中年とオブジェ

美術館・街で見かけたオブジェ 旅先で手に入れたオブジェ オブジェの視点で世の中を楽しむ中年の日常。

写真

after an earthquake















2011年3月撮影


2011年3月11日。その当時、在宅生活をしていた私はあの日の後、どこに出かけるでもなく自分の住む小さな町で静かに日々を送っていた。震災を伝える報道、ネットの情報、スーパーマーケットの長蛇の列。まるで足元の被膜一枚下に不穏な非日常を潜ませたような、心の安定を揺らがせる「日常」が続いた。震災が引き起こした現実が平穏な日常の自明性を喪失させ、心の均衡が失われたままにいやおうなく「日常」を過ごすことをわたしたちは強いられた。

自分にとっての自明な日常を取り返すために、私は時間があればレコードを聴き続けた。私の住む町では計画停電の影響がなかった。夜半に犬を連れて散歩しているとき、私の住む街区から先のエリアの住宅街が真っ暗な闇に飲み込まれている様子を目にした。言いしれない畏怖を感じる光景だった。

美術館も臨時閉館が相次いだが、そもそも美術館に出かけようという気持ちになれなかった。その頃は美術レビューが中心で一応「アートブログ」だった中年とオブジェだが、各美術館の開館情報を子細に伝えるあちこちのアートブロガーたちの発信に深い距離と、強い違和を感じていた。彼らには私にとってのレコードのように「美術館」が自分に日常を取り戻す依り代だったのだろうが、以後わたしはアートブログとしての発信に積極的ではなくなっていった。

その3月半ばから、カメラを手に自分の住む町の中を歩き回り、自宅の中のものを写真に収めた。この日常ではなくなってしまった「日常」を記録しておくことが必要に感じられたのだろう。毎年3月11日になるとブログにアップし続けているのが、この時撮影した写真である。こうした発信をすることが、この私自身の変節を示しているのだと思う。

after an earthquake 「原発」という未来のミュージアム



















2011年3月撮影 after an earthquake

主目的が発電であることは当然としても、同時に原発は、その潜在的で破局的な危険性ゆえに黎明期から一貫して国民に安全のための「神話」を提供し続ける広報機関であるほかなかった。この意味で原発はまさしく、本物の「ミュージアム」であり「テーマパーク」でもあったのだ。原発が立地する地域の子供たちに、「原子力の平和利用」を学習するための見学機会を提供したのも、原発という「未来のミュージアム」であった。(中略)帰りにはいろいろな冊子や付録のおみやげをもらった。いまだから言えることだが、それらはみな「毒」入りのお菓子だった。でも、そんなことがこの国でいったいどれくらい繰り返され、そのためにどれほどの予算が計上され、際限なく散在されてきたのだろう。

椹木野依『後美術論』「原発」という未来のミュージアム(2015年)

ブレボケ





採集地 横浜

新年を迎えて old photograph

少年兵



歩くチェロ



応援団



キャットボール 



『老兵は死なず』



Ruin under construction



夜の上海



階段下収納



空の音楽



新年最初のエントリは昨年ブログにアップした写真からのセレクト。昨年旅先や日常生活の中で撮影したものもあれば、こどもの頃のアルバム、数年前の写真の掘り起こしなどさまざまである。久しぶりの尾道・広島の小旅行ではずいぶん撮影を楽しんだ。

写真以外にも中古レコード・コーヒー・喫茶店など近年のはまりもの、あい変らずのオブジェ蒐集など、今年はこのブログで取り上げてみようかなと思う。

最後に、昨年亡くなった父がクロアチア旅行で撮影した写真を貼りつけてみる。
あ、最初の「少年兵」も父の撮影だった。
今年もよろしくお願いします!


SNOWY the frosty hour 萩原義弘写真展



 もう20年以上前の事だが、今でも昨日のことのように思い出す事がある。厳冬の下北半島を旅しながら撮影していて、突然の地吹雪に遭った。東京暮らしの私には歩くのも困難で、咄嗟に目前にあった廃工場に逃げ込んだ。廃工場は長く使われていない様子で、窓ガラスはなくなり壁はコンクリートがむき出しの状態だった。壁の上の方まで雪がこびりつき、建物内は外と変わらないくらい寒く、まるで巨大な冷凍庫の中にいるような感じだった。建物内を見回すと、ひび割れた床の僅かな土から若木が生えていた。何年もかけやっと成長したのだろう若木は雪に覆われ、時々風で揺れていた。また、機材搬入用だろうか、額縁のように見える大きな入口から、吹雪の中に立つ樹形の良い木が見えた。それらの光景はとても美しく、私は寒さを忘れて夢中でシャッターを切っていた。東京に帰り調べてみると、そこは戦時中に砂鉄を製錬していた工場だった。
 この時の体験が、忘れかけていた冬の夕張での撮影のことを思い出させた。炭鉱マンの黒い顔と対照的だった白い雪に覆われた炭鉱の風景。そんな炭鉱のイメージが再び現れた。そして、その冬から「SNOWY」の撮影が始まった。
 かつて人々で賑わった炭鉱や鉱山跡は、閉山し年月が経つと、草木が生え自然に還っていく。冬場、スノーシューを履いて、美しい白銀の世界をひたすら歩き、撮影場所に辿り着く。そこで思いがけない雪の光景が私を出迎えてくれる。自然と時間が作りだす造形は、時には美味しそうな砂糖菓子の様であったり、また得体の知れない生き物の様に見えたりする。そんな不思議な造形に、感動したり驚かされたりして、しばらく写真を撮るのを忘れてしまうこともある。
 冬場の天気は変わりやすい。夜、月明りで撮影していると、急に曇ったり、雪が降ってきたりする。長時間露光の間に目まぐるしく変わる気象条件も加わり、それが1枚の作品となる。遠くからシカやフクロウの鳴き声が聞こえ、時にはキツネやタヌキが近くを歩いているのに気が付く。そして、自分自身の存在自体が自然と一体化していくように感じられる。
 被写体と対峙していると施設の跡や主のいない炭鉱住宅が賑やかだった頃が脳裏に浮かんでは消えていく。私は、炭鉱や鉱山跡を廃墟だとは思っていない。人々が去り、たとえ朽ち果てようとしていても、そこには人々の存在が残っていると思う。人の記憶は次第に薄れ、やがてなくなってしまうだろう。しかし、撮影し作品化することで、少しでもその記憶や存在を留めることができるのではないだろうか。そして、日本の近代化や戦後復興に貢献してきた産業の証として後世に伝えることができると思う。
 春の訪れと共に消え去る一冬限りの風変わりな光景。私が撮影しなければ、もう二度と見ることができない風景でもある。

                                                 萩原義弘






炭鉱・鉱山跡の写真を撮り続けている写真家、萩原義弘さんの個展が始まった。今回は雪に埋もれた廃坑をテーマにした「SNOWY」シリーズの展示。写真集「SNOWY the frosty hour」の出版記念の写真展である。雪の白、白い日差し、月明かり、光る星、炭坑・鉱山遺構のグレートーン。モノクロームの画面には朽ちていく人工物の時間の堆積と、自然の見せる移ろいゆく時間が重層している。クローズアップで切り取られた抽象的な作品から、廃坑の構造物を俯瞰した構築的な作品まで。静かな世界だが、雪のふっくらしたフォルムが何か生命のような魂のようなものの存在を感じさせる。

萩原氏の言葉に「炭鉱や鉱山跡を廃墟だとは思っていない。人々が去り、たとえ朽ち果てようとしていても、そこには人々の存在が残っていると思う」とあるが、雪という事象を介在させることによりここには「廃墟」とか「産業遺産」といった言葉では表現できない、深い作家のまなざしが浮かび上がっている。

【会期】2014年10月3日(金)〜10月25日(土)
11:00〜19:00
    日曜・月曜・祝日休館
【会場】ギャラリー冬青
東京都中野区中央5-18-20
TEL: 03-3380-7123 FAX: 03-3380-7121

※作家の許可を得て会場・作品の撮影と掲載をしています。

SNOWY〈2〉The Frosty Hour
萩原 義弘
冬青社
2014-10

佐藤時啓 光ー呼吸 そこにいる、そこにいない




太陽光を手鏡で反射させたり、ペンライトが放つ光の軌跡を、長時間露光の大判カメラのフィルムに定着させ、その場所の風景が変容するさまを美しく写真で表現する作家、佐藤時啓(ときひろ)の個展が、東京都写真美術館で行われている。都内で彼の作品をまとめて観ることのできる充実した展示であった。

佐藤時啓の写真に私が感じるもの。それは大きくは以下の3点に集約される。

光によるランドアートアースワークとしての試み。
クールな美しさと、うちに潜む倒錯性
写真が「記録」のメディアとして機能すること。

まず,砲弔い董
「写真は、その場所になにも残さずにランドアート・アースワークができる。太陽の光そのものを作品にする。」という作家本人の言葉は、単なる2次元の写真表現を超えた、風景を自らの身体性により変容させて記録する写真という方法を端的に表現している。ダムなどの土木構造物のある風景を切り取る写真家柴田敏雄の作品にも、私はランドアートを観るような印象を受けるのだが、彫刻を専攻した佐藤の創作が3次元的なアクションに支えられているのに対し、油画を専攻した柴田がひたすら「視る」ことに徹するかに見えるのは、写真表現に至る2人の出自の差異の表れだろうか。

中年とオブジェ(2009.12.15)

目黒区美術館の「炭鉱」展に出品された、佐藤の夕張の炭鉱跡地で制作した作品を観て書いた拙文の一部である。制作過程の身体性が消失し、光の痕跡だけが場所の変容を果たす佐藤の写真は、たしかに一種のランドアートとして捉えられるだろう。ペンライトのエキセントリックな光跡が稠密に写された初期の作品には、その特質が殊に顕著に見て取れる。

そして△砲弔い
彫刻でモノを作っていくと、付随していくものがどんどん増えていく。僕自身がやりすぎてしまうタイプなのでよけいにそうなんです。でも、写真はその過剰な部分をすぱっと切り落としてくれる。どんなに苦労しても残るのは表面がつるつるした一枚の紙。その潔さが気持ちいい。

東京都写真美術館「eyes 2014 vol.81」佐藤時啓インタビューより

佐藤のこの言葉に、私はドイツの写真家トーマス・デマンドの作品制作との共通項を見出した。

デマンドの作品制作の膨大な労力が費やされるのはここからである。彼は選んだ画像を紙によって立体的に造形し、その「被写体」を再現する。そして、管理された照明のもとでカメラに収め、写真作品としてプリントするのである。

中年とオブジェ(2012.6.10)

そして、デマンドは原寸大に再現された紙による造形が被写体としての役割を終えると、その一切を撤収してしまうという。残される作品はプリントされた写真だけ。

過剰なエネルギーを注いだ制作過程と、作品として提示される「写真」のもつ潔さ。結果としてクールな印象を与える佐藤とデマンドの作品だが、そこには等質の「倒錯性」が潜んでいる。

「被写体」を選ぶことにおける非身体性と、それに反比例して膨大な「被写体」を作りこむことにおける身体性。トーマス・デマンドの作品の与える倒錯性は、我々が普通にイメージする写真家の在り方とのこの大きな差異に由来しているのではないだろうか。

中年とオブジェ(2012.6.10)

最後にであるが、開発途上のお台場で撮影された荒涼とした光景を目の当たりにすれば、佐藤の強い意思によりコントロールされた写真であろうとも、「写真」がまさにその「場所」と「時」を記録する動かしがたい機能を持っていることは明確である。今回は出品されなかった夕張の炭鉱跡地のシリーズが加わっていたならば、今は消失した風景を記録した佐藤の仕事のドキュメントとしての性質がより明瞭になっていたであろう。

本稿では触れなかったが、佐藤には手作りの様々なカメラ装置による写真の原理そのものの考察をうながす作品群もある。ポラロイドカメラにより光跡を捉えた海外の遺跡を舞台にした小品群は、とりわけ魅惑的であった。写真というフィールドを介して、新たな表現を模索する佐藤のこれからの展開を楽しみにしたい。

あけましておめでとうございます

流浪のブログ、「中年とオブジェ」。昔から読み継いでいただいている皆様にはお分かりのように、近年のメインコンテンツは「路上観察」写真へとシフトしております。美術や食べ物について語るのも良いけれど、稚拙でもよいから自分なりの発見・表現をすることへのささやかなあこがれから始めたのですが、いかがなものでしょう?

昨年のマイ・ベスト観察の画像をお贈りして、新年のご挨拶に代えさせていただきます!
今年もどうぞよろしくお願いいたします。

白昼夢



朝帰りの日の私鉄車両内の人の気配の消えた瞬間。


吉祥寺のグルスキー



グルスキー展鑑賞のすぐあとだっただけに印象的。


バラック浄土



タイトルは建築家石山修武氏の著書名から引用しました。


草間彌生のオブセッション



近所の公園にて。怖かった。


ストレートフラッシュ



タイトルは目撃時に瞬時にひらめいた。


パウルクレーの壁



住宅街に現れたアートな光景。

白昼夢





採集地 横浜

当事者性―グルスキーと米田知子

最近、美術表現と当事者性の関係を考えさせられることが多い。アンドレアス・グルスキー展(国立新美術館)と米田知子展(東京都写真美術館)を観て、いずれにも強く感じた共通項はその「当事者性」の曖昧さだ。




スーパーカミオカンデ・東京証券取引所・香港上海銀行・平壌のマスゲームなど現代社会の諸相を感情を排したクールな画像で提示するグルスキー。その徹底した造形美は、まるで神か異星人の如き視線からもたらされる。ジャクソン・ポロックの大きな抽象絵画の展示風景をとらえた写真を観て、ポロックの絵画が意味をそぎ落とした絵具による作画の痕跡そのものであるように、グルスキーの写真もこの世界のイメージを感情移入なく転写した光の痕跡であるように感じた。現代の高度資本主義社会・グローバリゼーションへの批評というような当事者性を帯びたメッセージは表層的なものであり、彼の表現の本質のすべてではない。




米田知子の個展「暗なきところで逢えれば」に出展された作品の多くは、空気感の描写に魅力のある静謐な風景・建造物写真であるが、画面だけからではその意味を読み取ることができない。出品リストに記載されたテキストを読むことで初めて、それがサハリンのロシアと日本の旧国境であり、伊藤博文が暗殺されたハルビン駅のプラットフォームであり、日本統治時代に建てられた台湾の和風建築の家の室内であることがわかる。あたかも、日本に関わる近現代史の残像が「あぶりだし」のようにテキストの力で写真の背後から浮かび上がってくる仕掛けである。

このコンセプチュアルな方法で、米田はそこにある風景を歴史の記憶に結びつける作業を観る者に課すわけだが、彼女のアプローチにも彼女自身が近現代史の当事者であるという感覚は希薄であると感じる。彼女の作品は画面に定着された美しい光と、背後に潜む歴史の闇との複層性で成り立っているわけだが、「当事者」なら持つであろう直截な訴求力からはへだたっている。米田の表現は、歴史の教科書で知りえた知識を、現地の風景の中で傍観者的に検証するかのようであり、そのクールさはどこかでグルスキーのまなざしが与える印象に通じている。

この稿で、私は当事者性の曖昧な表現を批判的に論じようとしているのではない。水戸芸術館現代美術ギャラリーで開催された「高嶺格のクールジャパン」は、東日本大震災そして福島での原発事故に向き合った表現活動であったが、高嶺はこの企画展においての自身の当事者性に触れこんなテキストを記している。

当事者性に関する話題は混乱していて未解決のままだ。しかし表現とは、そもそも対象と自分との距離を見定め、なんらかの形で関係が結べていないと不可能な作業である。従って「当事者とはなにか」という問いは表現にとって根本的なのだ。そして対象と一旦関係を持ち、それが表現となった以後には「自分が関わった責任」が発生する。表現は常にこの「責任」ということと無関係ではありえない。

高嶺格「3.11からクールジャパンへ」(高嶺格のクールジャパン展図録より)


グルスキーは、ワールドワイドな視座で自分と現代社会の距離を遠くへだて、「神の目」がみた世界を表現する。だがバンコクの汚染された川面の光をとらえた作品のように、地上的な「自分が関わった責任」も垣間見える。鑑賞者に世界そのものをみよと求めるかのように。

米田知子は、なにごともないような静謐な写真の中に歴史の記憶をあぶりだすことで、自身が当事者として告発するのではなく、鑑賞者とともに「自分が関わった責任」を共有する。鑑賞者は、知識にもとづいて歴史の現場におもむいた米田の体験を、自らもなぞるのだ。

ニーズを持ったとき、人はだれでも当事者になる。ニーズを満たすのがサービスなら、当事者とはサービスのエンドユーザーのことである。だからニーズに応じて、人はだれでも当事者になる可能性を持っている。

当事者とは、「問題をかかえた人々」と同義ではない。問題を生み出す社会に適応してしまっては、ニーズは発生しない。ニーズ(必要)とは、欠乏や不足という意味から来ている。私の現在の状態を、こうあってほしい状態に対する不足ととらえて、そうではない新しい現実をつくりだそうとする構想力を持ったときに、はじめて自分のニーズとは何かがわかり、人は当事者になる。ニーズはあるのではなく、つくられる。ニーズをつくるというのは、もうひとつの社会を構想することである。

上野千鶴子「当事者主権」


「当事者」とは私たちが通常思っているよりも、深い射程でとらえられるべき言葉なのであろう。この社会に適応してしまえず、もうひとつの社会を構想すること。それはまさに美術表現のひとつのあり方だ。日常的な意味での「当事者性」が曖昧に思えるタイプの美術表現には、かえってより深度のある『当事者性』を開く可能性があるように思われる。それは、鑑賞者が傍観者でいられなくなり、『当事者』に変容してしまうような構想力あふれた体験をもたらす。このような感覚はあまりに強い「当事者」による訴えかけが、かえって傍観者との溝を深めてしまうことと対比すれば了解しやすいであろう。

グルスキーと米田知子には、そんな可能性を感じさせられた。

トーマス・デマンド展 紙でできた世界。




旧来の写真家の多くは旅人であった。「そこ」にしかない被写体を求め各地をロケハンし、固有の風景・建築・人間・事件などをカメラに収める。光の条件を求めて長時間被写体と向き合ったり、偶然の一瞬を切り取る瞬発力に賭けたり。写真家は「何を」撮るか、被写体を見つけ出すこと自体に膨大な労力を費やし、彼の被写体に対する選択眼が作家の個性でもあった。

日常の光景を、無作為に撮影する写真家もいる。彼らは旧来の写真家とは大きく隔たっているように見えるが、やはり自分のカメラが発見した被写体という固有性のうちにある。


トーマス・デマンドにおいては、「何を」撮るかは、マスコミの報道写真・写真共有サイトの画像・YouTubeの動画などから検索される。ロケハンは、web上で容易になされ、誰もが目にしうる画像がモチーフに選ばれる。

デマンドの作品制作の膨大な労力が費やされるのはここからである。彼は選んだ画像を紙によって立体的に造形し、その「被写体」を再現する。そして、管理された照明のもとでカメラに収め、写真作品としてプリントするのである。

「被写体」を選ぶことにおける非身体性と、それに反比例して膨大な「被写体」を作りこむことにおける身体性。トーマス・デマンドの作品の与える倒錯性は、我々が普通にイメージする写真家の在り方とのこの大きな差異に由来しているのではないだろうか。そして、彼の作品制作のプロセスには、「写真家」とは何者なのかという根源的な問題を考えさせられるのである。

誰もが知っている名画や、有名人のポートレイトを引用し、自分自身がメイクしコスプレし手間暇かけて「被写体」を再現する森村泰昌。作品制作における倒錯性は、デマンドにとても近く感じられる。

デマンドが選択する画像の社会性・批評性も興味深いし、彼が再現するのが自分が見た「現実」ではなくすでに誰かの目を通した、時には防犯カメラの「画像」であることも重要な論点であろう。そしてなにより、彼の写真は空虚ではかなく美しい。


トーマス・デマンド。クールな変態。


東京都現代美術館
7月8日(日)まで

クロアチア紀行 on Flickr

2010年10月14日から23日にかけて、クロアチアを中心に旧ユーゴスラヴィア諸国を周遊するツアーに参加しました。近年日本人旅行者にも注目され始めたこのエリア。自然・建築など世界遺産スポットも多数。このエントリでは、私が撮影した写真をFlickrにアップしてご紹介します。旅のスケジュールにあわせ、各国・各都市をアルバム(SET)形式で随時追加していく予定です。

  • 国名・都市名または画像をクリックして各アルバムへリンク
  • キャプションは手抜きして当面日本語
  • つたない写真ですがスライドショーもお試しください

①スロヴェニア
Church of the Assumption

日本からの直行便でウィーン空港に到着。小さなプロペラ機の国内線でスロヴェニア近くのローカル空港へ。ツアーバスに乗り込み陸路、国境を越え最初の国、スロヴェニアに入国しました。

スロヴェニアのハイライトはヨーロッパ最大のポストイナ鍾乳洞。トロッコに乗って鍾乳洞内部に進入。奥部を歩いて観光するガイドツアーに参加。



②ザダル
church&monastery of st.mary

スロヴェニアから陸路国境を越え、旅のメインであるクロアチアに入国。夜ホテルに到着して休息。翌日からクロアチアの市街地の数々を巡礼する行程が始まった。最初に訪れたザダル旧市街は、度重なる戦災で破壊の限りを尽くされ、現在は修復が進み観光客を集める街並み。この国が観光立国として復興していく途上にあることが、伝わってくる。アドリア海をバックに、結婚式の記念写真を撮影する若いカップルの姿が美しかった。

シベニク
Sibenik

ザダルの街をあとにし、世界遺産「聖ヤコブ大聖堂」のあるシベニク市街へ移動。海沿いの丘の上に広がる旧市街は、中世の面影を残した静謐で端正な街並。野良猫が多く、彼らのために作られた水飲み場が面白い。この街でも2組の結婚式のカップルに出会う。土曜日に式を挙げ、夜通し祝杯を交わすのがクロアチア流。この日宿泊するトロギール郊外のホテルに向かう道中も、結婚式帰りの車列に何組も出会い、道行く車同士がクラクションを鳴らしあって祝福していた。

ぅ肇蹈ール
Trogir

トロギール近郊の季節はずれのリゾートホテルの宿泊客は日本人団体3組ばかりで、「ジャパニーズ・ナイト」とフロントマンが言っていた。翌日向かったトロギール旧市街は城壁に囲まれた小さな島。街のシンボル、聖ロブロ大聖堂では日曜日のミサが行われ、賛美歌とパイプオルガンが響いていた。突然の激しい通り雨に洗われ、街並が一段と美しい表情を見せた。昼食をとって、城塞都市スプリットの探訪が始まる。

ゥ好廛螢奪
Split

ローマ時代の宮殿を基盤にして旧市街が形成されている、まるで生きている廃墟のような不思議な街。世界遺産に登録されている。城壁の中にも人々が居住し、グラフィティも多く、歴史と現代の生活が同居している。土産にこの土地の石材で作られたミニチュアの教会を手に入れた。スプリットから一路南下。旅のハイライト、ドブロヴニクを目指す旅路は、深く青いアドリア海と荒涼とした岩山が続く。

カメラで遊ぶ 

新しいデジカメが届いたので、近所をカメラ散歩してみた。アートフィルター機能などで遊んでみる。オブジェたちの写真は、自宅リビングのもの。家の中、あちこちがこんな感じです。

トイカメラ
ラフモノクロ
セピア
標識
オブジェ

炭鉱展 写真に見る炭鉱

目黒区美術館‘文化’資源としての<炭鉱>展の写真セクションは、様々な作家の視線を通して古今の炭鉱の諸相を伝えている。今回、土門拳も無名のアマチュアカメラマンも等価に展示がなされた姿勢には、ヒエラルキーに束縛されない自在さが発揮されている。(散漫な印象ももたらしてはいるが。)

現役時代の炭鉱を捉えた写真は、各作家の個性あるまなざしを対比させることで炭鉱という対象を立体的に浮かび上がらせる。冷徹な造形力で軍艦島の風景を描写した奈良原一高の作品は、炭鉱操業時の写真でありながらドキュメントを超えた神話性を感じさせた。

1987年以降に筑豊・長崎・夕張などの炭鉱を旅した私にとっては、炭鉱の風景は、すでにほとんどが廃墟であった。そんな閉山後の失われた炭鉱をモチーフに、どんな表現がなされているのか。今回の展覧会でも私の興味の中心はそこにあった。炭鉱を通して、過去のものではないアクチュアルな表現は可能なのかということ。

佐藤時啓(ときひろ)は、長時間露光により手鏡の反射する太陽光を無数に写しこみ、夕張の朽ちた構造物とともに画面に定着させた。作品自体からはクールな詩情が感じられるのだが、作品の制作過程は作家の身体性をともなう滑稽なまでの労力に支えられている。(佐藤氏の講義で制作の裏話をうかがった。)

「写真は、その場所になにも残さずにランドアート・アースワークができる。太陽の光そのものを作品にする。」という作家本人の言葉は、単なる2次元の写真表現を超えた、風景を自らの身体性により変容させて記録する写真という方法を端的に表現している。ダムなどの土木構造物のある風景を切り取る写真家柴田敏雄の作品にも、私はランドアートを観るような印象を受けるのだが、彫刻を専攻した佐藤の創作が3次元的なアクションに支えられているのに対し、油画を専攻した柴田がひたすら「視る」ことに徹するかに見えるのは、写真表現に至る2人の出自の差異の表れだろうか。

清水沢のダムの上を無数の光が埋め尽くすヴィジョンは、夕張という土地の地霊(ゲニウス・ロキ)の存在を可視化するかのようだ。

炭鉱の記憶を自らの身体性によって表現に結びつけていく方法論は、炭鉱施設を巨大なフロッタージュの対象にした岡部昌生の仕事とも通じている。

全国の炭鉱・鉱山を記録し続ける写真家、萩原義弘は「SNOWY」シリーズで、雪にうずもれる廃坑の遺構を撮影し、朽ちていく人工物と雪という自然が偶然に生み出す美を捉えることに成功している。ただでさえ危険をともなう廃坑跡で雪中の撮影を可能にするのは、炭鉱・鉱山のフィールドワークを長年積み重ねてきた萩原の稀有な経験と執念である。

SNOWY
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いわゆる「廃墟ブーム」により炭鉱や鉱山も含めて数多くの廃墟写真が流布されたが、佐藤時啓や萩原義弘のような表現の深度を得てはじめて、廃墟とアートの架橋が可能になるのではないだろうか。

そしてまた、筑豊のかつて女坑夫だったおばあちゃんたちの笑顔の肖像と言葉で構成された田嶋雅巳の「炭坑美人」も、炭鉱の時代が過ぎ去ったあとにこそ可能となった「ポスト炭鉱写真」のひとつのアプローチとして捉えることができると思う。

佐藤時啓@ZEIT※佐藤時啓・萩原義弘両氏の個展が現在行われています。

・佐藤時啓「Tree」光〜呼吸
〜12月22日(火)ツァイト・フォト・サロン(京橋)

・萩原義弘「SNOWY」
〜12月26日(土)ギャラリー冬青(中野)

佐藤氏の個展は白神山地・八甲田で撮影された巨木と光の軌跡が幻想的でした。
萩原氏の個展は、雪と廃坑の生み出す静謐で美しい世界。
プロフィール

テツ

「中年とオブジェ」とは赤瀬川原平の名著「少年とオブジェ」へのオマージュである。美術、オブジェ収集、エリック・ドルフィーを愛好する。

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