中年とオブジェ

美術館・街で見かけたオブジェ 旅先で手に入れたオブジェ オブジェの視点で世の中を楽しむ中年の日常。

アート

路上のアッサンブラージュ





採集地 横浜

2016年 私のお気に入り アート

今年は即興演奏ユニット「トマソンズ」の活動が好調で、その分美術館へ足を運ぶ機会は少なめだった。近所なので行けるつもりだった横浜市民ギャラリーあざみ野の石川竜一写真展も、風間サチコ参加のあざみ野コンテンポラリーvol.7も見逃してしまったし。

Twitterのつぶやきで振り返ってみると、大きなインパクトを受ける展覧会はなかったものの、面白く楽しめる企画に出会えた1年だった。

辛口のコメントをした村上隆の昨年から今年にかけての2大展覧会、「五百羅漢図展」と「スーパーフラット・コレクション」は、美術展とはなんだろうかとか、現代美術と古典ってどんな関係にあるんだろうかとか考えさせられた意味においては、今年観た中で忘れられない展覧会であったことは間違いない。

横浜市民ギャラリーでは11人の抽象画家のグループ展でオープニングのライブ演奏を務めさせていただき、絵画作品にインスパイア―された即興演奏という機会を得ることができた。来年2月末にも同企画展にお誘いを受け、また新しい音を出せればなあと思っている。

 




☆☆☆「しりあがり寿の現代美術 回・転・展」(練馬区立美術館)

しりあがり寿の現代美術 回・転・展@練馬区立美術館。回る回る。ヤカンが、ダルマが、縄文土器が、聖徳太子が、連合艦隊が。みんな回っている。オブジェが回転するだけでこんなにシュール!静止画のみ撮影可。回転は見て感じるしかない。

チープな博物館の可動式展示の如く、意味もなく回転するオブジェたち。これは果たして現代美術のインスタレーションなのか?笑える映像作品「回転道場」はビデオアートなのか?しりあがり寿の回・転・展@練馬区立美術館はまるで現代美術の実験場。

パロディーでオリジナルを異化し、髭の生えたOLや幻覚を見る弥次喜多を描いてきた漫画家。動画をトレースして劣化させることでゆるめ〜しょんを生んだアニメ作家。オブジェを回転させた現代美術家。しりあがり寿の回転展はズレが生む笑いを問う。


☆☆☆宮本隆司「九龍城砦 Kowloon Walled City」(キャノンギャラリーS)
品川のキャノンギャラリーSで宮本隆司の九龍城砦写真展。暗い会場に浮かび上がるモノクロームのスラムの闇。香港の湿気を孕んだ空気の重さが感じられる。出品作を掲載したリーフレットも配布。7月4日(月)まで。

各地の建築物の解体現場の光景を撮影した宮本の「建築の黙示録」のシリーズ。彼の表現は阪神淡路大震災の記録でひとつの頂点に達したと感じるのだが、彼の九龍城砦の写真にはほかの建築撮影の仕事にみる超然とした客観性とは異なり、ある種の体温とクールな視線が同居している。九龍城砦の持つ場の力に半ば呑みこまれ、ギリギリの足場で対峙した写真からは、「神の視線」を思わせるような黙示録のシリーズからは得られない生々しさ、臭い、濃密な空気が迫ってくるのだ。(中年とオブジェ 2016.6. 19)


☆☆風間サチコ「電撃‼ラッダイト学園」(無人島プロダクション) 

明日13日(土)より無人島プロダクションで風間サチコ個展「電撃‼︎ラッダイト学園」スタート。イギリス産業革命期の機械破壊運動ラッダイトと現代の学校制度批判がどのように結びつくのか?風間さんの妄想力に期待!オープニングレセプション18時〜

風間サチコ「電撃‼ラッダイト学園」@無人島プロ始業式に出席。学校を舞台に暴力・破壊を描く。バットを振り回す未来派風生徒、おぞましい同調圧力を秘めた下駄箱のグラフィカルな構成美。装甲車のナンバーが37564(皆殺し)という笑いも。

風間サチコ「電撃‼ラッダイト学園」@無人島プロダクション。今まで細部の集積・群像表現の多かった風間にしては、単体の人物像主体のダイナミックな画面。いまいち動きが描けてないのが劇画に堕さない魅力でもある。私は民衆絵画的なごった煮の作品のほうが好みかな。


☆☆「気仙沼と、東日本大震災の記憶」展(目黒区美術館)
2/13(土)より「気仙沼と、東日本大震災の記憶」展が始まりました(3/21まで)。詳細はhttp://www.mmat.jp で。震災直後から2年間にわたり記録された被害状況の写真を中心に、目黒区と縁の深い気仙沼とその周辺についても民俗資料でご紹介しています(無料)。

目黒区美術館きた。気仙沼のリアス・アーク美術館の新たな常設展示を紹介。3月21日まで。入場無料。
「震災以前と何も変わらず、何事もなかったかのように"美術館"を再開することなど考えられませんでした。被災地の博物館、美術館として、被災社会が必要とするものを、被災者である私たち学芸員が提供していくことにこそ、大きな意味がある」リアスアーク美術館学芸員の山内宏泰氏


☆☆「未来を担う美術家たち18th DOMANI・明日展文化庁芸術家在外研修の成果」展(国立新美術館)

国立新美術館Dmani展に来た。ゲスト枠に風間サチコさん。久しぶりに大作版画を楽しむ。何故彼女は巨大船を描くのだろう?キャプションにある以上の深層性があるような気がします。


☆☆「美の精鋭たち2016―the meaning of life」(横浜市民ギャラリー)

本日2月2日〜8日「美の精鋭たち2016」抽象画家11名の描く心象風景。初日17時より即興演奏ユニット「トマソンズ」のライブやります。横浜市民ギャラリーにて。





☆☆「村上隆のスーパーフラット・コレクション―蕭白、魯山人からキーファーまで―」(横浜美術館)

横浜美術館の村上隆スーパーフラットコレクション。山本作兵衛の炭坑画があった。

横浜美術館の村上隆スーパーフラット。川俣正の小品もあり。

横浜美術館の村上隆スーパーフラット。もはや、古美術・古道具から現代美術まですべてが等価に感じられる。美術館の備品が作品に見えてしまったり。

横浜美術館の村上隆スーパーフラット。撮影OKだけど「展示風景」に限るという縛り。単体作品とかクローズアップは不可。インスタレーション展示も全体で一作品なのでダメ。村上の脳内マンダラのような展示室、撮りたかったな。


「村上隆の五百羅漢図展」(森美術館)

村上隆の五百羅漢@森美術館。最終日直前臨時延長の深夜に鑑賞。REALKYOTOの浅田彰のレビューに倣って言えば、「5分で通り過ぎてしまった」感じ。膨大で長大で細部にも拘泥しているのだろうけど、密度がなくスカスカ。神は細部に宿っていなかった。

村上隆の五百羅漢@森美術館。辻惟雄を引き合いに出して日本美術史に絡めたコーナーとか、制作の裏側見せたコーナーとか、蛇足感漂ってた。狩野一信持って来ちゃ、ある意味自身の敗北宣言か。

村上隆の五百羅漢@森美術館。この宝誌和尚像を模した人形が般若心経唱えるのが一番面白かった。


☆☆「クエイ兄弟―ファントム・ミュージアム― 」(神奈川県立近代美術館葉山館)

クエイ兄弟―ファントム・ミュージアムー@神奈川近美葉山。まぶしい夏日と海水浴客のすぐ隣に秘められた異界。デカダンスと病理性。不協和なBGM。数多くのアニメが編集上映され、人形たちのインスタレーションも蠱惑的。夏の幻燈会の儚さ。どっぷり浸かるなら作品上映会狙いかな。 


☆☆「アルバレス・ブラボ写真展―メキシコ、静かなる光と時」(世田谷美術館)

アルバレス・ブラボ写真展@世田谷美術館。メキシコ革命の動乱・壁画運動などの前衛芸術運動の時代を経ながら独自の静謐な世界を表現。町の看板・洗濯物などを切り取る視線はまるで路上観察者の先達。モノクロで事物のフォルムを抽出しユニークなタイトルで落とし込む。おすすめです。


☆☆「クリスチャン・ボルタンスキー アニミタス―さざめく亡霊たち」(東京都庭園美術館)

クリスチャン・ボルタンスキー展@東京都庭園美術館。新館の大型インスタレーションは映像・音響に加え、床に敷かれた干し草の匂いに嗅覚まで動員。ベンチに座って沈潜する。干し草の上を裸足で歩いて触覚も刺激されたらなあと夢想。作家も想定したのではないかなあ。


都築響一presentsエロトピア・ジャパン「神は局部に宿る」(アツコバルー)

都築響一presentsエロトピア・ジャパン「神は局部に宿る」@アツコバルー(渋谷)。秘宝館・ラブホテル・イメクラなど、都築ワールドを追ってきた者には目新しさはないが、久々の鳥羽SF未来館フィギュアはやはり強烈!

都築響一presentsエロトピア・ジャパン「神は局部に宿る」@アツコバルー(渋谷)。入場料1000円であの展示ボリュームはちと高いが、オリエント工業の銘品ラブドールの肌をオサワリできるとあればやむなし。


トーマス・ルフ展(国立近代美館)

トーマス・ルフ展@東近美と篠山紀信「快楽の館」@原美術館をはしご。自分が撮影せざる天体写真を加工するルフ、原美術館で撮影したヌード写真を等身大でその場に展示した紀信。写真そのものは異質だが共にコンセプチュアル。写真自体に没入できる強度が無いのも共通点。

トーマス・ルフ展@東近美。ベッヒャー・シューレの優等生らしく証明写真を巨大に引き伸ばしたり、集合住宅をフラットに撮影した作品がいい。よりコンセプチュアルな作品群は、観念先行で面白みはない。トーマス・デマンドのような倒錯性は感じられず。写真を愛さないことを目指しているのだな。



壁上カレンダー





採集地 平塚

2013年 私のお気に入り アート




この振り返りは、「お気に入り」のタイトル通り今年の私自身の興味・関心とリンクした美術展やプロジェクトを選ぶことを念頭に、ツイッターでのつぶやきや、ブログでの書き込みを引用して構成しています。今年最大の成果は、私自身も会員になっている「三笠ふれんず」のための会員制アートプロジェクト「三笠プロジェクト」に参加できたことでした。川俣正への関心・炭坑町への興味・地方のアートプロジェクトの在り方への懐疑など、さまざまな角度から私を刺激してやまないこの「秘密結社」と川俣が称する‘閉じたアートプロジェクト’への取り組み。外からは実態がつかみ難いですが、それこそ川俣の目論むところなのです。

以下、10位までのランキングと気になった数展を提示します。

1位
川俣正「三笠プロジェクト」(旧美園小学校体育館)
2年目をむかえた三笠プロジェクト。
三笠ふれんずは秘密結社。
「ふれんず」の一員に仲間入りさせていただいた貴重な時間。

会員制の‘閉じた’アートプロジェクト
助成金に頼らない、行政の加担しないアートプロジェクト
町おこしのイベントではない、地方の秘密結社によるアートプロジェクト


2位
「高嶺格のクールジャパン」(水戸芸術館現代美術ギャラリー)

t.高嶺格クールジャパン展トーク:在日の恋人、木村さん、などパーソナルな問題から出発して社会性にいたる作品を作ってきた。今回は原発という、今誰もが直面する問題のいわばドキュメンタリー展示。自分個人は、このテーマを伝える媒介になろうとした。

t.高嶺格トーク:クールジャパン展を「薄っぺらな政治性が美術としての弱さをまねいている」という批判があった。でも、パブリックな問題とプライベートな表現は、そのバランスによって強い作品となる。メッセージ性だけを切り離すのでは無く全体としての表現を。

t.高嶺格トーク:クールジャパン展で、自分が震災・原発の当事者に近づいたのかどうかは、当面棚上げしておきたい。当事者であるかどうかはグレーゾーン。

当事者性に関する話題は混乱していて未解決のままだ。しかし表現とは、そもそも対象と自分との距離を見定め、なんらかの形で関係が結べていないと不可能な作業である。従って「当事者とはなにか」という問いは表現にとって根本的なのだ。そして対象と一旦関係を持ち、それが表現となった以後には「自分が関わった責任」が発生する。表現は常にこの「責任」ということと無関係ではありえない。

高嶺格「3.11からクールジャパンへ」(高嶺格のクールジャパン展図録より)


3位
「ジョセフ・クーデルカ展」(東京国立近代美術館)

t.クーデルカ@東近美。パースの力強さ・黒のコントラストの美しさ・現実を切り取っていて夢幻的。まるで見知らぬモノクロ映画の決定的シーンの連続。圧倒的回顧展。ロマ(ジプシー)の連作には、打ちのめされた。こんなパワーの写真展、なかなか無い。

4位
「佐脇健一展 未来の記憶」(目黒区美術館)

t.目黒区美の佐脇健一展。見逃さないでよかった!軍艦島・四阪島・三井三池坑・高炉などを美しく提示する。赤錆びた原発の廃墟の彫刻は圧巻。

5位
「アンドレアス・グルスキー展」(国立新美術館)

t.アンドレアス・グルスキー@国立新美。ベッヒャー・シューレの優等生ここにあり。「群」が彼のメインテーマだけど、バンコクの水面やポロックの展示室風景が気になる。

t.ムージルの「特性のない男」のテキストをカットアップした作品。コンセプトは蘭亭序の世界に通じるなあと。グルスキー@国立新美。

スーパーカミオカンデ・東京証券取引所・香港上海銀行・平壌のマスゲームなど現代社会の諸相を感情を排したクールな画像で提示するグルスキー。その徹底した造形美は、まるで神か異星人の如き視線からもたらされる。ジャクソン・ポロックの大きな抽象絵画の展示風景をとらえた写真を観て、ポロックの絵画が意味をそぎ落とした絵具による作画の痕跡そのものであるように、グルスキーの写真もこの世界のイメージを感情移入なく転写した光の痕跡であるように感じた。

6位
「JR展 世界はアートで変わっていく」Could art change the world?(ワタリウム)

t.ワタリウムのJR展。インパクトある路上のアートたち。リオのファベーラの家々に貼られた人びとの顔。なんと力強い美しさだろう。

中東のパレスチナとイスラエルの狭間で、リオデジャネイロのファヴェーラ(貧民街)で、アフリカの内紛地域で、モノクロの巨大ポートレイトをストリートに出没させ、人々の見る風景を変容させる。だが、彼のアートプロジェクトはそうした「美」によって殺伐とした現実(リアル)を癒すなどという次元のものではない。

アートが直接的に社会を変革できるのではないと彼は知っている。アートというフィルターにより、現実の見え方が変わる。それは、フィクションがときに現実を超えて人々に作用してしまう力に通じているのだろう。


7位
「米田知子 暗なきところで逢えれば」(東京都写真美術館)

t.米田知子@写美、最終日。日本の近代史に関わる風景を当事者性から隔てられた視線で切り取るが、メッセージは強固。イメージの氾濫するグルスキーとは真逆なようでいて、通底する神の目線。皇居一般参賀が異国の画像のように。

米田知子は、なにごともないような静謐な写真の中に歴史の記憶をあぶりだすことで、自身が当事者として告発するのではなく、鑑賞者とともに「自分が関わった責任」を共有する。鑑賞者は、知識にもとづいて歴史の現場におもむいた米田の体験を、自らもなぞるのだ。

8位
「写真家 石川真生―沖縄を撮る」(横浜市民ギャラリーあざみ野)

t.写真家 石川真生ー沖縄を撮る@横浜市民ギャラリーあざみ野。基地の街の黒人兵専用バーで働いて撮った兵士と女達。沖縄の伝統芝居の名優達。ある女の子の妄想をイメージ化した新作。三つのシリーズにネイティヴな沖縄写真家石川の表現を観る。

t.石川真生@あざみ野。いつも、自分が関わった場・人から出発する彼女の表現には、沖縄を外側から観るヤマトの写真家が囚われるテーマ性に無い、パーソナルな力強さがある。

t.大衆演劇の沖縄芝居の名優達が見得を切る姿の大きなブロマイドのような連作。面構えも、衣装の美しさも見事。失われていく娯楽の貴重な記録。石川真生@あざみ野

t.黒人兵とバーの女たち。黒人と白人の関係と、沖縄人とヤマトンチューの関係は相似形で重なり合う。:石川真生@あざみ野のインタビュー映像より

t.3331ArtsChiyodaで石川真生さんの写真展みた。港町エレジーの男たち、沖縄芝居の楽屋裏、まるで当事者のように距離の近い写真。濃密。napギャラリーです。

9位
「坑夫・山本作兵衛の生きた時代〜戦前・戦時の炭坑をめぐる視覚表現」(原爆の図 丸木美術館)
その炭坑を描いた絵画が世界記憶遺産に登録されたことで話題となった、山本作兵衛の作品をはじめ、戦前・戦時の炭坑の姿を伝える絵画・写真資料などが丸木美術館の企画展示室いっぱいにあふれる、企画者の熱の伝わる展示であった。
私自身、かつて全国の炭鉱跡や鉱山跡を点々とめぐる旅をする中で気になる存在だった「坑夫像」。往時を偲んで記念碑的に建立される像も多いのだが、資材の乏しい戦時中に、鉄筋コンクリートで建造された坑夫たちが今なお現存している。

写真家萩原義弘さんは、現存する坑夫像および、すでに解体された坑夫像の姿をとらえた写真を今回展示した。この戦時美術の遺産に着目した初めての機会ではないだろうか。

10位
川俣正「東京インプログレス リバーサイドツアー」(汐入・佃・豊洲)
集合場所は「東京スカイツリー」を対岸に臨む「汐入タワー」。まだスカイツリーがクレーンにより建設中だったときに来て以来の再訪だったが、雨風で木材は色褪せ、独特の枯れた味わいが加わっていた。

このタワーの内外で響く、ヴァイオリンやアコーディオン、コントラバスの音色は、時にミュージシャンの姿なきタワー自体の共振のようでもあり、演劇的な空間を生み出しもし、心地よい彩りある時間を味わわせてくれた。
東京インプログレス「リバーサイドツアー」。次の構築物は「佃テラス」。ウォーターフロントの高層マンションが林立する中に、緩やかに高低差を描く木質の回遊路が設置されている。デッキテラスからは大きな川面とスカイツリーの遠望。造形的には、川俣正がヨーロッパの街並みのなかに現出させてきた木質のウォークスルーやウォークボードの系譜にもっとも近しい。
ミノムシのような、鳥の巣のような、天に向かってぽっかり口を開けた「豊洲ドーム」。身にまとっているのは、廃材の木材。被災地の瓦礫でこそないが、川俣正がプロジェクト「東京インプログレス」の進行中に起きた東日本大震災に対するステイトメントで言及した、震災被災地の光景に対峙しようとする姿勢をカタチにしている。





■「ベーコン展」(東京国立近代美術館)

t.ベーコン展。彼は自立する脚をほとんど描かない。腕と脚の不分明な、機能分化しない身体。袋に詰められた肉塊のような人体。土方巽の舞踏映像は、そのことを示唆する。

t.1983年に東近美で観たベーコン展の図録を見返す。ミック・ジャガーのための三つの習作あったなあ。人体のグロテスクな肉袋感は今回の内容以上だったと思う。今日は少し薄味に感じたワケを確認。

■ここに、建築は、可能か(ギャラリー・間)

t.ここに、建築は、可能か@ギャラリー・間。3Fは陸前高田みんなの家の模型の変遷する姿。4Fは、まさに畠山直哉の個展だ。23日(土)まで。

陸前高田を撮影した、被災前・被災後のスライドショーも静かに訴えかけてくる。模型の展示された会場の背景には畠山による巨大な被災地のパノラマ写真。

畠山はインタビュー映像の中で、お腹が痛ければ誰にでも効く薬を飲めば痛みはやわらぐけれど、文学や美術は薬のようには効き目はない、というように語っていた。今、遍在する安直な「震災対応」の表現に対する当事者としてのストレートな言葉であると感じた。


■「会田誠展 天才でごめんなさい」(森美術館)

t.会田誠展、何かと話題だけど、第一回横浜トリエンナーレで鳥羽SF未来館という秘宝館の展示再現した都築響一の仕事に比べればなんのことはない気がするな。

結論から言うと「つまらなくてごめんなさい」
もちろん会田誠は、かねてごひいきの作家である。上野の森美術館での山口晃との二人展をはじめ、グループ展や都現美の常設、ドキュメンタリー映画「≒会田誠~無気力大陸~」、ギャラリーでの個展など折りに触れて目にしてきた会田の作品が、あれもこれも一堂に会してはいる。しかし、森美術館の大味で平板な展示室に集められたそれらは、インパクトをそがれ、均質化し、心に強く響いてこない。18禁ルームは、たしかに面白さが「ましまし」だったけど、「美術館で」よくやったよなあという留保つきの刺激なんだな。

■MOTアニュアル2012「風が吹けば桶屋が儲かる」(東京都現代美術館)

t.風桶@MOTの田村友一郎の日本家屋。表札見た時、口にした懐紙の意味に気づきドキリ。冥界のような地下3階駐車場が、カタカタと振動するのが今と地続きでまた怖い。

t.MOT常設。関東大震災のスケッチに始まり、亀倉雄策のポスター、原子力を平和産業に!とヒロシマ・アピールが対峙する展示にやられた。アートと音楽展で行列展示に時間割くより、じっくり常設を!

台湾やサイパンに遺された日本統治時代の神社の象徴「鳥居」のある風景を写真で切り取った下道基行。鬱蒼とした茂みの中に佇立し、公園の中で倒れベンチのように人々に腰掛けられ、静かな写真がいっそうその場所に積み重なった時間の存在を伝えています。原爆を投下した爆撃機の出撃基地であったテニアンに遺された鳥居の写真には、なかでもズシリとしたインパクトを受けました。



RYUGU IS OVER!! 竜宮美術旅館は終わります



横浜の黄金町エリアのアートスポットとして異彩を放ってきた竜宮美術旅館が、地区の再開発のためまもなく解体されることになる。黄金町バザールをはじめ、数回のアートプロジェクトの折に訪れてきたが現在開催中の「RYUGU IS OVER!!」がまさに最後の企画展。戦後まもなく建築され、増改築を重ね変遷してきたこの建物。初めて訪れた時にはそのキッチュでいかがわしい空間のチカラに圧倒されてしまい、展示されたアート作品がなんとも脆弱に思えたものだ。その後展示も回を重ね、この空間を生かした作家の仕事も感じられるようになり、またカフェスペースの居心地のよさにも馴染んできた。





最後の企画展の参加作家は全14組。玄関のガラス戸や取っ手からすでに作品が仕込まれている。カフェにあったカウンターは取っ払われ、壁面には淺井裕介がコーヒーで描いたペインティングが。そのほか建物のいたるところに作品が仕掛けられているのだが、作品が空間の異形に負けてしまうこともなく、アートが突出しすぎることも無く、なんだかちょうどいい湯加減なのである。たとえば温かいコタツに入って眺める武田陽介のブライトな写真とか。

今回一番気になったのは、雑然とした物置部屋で上映されていた丹羽良徳のヴィデオ作品。「自分の所有物を街で購入する」というタイトルの通り、駅ホームのキオスクで購入した雑誌をそのまま手に持ち書店に入り込み、レジでさっき買った自分の雑誌を提示しまた代金を支払い、そのあとまた別の書店に移動して同様に自分の「所有物」を購入するという行動を淡々と記録する映像だ。尺が長くてちょっと冗長なところもあるが、このナンセンスな行為につき合わされているうちになんとも不可解な気分にとらわれてきた。自分の「所有物」を買うことにより、本来新しく購入されたはずの商品の代価はどこに消えていくのだろうか。新しい商品が不在なのに貨幣のみが支払われ、見せかけ上は商品と貨幣の交換が行われる。一見日常的な何気ない行為の中に、ルールの脱臼が仕掛けられ、それが玉突きのように連鎖していく。






帰りにグッズ売り場で竜宮美術旅館のペーパークラフトを手に入れた。この異形の建物が束の間、アートと共存し姿を消していく。ぬるい空気の展示がそこはかとなく「日常」のもろさを思わせ、祝祭的であることよりもひとつの時代の終わりを印象づける。そんな竜宮の最後だった。






※会期は3月18日(日)まで。開館は月・金・土・日なのでご注意を。

2011年 私のお気に入り アート



今年を締めくくる「私のお気に入り アート編」
展覧会にあまり出かけず、部屋で中古レコードばかり聴いていた一年でしたが、印象に残る美術展は結構あるものです。

1位 杉本博司 アートの起源|宗教(猪熊弦一郎現代美術館)

今年唯一の遠征。「宗教」というタイトルが気がかりで(胡散臭くて)、四国丸亀まで。杉本博司の術中に見事とらえられ、その展示空間にある種の「霊性」を感じる。前の晩に飲みすぎて、二日酔いすれすれの精神状態の所為ばかりではない。ヨコトリの展示は、建築空間の力においても比肩できず。「巡礼」した甲斐あり。

2位 畠山直哉展 Natural Stories(東京都写真美術館)

かつてボタ山、ズリ山巡り歩いた私には、たまらなく美しい写真です。大きなプリントになるとその絵画的美しさを増幅する畠山の写真。陸前高田の震災後の写真が大きかったなら…。そう想像するのがためらわれるような、静けさの先にあるものが胸に迫りました。

3位 ベン・シャーン クロスメディア・アーティスト(神奈川県立近代美術館葉山館)

長年愛好する画家の回顧展はやはり特別なもの。「写真家としてのベン・シャーン」という視点を提示したこともポイント。絵画の制作背景を謎解きのようにネタばらしするわけだけれど、ネタバレでもシャーンの絵の力は揺るがない。

4位 五百羅漢(江戸東京博物館)

B級・グロテスクとの先入観を、見事に振り払われる真っ向からの仏画。参った。

5位 高嶺格 とおくてよくみえない(横浜美術館)

展覧会にあわせ発刊された書籍に心奪われた。横浜美術館に、モヤモヤして割り切れなくて不穏な空気を持ち込んだことは確か。出来れば巡回先の霧島あたりにも行ってみたかったな。

人が何を評価するのかについて考え、僕は「技術」や「完成度」よりも「方法」を提示する方に喜びを感じるのかもしれないと思いました。(中略)これはきっと大胆に聞こえると思いますが、僕はどこかで自分で作品を作りたくないと思っているのかもしれない。なるべくなら自分で作りたくない。
「とおくてよくみえない」高嶺格

6位 メタボリズムの未来都市展(森美術館)

あの誇大妄想のごときCGは、並みのSF映画を凌駕すること間違いなし。幻に終わったプランの数々にこれほど魅了されようとは。日本固有のデザインを取り入れた建築例には、どこか新宗教の建築物にも通じるものを感じた。天理教の「おやさとやかた計画」とか。五十嵐太郎の「新宗教と巨大建築」でも再読するか。

7位 「日本画」の前衛 1938−1949(東京国立近代美術館)

未知の画家の作品の数々を、手ごたえある構成でみせる優れた企画展だった。歴史を振り返る事の大切さ。戦争画を分断した過去としてとらえない視座に納得。

8位 ヨコハマトリエンナーレ2011

黄金町バザール、新・港村など周縁部の動きが引き立った今回のトリエンナーレ。竜宮美術旅館も解体されるし、再開発・浄化がすすみ空き地もなくなるし、黄金町はまさに今年が旬だったのでは。黄金食堂の屋台が楽しかった。新・港村では「最後のテレビ」というブースでサックス演奏もさせていただき楽しい体験。

9位 ジョセフ・クーデルカ プラハ1968(東京都写真美術館)

ドキュメントと、アートとしての強度ということについて考えさせられた写真展。山本作兵衛と炭坑記録画をめぐる思いにも似て。

10位 アンフォルメルとは何か?(ブリヂストン美術館)

フォートリエとの再会に、高校生の夏訪れた大原美術館の記憶が蘇った。今年最も私的なレビューをしてしまった。

次点
・日常/ワケあり(神奈川県民ホールギャラリー)
このギャラリーの企画は、ヒット多し。

・羊蹄丸 青函ワールド(船の科学館)
美術展じゃないけど、今年最も強烈だったインスタレーション。

・篠原有司男、岡本太郎を語る!!(岡本太郎美術館)
岡本太郎生誕100年を祝うボクシング・ペインティング最高!




「原爆を視る1945-1970」(目黒区美術館)をランクインすることが出来なかったことは、今年の悔恨ですね。2011年に「観られなかった展覧会」として記憶に残ることでしょう。延期ではなく中止の方向で行政が動いたようですが、何らかの形で、展覧会準備の成果が世に出ることを願いたいと思います。

追記:原爆展の不在。その事実が、今年この国で起こったことの背景に深く関与している。そんな気がしてなりません。(2011.12.31)

2010年 私のお気に入り アート

大洪水5


目黒区美術館の炭鉱展で燃え尽きた昨年末いだいた、2010年のアート体験には満足できないかもという杞憂は、なかなかの収獲の前に杞憂に終わりました。
今年の収獲ベスト5と、次点の5展を振りかえります。

1位 ウィリアム・ケントリッジ―歩きながら歴史を考える(東京国立近代美術館)
・今年のナンバーワンはケントリッジ以外ないでしょう!東近美で鑑賞後、パフォーマンスが観たくて広島まで遠征してしまった。南アフリカの歴史・社会に対して政治的文脈でメッセージを発する作家という認識しかなかったのだが、ステレオスコープなどの光学装置の探求など、人間の視覚自体を考察する作品に触れた収獲。アニメーションに対しても、残像による錯視効果という根源的な次元で創作に臨んでいるのだと理解できた。同時代の作家としてフォローしていきたい深く器の大きいアーティストだ。

2位 ヤノベケンジ「MYTHOS」/第2章「大洪水」(発電所美術館)
・まさしく想像力の見取り図としてのアートを体現する壮大で精緻な模型。圧倒的神話的暴力。

アートこそはこの世界の成り立ちを抽出して写し出す「模型」を造る営為であると思う。たとえば自然の猛威である大洪水を、反復可能で安全な模型化した発電所美術館のヤノベケンジ。
「中年とオブジェ」2010.9.15

3位 森村泰昌・なにものかへのレクイエム(東京都写真美術館)
・エントランスホールで上映したミシマが旧作ながらやはりカナメではないかなあ。森村泰昌のこれまでの手法の達成と、これからの展開を期待させずにはおかない多くの萌芽を見出した展覧会。

4位 長谷川りん二郎展(平塚市美術館)
・未知の画家との出会い。ひとつの小宇宙を観察するひそやかな愉しみ。
この展覧会のレビューは、今年書いた展覧会評のなかでも、意が尽くせる文章にできたと思っている。

たぶん彼はモノの内部にどんな「意味」がかくされているのか
追求したいのではないのだ
ただ内部と外部を分かつことで成り立つ
モノの構造そのものを
画面に定着させたいのだと思う
「中年とオブジェ」2010.6.11

5位 鴨居玲 終わらない旅(そごう美術館)
・絵画はここまで深く、残酷に人間の表層を剥ぎ取り、その内奥をさらけ出せるものなのか。
絵画を突き詰めすぎたはての画家のあがきの激しさに戦慄した


古賀春江の全貌(神奈川県立近代美術館葉山館)
・水彩画からキュビスム、クレーの影響、シュールなコラージュ絵画から晩年に至る一人の作家の表現の変遷を読み解く醍醐味を感じた展覧会。とくに精神病者の描画さえを渉猟して自らのモチーフとして再構築した諸作品には、新たなる図像を模索し続けた古賀の憑かれたような執着を感じた。

古屋誠一 メモワール.(東京都写真美術館)
・精神を病み自死した妻の写真をもとに、妻の死後、その記憶を紡ぎなおしつづける作家の営為に、
心震わせられた展覧会。個の記憶から出発して、写真とは何かという命題にまで照射する光を垣間見た。

椿昇 GOLD WHITE BLACK Complex(Think Spot KAWASAKI 旧日本鋼管体育館)
・朽ちた暗い体育館のなかに横たわる巨大ミサイル。短期間のプロジェクトに立ち会うことができた幸運。この空間でしか成り立たない「場」の力を生かした強力な企画だった。

特別展 長谷川等伯(東京国立博物館平成館)
・松林図屏風が、宮沢賢治の「月夜のでんしんばしら」にオーバーラップしたり、何かを描いているのではなく、具象を飛びぬけて描線そのものが自由なイメージをかきたてる体験をした。もはや「古典」の一語で回収することができない。

音が描く風景/風景が描く音 鈴木昭男・八木良太展(横浜市民ギャラリーあざみ野)
・小さな、軽やかな、シンプルな、知的で身体的な二人展。さらりとしていて味がある。

ミサイル


このほか、青森・十和田へのアート旅も忘れがたい。(旅めしも充実してたし)

映画「ANPO」から「池田龍雄アヴァンギャルドの軌跡」への流れも印象的。池田展はまだ会期中なのでおすすめします。

今年グッと来た作品としては風間サチコ「大日本防空戦士・2670」(voca展2010)も挙げておきたい。風間さんにも聞いたのだけど3年に一作できるかどうかの力作だった。

藤森照信の樹上の茶室「高過庵」体験については、私のお気に入り建築編に組み入れます。楽しかった。


本年の「中年とオブジェ」はこれにて打ち止め。来年もよろしくお願いします。

2007年 私のお気に入り アート

はいしゃギュウとチュウ光の館






■アート
今年は何しろアート・ツアーを重ねた1年だった。旅先で体験したアートはやはり印象に強く残る。順位はつけがたいので、鑑賞した順に記憶に残るアート体験を挙げていく。

・イサムノグチ庭園美術館(香川)
かつて藤森照信が著書「美術館三昧」でベスト1と賞賛した美術館。完全予約制・週3日の公開と敷居の高い美術館だが、はるばる訪ねる価値ある場所だ。庭や蔵の中に配された石彫作品は、場の力と響きあい深い魅力を引き出されている。東京都現代美術館で初めて目にした大作「エナジー・ヴォイド」も、ここで観るとはるかに美しい。

・直島スタンダード2展(香川)
直島を数年ぶりに再訪した。島内の床屋、卓球場、歯医者などの廃屋を会場にした現代アート展は、やはり場の力が作品と融合して新しい魅力を生み、廃墟巡礼の趣きも楽しい。圧巻だったのは、1軒の廃屋を丸ごとコラージュ作品にしてしまった大竹伸朗の「はいしゃ」。脱力の傑作「女神の自由」が廃屋の中に屹立する様には、笑いが止まらなかった。

・地中美術館(香川)
その名の通り地中に埋め込まれた安藤忠雄の建築と展示された作品が、ここでしか体験できない空間を構成している。天窓からの自然光だけが差し込む展示室は、時間・天候によりその表情を変えていく。ジェームズ・タレルのオープンスカイの矩形に切り取られた空が暮れていくのを見つめ続けるナイト・プログラムでは、空の色の変化の深遠な美しさに感動した。

・靉光展(東京国立近代美術館)
「眼のある風景」と「自画像」ぐらいしか知らなかった画家の、短い生涯をたどる回顧展。戦争が迫る時代に、残された時間と格闘するかのごとく創作に没頭するその画業に、時代を生きた1人の画家の人生と深く向き合うことの出来る展覧会だった。

・若冲展(京都・相国寺承天閣美術館)
釈迦三尊像と動植綵絵30幅が120年ぶりに一堂に会した展覧会。この展覧会を目的に、京都・大阪ツアーをプランニングした。全体と細部の緊密なバランス。これが動植綵絵1幅づつにこめられた魅力なのだが、そのことは、30幅すべてが一堂に会したとき空間全体と、1幅づつの細部の緊密なバランスにそのまま置き換えられるのだ。慎重に推測され再現された動植綵絵の配列は、見事にひとつの世界を構成していた。動植綵絵以外にも見所の多い、充実した展覧会だった。

・モネ大回顧展(国立新美術館)
これだけの数のモネが一堂に会するのを見逃すわけにはいかない。ポプラ並木・積みわら・ルーアン大聖堂そして睡蓮など連作を観比べる楽しさに満足した。抽象表現主義の領域に達するモネの先進性を示す、現代美術作品の関連展示も興味深かった。

・〈生きる〉展(横須賀美術館)
なんといってもヤノベケンジの「トらやん」。あのジャイアント・トらやんが火を噴くイベントに立会い、火炎放射の熱波を全身に感じた瞬間、歓びは最高潮に。台風が迫る悪天候の中、ヤノベのアーティスト・トークも熱かった。「僕らの上に太陽を!」とシャウトするヤノベの姿が脳裏に焼きついた。

・ル・コルビュジエ展(森美術館)
質・量ともにハイグレードの見ごたえある建築展だった。ユニテ・ダビタシオンの原寸大再現展示は圧倒的。絵画・図面・模型・CG・DVD映像と多彩な展示を通して、コルビュジエの全体像が俯瞰できる好企画。くたくたにへたったソファ「LC2」のプロトタイプの姿にグッときた。

・中之条ビエンナーレ(群馬県中之条)
オープニング・イベントに関わった縁で鑑賞した第1回中之条ビエンナーレ。廃校・古民家・酒蔵・廃倉庫などを会場に、都会の美術館・ギャラリーでは味わうことの出来ない新鮮なアート体験をした。直島スタンダード展のように有名作家の作品ばかりではないが、会場の持つ歴史を感じ、のどかな田園風景の中で味わうのびやかなアートが楽しい。

・澁澤龍彦―幻想美術館(横須賀美術館)
忘れていた初恋の人に再会するような、懐かしさと気恥ずかしさを感じた展覧会。澁澤の審美眼を通して集められた美術作品はひとつの小宇宙を構成し、熱い60年代も書物の中の出来事のように、博物誌的なメタレベルのある種の覚めた感覚を与えた。

・ギュウとチュウ―篠原有司男と榎忠展 (豊田市美術館)
ベテラン作家ふたりのエネルギーが、美術館からあふれ出してしまいそうなパワフルな展覧会。岡本太郎の「明日の神話」を超える大きさの篠原の大壁画もすごいが、榎忠のインスタレーションにはまさに心を奪われた。衝撃度は今年ナンバー・ワンか。

・八部衆一堂公開(奈良・興福寺)
阿修羅の仲間が一堂に集うこの秋、久々に奈良旅行。中学生以来の仏像熱は、しっかりと燃え続けていた。仏像の優品を観ているときほどの幸せな気分は、他では味わえない。奈良で観る仏像は格別。正倉院展初体験はさほどの感動は無かった。

・光の館(新潟・十日町)
地中美術館のスタッフに教えられて知った、泊まれるタレル作品「光の館」。こんなに早く訪れることになるとは思っていなかった。和室に寝転んで、屋根を開閉して味わうライト・プログラムは、究極の体験型アートだ。広い光の館をふたりで貸切にし、不思議なライト・バス(光る風呂)も楽しんだ。

・内藤礼「母型」展(富山・発電所美術館)
レンガ造の水力発電所をリノベーションした発電所美術館。靴を脱いで、ひんやりとした床の感触を味わう。一見すると何もないガランとした空間に、水が滴り、糸が空を切り、静かな写真が整然と展示される。直島の「きんざ」をしのぐストイックな作品に、この場所の持つ力を最大限に読み取った内藤礼の奥深い表現を感じた。

今年1年様々なアートの旅を通して思ったのは、美術における場の力の与えるもの。旅がそこに行かなければ味わえないものであるように、そこでしか体験できない美術にこそ、本当の魅力があるように思う。

2006年 私のお気に入り アート

アルテピアッツァ美唄■アート
・アルテピアッツァ美唄(美唄市)
現代彫刻家、安田 侃(かん)の個人美術館。昔炭鉱で栄えた町の、廃校になった小学校を利用している。木造校舎や体育館の空間と、展示された抽象彫刻が調和し、一般の美術館では味わうことのできない新鮮な美を体験させてくれた。
北海道では、イサム・ノグチのプランを実現したモエレ沼公園の広大なスケールにも圧倒された。

・カルティエ現代美術財団コレクション展(東京都現代美術館)
巨大な女性像・目玉の大群から潜水艦・ジェット機まで、意表をつくオブジェの数々に魅了された。現代美術のオブジェが好きな私にはツボ入りまくりの展示だった。

・天上のシェリー(メゾンエルメス)
横浜トリエンナーレで中華街の公園の東屋をホテルにしてしまった西野達が、銀座のエルメスの屋上にとんでもないインスタレーション空間を仮設した。若い女性の部屋に屹立する花火師の騎馬像は、メルヘンというより悪夢のよう。笑ってしまうような存在感だった。

・花鳥 - 愛でる心、彩る技<若冲を中心に>(宮内庁三の丸尚蔵館)
普段、日本の古典絵画は関心のない私も、若冲の「動植綵絵」の完璧なまでの美には惹きこまれた。プライス・コレクション展以上の感銘を受けた。

・仏像 一木にこめられた祈り(東京国立博物館)
一木彫の仏像の魅力を再発見した充実した展覧会だった。いままでに平成館で見た仏像展示の中でも強く印象に残る。向源寺十一面観音菩薩立像の異形でありながら優美な姿には、仏像の不思議を感じた。

・大竹伸朗 全景(東京都現代美術館)
美術展全体が壮大なコラージュに思えるような、膨大な作品群に圧倒された。大竹のエネルギーを全身に浴び、彼の脳内マンダラに分け入っていくような体験だった。

・束芋 ヨロヨロン(原美術館)
原美術館の空間を生かし、サービス精神に富んだ演出で楽しませてくれた。夏の野外映画会のようなギニョラマが楽しかった。NHK「トップランナー」で見た束芋さんは小柄でさばさばした美人。町田久美とともに今年私のアイドルになった女性作家だ。


そのほか岡本太郎の「明日の神話」は今後の動向が気にかかるところ。「アフリカ・リミックス」のパワー、「オラファー・エリアソン 影の光」の発想の斬新さも印象に残った。今年最後に見た「ビル・ヴィオラ:はつゆめ」もかつてないビデオ・アート体験だった。

来年は久々に直島を再訪してみたい。未見の地中美術館や内藤礼の「きんざ」等が楽しみ。
プロフィール

テツ

「中年とオブジェ」とは赤瀬川原平の名著「少年とオブジェ」へのオマージュである。美術、オブジェ収集、エリック・ドルフィーを愛好する。

Archives
Subscribe with livedoor Reader
Recent Comments
Recent TrackBacks
ブクログ
blogram投票ボタン
QRコード
QRコード
アクセスカウンター
  • 累計:

  • ライブドアブログ