果たす。その前衛をみんなで何度も、というのはどだいムリな話なのである。みんなで、といったときにはもう抜け殻となっている。そもそもが前衛とは、みんなに対する犯罪的存在なのである。すでにある固まったものを壊してこそあらわれてくる。その瞬間に、世の形式を倒す毒素として、一瞬の悪役としてあらわれるのだ。
しかしいまの世の中は、そこのところを履き違えることになった。一回性をもって特権的に許される瞬間の悪、その前衛の民主化である。前衛をみんなで、何度も、という弛緩した状態が、戦後民主主義による温室効果となってあらわれている。自由と平等という、いわば戦後民主主義の教育勅語が、ふたたび私たちの頭脳を空洞化している。

赤瀬川原平「千利休 無言の前衛」

たとえば珍しいマンホールの蓋の発見を繰り返し続け、分類整理する「トマソニアン」と原平さんの「超芸術トマソン」の思想は、位相の異なる似て非なるものなのである。原平さんは、なんとなく面白い、優柔不断な好々爺という晩年のイメージをまといながら、最期まで「前衛芸術家」でありつづけたのだと私は感じる。

「千利休 無言の前衛」という一冊は、「赤瀬川原平 無言の前衛」としても読みとれる著作である。


赤瀬川原平 「島の時間」




与那国島へ行ってみると、海というのが絶対的だ。まずそれが大前提として、世の中の基本として、青一色で島を取り巻いている。それを見ていると、頭の中がぎっしりと空っぽになる。ジーンと脳ミソのノイズだけが聴こえてくるような気がする。

赤瀬川原平「島の時間」


対馬・五島・奄美・沖縄の島々など、九州から西に連なる島をめぐった旅のエッセイ「島の時間」は、数多い原平さんの著作の中でも私の好きな一冊だ。日本の最西端の離島、与那国島についての原平さんの文章は、私をこの島への旅へと駆り立てた。

「頭の中がぎっしりと空っぽになる」とは、なんというフレーズであろうか。平易な日常語彙が、思いがけぬぶつかり合いをして明快なイメージを提示する。柔らかでさりげないが、深く凄みがある。

原平さんは自分の眼球カメラで観たものを言語化することの達人だ。原平さんの文章は、難解な事象を平易な言葉で表現する、というような「達人」のレベルを軽やかに超えた境地にある。常人には観ることができないものを、誰もが知っている言葉でさらっと描出し、私たちに見えるものにしてしまう。それは単なる巧みな解釈力を超えた、新しい知覚を創出するチカラのなせる技なのだと思う。

「目からうろこが落ちる」という表現があるけれど、原平さんは私たちの蒙昧な眼(まなこ)に張りついた常識を、平易な言葉のメスで引きはがしてくれる。あまりに切れ味が鋭いので、まるではがされたことに気がつかぬほどに軽やかに。

この本に出会ってすぐに、私は与那国島への旅を実現した。原平さんの著作を読むことは読書の楽しみにとどまらず、いつだって私を直接行動に駆り立てた。路上観察へ、パフォーマンスへと。ほんとに「いまやアクションあるのみ!」


その原平さんが世を去った。私にとっての「父が消えた」。で、沖縄の伊計島で観た墓地についてのこんな文章。

墓の形は亀甲墓や破風墓など本島と変わりはなかったが、ちょっと、墓の正面入口に履物と杖の置かれているのが珍しかった。草履であったり、革靴であったり。
(中略)
墓の脇に置いてあるというのは、故人がすでに故人として死んではいるのだけど、霊界では生きているわけで、だからご不自由のないようにと、たぶんそういう心づかいなのだろう。

赤瀬川原平「島の時間」

原平さんの墓の脇には中古カメラと靴が似つかわしい。霊界をあの原平さんならではの眼(まなこ)で観察して、「宇宙の御言」を賜りたいなあ。

合掌




本の虫干し 『プロレス入門』




小学生のころ、子供向けの「入門書」というのがいろいろあって、教室の学級文庫にずらりと集められていたのを思い出す。野球・つり・ペットの飼い方・切手・将棋・恐竜・妖怪・ウルトラ怪獣・まんがの描き方・戦車・戦艦などなど。入門ではないけれど世界の七不思議とか怖い話なんてのもあった。

今日の「本の虫干し」は私がなぜか捨てられずにいる一冊、「プロレス入門」。監修は故ジャイアント馬場である。ジャイアント馬場のカラー口絵にはじまり、「ジャイアント馬場七つの秘密」、「きょうふの殺人わざ」、「反則ワザを知ろう」、「びっくりレスラー」などの章が展開し、巻末には「プロレス・スター名鑑」が。

村松友視は1980年に「私、プロレスの味方です」を発表し作家デビューしている。このころは昭和軽薄体などという文体を売りにした作家たちが割拠して、エンターテイメント性の高いエッセイや小説を乱発していたが、村松もそんな時代のひとりであった。ジャズピアニスト山下洋輔が「フリージャズはプロレスである」というような発言をしていたような記憶もある。

さて、我が「プロレス入門」から、心惹かれるトピックを紹介してみよう。




ミイラ男 ザ・マミー

全身に、ほうたいをまきつけて、二千年前のミイラが息をふきかえした、といわれて、登場したのです。
日本のレスラーの水平打ちや空手チョップがマミーをおそうと、全身から白い煙がたちのぼり、怪人レスラーの芸のこまかいところを見せつけました。





きょうふのねむり薬

まっ白な手術着に白ふく面で、メディコ(医者・医学生)と名のるレスラーがアメリカに十数人いて、名前のかわりに番号をつけて区別しています。
はじめてメディコを名のったのは、トニー・アメッサという看護兵出身のレスラーで、試合にはじめて、クロロホルム(眠り薬)をもちこんで相手を眠らせてしまいました。


プロレスは格闘技であると同時に、巧みにショーアップされたエンターテイメントであるのは言うまでもないが、本書の紹介する奇想天外なプロレスラーたちは、もはや娯楽興行をこえたパフォーミングアーツの域に達していると思えるほどである。須藤元気のパフォーマンスユニット「WORLD ORDER」なんぞは、全盛期のプロレスのもついかがわしいパワーには、到底及ばないのではないかな?

「プロレス入門」の巻頭の《監修者のことば》でジャイアント馬場は語っている。

人間の本性である闘争心をプロレスほど、はっきりとあらわしたスポーツは、ほかにはありません。これがプロレスの大きなみ力なのです。

私自身はプロレスには疎い門外漢なのだが、馬場が語るむき出しの「闘争心」を「奇想天外」なアイデアでくるんでリングに上がったレスラーたちは、まさに「大人の作法」を知った表現者であるような気がするのである。

本の虫干し 和田誠肖像画集「PEOPLE」「PEOPLE2」





ここしばらくインドアな生活が続いているのでブログのネタもなく、私の蔵書のあれこれにまつわる話を書いてみようと思いついた。「本の虫干し」の1冊目は和田誠の似顔絵ばかりを集めた画集「PEOPLE」

数えてみたら、480人のひとびとがこの画集に登場している。それでも今まで描いた似顔の中のおそらく1割か2割であろう。
ぼくの仕事の中で似顔絵が大きな比重を占めはじめたのは67年ごろからで、比較的最近の出来事である。しかし清水崑氏の似顔絵に興味を持って、真似してみようと思ったのは小学生の時であり、それがきっかけで美術学校へ入るようになったのだから、出発に戻ったような気がしないでもない。

(中略)

〈肖像〉の肖はにるという読み方もあり、もともと〈似顔〉と同じ意味なのであろう。絵画の鑑賞なんてことに無縁の人でも似てるとか似てないとかはっきり判定することができる。それだけに多くの人が〈参加〉できる可能性を含んだ絵と言えるかもしれない。描く立場から言えば、そのことと、絵の質と、両面から責められるのでいっそうキビシイのである。
同書あとがき

往年の日本の芸能人、作家、政治家から海外のジャズ・ミュージシャン、映画俳優、芸術家など、ページをめくっていると懐かしい顔が次々に登場する。ペン画、カラーインク、グワッシュなどの技法で描写された肖像はどれも洒脱で、シンプルで、嫌味がない。ちなみにブログの画像は、山本直純、武満徹、ピーター・セラーズ。

和田誠と同時代に、多くの似顔絵を描いた山藤章二。週刊朝日の戯画「ブラックアングル」で、「笑い」「風刺」「悪意」を常に求め続けた山藤だが、彼の画集などを見ると初期にはベン・シャーンの影響の色濃いイラストレーターであったことがわかる。この点は和田誠の初期作のテイストとも一致する。このふたり、「パロディ」という共通項も持っている。山藤の方がパロディに結びつく印象が強いが、和田誠のパロディ画文集「倫敦巴里」も忘れられない。

芸人の「ものまね」に見られるように、人は「似せる」行為に笑いを誘われる。なぜ人は似顔絵を面白がるのか。「ものまね」も似顔絵も、笑いを生み出す根本はオリジナルに対するデフォルメの仕方にある。ただリアルなだけでは笑いには結びつかない。似せていながらも、その対象を変容させていくことによる笑い。それは人が連想や妄想によって得る想像力の快感に結びついているのであろう。

森村泰昌が自分自身をベラスケスの名画やピカソや三島由紀夫に「似せる」表現。タモリによる寺山修司の「思想模写」。似顔絵からはじまって、話は美術や芸能にまで及んでいくが、要は簡単。人が何かを表現することは、何かを「写す」ことに始まるのではないかな。


和田誠肖像画集「PEOPLE」 1973年 株式会社美術出版社

和田誠肖像画集「PEOPLE2」 1977年 株式会社美術出版社

いずれも絶版。古書が比較的安価に入手可能。

JR東日本 カタログ・シスターズ



香港ネタが続いているので、ちょいと中休み。地方に新幹線で向かうときひそかな楽しみにしているのが、JRによる通販のカタログなのである。座席のポケットに「ご自由に」と置いてあるあれである。ポイントは、小洒落たエッセイや紀行文が載っているほうの冊子ではなく、通販カタログにこそあると私はにらんでいる。





昨年、新潟遠征のとき目にしたネタの中では、「災害時」というトレンドを如実に感じさせる商品が数多く掲載されているのが印象的だった。

新幹線の片隅にも、時代を映すカタログ・シスターズがひっそり微笑んであなたを待っているのだ。

香港行ってきます





これから、香港に向かいます。イギリスからの返還後ははじめてという久しぶりの訪問。市街地の変貌や下町散策のほか、田園の中で食事できる端記茶樓や、海鮮料理の新スポット流浮山なども攻略したいところ。牛バラソバの九記も行かねば。夜はジャズバー探索でもできればと期待してます。

旧正月を控え、歳末の賑わいを見せている最中という香港。どうなることやら。

市川実日子のポートレイトと奈良美智の女の子




市川実日子の「PORTRAIT」という写真集を手に入れた。撮影はホンマタカシ。デビューの頃から現在に至る彼女の写真が収められているのだが、その表情はいつも一貫してどこか不機嫌そうで、ふてぶてしい。もちろん一見するとかわいらしい女優さんなのだが、その笑顔の中には常にある種の険しさが漂っている。映画の中の彼女もいつもそんな印象を与えてきた。「ぷりてぃ・ウーマン」のふてくされた公務員とか、「キューティー・ハニー」の無愛想な女捜査官とか、彼女ならではのキャラクターが私には妙に愛らしい。

彼女を目にするといつも連想するのが、奈良美智の描く女の子たちのことだ。今年横浜美術館の個展でたくさんの女の子たちのポートレイトを眺めたが、彼女達の目は表層的なかわいらしさの奥に、ゲルマン的な険しさを秘めているような気がするのだ。そして彼女達はみな何か神聖なものをその姿の内に宿していてる。暗い展示室でライティングされた作品はより強くその聖性を引き出されていた。小さな薄暗い教会の中で観てみたいなあと感じたものだ。

市川実日子と小西真奈美が女子高生を演じた映画「blue」は、川内倫子の撮影で写真集になっている。2002年制作の映画だから、もう10年が経過しているのだが、市川実日子の与える印象はホンマタカシの「PORTRAIT」のなかでも変わることがない。

奈良美智の絵画が映画化(?)されることがあるならば、主演女優は市川実日子しかいない。そんな気になる写真集だ。


川内倫子「blue」

ポートレイト 市川実日子 (たのしい写真)
ポートレイト 市川実日子 (たのしい写真)

萩原義弘とヤリタミサコ:写真と詩―『私は母を産まなかった』




浅草橋のマキイマサルファインアーツで、萩原義弘ヤリタミサコが写真と現代詩でコラボレーションした本、『私は母を産まなかった』に使われた写真を中心とした展示を観た。炭鉱・鉱山を30年にわたって追い続ける写真家萩原義弘の、雪と廃鉱のシリーズ「snowy」の新作・未発表作も多数。

満月の夜をねらい撮影された、月の光と雪の白が生み出すモノクロームの陰影が美しい。厳寒の中、長時間露光で写しとられた光景は、時に撮影者の意図を超えた思わぬ成果をもたらすこともあるそうだ。

ひところの廃墟写真ブームは、「産業遺産」という方便をよりどころに公然と市民権を得ることと引き換えに、荒廃した風景に「美」を見出すことからは撤退していった。今では産業遺産ガイドのインデックス画像とでもいった位置に落ち着いてしまいつつあるかのように思える。

萩原のsnowyシリーズは、一見すると雪にうずもれ、何が被写体なのか正体不明な作品が多い。それでも彼は、炭鉱の遺構、鉱山跡を撮影地に選ぶことにかたくなにこだわる。詩集『私は母を産まなかった』の表紙に使われた、ホッパーという炭鉱施設に生み出された巨大な氷柱の写真。ここには、自然の力と、時間の積層した人工物との融合のみが為しうる稀有な「美」が表出されている。雪や氷柱には、炭鉱遺構のみを被写体とした写真以上に、そこに流れる現在と過去の複層する時間そのものを画面に定着させる作用が感じられる。

おぼろげではかない雪の美しさの向こうに透けて見える人間の営みの残滓。萩原のヤマの写真はその抽象度の高い美とともに、朽ち果て消え去っていくヤマの記憶をとどめる希少なドキュメントでもある。



※展示風景は作家の許可を受け撮影させていただきました。

会期は12月11日(火)まで
11:00〜19:00(会期中無休)
最終日は17:00まで


高嶺格 とおくてよくみえない

とおくてよくみえない

横浜美術館で、高嶺格(ただす)「とおくてよくみえない」を観た。
そして展覧会のため出版された「とおくてよくみえない」を読んだ。

人が何を評価するのかについて考え、僕は「技術」や「完成度」よりも「方法」を提示する方に喜びを感じるのかもしれないと思いました。(中略)これはきっと大胆に聞こえると思いますが、僕はどこかで自分で作品を作りたくないと思っているのかもしれない。なるべくなら自分で作りたくない。
「とおくてよくみえない」高嶺格
■展覧会冒頭の既製品の毛布を展示し、ぺダンチックなキャプションを付け加えたコーナーは「自分で作品を作りたくない」ことの提示だったのだな。もちろん「美術鑑賞」という制度に対するシニカルな批判も感じさせるが。音響やコンピューターによる制御システムなど、他者との共同作業で作品を形にするのも自己完結しないで作品の共有関係を成立させたい欲求によるのだろう。

綺麗とか、手先の器用さとか、そういった観点から感心したり、面白い作品だと思ってもらおうということは、僕の作品の中にはありません。(中略)「完成度」というとき、その意味合いはさまざまだと思う。明らかに造形的に優れた作品になるのを避けるため、別の意味での完成度を示す必要があるのです。
「とおくてよくみえない」高嶺格
■「別の意味での完成度」というのは一種の「ヘタウマ」か?それにしても、横浜美術館の大空間に巨大な布を垂らし扇風機の風でうごめかせ、「ウォォーン・ウォォーン」と地の底からのうめき声のような音響を館内全体に響かせるチープだけれど思いもよらぬたくらみ。相当の確信犯である。

日本映画専門チャンネルで「≒会田誠〜無気力大陸〜」を観た。会田といえば、異端の現代美術作家。戦争画リターンズや美少女画は私も好きだ。
映画は広島市現代美術館に依嘱された200号の大作の制作の記録を軸に進む。細密なジャングルの風景を延々と描き続ける彼は「作業は奴隷仕事。思い着いたことを形にするだけで、作業には喜びはない」と語る。緻密な描写力に支えられた会田の作品は、やはり根本的にコンセプチュアルなのだ。しかし制作に費やす労力は、鑑賞者のための「サービス」だとも彼は言う。
2005.10.8「中年とオブジェ」会田誠の奴隷仕事
■高嶺格の「とおくよくてみえない」展がもたらすフラストレーションは、単なる「サービス」不足なのか?作家自身が「失敗作」とトークで述べた、パレスチナ解放を訴える女性の「友人」の映像インスタレーション。作家個人の体験から出発する高嶺作品はいわば私小説。私的日記には不整合も無駄も失敗もある。文豪の日記や書簡に「読者へのサービスが足りない」と不満を言うようなものか。もちろん現代に生きれば「私」と「社会」は切り離すことはできない。私的日記こそ社会をリアルに描写するともいえる。

私が最も傾聴したのは、未聞だった京都のマンガン鉱山跡地でのプロジェクトの話。
高嶺が後に結婚する在日韓国人の女性と、鉱山跡で3ヶ月間生活したという。「在日の恋人」というプロジェクトだ。戦時中、朝鮮人強制連行の過去を持つこの鉱山に現在ある資料館(丹波マンガン記念館)の館長に交渉を重ね実現したという。この仕事のおかげで、恋人の両親も高嶺の「在日」への真摯な取り組みを認め、結婚も承諾されたとか。
高嶺の作品制作への取り組みについて聴くと、社会的な問題に関わるテーマの背景に、いつも彼自身のパーソナルな疑問・怒り・悩みなどが存在することが伝わってくる。
しかし、彼はそのような社会的メッセージは作品のきっかけであり、作品そのものが「回文のような」自生的なひとつの世界を形成することが大切なのだと言う。そうした作品を伝える「方法」を見つけ出したときに快感があるそうだ。
2008.2.26「中年とオブジェ」カフェトーク 川俣正×高嶺格
■「在日の恋人」・「コリアン・スタディーズ」・「ベイビー・インサドン」と続く一連の仕事において、社会的メッセージの発信と作家の個人史的表白とは、メビウスの輪のように関係している。「ベイビー・インサドン」を観ているときの、美しさを感じながらモヤモヤさせられる気分は何だろう。テキストのフォント・高嶺の結婚式の写真・色彩計画のシンプルな美は、その作品の提示するテーマ性を伝える手段に過ぎないのではなく「自生的なひとつの世界を形成」している。テーマに従属しない「方法」が美を伝え、宙吊りになったテーマは言葉に収斂されることなくモヤモヤした問題を提示し続ける。

高嶺格 とおくてよくみえない
高嶺格 とおくてよくみえない
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「とおくてよくみえない」ので、以前の記憶や作家の言葉を望遠鏡にして眺めてみた。ピントが合いそうで合わない。

「在日の恋人」 高嶺格

在日の恋人昨年、都現美で川俣正高嶺格(ただす)のトークを聴いた。高嶺が京都の丹波マンガン記念館のある山中に住み込み、坑道内で作品を展示するインスタレーションを行ったと知りその詳細を知りたいなと思っていたのだが、その「在日の恋人」というプロジェクトと、高嶺の在日2世の恋人との恋愛・結婚・出産にいたる出来事をつづった「在日の恋人」という本を読んだ。

丹波マンガン記念館は、かつてのマンガン鉱山の坑道を公開し、マネキンの坑夫人形が坑内作業を再現する、鉱山テーマパークだったそうだが、その展示の主眼は、強制連行された朝鮮人の労働の問題を訴えるものだったという。残念ながら昨年、記念館は閉館したそうだ。

高嶺は、マンガン坑道のある山中に住み込み制作を進めることにこだわり、記念館の館長、李さんに助けられながら、手作りのアトリエを建てる。李さんの差し入れのすじ肉を喰い、酒を飲んで酔って踊り狂い、じたばたしながら制作の日々を過ごして行く。そんな日々をビデオで記録し続けるのも作品制作のひとつだ。

坑道内のインスタレーションは、高嶺が焼いた焼物を闇の中に展示し、鑑賞者がひとりきりで坑道に入って行って漆黒の闇を体験するというものになり、イベントとしてアコースティックのコンサートも行われる。

マンガン記念館自体が李さん一家の「作品」だととらえ、高嶺はこのようにいう。

何よりマンガン記念館には、現代美術作家の求めてやまない「政治的メッセージ」がある。「社会問題に対する言及」がある。そして最も愕然とすべきは、美術館に寄生しているかぎり実現しえない「ラジカルな態度」が、ここでは実現しえている、ということだ。

しかし、マンガン記念館の持つメッセージ性に依拠してしまうことにも高嶺は安住しない。

なんか、作品コンセプトなどといってウダウダ考えるのが、子供っぽく思えてしょうがなくなってきた。

そんな心情を吐露する高嶺にとって、このプロジェクトは生活することと創作することが渾然となった、言葉に還元する事のできない、特別な時間だったのだろう。

本書では、在日2世である恋人Kとの関係も語られる。日本人でもなく、韓国人でもない、アイデンティティーの揺らぎの中で悩み、韓国に留学しても答えの見つからないKさんの素直な気持ちをつづった書簡が心に響く。Kさんも簡単な言葉に置き換えられない問題を前に、じたばたしているのだ。

Kさんのアボジ(父親)は、マンガン記念館でのプロジェクトについてネット上で知り、高嶺の結婚の申し入れをすんなり受け入れたというのも面白いエピソードだ。

いろんなもやもやしたものが、もやもやしたまま心に届いてくるような、そんな本だった。そこには、コンセプトで割り切れるような分かりやすい創作も、小説のようにくっきりした人生もない。子供の誕生に立会い、出産するKさんの表情を撮影し続けた高嶺にとって、人生と創作は渾然一体となったじたばたとしたあがきなのだろう。

僕にとっての在日とは、まず何よりKだった。そして、アボジであり李さんであった。他にも大勢知ってはいるけれども、僕にとっての在日とは、一般ではなくあくまでも具体的個人だった。

カフェトーク 川俣正×高嶺格

訂正:本文中で、昨年に記念館が閉館したそうだと書きましたが、昨年に閉館の予定が発表され、2009年の5月31日までは見学ができることを知りました。その後は新しい運営母体を設立し、再オープンを目指しているのだそうです。(2009・3・25追記)

私の本棚

私の本棚
















ブクログというWEBサービスで、自分の蔵書・DVD・CDなどのコレクションを紹介してみることにした。とりあえずサイドバーのリンク集の中にリンクを貼ってみた。「テツの本棚(ブクログ)」

私のお気に入りを随時本棚に追加していきますので、本家「中年とオブジェ」の「書斎」をのぞきたいという奇特な方はご覧になってみてください。

テツの本棚

※追記:ブクログの本棚の名前は自由に作れることがわかり、「テツの本棚」に名前を変えました。面白くて、チョコチョコ本棚に追加登録しています。

辛酸なめ子の消費セラピー

消費セラピーサーヤ風ファッションの辛酸なめ子の表紙に惹かれて、「消費セラピー」を読んだ。2003年10月から2005年末までに彼女が買った様々な物品にまつわるエッセイとヘタウマのイラスト。それぞれの商品の消費によって、癒された場合はハーブティー○杯、癒されない場合は煮え湯○杯と評価が下される。

東大生が全員使用するという英語の教科書で、知能が高まった気分になったり、「宇宙人大図鑑」で宇宙への興味がわき、火星の土地を購入したり、独特の論理で彼女の買い物は続く。汚れた水も浄水するという防災グッズのストローの効力を試すため、都内の温泉施設で残り湯をペットボトルに採取し飲んでみるにいたっては、あきれるというより感動してしまう。結局無事残り湯は飲めたのだが、その後悪夢と金縛りにあい、「菌は濾過できても霊は濾過できないんですね」というオカルト思考の辛酸なめ子ならではの感想。冷静で鋭い観察眼と、オカルティックな妄想や、アメリカ流ポジティブ・シンキングに冒されてしまう自我の脆さが同居するところが彼女の魅力だ。

魔性の女にあこがれてワンレンロングかつらを身に付けたが「和風顔の私がつけるとどうしても『リング』の貞子になってしまうのです。」と自虐して見せたり、買ったばかりのドレスにパーティーで染みをつけてしまい、「この白い液体が、私のドレス姿に興奮した通りすがりの男性のものだったりしたら、まだ報われるのに・・・」などと性的な妄想を抱いたり、女性のクリエイターらしからぬ言葉も彼女ならでは。

本書に収録された「結婚セラピー」という文章は、紀宮様を愛する彼女が、御成婚同日、結婚式の行われた帝国ホテルに部屋を取り、皇室風のファッションに身をつつみ、自分自身の結婚を妄想するという、皇室へのねじれた愛に溢れている。女にとって、結婚式こそが人生最大のセラピーであるという結論を、ブライダルフェアによる疑似体験を通して確認する辛酸なめ子。

思わぬ買い物に、こんな商品もあるのかと驚き、彼女のリアクションに笑ったが、たちまち読み終わってしまうボリュームのなさ。文庫本というお求めやすさも考慮して、この本の評価は、癒され度ハーブティー5杯というところかな。

2006年 私のお気に入り 本

心をあやつる男たち■本
・心をあやつる男たち(福本博文)
自己啓発セミナーの源流となったST(センシティビティ・トレーニング)の辣腕トレーナーの半生を描いたノンフィクション。高度経済成長期に大企業が社員研修のために過酷な心理トレーニングを取り入れていたという事実を知り驚いた。洗脳と組織に属して生きていくことの連関性を考えさせられた。表紙の絵も印象に残る。

・社会学入門(見田宗介)
敬愛する社会学者の久々の新著。インドやラテンアメリカの人々の精神に息づく、近代化した社会の失ってしまった世界を明晰に論じた文章に魅せられた。近代化の要求するある種の「洗脳」に、「心をあやつる男たち」と共通した問題を感じさせられた一冊。見田宗介の文体は社会科学でありながら、日本語の表現力の深みを味わわせてくれる。

・妖怪と歩く 評伝・水木しげる(足立倫行)
手塚治虫とは対照的な人生を送る水木しげる。その貪欲でエネルギーに満ちた生活をとことん追い続けたノンフィクションに、彼の底なし沼のような生命力を感じた。世界中の妖怪を求めて旅を重ね、オブジェを蒐集する水木の生き方は、まさに憧れの世界だ。

・夜露死苦現代詩(都築響一)
痴呆老人・精神障害者・見世物小屋・エロ迷惑メール・暴走族・相田みつを・死刑囚など、あらゆるアウトサイダーたちの「言葉」のリアルさを取材した、軽妙でしなやかだが、ディープな本。傑作「珍日本紀行」に迫る、都築ならではの仕事だ。続編を期待したい。


今年はかなり読書量が減ってしまった。ipodを手に入れ移動中に読書しなくなったのも一因か。小説はとうとう一冊も読まなかった。手元に未読の本はたまっているのだが。

都築響一の夜露死苦現代詩

夜露死苦現代詩夜の国道を走る。ヘッドライトに照らされた歩道橋に、スプレーで殴り書きされた「夜露死苦」の文字が一瞬浮かび上がり、頭上に消えていく。
なんてシャープな四文字言葉なんだろう。過去数十年の日本現代詩の中で、「夜露死苦」を超えるリアルなフレーズを、ひとりでも書けた詩人がいただろうか。

(夜露死苦現代詩 はじめに)


・人生八王子
・力士が!力士が、何故どこまで力士がやってくる
・オムツのなかが犯罪でいっぱいだ
(痴呆老人の言葉より)

・モンキーダンスをおどれ 7点
・あぶら虫のようなやつだ 3点
・お父さんがひげをはやした方がよいと思いますか 9点
(点取占いより)

綱 
よごすまじく首拭く
寒の水
(死刑囚の残した俳句)

くさった世の中

くさった世の中は
身を生じない反発のゆれみが
のしかかってくるのだ
だからきびしく追求する
激しいなぞは荒れている
世の中のくさみであることは
決してうそでないことを
実証しているのだ
だからはてない気持ちがつづくのは
さぞ不思議な事はないではないか
そこに激しくもみあうのである
(統合失調症者の詩 原文はさらに細分化された分かち書き こうした言語表現を精神医学では「言葉のサラダ」と称する)

文芸雑誌「新潮」に連載されている都築響一の新しい仕事をまとめた一冊、「夜露死苦現代詩」はまさに言葉のアウトサイダーたちのフィールドワーク
誰も取り上げなかった日本の地方都市の奇妙な風物(秘宝館・宗教テーマパーク・鉱山テーマパークなど)を、写真で切り取った名著「珍日本紀行ーロードサイド・ジャパン」の感覚で、現代のほんとにリアルな「言葉」を都築は取材し続ける。

相田みつを・エミネムのラップ・暴走族の特攻服の刺繍・見世物小屋の口上・精神障害者の詩・エロ迷惑メールなどが、縦横無尽に、一切のヒエラルキーから自由な語り口で取り上げられる。こんな言葉があったのかという驚きと、それを扱う都築のしなやかな感性が魅力の爽快で奥深い一冊だ。

是非、手にとって、ここに詰め込まれた言葉のシャワーを浴びて欲しい。
中でも一番心に突き刺さったのは、貧困の末餓死した老母と息子の残した日記の「言葉」だった。続きを読む

丸田祥三の「めくるたび」

七〇年代から八〇年頃まで、僕は多摩ニュータウンによく写真を撮りに行っていたんだけど、オイルショックから低成長時代の沈滞期だったんで、全部作りかけでストップしていたんだ。
だからね、これは高度成長期の人類の愚行を証明する、高度成長期版原爆ドームとして残るだろうと思ったの。


めくるたび切通理作丸田祥三の対談「日本風景論」での丸田の発言である。1964年生まれの彼だから中学・高校時代のことだろう。廃墟をモチーフにするクリエーターの中でも、孤高の存在感のある彼の原点は早熟で深い感性にあることがわかる。彼にとって世界はすでに終わってしまったところからスタートしているようだ。終末後の世界を描いた映画のように。

新作「めくるたび」は、廃墟とそこに佇む少女の姿を捉えたカラー写真集。2枚で1組の写真と、そこに添えられた短いテキストで構成された作品集だ。
ネタバレになってしまうが、古ぼけた列車の座席に座る少女の写真と、朽ち果て荒廃した客車の写真を組み合わせた「出会い」という作品は鮮烈だ。
組み写真といっても、撮影場所も撮影年代も異なるものがほとんどで、2枚の写真とテキストの行間を読むようなイマジネーションの深まりを感じることができる。

巻末の撮影後記には撮影時のエピソード。様々なカメラをこだわって使い分けたり、使用期限を過ぎ劣化したコダクローム・フィルムを使って、独特の色表現を試みたことなどがわかる。

独特の色表現と構成の面白さは魅力的だが、少女写真としては、モノクロでよりインティメイトな感じのする「少女物語」のほうが私は好きかな。

「まぼろしの町」という作品のテキストは心に残った。

鉱山はある時“フッ”と失われてしまいますが、
麓の鉱山街の社宅、学校、商店などは、それからゆっくりと、長い時間をかけ、少しずつ消えてゆきます。
彼女とはよくそんな街を旅したものです。
“でも、ここで暮らす人たちは、街が賑やかだった頃の幻影を、ずっと、見続けているのかもしれないね・・・”
この街も、もう今はありません。


めくるたび紹介サイト
丸田祥三公式HP(いくつか作品がUPされている)

東南アジア四次元日記

東南アジア四次元日記ミクシィに「旅で見つけた変な物」という変なコミュニティがある。宮田珠己「東南アジア四次元日記」はその生みの親とでも言えるような変な旅行記だった。サラリーマンを辞めた筆者は、香港・ベトナム・カンボジア・ラオス・ミャンマー・タイ・マレーシア・シンガポールをめぐる東南アジアの旅にでる。香港のタイガーバーム・ガーデンから始まって、旅は各地の変な寺、日本で言う宗教テーマパークのようなスポットを求めながら続いていく。豊富な図版で紹介される珍妙なセメント像や仏像。脱力スポットの連続である。中でもミャンマーは珍スポットの宝庫で、表紙の変なダルマのようなやつもミャンマーの物。カンボジアのアンコール遺跡群も訪ねるのだが、そこでも筆者の変な物を追求する目線は変わらない。

ミャンマーの寺で出会った、聖地巡礼の仮想体験をするために造られたという築山のようなものをめぐって、筆者はこんなことを考える。

これらの築山は実際に聖地を巡礼できない人に本物の聖地をイメージさせるためのものだそうだが、聖地を巡る体験そのものが、さまよう行為によって別の世界をイメージすることに当たるとすれば、聖地巡礼も築山をうろうろするのも目的は同じで、そこには、何でもいいからさまよいたい、うろうろしたい、という人間の心理がまずあり、宗教はその心理に意味を与えたり体系化してるだけなのではないだろうか。人間は基本的に、さまよったりうろうろしたい生き物なのではないか。

人はなぜ旅をするのか?という本質に迫るような言葉である。好事家の珍奇な旅行記のようでいて、宗教や旅についての考察もさらりとやってのける不思議な本である。

宮田珠己ファンサイト

心をあやつる男たち 自己啓発セミナーの源流

心をあやつる男たちバブルのころに、その洗脳にもにた手法により社会問題になった自己啓発セミナー。最近も被害相談はあとを絶たないそうだが、高度経済成長時代に管理職に指導力を身につけさせるため、ST(センシティビティ・トレーニング)と呼ばれる特訓合宿がさかんに行われていたという。いくつもの大企業が社員を送り込み、心理学の理論を応用した過酷なトレーニングにより暴行事件、自殺者の続出、精神障害者の発生まで引き起こしたという。本書はSTのトレーナーとして辣腕を振るったひとりの男の半生を縦軸に、企業の社員教育としてのSTが個人の心の救済をうたう自己啓発セミナーへと移り変わっていく時代の流れを追ったノンフィクションである。関係者の証言を元に詳細に語られる知られざる事実に、衝撃をうけた。自己啓発セミナーの源流がアメリカのマルチ商法にあることも明らかにされている。筆者福本博文が本書のあとに書いた「ワンダーゾーン」は以前に読んだことがある。自己啓発セミナー・前世療法・チャネリング・サイババなど多様なサイキック・ビジネスを取材した興味深い本だ。自己啓発セミナーの前史に当たる「心をあやつる男たち」を読んで過激な心理療法の持つ魔力と問題の根深さを改めて感じた。

「洗脳」という問題はやっかいな代物だ。先日読んだ見田宗介の「社会学入門」の中でこんなエピソードがあった。異国で日本のある事件を報じた新聞を目にした見田はこのように書く。

日本のアゲオという埼玉県の駅で、電車が一時間くらい遅れたために乗客が暴動を起こして、駅長室の窓がたたき割られた、という報道だった。世の中にはずいぶん気狂いじみた国々がある、という感じの扱いだった。

半日も1日も列車が遅れるのが当たり前の社会から見れば、5分・10分の分刻みの時間に追われている社会は「狂気」の世界に見えるのも不思議はない。ある社会に属して生きていくということは、何らかの形でその社会に「洗脳」され「狂っている」ことに他ならないのだ。「洗脳」の問題はわれわれ自身の問題だ。

「心をあやつる男たち」は1993年の作だが、近年の自己啓発セミナーの動向についてはこのサイトが参考になる。

自己啓発セミナー対策ガイド

自己啓発セミナーの体験者のレポートとしては、二澤雅喜の「洗脳体験」が優れていると思う。

見田宗介の「社会学入門」

見田宗介の明晰でしなやかな文章を読むことはいつも、知的な刺激と日本語を読むことの楽しみを味わわせてくれる。岩波新書からでた新著、「社会学入門」は大学での社会学の概論の講義のために使われた多彩なテキストを集成した本だが、社会科学の理論の精髄とともに文学的な歓びも得られる。

社会の「近代化」ということの中で、人間は、実に多くのものを獲得し、また、実に多くのものを失いました。獲得したものは、計算できるもの、目に見えるもの、言葉によって明確に表現できるものが多い。しかし喪失したものは、計算できないもの、目に見えないもの、言葉によって表現することのできないものが多い。

インドやラテン・アメリカを旅した体験から著者は、時間の流れ方が日本や欧米とはまったく違うこれらの社会の持つ魅力をこのようにまとめる。しかしこうした異世界を理想化することが大切なのではなく、異世界を知ることによって、現代社会の〈自明性の檻〉の外部に出てみることで、社会の可能性について、想像力の翼を獲得することができるのだと主張する。

真木悠介名義で書かれた名著「気流の鳴る音」を読んで以来、見田宗介の仕事を追いかけているが「社会学入門」のために書き下ろされた「コモリン岬」というコラムは出色だった。インドの最南端コモリン岬を1990年に旅したとき出会った少年たちが、2004年のスマトラ沖大地震の際に人々の救助のために活躍したであろうことをインターネット上のレポートで知った体験をモチーフに、インドの人々の魂に生き続けるものの魅力を語った、深く、明晰な文章だ。
プロフィール

テツ

「中年とオブジェ」とは赤瀬川原平の名著「少年とオブジェ」へのオマージュである。美術、オブジェ収集、エリック・ドルフィーを愛好する。

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