中年とオブジェ

美術館・街で見かけたオブジェ 旅先で手に入れたオブジェ オブジェの視点で世の中を楽しむ中年の日常。

仏像

『花様年華』






採集地 鎌倉/越後妻有

西方浄土





採集地 自宅

混凝土観音





採集地 横浜

転がる石には苔が生えぬ





採集地 大阪

禁煙は胎児から





採集地 千葉(東京湾大観音)

バーミヤンの石仏群





採集地 横浜

空也上人 フィギュアになる!





最近の仏像フィギュア化ブームもすごいもので、とうとう六波羅蜜寺の空也上人像なんていうマニアックなフィギュアが登場した。口から飛び出す「南無阿弥陀仏」の六字をあらわすという六体の小さな阿弥陀仏まで再現されている。このフィギュア、インテリア小物として仏像を飾って欲しいというコンセプトで大小さまざまな有名仏を再現しているメーカーの商品なのだが、空也上人の鬼気迫る清貧なるお姿は、物欲にまみれたおのれの部屋の姿に対していやおうなく反省をうながすのだ。

きれいに片付いたモダンな部屋の中に置かれたなら、仏像も上質なインテリア小物になりうるのか?私のようにオブジェにまみれた生活では実感がわかないが、お洒落な空間に空也上人はちょっと困るでしょう。

ヤノベケンジも、アトムスーツを着た空也上人スタイルの等身大の自己像を作品にしているが、空也上人像の過剰な造形は、ヤノベのサービス精神旺盛な関西仕事と通じている気もするのである。

聖地チベット−ポタラ宮と天空の至宝

カーラチャクラ父母仏ミラレパ坐像

上野の森美術館で開催中の「聖地チベット−ポタラ宮と天空の至宝」。予想を超えてでかいブツ(仏)がたくさんあったなあというのが第一印象。

2006年に埼玉県立近代美術館で開催された「マンダラ展」は、仏像・タンカ(仏画)のほか、バター彫刻・砂マンダラまで網羅し、チベット密教の教えを理解させようとする内容で、キャプションのわかりやすさ・丁寧さが印象に残った。それに比して、今回の「聖地チベット」展は「至宝」の言葉そのまま、きらびやかなお宝をとにかくお見せしますよという趣向。チベット仏教の歴史や、チベットと元・明・清の関係、チャム(仮面舞踏)、チベット医学など様々な切り口は提示されているのだが、チベット理解への入り口としては「マンダラ展」には及ばなかった。

それでも、日本の仏像とは全く異なる次元の美しさを持つチベットの仏像は刺激的。とりわけその造形や信仰に興味を引かれるのは、父母仏(ぶもぶつ)という男女が交合した姿を表わしたチベット密教ならではの仏像だ。

後期密教では、大胆にセックスを行法の中に取り入れたヨーガ(性瑜伽)が説かれるようになりました。仏教が堕落したという人もありますが、当時はまだDNAや遺伝子はおろか、精子や卵子も発見されていない時代です。男女の和合から胎児が形成され、それが次第に人間に成長してゆく段階は、当時の人々にとって、宇宙の神秘にも比すべき、不思議な現象だったに違いありません。そこで後期密教では、曼荼羅の宇宙生成のプロセスを、仏と神妃の和合により説明しようとしたのです。
「曼荼羅イコノロジー」田中公明

はなやかな仏たちが目立つなか、パドマサンバヴァやツォンカパなど、チベット仏教史上の偉大な人物の肖像が展示されているのも見所。とりわけ苦行するミラレパの姿は、小さめながらうれしい存在。清貧の行者ミラレパ(1040〜1123年)とその師マルパの師弟物語はチベット人の心を深くとらえてきたという。

ミラレパの伝記(『ミラ・ナムグル』)や詩集(『ミラ・グルブム』)は、チベット人のもっとも愛する宗教文学だ。修行者も俗人も、みんながその物語を愛好している。ミラレパの物語をとおして、私たちは、チベット人の魂の秘密に触れることができるのである。
「魔術から仏法へ」中沢新一(『チベットの聖者ミラレパ』に所収)

チベットの聖者ミラレパ私がミラレパの存在を知ったのは、ネパールの書店で「MILAREPA」というコミック本を手に入れたのがきっかけだった。オールカラーで、神々のイメージや修行中のヴィジョンが美しく描かれたコミックである。のちに、中沢新一が訳した日本語版も出ていることを知り入手した。「聖地チベット」展は、残念ながらこのコミックから受け止めたほどのチベット仏教の奥深さは伝えてくれなかった。

※もっぱらその侘びさびを玩味される日本の仏像も、開眼当初は金ピカで極彩色であったのだということは、チベットの諸仏を目にする機会に、あらためて思い起こすべきであろう。

谷村美術館の中へ

光明仏身をのぞむ

光明仏身光明仏身の間

金剛王菩薩天彦の間

曼珠沙華

谷村美術館の外観の異形の中には、有機的で胎内的な空間が包み込まれている。順路案内の平面図は、まるで生物の細胞か臓器の図のようだ。床・壁・天井は柔らかい曲線を主体に構成され、石や木などの質感の変化が空間をより豊かにしている。

木彫芸術家澤田政廣(文化勲章受賞)は戦時中糸魚川に疎開したことがあり、その縁で自身の彫刻を展示する美術館を糸魚川に建設することを望んだ。地元の実業家谷村建設の谷村繁雄が美術館の施工・設立をすることとなり谷村美術館が生まれたわけだが、設計に村野藤吾を推したのも澤田政廣だったそうだ。澤田も村野も日本芸術院会員で文化勲章受章者。親交があったのだろう。谷村社長は建築界の重鎮の名を聞いてびっくりしたそうだ。

最初から展示する作品が決められ、その仏像をいかに美しく見せるかというコンセプトで設計されたのが谷村美術館なのだ。6つの展示室それぞれに1体から数体の彫像が設置され、窓からの自然光と照明器具がそれぞれに異なった陰影をあたえている。床石に映りこむ仏像の姿・観る位置により変化する照明が落とす影まで計算されているという緻密な設計。展示室から展示室へ移動するにしたがい次の作品がおごそかに姿をあらわす動線の妙も見事だ。内部空間の曲面の表情の幻惑的なうつろいは、写真ではとうてい伝えることが出来ない。

今まで訪れてきた村野建築では、ディテールへの徹底したこだわりに感動の中心があったのだが、谷村美術館ではディテールの魅力という次元を超え、身体全体で感じる空間の豊かさに陶酔させられた。そしてこの空間が特定の美術作品のためだけに存在しているという事実!

美術館の理想が実現された世界のひとつがここにある。

聖観音

天井格子窓

聖観音をのぞむ

天窓


彫刻作品では端正な「金剛王菩薩」の坐像、ふくよかな胸の「光明仏身」、羽の生えた天使のような「天彦」が印象に残った。阿修羅のような「曼珠沙華」もエキセントリック。

memeさんのブログ「あるYoginiの日常」で谷村美術館の丁寧な探訪記がまとめられています。こちらの記事おすすめします。

※谷村美術館の館内は撮影禁止です。
今回は事前に美術館に撮影の許可を申請し、ブログへの掲載を承諾いただいています。

ずっと阿修羅が好きだった

迦楼羅

この迦楼羅(カルラ)は、昔酉年の年賀状のために描いたものである。そのころ午年には馬頭観音、巳年には八部衆の沙羯羅(サカラ)なんかをイラストにして、プリントゴッコで印刷していた。迦楼羅とはインドネシアのガルーダと元をたどれば同じ。日本のカラス天狗もその延長線上にあるのだろう。

八部衆には「羅」で終わる名前が多い。阿修羅・迦楼羅・沙羯羅・緊那羅(キンナラ)・畢婆迦羅(ヒバカラ)。薬師如来を守護する十二神将にも、伐折羅(バサラ)・迷企羅(メキラ)・宮毘羅(クビラ)などの名がある。

「天部」といわれる仏たちは、もともとが古代インドの神で、仏教に帰依して如来や菩薩のボディーガードとなったわけだから、その名前もインド風で不思議はない。それにしても「ラ」というのは、なんだか怪獣の名前みたいではないか。

映画宝島「怪獣学・入門!」のなかで、評論家呉智英はこんなことを書いている。

怪獣の名前には、一見してわかるように、音感上の特徴がある。濁音とラ行音の多用である。(中略)もっとも、ラドンはプテラノドンの略称という意味も込められていたし、ゴジラにはゴリラとクジラからの合成という意味合いもあった。しかし、モスラは、蛾を意味する英語のモスにラをつけただけである。ラとは何かと問われたら、怪獣を意味する接尾辞だ、とでも答えるよりしかたがあるまい。
もちろん、そんな接尾辞は存在しない。しかし、濁音とラ行音は、どうしても怪獣を想起させるのである。これは、本来の日本語にとって異物だったからである。現在の日本語でも、辞書を引けばわかるように、語頭にラ行音が来るものは少ない。濁音も、漢語を除けば、多くはない。すなわち、名前に濁音やラ行音が使われていれば、それは異者(エイリアン)なのである。怪獣たちが、他星からの侵略者(インベーダー)であろうが、神秘的な原因によって地球上に発生したものであろうが、異者であることにまちがいはない。

「怪獣の名前には、なぜ『ラ行音』が多いか?」より

なんだか阿修羅の「ラ」にも通じる論考ではないか。阿修羅と怪獣。阿修羅も仏教本来の仏から見れば「異者」である。怪獣の名前を考えるときに、仏像の名前を参考にした可能性もあるだろう。みうらじゅんは、ウルトラマンは弥勒菩薩などのアルカイックスマイルを、三面怪人ダダは阿修羅をルーツにしていると述べている。(「ウルトラマンは菩薩である」)

私のオブジェ愛好の歴史も、もともとは子供の頃夢中になったウルトラ怪獣からはじまっている。小学生の時は、ドイツ軍の戦車の造形のとりこになりプラモデルを集め、中学生になって、仏像の魅力に目覚めた。

正直なところ、興福寺だったら山田寺仏頭や、無著・世親像のほうが好みである。マイ・フェイヴァリットは東大寺戒壇院の四天王だ。しかし阿修羅たち八部衆を観ていると、怪獣に夢中になった幼少の頃から、自分の美意識は変わることなく続いているのだなあと感じさせられるのだ。

ずっと阿修羅が好きだった。

追記:4月19日(日)午後6時ごろ阿修羅展に再度出向く。普段の金曜夜間開館以外に、土日も夜8時まで鑑賞できる阿修羅展。日曜の夜はそれほど混雑していなかった。(それでも阿修羅のまわりは人の渦)リアルな阿修羅イラストのTシャツは今日も品切れで、予約して発送してもらうことに。羅喉羅(らごら)・鳩槃荼(くばんだ)・畢婆迦羅(ひばから)の展示はこの日が最終日。いつか奈良での再会の日を想う。

平泉〜みちのくの浄土〜

平泉展

世田谷美術館で開催中の「平泉〜みちのくの浄土〜」展に行って来ました。展覧会も最後の週を迎え混雑していましたが、観覧はまあまあじっくりと。それにしても三井寺展・平泉展・阿修羅展と、仏像メインの企画展が連発の今年前半。私のようなブツ好きには興奮の連続です。

会場をはいってすぐ、中尊寺金色堂の西北壇をそのまま再現して諸仏が並びます。金色堂は深い浄土信仰をカタチにしたもので、衆生を極楽浄土に導く阿弥陀三尊と六体の地蔵菩薩持国天増長天が、金色堂の須弥壇の上と同様に配置されています。かなり金色の仕上げをとどめる、小さめの諸仏。一体一体に注目すると造形的には少し甘いかな。国宝だとは思っていなかったのですが、2004年に重要文化財から国宝に格上げされたそうです。

そのあといかにも「みちのく」という印象の、朴訥で、おおらかな仏像が何体も展示さています。ノミの跡を残した「鉈彫り」の技法が生かされた聖観音菩薩立像は、東北らしい優品でした。でかい如来立像の顔はまるで和田アキ子のよう。顔や手の失われた、二十五菩薩と飛天の残欠は、現代彫刻のように抽象的に見えます。

そのほか貴重な経典や考古資料、祭礼に使われる民俗資料など幅広い展示品が並びます。きょう木(クソベラ)という、いわばトイレットペーパーの役割をした木の棒も陳列。消化されなかった瓜の種と一緒に出土されるとか。

騎師文殊菩薩カリョウビンガ

オブジェ愛をグッと感じたのは、騎師文殊菩薩半跏像四眷属立像。黒い獅子の上にのった文殊菩薩も、獅子を引いている赤い顔の胡人(ペルシャ人)風の立像も、とてもポップでまるでフィギュアのよう。金色堂内の装飾品である華鬘(けまん)にデザインされた、人頭鳥身の迦陵頻伽(かりょうびんが)の繊細な技巧にも魅了されました。異形なのに美しい。仏教美術ならではの表現です。

ライトアップなどの演出はたしかに阿修羅展におよばないものの、みちのくの仏たちの姿は、日本の仏像の奥の深さを感じさせてくれました。

4月19日(日)で会期終了

金色堂模型※美術館エントランスホールに金色堂の大きな金ピカの模型が展示されています。これは撮影OK。

阿修羅が家にやってきた

阿修羅フィギュア

東京国立博物館「国宝阿修羅展」で予約していた待望の阿修羅フィギュアが、宅配便で我が家に届けられた。予約の時見本をチラリとは見ていたけれど、手にとってマジマジと眺めると実によくできている。6本の腕の繊細さ、首飾りや腕輪などの宝飾、腰布の柄の彩色、台座のデザイン。そして、心配していた顔の表情も、まあ納得できる出来だ。高さ13センチほどの小さな像だが、なんといってもマイ阿修羅である。うれしくてたまりません!

顔アップ裏側

追記:阿修羅フィギュア完売です。すでにヤフオクでも高値落札されている。(4.14)

以下阿修羅展公式ホームページより
<お知らせ>阿修羅フィギュア完売について(2009年4月14日)
「国宝 阿修羅展」会場限定販売の公式グッズ、阿修羅像のフィギュアは、14日午前10時45分に残り480個分の整理券を配布し終えました。同日で整理券利用による予約受付は終了し、予定していた15,000個は完売、6月7日までの会期中に追加販売はございません。

仏頭

仏頭

頭だけの仏頭とか、体だけのトルソ状の仏像というのは、想像力を喚起させる装置として魅力的である。落語家桂枝雀が精神科医正木博士を怪演した映画「ドグラ・マグラ」の美術監督は木村威夫なのだが、精神科の病棟の中庭に巨大な仏頭が転がっているシュールな光景が強烈に記憶に残っている。

夜の仏頭この仏頭、またまたオークションで手に入れた。頭部に緑青がふいていたので500円の安値で落札したが、クエン酸溶液に浸けたらかなり綺麗になった。高さ18cmほど。リビングボードの上に飾って夜ライトアップすると、妖しく光り輝く。

国宝 三井寺展 秘仏がいっぱい 

三井寺展

サントリー美術館で、「国宝 三井寺展」を観た。「秘仏」という言葉には、仏像マニアにとって甘い蜜のような響きがある。はるばるお寺を拝観に行っても開扉されていない仏像が、一堂に公開される三井寺展。前期展示では、黄不動尊が彫像のみの展示(チラシの画像)で、絵画の方の黄不動尊は展示されていなかったのだが、黄不動尊の存在感はやはり展覧会の目玉で、後期の絵画・彫刻の揃い踏みも是非観たくなる。黄不動尊は、絵画のほうが先行する作品で、その絵画の立体化を目指し、彫刻が作られたという。二次元から立体への指向といい、彩色が鮮やかで、丸みを帯びぽてっとした体躯といい、この尊像は、さながら巨大フィギュアである。

三井寺の歴史上、特別な存在である中興の祖、智証大師円珍は、彫刻に絵画に繰り返し取り上げられている。彫刻の坐像だけでも、何体も出展されているが、顔はほとんど同じながら、衣文の表現などに時代による違いが見て取れる。

如意輪観音のなまめかしい肢体も美しい。この観音は宝冠の作りも繊細を通り越してゴージャスで見事。

智証大師如意輪観音


円珍を三井寺に導くきっかけとなった伝承に由来する新羅(しんら)明神坐像は、まるで韓国の仮面のような異形の面相と大胆な彩色の神像で、インパクトあり。他にも大小の仏像が数多く並んだ会場内は壮観。平安時代の一木彫から、鎌倉時代の慶派の作、円空など多彩な作例を味わえる。

天台密教の寺だけに、マンダラや明王(みょうおう)系の憤怒神にも見所が多い。国宝の五部心観には、インド仏教美術の面影を感じさせる官能的な仏たちのマンダラが線描されている。これは前期展示のみなのだが(2月23日まで)、マンダラ好きにはたまらない逸品であった。

絵画展示では、永徳の嫡子狩野光信の障壁画が、2種類の照明効果により比較展示される仕掛けもあり、ろうそくの灯りに近い照明で見る金箔の輝きがあでやかだった。

前半の仏像攻勢があまりに高密度で、後半の絵画の部は何となく流して終わってしまった。会場構成も後半は散漫な感じもした。なにせ秘仏を多数含め、これだけの仏像にめぐり合えるまたとない機会だった。

新しい年を迎えて

大威徳明王





















今年最初のオブジェは、水牛にまたがった六面六臂六脚の異形のブツ、大威徳明王です。京都の東寺に、大威徳明王のすぐれた作例があるのですが、画像はもちろんチープな食玩フィギュアです。

昨年は個人的に人生上の大きな出来事を経験した年でしたが、みなさんから寄せられたあたたかいコメント、ほんとに感謝いたしました。

今年も「中年とオブジェ」をよろしくお願いいたします。

2009年 元旦

ガネーシャ涅槃像 夕日に輝く

ガネーシャ



















今日は夕日が鮮やかだったので、先日手に入れたガネーシャ像を夕日で撮ってみた。象の頭をしたヒンドゥーの神様ガネーシャは、財運・学問の神だそうだ。ネパールの真鍮製のこのガネーシャは、珍しいことに涅槃のポーズをとっている。足の上に載ったネズミもかわいらしい。夕日を浴びて金色に輝くと一段と魅力的だ。

東博のスリランカ展を観て、ガネーシャ像が欲しくなりネットオークションで検索してみたのだが、かなりいろいろなものが出品されていた。このガネーシャは、出品業者に問い合わせたところ、なんと大阪万博の際にネパールから取り寄せたものなのだという。めぐりめぐって我が家で横たわって、夕日を浴びているのも不思議な縁だ。

※ちなみに大きさは長さ20cm・高さ10cmである。

スリランカ展 魅惑の仏像

カーライッカール・アッマイヤール坐像観音菩薩坐像シヴァ・ナタラージャ像













東京国立博物館表慶館で、スリランカ―輝く島の美に出会う」展を観た。チラシの金ピカの観音さまを目にしたときから出かけようと心は決まっていた。展示内容は「スリランカ仏像展」といっていいくらいに仏像・神像が数多く、大いに満足した。

腰をくねらせ膝を立てた観音菩薩坐像(中央)のなまめかしさは、観心寺の如意輪観音を思わせる。金ピカでも気品を失わない、優品だった。

シヴァ神(右)は、かなりの大きさだが破綻無く均衡がとれ、ダイナミックな造形が見事。

老婆の姿をしたカーライッカール・アッマイヤール坐像(左)は、乱れた髪・細い手足・垂れ下がった乳房など、ユーモラスで個性的。

その他、1体の像の表裏に背中合わせに男神と女神があらわされたカーマとラティ立像は、大変面白い作例だと思うが、造形的にも優れていた。

スリランカ美術の本格的な展覧会は今回が初めてだそうだが、上座部仏教(小乗仏教)の中心地であっただけに仏像の作例も充実し、ヒンドゥーの神々も多彩で楽しい。仏像好きな私には期待以上の、ブツ尽くしの展覧会であった。

薬師寺展

月光菩薩日光菩薩

















見慣れたものも、それを取り巻く環境が変わると大きく印象が異なることがある。そんなことを薬師寺展を観て再認識した。

東京国立博物館で開催中の薬師寺展には、始まってすぐの3月に出かけた。奈良の薬師寺で何度も目にしている日光・月光(がっこう)菩薩聖観音を東京で観られるなら行ってみるかという程度のモチベーションだった。白鳳期の傑作であるこれらの仏像は、天平彫刻を愛する私にとってはそれほどの「重さ」はない。何度か観た経験からは、有名な日光・月光菩薩より、清楚な聖観音のほうが好みだなという印象を持っていた。

ところが、東京国立博物館の展示室の中で、見事なライティングに照らし出された日光・月光菩薩を観て、記憶の中にあった私の印象はたちまち吹き飛んだ。 「こんなにでかかったのか!」身の丈3メートルの両立像は、もの凄い迫力だ。しかも、展示室の空間構成の工夫によって、高い位置から眺めることも、足元から見上げることもできる。普段は光背に隠されている背中が見られることも貴重な体験だ。

日光・月光の大きさとともに、インド的な肉感に満ちた官能美にも魅了された。なまめかしくひねった腰のライン、肉付きの良い二の腕。気品ある顔立ちの美しさも素晴らしい。真横から観た時の表情の完璧な造形にしばし見入った。

聖観音お気に入りだった聖観音は、左右対称の禁欲的な静謐なフォルムが魅力だが、この日の私は、グラマラスな日光・月光菩薩のトリコになってしまった。

吉祥天像などの名品も展示されているが、この展覧会の白眉はなんといっても日光・月光。東大寺三月堂の日光・月光菩薩が、この菩薩像の最高峰と感じていた私の認識を改めさせるインパクトがあった。

薬師寺展公式サイト

仏像 一木にこめられた祈り

向源寺十一面観音菩薩立像今年最も期待していた企画展「仏像 一木にこめられた祈り」展を前期・後期とも見た。東京国立博物館では多くの仏像の展示を見てきたが、今回のような仏像のみの展覧会というのは、マトゥラー・ガンダーラの仏像展以来の企画ではないだろうか。私自身は天平彫刻と鎌倉の慶派の仏像が一番好みで、金銅、塑造、乾漆造、寄木造などのリアルで整った造形に惹かれるのだが、今回の一木彫の仏像にこだわった企画は新鮮で、仏像の新たな魅力に出会った気がする。

仏像の原点のひとつ、白檀の木から彫り出された壇像の精緻な美しさ、奈良・平安期の一木彫の量感に満ちた姿、東北・関東に多く見られるというノミ目の荒々しい鉈彫の素朴な表現、そして江戸時代の2人の仏師、円空と木喰の個性的な世界。一木彫の仏像だけでこれだけ多様な表現がなされたというのは、やはり日本の文化における木のもつ重要性・神聖性の表れなのだろう。

以下、特に印象に残った仏像について

宝誌和尚立像
裂けた顔面からのぞく、もうひとつの顔面。高僧の顔面が裂けて十一面観音の姿が現れた故事に由来する仏像だというが、その異形に驚いた。今回の音声ガイドは市原悦子のナレーションだったのだが「これはなんとしたことでしょう」というガイドのフレーズに納得。肩の辺りが異様に窮屈な造りなのは、元になった木材の形によるのだろう。一木彫にこだわって作られた仏像であることがわかる。

菩薩半跏像(伝如意輪観音)
前期展示のハイライトだった仏像。端正で美しい顔立ち、衣文のリズミカルな動き、半跏のポーズの均衡など、明らかに他の仏像を超えたオーラを放っていた。硬質でエッジの効いた彫りの技の冴えを感じさせる仏像だった。

十一面観音菩薩立像善女龍王立像善財童子立像(円空)
正直なところ円空仏というのは安直なプリミティブ嗜好のように思え好きではなかったのだが、一木から彫りだされたというこの3体の仏像を見てその力強い造形に圧倒された。まるでトーテムポールのような、生命力に満ちた存在感。

子安観音菩薩坐像(木喰)
自然木をそのままの姿で彫ったという立木仏。写実的なリアルさを追求した仏像彫刻の流れとは全く違った方向に、信仰のリアルさこそを求めた仏像がありえるのだということを感じさせた。

向源寺十一面観音菩薩立像
今回の仏像展最高とされる仏像は、期待を超えた素晴らしさだった。
後期展示の始まる前、新聞広告でこのコピーを見たときには笑った。
「白州正子、井上靖、土門拳、みうらじゅんが愛した国宝・十一面観音菩薩 11月7日より登場」

十一面という現実には異形としかいいようのない存在を、これほど見事な均衡で表現するとは、仏像の不思議を感じずにはいられない。技法的にも、一木彫で生み出せる造形のひとつの頂点といってよいだろう。ひとつひとつの顔という細部(後頭部の暴悪大笑面!)と身体全体の美しいバランス。この仏像を見るだけでも、この展覧会にいく価値があるとさえ思わせた。

仏像好きならもちろん、仏像を普段意識しない人でも、その魅力を感じとれる充実した展覧会だと思う。日本各地からこれだけの仏像を集めた企画力に、東博の底力を見た。

ところで、この向源寺十一面観音菩薩立像はカルトな人気を誇るある日本映画に登場している。いささか蛇足だが紹介しよう。続きを読む
プロフィール

テツ

「中年とオブジェ」とは赤瀬川原平の名著「少年とオブジェ」へのオマージュである。美術、オブジェ収集、エリック・ドルフィーを愛好する。

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