中年とオブジェ

美術館・街で見かけたオブジェ 旅先で手に入れたオブジェ オブジェの視点で世の中を楽しむ中年の日常。

雑記帳

ミンガスと原子爆弾





ジャズ・ベーシスト、チャーリー・ミンガスのアルバム「OH YEAH」(1961年)は、サックスの怪物ローランド・カークとミンガスのゴンゴンたたきつけるピアノが聴かれる傑作だが、そのなかに原爆をテーマにした曲が含まれている。

『OH LORD DON'T LET THEM DROP THAT ATOMIC BOMB ON ME』

「神様、原子爆弾を落としたもうな。」ミンガスが歌うゴスペル・ジャズの怪作にちなみ、ジャケットにはきのこ雲を表すマッシュルームの画像がデザインされている。チャーリー・ミンガスらしい社会的メッセージが込められたプロテスト・ソングではあるが、このマッシュルームを目にするにつけ、日本人の感覚からするとあまりにポップでドライな印象を受けるのも事実である。

スタンリー・キューブリック監督の映画『博士の異常な愛情 または私は如何にして心配するのを止めて水爆を愛するようになったか』(Dr. Strangelove or: How I Learned to Stop Worrying and Love the Bomb)もまた、核爆発の映像がシュールでポップに迫ってくる演出がユニークな怪作であった。


広島平和記念資料館の展示が大幅にリニューアルされたそうである。被爆者の衣服、残留遺品など「もの」に寄りそった展示が中心になったということだが、そこには即物的・視覚的な被爆体験の伝達への転換が感じられる。

微細な想像力を介した原爆の惨禍の伝達から、直接的な「もの」による被爆体験の伝達への変化。被爆当事国である日本人の感覚が、原爆をポップに表現する非当事者の感覚に近づいてきたことが、こうした転換の一因なのかもしれない。

数年前、久しぶりに平和資料館を見学した折に、その来場者が修学旅行生などを除けば、ほとんどが外国人観光客であることに驚かされた。被爆当事国の日本がその体験を風化させる速度への危機を思えば、どのような表現であれ原爆の惨禍を伝えていくことの継続が必要だろう。

広島も長崎も戦争も、無かったことにされてしまうような空気が作用することにあらがう為にも。

after an earthquake















2011年3月撮影


2011年3月11日。その当時、在宅生活をしていた私はあの日の後、どこに出かけるでもなく自分の住む小さな町で静かに日々を送っていた。震災を伝える報道、ネットの情報、スーパーマーケットの長蛇の列。まるで足元の被膜一枚下に不穏な非日常を潜ませたような、心の安定を揺らがせる「日常」が続いた。震災が引き起こした現実が平穏な日常の自明性を喪失させ、心の均衡が失われたままにいやおうなく「日常」を過ごすことをわたしたちは強いられた。

自分にとっての自明な日常を取り返すために、私は時間があればレコードを聴き続けた。私の住む町では計画停電の影響がなかった。夜半に犬を連れて散歩しているとき、私の住む街区から先のエリアの住宅街が真っ暗な闇に飲み込まれている様子を目にした。言いしれない畏怖を感じる光景だった。

美術館も臨時閉館が相次いだが、そもそも美術館に出かけようという気持ちになれなかった。その頃は美術レビューが中心で一応「アートブログ」だった中年とオブジェだが、各美術館の開館情報を子細に伝えるあちこちのアートブロガーたちの発信に深い距離と、強い違和を感じていた。彼らには私にとってのレコードのように「美術館」が自分に日常を取り戻す依り代だったのだろうが、以後わたしはアートブログとしての発信に積極的ではなくなっていった。

その3月半ばから、カメラを手に自分の住む町の中を歩き回り、自宅の中のものを写真に収めた。この日常ではなくなってしまった「日常」を記録しておくことが必要に感じられたのだろう。毎年3月11日になるとブログにアップし続けているのが、この時撮影した写真である。こうした発信をすることが、この私自身の変節を示しているのだと思う。

あけましておめでとうございます


after an earthquake 「原発」という未来のミュージアム



















2011年3月撮影 after an earthquake

主目的が発電であることは当然としても、同時に原発は、その潜在的で破局的な危険性ゆえに黎明期から一貫して国民に安全のための「神話」を提供し続ける広報機関であるほかなかった。この意味で原発はまさしく、本物の「ミュージアム」であり「テーマパーク」でもあったのだ。原発が立地する地域の子供たちに、「原子力の平和利用」を学習するための見学機会を提供したのも、原発という「未来のミュージアム」であった。(中略)帰りにはいろいろな冊子や付録のおみやげをもらった。いまだから言えることだが、それらはみな「毒」入りのお菓子だった。でも、そんなことがこの国でいったいどれくらい繰り返され、そのためにどれほどの予算が計上され、際限なく散在されてきたのだろう。

椹木野依『後美術論』「原発」という未来のミュージアム(2015年)

謹賀新年2018





あけましておめでとうございます。今年友人に送った年賀状はこのトマソンズ新春ライブのDM です。「年賀」と宛名面にハンコを押せば大判はがきでも年賀郵便扱いできると知り、改めて別に年賀状をデザインするよりもいいかと発送しました。

左半分の画像は私とジョヴァンニ・スキアリさんの即興演奏ユニット「トマソンズ」の初CDアルバム、「Assemblage」のジャケットなのです。Assemblageーアッサンブラージュとは、美術用語で「寄せ集め」の意味です。既製品・自然物・廃品など何でもかんでも寄せ集めて立体的に構成して表現する手法。ダダのクルト・シュビッタースや、コンバイン・アートのロバート・ラウシェンバーグなどが私も好きです。今までにトマソンズが残した音源から寄せ集めて作ったCDでもあり、ガラクタの寄せ集めのような内容でもあるということでアルバムのタイトルとしました。

ジャケットの写真には写真家萩原義弘さんの作品「宇多良炭鉱」を使用させていただきました。西表島にかつてあった炭鉱の跡地で撮影されたもので、生い茂るガジュマルとともに炭鉱遺構のレンガ造の構築物がとらえられています。萩原さんのおかげで力強く幻想的なジャケットになりました。「トマソンズ」のロゴデザインは、川俣正氏のコールマイン・プロジェクトを支える菊地拓児さんに作っていただきました。

右半分はというと、私が撮影した夢の島にある「第五福竜丸」の船首です。ゲストミュージシャンが多数駆けつけてくださるこのライブのサブタイトルは「船頭多くして舟、空を飛ぶ!」。山に登るのを通り越して空に飛び立ってしまおうというわけです。ゲストの一人、KYOUさんはかつて第五福竜丸展示館で広島で原爆の被害にあった「被爆ピアノ」の演奏会を行ったこともあるピアニスト。そのほかトマソンズの歴代共演者の皆さんと楽しい刺激的なステージにしたいと思います。

そんなわけで、中年とオブジェ新年のご挨拶もトマソンズ新春ライブの告知に代えさせていただきました。今年も中年とオブジェトマソンズをよろしくお願いいたします。




ブログ12周年 『観光』ふたたび




「中年とオブジェ」には前史がある。友人たちと20年近く前に作成していたホームページ「観光〜無意識過剰な観光旅行〜」がそれである。

1980年代の終わりから1990年代にかけて、私たちは所謂観光地ならぬ場所を「観光」する旅を重ねていた。

炭鉱・鉱山の廃墟
天理・PLなどの宗教都市や巨大仏巡り
地方のJAZZ喫茶
沖縄の居酒屋
原子力発電所
現代建築


2001年には海外の炭鉱遺産を訪ねるため、ドイツのルール工業地帯へ旅するに至った。この旅をきっかけに今までの旅の記録を形にしようというわけでホームページ「観光」は始動した。そのTOPページの巻頭言にはこうある。

炭鉱の立坑やぐらを見上げるように、太陽の塔を仰ぎ見る。
軍艦島のコンクリート建築群に、安藤忠雄の廃墟を夢想する。
鉱山テーマパークの体験坑道はインスタレーション。
別子銅山の廃墟にインカ帝国の都市マチュピチュを想い、
PL平和祈念塔にガウディーを感じる。
地方都市の居酒屋のビールで疲れを癒し、
JAZZ喫茶のジントニックに過ぎた日々を懐かしむ。


このホームページの中の1コンテンツとしてオブジェの紹介や路上観察を取り上げようと開設したのが、このブログ「中年とオブジェ」なのである。当初は「〜魅惑のモノを求めて〜」というサブタイトルが付いていた。やがて当時の私の関心から美術ブログ色を濃くしたりグルメ記事が増えたり、気ままに更新を重ねてきたが、ここしばらくは本来の路上観察にシフトしてきた。

最近、本家のホームページ「観光」を共同制作者のTaka君が改めて整備しはじめた。実はTOPページの消失などでリンクに不備ができ、空中分解の状態が続いていたのである。ホームページ上の様々なリンクにリンク切れなど散見されるものの、当時のコンテンツはほぼ復旧することができた。

この12年、自分のブログに注力してきたけれど、ホームページの構造の持つ一覧性・構成の面白さを改めて感じている。旧時代に作った拙いサイトであり、情報も古いけれど、今見てもひとつの時代の記録としては貴重なのかもしれない。

12年続いている「中年とオブジェ」からも、本家「観光」へ保存版のエントリーを吸い上げてみようなどという話も出ている。なにはともあれブログ12周年、次は何処へ?


ふたつの「原爆ドーム」








ヒロシマには、原爆投下の象徴としての原爆ドームが遺された。最近ネットオークションではこのドームのプラモデルキットを使用した自作ジオラマが高値で落札されたりしている。この戦後間もない頃だろう絵葉書にも、原爆ドームの姿を絵画に写しとるという行為が切り取られている。

一方、長崎の爆心地にあった浦上天主堂は撤去され、再建された。長崎原爆資料館を2009年に見学した折に印象に残ったのは長崎に投下された原子爆弾「ファットマン」の原寸大模型であった。現在は塗り替えが行われ、黄色と黒の当時の実物通りの彩色になっているそうだ。


長崎になぜ「原爆ドーム」が遺されなかったのか?興味のある方にはこの本をおすすめする。



あけましておめでとうございます





このブログ「中年とオブジェ」がスタートしたのは2005年の秋。ちょうどその年の干支がだから、今年でぐるりと一巡したわけである。そのブログ開設の年の年末振り返り記事で横浜トリエンナーレ2005で入手した安部泰輔のぬいぐるみのトリのことを書いている。捨てられた端切れの様々な色柄をパッチワークして再生されたこのぬいぐるみのプロジェクトは、いわば既存の素材によるコラージュというべきもので、横トリの「トリ」であったのだと思う。

この年の横浜トリエンナーレは、様々なアーティストの作品の集積そのものが、全体でディレクター川俣正のコラージュ作品であるかのようにも感じられる不思議な祝祭性を帯びていた。

昨年私の即興演奏ユニット「トマソンズ」にゲスト参加していただいた浅原ガンジーさんとの出会いもこのトリエンナーレでの大セッションがきっかけ。川俣正への興味もその最終日の集団即興演奏に負うところが大きい。

そんなわけで、現在の私を形成しているもろもろの始まりである2005年から12年。2017年はどんな年になるであろうか。昨年は新しい仕事を始めたり、トマソンズの活動が活性化できたり、また新しい「はじまり」が来ている感じがする。

「鳥は星形の庭に降りる」こそできないけれど、武満徹の映画音楽なんかをモチーフに今年は演奏してみたいというのも漠然とした抱負のひとつ。

今年もマイペースの中年とオブジェをよろしくお願いします。年頭に当たり、みなさんのご多幸をお祈りいたします。

2017年1月1日

2016年 私のお気に入り アート

今年は即興演奏ユニット「トマソンズ」の活動が好調で、その分美術館へ足を運ぶ機会は少なめだった。近所なので行けるつもりだった横浜市民ギャラリーあざみ野の石川竜一写真展も、風間サチコ参加のあざみ野コンテンポラリーvol.7も見逃してしまったし。

Twitterのつぶやきで振り返ってみると、大きなインパクトを受ける展覧会はなかったものの、面白く楽しめる企画に出会えた1年だった。

辛口のコメントをした村上隆の昨年から今年にかけての2大展覧会、「五百羅漢図展」と「スーパーフラット・コレクション」は、美術展とはなんだろうかとか、現代美術と古典ってどんな関係にあるんだろうかとか考えさせられた意味においては、今年観た中で忘れられない展覧会であったことは間違いない。

横浜市民ギャラリーでは11人の抽象画家のグループ展でオープニングのライブ演奏を務めさせていただき、絵画作品にインスパイア―された即興演奏という機会を得ることができた。来年2月末にも同企画展にお誘いを受け、また新しい音を出せればなあと思っている。

 




☆☆☆「しりあがり寿の現代美術 回・転・展」(練馬区立美術館)

しりあがり寿の現代美術 回・転・展@練馬区立美術館。回る回る。ヤカンが、ダルマが、縄文土器が、聖徳太子が、連合艦隊が。みんな回っている。オブジェが回転するだけでこんなにシュール!静止画のみ撮影可。回転は見て感じるしかない。

チープな博物館の可動式展示の如く、意味もなく回転するオブジェたち。これは果たして現代美術のインスタレーションなのか?笑える映像作品「回転道場」はビデオアートなのか?しりあがり寿の回・転・展@練馬区立美術館はまるで現代美術の実験場。

パロディーでオリジナルを異化し、髭の生えたOLや幻覚を見る弥次喜多を描いてきた漫画家。動画をトレースして劣化させることでゆるめ〜しょんを生んだアニメ作家。オブジェを回転させた現代美術家。しりあがり寿の回転展はズレが生む笑いを問う。


☆☆☆宮本隆司「九龍城砦 Kowloon Walled City」(キャノンギャラリーS)
品川のキャノンギャラリーSで宮本隆司の九龍城砦写真展。暗い会場に浮かび上がるモノクロームのスラムの闇。香港の湿気を孕んだ空気の重さが感じられる。出品作を掲載したリーフレットも配布。7月4日(月)まで。

各地の建築物の解体現場の光景を撮影した宮本の「建築の黙示録」のシリーズ。彼の表現は阪神淡路大震災の記録でひとつの頂点に達したと感じるのだが、彼の九龍城砦の写真にはほかの建築撮影の仕事にみる超然とした客観性とは異なり、ある種の体温とクールな視線が同居している。九龍城砦の持つ場の力に半ば呑みこまれ、ギリギリの足場で対峙した写真からは、「神の視線」を思わせるような黙示録のシリーズからは得られない生々しさ、臭い、濃密な空気が迫ってくるのだ。(中年とオブジェ 2016.6. 19)


☆☆風間サチコ「電撃‼ラッダイト学園」(無人島プロダクション) 

明日13日(土)より無人島プロダクションで風間サチコ個展「電撃‼︎ラッダイト学園」スタート。イギリス産業革命期の機械破壊運動ラッダイトと現代の学校制度批判がどのように結びつくのか?風間さんの妄想力に期待!オープニングレセプション18時〜

風間サチコ「電撃‼ラッダイト学園」@無人島プロ始業式に出席。学校を舞台に暴力・破壊を描く。バットを振り回す未来派風生徒、おぞましい同調圧力を秘めた下駄箱のグラフィカルな構成美。装甲車のナンバーが37564(皆殺し)という笑いも。

風間サチコ「電撃‼ラッダイト学園」@無人島プロダクション。今まで細部の集積・群像表現の多かった風間にしては、単体の人物像主体のダイナミックな画面。いまいち動きが描けてないのが劇画に堕さない魅力でもある。私は民衆絵画的なごった煮の作品のほうが好みかな。


☆☆「気仙沼と、東日本大震災の記憶」展(目黒区美術館)
2/13(土)より「気仙沼と、東日本大震災の記憶」展が始まりました(3/21まで)。詳細はhttp://www.mmat.jp で。震災直後から2年間にわたり記録された被害状況の写真を中心に、目黒区と縁の深い気仙沼とその周辺についても民俗資料でご紹介しています(無料)。

目黒区美術館きた。気仙沼のリアス・アーク美術館の新たな常設展示を紹介。3月21日まで。入場無料。
「震災以前と何も変わらず、何事もなかったかのように"美術館"を再開することなど考えられませんでした。被災地の博物館、美術館として、被災社会が必要とするものを、被災者である私たち学芸員が提供していくことにこそ、大きな意味がある」リアスアーク美術館学芸員の山内宏泰氏


☆☆「未来を担う美術家たち18th DOMANI・明日展文化庁芸術家在外研修の成果」展(国立新美術館)

国立新美術館Dmani展に来た。ゲスト枠に風間サチコさん。久しぶりに大作版画を楽しむ。何故彼女は巨大船を描くのだろう?キャプションにある以上の深層性があるような気がします。


☆☆「美の精鋭たち2016―the meaning of life」(横浜市民ギャラリー)

本日2月2日〜8日「美の精鋭たち2016」抽象画家11名の描く心象風景。初日17時より即興演奏ユニット「トマソンズ」のライブやります。横浜市民ギャラリーにて。





☆☆「村上隆のスーパーフラット・コレクション―蕭白、魯山人からキーファーまで―」(横浜美術館)

横浜美術館の村上隆スーパーフラットコレクション。山本作兵衛の炭坑画があった。

横浜美術館の村上隆スーパーフラット。川俣正の小品もあり。

横浜美術館の村上隆スーパーフラット。もはや、古美術・古道具から現代美術まですべてが等価に感じられる。美術館の備品が作品に見えてしまったり。

横浜美術館の村上隆スーパーフラット。撮影OKだけど「展示風景」に限るという縛り。単体作品とかクローズアップは不可。インスタレーション展示も全体で一作品なのでダメ。村上の脳内マンダラのような展示室、撮りたかったな。


「村上隆の五百羅漢図展」(森美術館)

村上隆の五百羅漢@森美術館。最終日直前臨時延長の深夜に鑑賞。REALKYOTOの浅田彰のレビューに倣って言えば、「5分で通り過ぎてしまった」感じ。膨大で長大で細部にも拘泥しているのだろうけど、密度がなくスカスカ。神は細部に宿っていなかった。

村上隆の五百羅漢@森美術館。辻惟雄を引き合いに出して日本美術史に絡めたコーナーとか、制作の裏側見せたコーナーとか、蛇足感漂ってた。狩野一信持って来ちゃ、ある意味自身の敗北宣言か。

村上隆の五百羅漢@森美術館。この宝誌和尚像を模した人形が般若心経唱えるのが一番面白かった。


☆☆「クエイ兄弟―ファントム・ミュージアム― 」(神奈川県立近代美術館葉山館)

クエイ兄弟―ファントム・ミュージアムー@神奈川近美葉山。まぶしい夏日と海水浴客のすぐ隣に秘められた異界。デカダンスと病理性。不協和なBGM。数多くのアニメが編集上映され、人形たちのインスタレーションも蠱惑的。夏の幻燈会の儚さ。どっぷり浸かるなら作品上映会狙いかな。 


☆☆「アルバレス・ブラボ写真展―メキシコ、静かなる光と時」(世田谷美術館)

アルバレス・ブラボ写真展@世田谷美術館。メキシコ革命の動乱・壁画運動などの前衛芸術運動の時代を経ながら独自の静謐な世界を表現。町の看板・洗濯物などを切り取る視線はまるで路上観察者の先達。モノクロで事物のフォルムを抽出しユニークなタイトルで落とし込む。おすすめです。


☆☆「クリスチャン・ボルタンスキー アニミタス―さざめく亡霊たち」(東京都庭園美術館)

クリスチャン・ボルタンスキー展@東京都庭園美術館。新館の大型インスタレーションは映像・音響に加え、床に敷かれた干し草の匂いに嗅覚まで動員。ベンチに座って沈潜する。干し草の上を裸足で歩いて触覚も刺激されたらなあと夢想。作家も想定したのではないかなあ。


都築響一presentsエロトピア・ジャパン「神は局部に宿る」(アツコバルー)

都築響一presentsエロトピア・ジャパン「神は局部に宿る」@アツコバルー(渋谷)。秘宝館・ラブホテル・イメクラなど、都築ワールドを追ってきた者には目新しさはないが、久々の鳥羽SF未来館フィギュアはやはり強烈!

都築響一presentsエロトピア・ジャパン「神は局部に宿る」@アツコバルー(渋谷)。入場料1000円であの展示ボリュームはちと高いが、オリエント工業の銘品ラブドールの肌をオサワリできるとあればやむなし。


トーマス・ルフ展(国立近代美館)

トーマス・ルフ展@東近美と篠山紀信「快楽の館」@原美術館をはしご。自分が撮影せざる天体写真を加工するルフ、原美術館で撮影したヌード写真を等身大でその場に展示した紀信。写真そのものは異質だが共にコンセプチュアル。写真自体に没入できる強度が無いのも共通点。

トーマス・ルフ展@東近美。ベッヒャー・シューレの優等生らしく証明写真を巨大に引き伸ばしたり、集合住宅をフラットに撮影した作品がいい。よりコンセプチュアルな作品群は、観念先行で面白みはない。トーマス・デマンドのような倒錯性は感じられず。写真を愛さないことを目指しているのだな。



余震







「覚悟」とは、何かを意固地になって言い張ることではありません。覚悟の「覚」は目覚めること、そして覚悟の「悟」は悟ること、深く思いを定めること。つまり、単に流れに押し流されて毎日を生きていくのではなく、何かに目覚め、そのことを深く確信して生きていくということです。「覚悟」を持って生きるとは、私たちをそこに閉じ込めるものではなく、私たちを開いていくものなのです。

上田紀行「生きる覚悟」


グローバル経済によって支配される現代社会では、建築家の倫理観や善意をはるかに超えた力によって建築はつくられ、破壊されている。そこにはかつてのような公共空間やコミュニティの場が成立する余地はほとんどない。それどころか経済を効率よく循環させるためには、共同体は徹底して個に解体されたほうがよい。そのような巨大資本につき動かされる巨大都市に建築家はどう向き合っていくべきなのか、そんなことを考えている最中に大震災は起こった。

伊東豊雄「あの日からの建築」


しかし「原発建設が進んでいた時代には経済成長していた」というのは正しいですが、「原発を建てれば経済成長する」とはいえません。国際環境や産業構造が変わっているのですから、もとに戻ることはありません。
(中略)
しかしもはや原発は、経済的にみれば政策と投資の失敗から生じた一種の不良債権です。このままずるずると続けても、将来性のない事業に金をつぎこむ無策にすぎません。

小熊英二「社会を変えるには」


時と場所は移って21世紀初頭の日本、いま私たちは未曽有の原発災害のもとにある。1970年の万博では、原子力は「人類の進歩と調和」を推し進めるエネルギーの原動力としての期待を一身に受けていた。そんななかには、気象災害(台風)を事前に一掃できる原子爆弾の可能性を誇示するパヴィリオン(三菱未来館)があったし、原子力発電所の原子炉建屋の内部構造をそのまま巨大化したような形状のパヴィリオン(電力館)も存在した。けれども、こうして実際に21世紀となって振り返ったとき、原子力は未来の希望どころか、私たちの未来を掻き消しかねない、おそるべき「公毒」を垂れ流すものと化していた。

椹木野依「後美術論」


年齢のせいなのか、それとも震災後に起こった様々な出来事の影響(後遺症)なのか、はたまたちっとも数字のあわない四台の線量計と一年以上もつきあってきたせいか、すっかり物事をうす目で見るクセがついてしまった。すぐにわかったような結論を出したりせずに、ぼんやり全体を眺めて、結論は保留。それでも時間がたてば、見えてくるものだってちゃんとある。でも、誤解してほしくないのは、それは無責任に物事を見るということではないということだ。それより怖いのは、わかってないのに結論や答えを急いで出してしまうことではないだろうか。なにしろじっくりやらないと、とてもじゃないが身がもたない。

大友良英「シャッター商店街と線量計」(2012年12月)


「変わりないですか?」という質問は、患者さんとの面接での常套句のようなものだが、実は変わりが無いのが一番いい。考えてみれば、先週と同じように今日があり、今日と同じように明日がある、というのは当たり前のようだが、ありがたいことだ。明日も今日と同じように生きていると保障できる人なんてこの世にはいないのだから。

蟻塚亮二「統合失調症とのつきあい方―闘わないことのすすめ」



昨日朝の東日本大震災の余震に、折々ブログに引用した言葉を思い出す。

そういえばブログ11周年




もう過ぎ去ってしまったが今年9月21日に、この「中年とオブジェ」はブログ開設から11周年を迎えることができた。9月18日に相方のジョヴァンニ・スキアリさんと組んでいる即興演奏ユニット「トマソンズ」のライブハウスで初の単独コンサートが終わった直後だったので、すっかり忘れていた。

2005年の9月21日というキリのよくもない日にはじめたこのブログ。思えば続いているもんだ。この日付、なにかのいわれのある日になっているのだろうかと調べてみたら、1933年の9月21日は宮沢賢治の命日に当たるのだそうだ。偶然とはいえ、私の敬愛する作家の一人である宮沢賢治にゆかりの日であったとは。





わたくしといふ現象は
仮定された有機交流電燈の
ひとつの青い照明です
(あらゆる透明な幽霊の複合体)

宮沢賢治詩集「春と修羅」序より


ブログを長く続ける要因はさまざま。愛読してくれる友人をおもい、思わぬコメントによろこび、新しい人と出会うきっかけになったり。でも、やはり「わたくしといふ現象」の不思議さ、不可解さを抜きにしては、こんなにブログを飽かずに続けてはいないだろうと思う。

「中年とオブジェ」の名の由来である赤瀬川原平の「少年とオブジェ」、そして「トマソンズ」のもとになった「超芸術トマソン」。街の中で、作者不在の、所有者の意図せざる無意識の「美」を顕現させる「トマソン」とそれらを発掘する路上観察学。ブログを続けることの効用は、自分自身のうちにある無意識の領域を掘り起こし、観察することにあるのではないだろうか?




先週、ブラジルのミュージシャン、カエターノ・ヴェローゾの大阪公演のついでに大阪・京都へ小旅行をして来た。前回の来日が実に11年前の2005年。中年とオブジェはそのしばらくあとにスタートしている。コンサートのすばらしさはあらためてレポートしたいのだが、ギター弾き語りのシンプルなステージに、11年前のバンドサウンドにはなかった深みと美しさを感じた。

時代を追うごとに変転し続けるカエターノの音楽。『自分』に固執せず、「自分」を探し続ける彼は、いつだって粋な男だ。


「中年とオブジェ」は、これからも自分のぼんやりした無意識にゆだねつつ、粋に変転していきたいなあ。どうぞ、これからもお付き合いをお願いいたします。

after an earthquake












採集地 横浜(2011年3月地震の後に)


年齢のせいなのか、それとも震災後に起こった様々な出来事の影響(後遺症)なのか、はたまたちっとも数字のあわない四台の線量計と一年以上もつきあってきたせいか、すっかり物事をうす目で見るクセがついてしまった。すぐにわかったような結論を出したりせずに、ぼんやり全体を眺めて、結論は保留。それでも時間がたてば、見えてくるものだってちゃんとある。でも、誤解してほしくないのは、それは無責任に物事を見るということではないということだ。それより怖いのは、わかってないのに結論や答えを急いで出してしまうことではないだろうか。なにしろじっくりやらないと、とてもじゃないが身がもたない。

大友良英「シャッター商店街と線量計」(2012年12月)

新年を迎えて old photograph

少年兵



歩くチェロ



応援団



キャットボール 



『老兵は死なず』



Ruin under construction



夜の上海



階段下収納



空の音楽



新年最初のエントリは昨年ブログにアップした写真からのセレクト。昨年旅先や日常生活の中で撮影したものもあれば、こどもの頃のアルバム、数年前の写真の掘り起こしなどさまざまである。久しぶりの尾道・広島の小旅行ではずいぶん撮影を楽しんだ。

写真以外にも中古レコード・コーヒー・喫茶店など近年のはまりもの、あい変らずのオブジェ蒐集など、今年はこのブログで取り上げてみようかなと思う。

最後に、昨年亡くなった父がクロアチア旅行で撮影した写真を貼りつけてみる。
あ、最初の「少年兵」も父の撮影だった。
今年もよろしくお願いします!


2015年 私のお気に入り 旅めし




酔処ふらり(居酒屋/宇都宮)

宇都宮美術館のクレー展のため訪れた宇都宮の街。かつてこの街に単身赴任していた友人のお勧めである、ふらりという居酒屋に夕刻開店早々入る。銘酒鑑評会を主催するという店主のお勧めで、地酒鳳凰美田をはじめ各地の地酒を飲み進める。「酒は飲み口の軽いものから、どっしりしたものへと重ねていくといいですよ。後から軽いものをのむと進みすぎて悪酔いする」「日本酒は利尿作用がないから、チェイサーは飲むようにしたほうがいいね」店主と酒談義しながら管理抜群の銘酒を堪能。酒に合う酒肴もぬかりなく、カツヲのたたきに青々したピーマンがどっさり乗ったオリジナルレシピは抜群。マニアックだが押しつけがましくない店主のもてなしに大満足。おかみさんの「地元の人は餃子屋に並んだりしないわよ」という言にもなるほどであった。


西山本館(旅館/尾道)

赤瀬川原平の芸術原論展にからめて春の尾道・広島を食道楽の旅。再訪したホルモン天ぷらのたかま・居酒屋なわない・宮島の焼きガキなどいろいろあるなか、尾道の老舗料理旅館「西山本館」の夕食・朝食は実によかった。部屋食でいただく夕食の懐石は瀬戸内の海の幸連発で、煮魚の旨いこと。締めのひつまぶし風に楽しむ穴子飯も完食であった。かつては大林映画のロケも行われた老舗も、風情ある建築は老朽化し、あのお食事内容を考えると格安に泊まれたのであった。


タンドリーチキン(自作レシピ)

以前もタンドリーチキンには挑んだことがあるのだが、今年見つけたスパイスをふんだんに使うレシピで会心の作ができた。ジップロックで漬け汁に2日間。バター塗りつけてオーブンで焼けば、スパイシーでジューシー。クリスマスチキンも今年はこれにしました。


水餃子(自作レシピ)

小麦粉をねりにねって作る自家製餃子の皮。白菜を塩もみして水気を絞るレシピで餡ももちもち。つるんとした皮と肉汁のしみだす具が美味でした。


年末にオーブンレンジを買い替えたので、今年はいろいろ使いこなせるようになりたいものだ。

2015年 私のお気に入り アート

「中年とオブジェ」も今年とうとう10周年を迎えた。一時期はコンテンツの中心であった美術鑑賞ネタも近年減少し、今年はブログ上では美術に関するエントリはほとんど休止状態であった。私自身の嗜好の変化もあるのだけれど、どうも今年はグッと心つかまれる美術体験がなかったのだ。ことに現代美術において。以下に、Twitterでつぶやくなどした展覧会等を中心に挙げてみる。




☆☆☆八木良太「サイエンス/フィクション」(神奈川県民ホールギャラリー)

・八木良太「サイエンス/フィクション」神奈川県民ホールギャラリー。砂時計の砂音を増幅して聴くなど、視覚と聴覚に仕掛けられる実験道具のような作品群は、軽妙で知的。

・八木良太「サイエンス/フィクション」神奈川県民ホールギャラリー。八木の主要なモチーフであるアナログレコードが、微細な物理振動を音に変換するシステムであるように、彼の作品は微細な日常的器具から意想外の変換を試みて、見る者の知覚を刺激する。想像力の振動。


☆☆赤瀬川原平「芸術原論展」(広島市現代美術館)

・昨年見逃した赤瀬川原平「芸術原論展」を、広島市現代美術館で観てきた。漫画「お座敷」などのペン画、中古カメラ鉛筆画、晩年の風景画などのタッチを味わうよろこび。でも、美術館の枠の中に収まるような芸術家ではないのだとも痛感。もどかしい想いの展覧会。


☆☆小学館日本美術全集 椹木野衣責任編集19巻「拡張する戦後美術」

・小学館日本美術全集、椹木野衣責任編集の19巻「拡張する戦後美術」届いた。手塚の新寶島にはじまり、山本作兵衛、白井晨一の原爆堂計画、ねじ式、明日の神話、三越の天女(まごころ)像までもが混在する。まさに本の中の空想美術館。

・日本美術全集19。平山郁夫の作品では広島の平和資料館にある「広島生変図」が。紅蓮の炎・原爆ドーム・不動明王。総花的に終わらない編集の力を見せる一冊だな。

この書籍の刊行は、優れたコレクションの美術館にも迫る体験を与えてくれた。繰り返し紐解きたくなる一冊。何しろカバー写真が太陽の塔だし。


☆☆鴻池朋子展「根源的暴力」(神奈川県民ホールギャラリー)

・鴻池朋子展「根源的暴力」@神奈川県民ホールギャラリー。吹き抜け空間の第5展示室のみ撮影可。この大空間は生かし切れていなかったが、かつてのファンタジーに傾斜した作風からより土着的なフォークロアへの変化を感じる。

・鴻池朋子展「根源的暴力」@神奈川県民ホールギャラリー。第2展示室中央に広げられた素焼き粘土のオブジェ群が気に入った。海牛のようで人体の一部のようで土器のようで。正体の不分明な形態が感覚をくすぐる。オオカミや魚といった明確なモチーフからこの方向に作家は移行していきそうだ。


☆☆そこにある、時間ードイツ銀行コレクションの現代写真(原美術館)

印象に残る写真展。粒ぞろいの良作がそろっていたが、コレクション展ゆえの散漫さ・既視感は否めない。


ニュータウンゴースト 遺跡とアート(大塚・歳勝土遺跡公園)

・ニュータウンゴースト 遺跡とアート@大塚・歳勝土遺跡公園(横浜市都筑区) 現代アートと竪穴式住居集落の出会い 11/1(日)まで

数年前から継続しているこの企画にはじめて足を運んだのだが、遺跡の構築物と現代アートとのコラボ。予想以上に面白かった。


蔡國強展 帰去来(横浜美術館)

火薬の作家という側面以外の仕事を知ることができたが、展示数少なく食い足りなかった。オオカミの群れのインスタレーションはインパクトあったな。


クレー展(宇都宮美術館)

・クレー展@宇都宮美術館。美術館行きバス激混みでレストランはランチ戦争中。予想外の混雑です。

このプチ遠征は即興演奏の相方ジョヴァンニさんと連れ立って。アフターの地方都市居酒屋紀行も含め楽しかった。クレーの素描の良さ、音楽的構成の美しさを再認識。


オスカー・ニーマイヤー展 ブラジルの世界遺産をつくった男(東京都現代美術館)

展示の密度は期待ほどではなかったが、大アトリウムに展開した巨大建築模型は床に寝そべりながら堪能した。スクリーンで上映していた映像はDVD購入してじっくり見ようと思ったら廃盤で入手困難。


川俣正三笠プロジェクト図録完成

北海道まで遠征し、制作ボランティアの一端にも参加できたアートプロジェクトの図録が今年届いた。作品の永続性も危ぶまれ、ドキュメント映像の制作も始動したそうで楽しみだ。


名和晃平「FORCE」(スカイ・ザ・バスハウス)

・スカイ・ザ・バスハウスの名和晃平。旧風呂屋のギャラリー天井から降り注ぐ黒いインクの列。身体に浴びてギャラリーの白い壁面にダイブしたいと妄想してしまった。流動しているのに静止しているかのようなインクには、旧来のガラスビーズ彫刻に通じるスタティックな美とともに暴力的な力を感じる。


きりさき個展(新宿眼科画廊)

・新宿眼科画廊の、きりさき個展。トレヴァー・ブラウンのパクリ的だけど、アクリル画の色感、細部のこだわりが和な感じでよい。ペン画、鉛筆画のタッチも美しい。


SHUNGA 春画展(永青文庫)

・春画展@永青文庫の図録。600ページ超える辞書のような造本だが意外に軽量。会場平日でも混み合っているので復習に好適。


鎌倉からはじまった。1951-2016(神奈川県立近代美術館鎌倉館)

・近美鎌倉館。ミュージアムショップでの販売限定の鎌倉館ペーパークラフト目当てに行ってみた。完成見本なかなか精巧。30センチ四方の大物だ。(1/120スケール)そのほか過去の図録の廉価販売もあり。篠原有司男と伊庭靖子入手。ギュウちゃんのポスターもおまけでついた!

・近美鎌倉館。いままで見たことのない旧学芸員室も公開中。カフェの上の中3階にある。坂倉準三と長大作デザインのヴィンテージのチェアに座ることもできた。





風間サチコの大作版画を久しぶりに観られるという国立新美術館の「未来を担う美術家たち
18th DOMANI・明日展文化庁芸術家在外研修の成果」展
は新年のお楽しみに持ち越した。新年初めからガツンとやられることを期待して。

ブログ10周年 はじまりは2005年




この画像、2005年に開催されたヨコハマ・トリエンナーレ最終日の大集団即興演奏「ヨコトリ・ファイナル・セッション」の模様である。

この2005年は私にとって、様々な意味で現在の自分を形成する萌芽だったのだなと今にして思う。サックスによる即興演奏の再開、横浜での即興セッションへの参加は、その後トマソンズという即興ユニットでの演奏活動に至った。

このトリエンナーレのディレクターであった川俣正についても興味を覚え、ご本人のガイドツアーに参加してその芸術観に感化された。この経験はその後の自分の美術との関わり方に影響し、彼の故郷、北海道三笠のアートプロジェクトへの遠征など引き続き注目をしている。

チープなデジカメを購入したのもこの頃のことで、にわかに身辺の雑事を記録するようになった。ブログを開設する気になった要因のひとつとしてデジカメの存在は欠かせないし、現在ではブログそのものが奇妙な「写真ブログ」と化している。


そんな2005年の9月にブログを開設してから10年。

ブログを通じて知り合った多くの人たちとの交流は、予想もできなかった収獲だった。いつまで続けられるか分からないが、「中年」も佳境に入った今、また新しい「中年とオブジェ」が展開できるといいなと思っている。

こんなブログを愛読し、支えてくれる皆さん。誠にありがとうございます。
これからも、よろしくお願いいたします。

終戦記念日




原爆ドームと浦上天主堂







今年の春、広島を旅した折、工事の足場に覆われた原爆ドームを目にした。まるで建設途上の廃墟を見るかのような、異形の姿であった。原爆ドームの崩壊を食い止めるための補修工事を行っているのかなと思ったのだが、これは平成4年度より継続されている「健全度調査」と呼ばれる作業なのだそうである。

第2回保存工事以降、原爆ドームの経年劣化等の状況を把握することを目的に、平成4年度(1992年度)から原則3年毎に健全度調査を実施しています。
 第1回の健全度調査から継続的に実施している項目は以下のとおりです。

目視調査等により、劣化状況等を調査する「外観調査」
沈下の状況を調査する「沈下量測定」
壁体の傾きを調査する「鉛直度調査」
壁体の防水性を調査する「透水試験」 ※第1回健全度調査では実施していません。

広島市 原爆ドームサイトより


チェコ人のヤン・レツルの設計により、大正4年(1915年)4月、広島県物産陳列館として竣工した建物が、原子爆弾の被爆を伝える象徴として残存し世界遺産としても認定される「原爆ドーム」となったわけだが、この世界遺産認定は、あくまでもこの廃墟の現状維持を前提としているそうである。

平泉の中尊寺金色堂がそうであるように、ドームをすっぽり包み込む建造物により保護してしまえば、ドームそのものの経年劣化は緩和されるように思われるのだが、世界遺産からは外れてしまうという問題があるらしい。




長崎では、爆心地近くにあった浦上天主堂の残骸は戦後撤去され、天主堂は再建された。もし天主堂の残骸が遺構として保存されていれば第二の「原爆ドーム」になったかもしれないわけだが、原子爆弾による惨禍を記憶に留めるために目に見える形の遺構の存在することの意義は大きい。

広島の原爆ドームが遺構として存続することを最優先するならば、天蓋や遮蔽構造物などの手段が講じられても良いように思うのだが。最近話題の長崎の軍艦島同様、廃墟を遺産として存続させることは困難な課題である。

軍艦島断章

軍艦島断章〜海上観光都市のスクラップ・ブック〜



 
■上野英信「地の底の笑い話」(注1) 1967年
九州の西海岸に面した長崎県から佐賀県にかけて数多くの海底炭鉱が散在しているが、そのなかでもとりわけ古くから名の知られているのは、なんといっても「一に高島、二に端島、三で崎戸の鬼ガ島」と歌われてきた三つの離れ島の炭鉱であろう。高島は船で長崎港から約六十分、端島はさらにそれより十五分あまり、崎戸は佐世保港より約九十分ばかりの距離にあり、三つながら長く三菱鉱業の独占的な経営下におかれて、いずれ劣らぬ圧制ヤマとして「鬼ガ島」「監獄島」の恐怖を独占した炭鉱である。
 
○ 我々がはじめて訪れたのは崎戸だった。その後高島から端島を遠望。のちに上陸にいたった。
 
■洲之内徹「さらば気まぐれ美術館」(注2) 予告編・軍艦島 1988年
若手写真家の雜賀雄二君の、軍艦島を撮った写真集(注3)が近く新潮社から出るはずで、その写真集に私は文章を書くことになっているのだ。二月(昭和六十一年)に、私が雜賀君と軍艦島へ行ったのもそのためである。
ところで、軍艦島とはどういうところかを簡単に説明するために、とりあえず、長崎の県営ユースホステルの掲示板に貼ってあった手書きの解説の文章を、そのままここへ転用させてもらうことにしよう(原文は横書き)。
 
  軍艦島(端島:はしま)
面積0.1k屐〆嚢眦澄ヽと苅苅m 石炭採掘は明治初年天草の人によって始められ、ついで佐賀藩主鍋島氏の手に、そして明治23年三菱の経営となる。
石炭は高カロリーの良質瀝青炭で、最高時には年産約25万tに達した。島の1/3がその住宅、残りの1/3が小、中学校、校庭などで、学校、商店、社寺、病院、劇場、温室、社交クラブなど整っていた事でも有名。
人口 5058人(1965年)
1974年1月閉山。石炭増産ではなやかな灯を点じていた島もいまや、たんなる巨大なコンクリートの塊として無気味に横たわっているのみである。
 
  (中略)いずれにしても、このユースホステルに泊まり、この解説を読んで島へ行ってみようとする旅行者は皆無だろうから、多少の不備や不正確さがあっても一向に差支ない。だいいち、いまや孤島と化したこの島へは、行きたくても交通の便がない。

○ 「行ってみようとする旅行者は皆無だろうから」とは当時のはなし。廃墟ブームの今、状況は激変した。
 
■毛綱毅曠「不知詠人 詠み人知らずのデザイン」(注4)集積都市のチン没 1993年
軍艦島。その要塞のような語感は、メカニックな未来都市と坑夫たちが蝟集する盛り場の印象が折り重なって、たとえば、スラムやダウンタウンに覆いかぶさるように未来都市が積層された映画「ブレード・ランナー」のような都市迷宮の情景を彷彿とさせるのではないか。
もともと、海あるいは空に隔てられた浮島には、ユートピア、逆ユートピアとに限らず、ある種の異界願望がつきまとう。
 
○香港で潜入した解体前の九龍城砦も、「ブレード・ランナー」の世界そのものだった。
 
■AC公共広告機構 軍艦島TVコマーシャル(注5) 1983年
「軍艦島 60」

島は宝島だった。
石炭が見つかって、人々がやってきた。
人々が働いた。
周囲1.2kmの島が町になった。
4000人もの暮らしがあった。
子供たちが生まれた。
大きく育った。
1年、10年、30年…。
石炭をほりつくした時、人々がいなくなった。
暮らしがなくなった。
資源とともに島が死んだ。
ちょうど84年目だった。
私たちもいま、資源のない島、日本に住んでいる。

いつも考えていたい私たちの資源。
 
○2000年GW、島で会った何人かの人は、このCMで軍艦島を知ったのだと話していた。
 
■CinemaScape−映画批評空間−(注6) 「純」 横山博人監督 1980年 (注7)
★4  軍艦島が出てくるだけでいい。それと朝加真由美も好きだったなあ。
    (おーい粗茶コメント)(注8)

○TVの深夜映画で見た「純」がテツの軍艦島体験の原点のひとつだ。
 
■奈良原一高「人間の土地」(注9) 緑なき島 ISLAND WITHOUT GREEN 1987年
それでも端島っ子たちは祖父母の代から゛世界一住み良いところ″と教えられて育った。たしかに、ここにはひとつの国、ひとつの惑星のように完結した運命共同体の世界がある。(中略)病院、郵便局、日替り2本立映画を上映する劇場をはじめ娯楽センター、公民館、プール、マーケット、共同浴場と何でもひと通りは揃っている。しかし、たったひとつだけ欠けているものがある、それは墓地だ。端島神社と泉福寺はあっても、死者たちは船で運ばれて、沖合の無人島・中ノ島で焼かれる。
 
○いまや、端島のアパート群そのものが巨大な墓標であるかのようだ。
 


   
■端島の思い出を語ろう Takaとテツ 2002年
テツ 「俺たちがはじめて軍艦島を見たのは1987年だったね」
Taka 「長崎からフェリーで高島に渡ったとき、近くに見えたんだ」
テツ 「それで翌年についに上陸したんだよね。俺は参加できなかったんだけど」
Taka 「釣り人に混じって、小さな漁船で渡ったんだ。朝早いんで前の晩は港の小屋で寝かせてくれたよ」
テツ 「誰かほかに、端島見にきてる人はいた?」
Taka 「3泊4日すごしたけど、島の中では1人か2人見かけたかな。よく覚えてない」
テツ 「その頃から、スプレーのイタズラ書きとかはあったの?」
Taka 「けっこうあったよ。島のあちこちに。俺とべろ蔵とムッツの3人で手分けしてアパートの部屋を回ったんだけど、島に住んでいた人たちの書き残し(注10)も壁なんかにあった」
テツ 「そのあとムッツとふたりでまた行ったよね」
Taka 「いちおう、初回に見られなかったところを全部まわりたくてすぐに行った。1989年だな」
テツ 「それで2000年のGWに、ようやく俺もはじめて上陸して、Takaに案内してもらった」
Taka 「でも10年ぶりに行ってみると本当に荒廃が進んだなっていう感じ」
テツ 「映画館なんか、原形がわからないほど壊れていたし」
Taka 「なんといっても、あの廃墟ファンの多さには驚いたね」
 
2000年GWのさなか、夜明け前に釣り人と一緒に漁船に乗り、端島に上陸。昼過ぎまで、島の中をひと巡りした。学校の校庭跡にもどってくると、なにやらマネキンのようなものを校舎に運び込む人が。三脚には大判カメラ。アート系写真でも撮る気だろう。堤防の上を歩いているのは女の子2人・男3人の若いグループ。手に手にカメラを持っている。校庭の片隅の青いテントからは、坊主刈りの青年がぬっと顔を出した。ひとりで何泊かしているのだという。「もうすることなくなっちゃいましたよ。今日はにぎやかですね」と彼。そのあとも、海上タクシーでハンディービデオを持ったふたり連れがやってきたり、キャンプ生活のため水・食料を搬入する者がいたり。

「軍艦島 海上産業都市に住む」(注11)という本があるけれど、これではいまや「海上観光都市」ではないか。むろん我々もその一員。自分たちのことを棚に上げて物を言ってはいけないけれど・・・。
船寄せになっている岸壁の下では、さっきの坊主刈りの青年がパンツ一丁になって泳いでいた。
 
 
2001年11月21日、端島はそれまでの所有者三菱マテリアル社から高島町へ無償譲渡された。高島町が、三菱所有地として最後に残っていた端島の譲渡を要請したためだ。豊田定光町長は「交流人口の増加を目指した整備に道筋がつき、端島を含めた町の観光施策の将来を見据えて取得した。建築学的に貴重との声もあり、世界遺産への登録申請も考えている」と話したという。
 
ドイツでは、ルール工業地帯にある「ツォルフェライン炭鉱」(注12)の跡が、産業遺産として保存・再生され見学者を集めている。Takaとテツは2001年夏、その様子をこの目で見てきた。その後「ツォルフェライン炭鉱」はついに世界遺産として認定された。2001年12月のことだ。端島を世界遺産にというアイデアは、決して絵空事ではない。 
 
たしかに、技術的・資金的・保全上など困難な問題は多いだろう。だが、端島に上陸するのが正当で安全な行為となる日がくるのを期待したい。10年後、20年後の端島の姿を定点観測するためにも。うち捨てられたままに、朽ち果てていく端島をひっそりみつめたいという気持ちも心の一方にはあるのだけれど。
 
■洲之内徹「風の島」(注13)
雜賀雄二写真集 軍艦島 棄てられた島の風景所収 1986年
彼は岸壁に打寄せる大波も撮りたいし、一方、荒廃したアパートの室内に打捨てられて風化している物を撮ろうとしている。彼には一種の哲学があって、物はその用途で見られなくなったとき物そのものになる、物はその用途で人間に隷属し、人間に支配されているが、用途を持たなくなることでその隷属から脱して自由になる、酒の瓶はもはや酒の瓶ではなく、ただそこに在ってそういう形をした物、本来の、つまり、その物に返っている、物は棄てられたその瞬間から、死という別の時間の中で新しく生き始めるのだ、と彼は言う。
 
○文中の「彼」とは雜賀雄二のこと。その写真はまさにこの「哲学」を体現している。

 
________________________________________
注)  
(1) 上野英信:記録文学作家(1923〜87)。京都大学支那文学科を中退。筑豊・崎戸などで炭鉱労働者として働いた後、作家に。閉山した炭鉱の長屋(社宅)に住み「筑豊文庫」の看板を掲げる。最底辺に生きる中小炭鉱の人々の姿を伝えた。「追われゆく坑夫たち」「天皇陛下萬歳 爆弾三勇士序説」「写真万葉録筑豊」など著書多数。
「上野教」と呼ぶ人がいる。一回会うだけで、その人を「信者」にしてしまうのだ。そういった一種のカリスマ性が、上野さんには、確かにあった。
西日本新聞社文化部「上野英信 人・仕事・時代」

2) 洲之内徹「さらば気まぐれ美術館」:芸術新潮に連載された文章をまとめた本。洲之内徹(1913〜87)は美術評論家・小説家・画廊経営。プロレタリア運動に参加し刑務所に収監されたこともある気骨の人。その文章の味わいは、深く、どこか飄々としている。

(3) 軍艦島を撮った写真集:「軍艦島 棄てられた島の風景」1986年発行。雜賀雄二撮影。閉山後の軍艦島の風景を濃密な映像で切り取る。ながらく絶版となっていたが、新潮社から淡交社へ出版元を変え2003年3月復刊された。

(4) 毛綱毅曠「不知詠人 詠み人知らずのデザイン」:毛綱毅曠(1941〜2001)はDNA2重螺旋や風水思想を取り入れた独自の建築理論で知られる建築家。チベットの僧院、中国の集落、ドイツの戦争遺産など世界の建造物を旅した本書には彼独自の選択眼が見られる。軍艦島の空撮写真を掲載している。

(5) AC公共広告機構 軍艦島TVコマーシャル:エネルギー資源問題を問いかけた公共広告。閉山後の廃墟化した島内の映像が、短いながらも印象的。このCMを軍艦島体験の原点とする人は多いようだ。 

(6) CinemaScape−映画批評空間−
映画のコメントがいかなるコメンテーターによって語られているか?「映画ごとに」誰がどういう評価(コメントと採点)をしているか?と同時に「コメンテーターごとに」どういう映画にどういう評価をしているか?を知ることで、映画の批評が立体的に浮かび上がるように出来ている。4000人(近くいるらしい)のコメンテーターが語る、映画批評サイトの決定版。

(7) 「純」:主人公(江藤潤)は漫画家を夢見る機械整備工。彼が墓参りに訪れる廃墟となった故郷軍艦島の映像が鮮烈。現代音楽家一柳彗の音楽もいい。

(8) おーい粗茶:前述シネマスケープ・コメンテーター。「★4」とは五つ星評価で星四つということ。 「時計じかけのオレンジ」「戦国自衛隊」などのレビューが秀逸。
あの黒澤が「撮らされている」ような三船の圧倒的な存在感。この作品の仕上がりは「映画は監督のもの」と思っていたであろう黒澤監督のある意味「敗北宣言」。(黒沢明「酔いどれ天使」)


(9) 奈良原一高「人間の土地」 緑なき島:閉山前の端島の姿が力強く描かれた写真集。溶岩に埋没した、黒神村(桜島)の写真「火の山の麓」も併録。

(10) 島に住んでいた人たちの書き残し:離島に際して書かれたものと、閉山後島を再訪した時のものに大別できるのだろうが、その区別がさだかにできないものもある。
 
此の島に二度と渡ることは
    ないと思うが
       軍艦島よその姿
          いつまできれいにね (原文のまま記載)


(11) 「軍艦島 海上産業都市に住む」伊藤千行(写真)、阿久井喜孝(文):端島が現役だった昭和30年代の写真多数掲載。端島の暮らしが伝わってくる。建築家の視点から語られる建造物群の解説も興味深い。

(12) ツォルフェライン炭鉱:本ホームページ「ドイツ産業遺産ツアー」を参照

(13) 洲之内徹「風の島」:「軍艦島 棄てられた島の風景」の巻末に収録された文章。モダン・ジャズを聞くつもりでラジカセを軍艦島へ持っていった洲之内は雜賀雄二の提案で島を充たす様々な物音を録音した。その物音を天幕の中で、ドラムだ、シンバルだ、フルートだと面白がって聞いたふたりだったが、やがてその死の世界の音に凄まじさを感じる。
そうなんだ。あれは風の島なのだ。あそこで起こっていることはすべて風と係わりがある。あそこで演じられているのは風のドラマだ。―四月のある晩、私はふた月前に軍艦島で、自分で録音してきたカセット・テープを聞いていてそう思った。



■本エントリは、友人と制作したホームページ「観光」の中のコンテンツ「鉱山観光」に掲載した「軍艦島断章」を一部修正し再構成したものです。10年以上前に、半ば冗談で名づけた「海上観光都市」という言葉がいまや現実のものとなってしまったことに、不思議な感慨を覚えます。

after an earthquake









2011年4月 地震の後に撮影

時と場所は移って21世紀初頭の日本、いま私たちは未曽有の原発災害のもとにある。1970年の万博では、原子力は「人類の進歩と調和」を推し進めるエネルギーの原動力としての期待を一身に受けていた。そんななかには、気象災害(台風)を事前に一掃できる原子爆弾の可能性を誇示するパヴィリオン(三菱未来館)があったし、原子力発電所の原子炉建屋の内部構造をそのまま巨大化したような形状のパヴィリオン(電力館)も存在した。けれども、こうして実際に21世紀となって振り返ったとき、原子力は未来の希望どころか、私たちの未来を掻き消しかねない、おそるべき「公毒」を垂れ流すものと化していた。

椹木野依「後美術論」
プロフィール

テツ

「中年とオブジェ」とは赤瀬川原平の名著「少年とオブジェ」へのオマージュである。美術、オブジェ収集、エリック・ドルフィーを愛好する。

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