中年とオブジェ

美術館・街で見かけたオブジェ 旅先で手に入れたオブジェ オブジェの視点で世の中を楽しむ中年の日常。

原爆

ミンガスと原子爆弾





ジャズ・ベーシスト、チャーリー・ミンガスのアルバム「OH YEAH」(1961年)は、サックスの怪物ローランド・カークとミンガスのゴンゴンたたきつけるピアノが聴かれる傑作だが、そのなかに原爆をテーマにした曲が含まれている。

『OH LORD DON'T LET THEM DROP THAT ATOMIC BOMB ON ME』

「神様、原子爆弾を落としたもうな。」ミンガスが歌うゴスペル・ジャズの怪作にちなみ、ジャケットにはきのこ雲を表すマッシュルームの画像がデザインされている。チャーリー・ミンガスらしい社会的メッセージが込められたプロテスト・ソングではあるが、このマッシュルームを目にするにつけ、日本人の感覚からするとあまりにポップでドライな印象を受けるのも事実である。

スタンリー・キューブリック監督の映画『博士の異常な愛情 または私は如何にして心配するのを止めて水爆を愛するようになったか』(Dr. Strangelove or: How I Learned to Stop Worrying and Love the Bomb)もまた、核爆発の映像がシュールでポップに迫ってくる演出がユニークな怪作であった。


広島平和記念資料館の展示が大幅にリニューアルされたそうである。被爆者の衣服、残留遺品など「もの」に寄りそった展示が中心になったということだが、そこには即物的・視覚的な被爆体験の伝達への転換が感じられる。

微細な想像力を介した原爆の惨禍の伝達から、直接的な「もの」による被爆体験の伝達への変化。被爆当事国である日本人の感覚が、原爆をポップに表現する非当事者の感覚に近づいてきたことが、こうした転換の一因なのかもしれない。

数年前、久しぶりに平和資料館を見学した折に、その来場者が修学旅行生などを除けば、ほとんどが外国人観光客であることに驚かされた。被爆当事国の日本がその体験を風化させる速度への危機を思えば、どのような表現であれ原爆の惨禍を伝えていくことの継続が必要だろう。

広島も長崎も戦争も、無かったことにされてしまうような空気が作用することにあらがう為にも。

ふたつの「原爆ドーム」








ヒロシマには、原爆投下の象徴としての原爆ドームが遺された。最近ネットオークションではこのドームのプラモデルキットを使用した自作ジオラマが高値で落札されたりしている。この戦後間もない頃だろう絵葉書にも、原爆ドームの姿を絵画に写しとるという行為が切り取られている。

一方、長崎の爆心地にあった浦上天主堂は撤去され、再建された。長崎原爆資料館を2009年に見学した折に印象に残ったのは長崎に投下された原子爆弾「ファットマン」の原寸大模型であった。現在は塗り替えが行われ、黄色と黒の当時の実物通りの彩色になっているそうだ。


長崎になぜ「原爆ドーム」が遺されなかったのか?興味のある方にはこの本をおすすめする。



本の虫干し『ピカドン』




1945年8月6日 午前8時15分、
広島市民の上に、人類史上初めて、
1発の原子爆弾が落された。
人々はその時の太陽の百倍の閃光を
"ピカッ″と言い、続いておそった
衝撃波を"ドン″と呼んだ。

「ピカドン」木下蓮三・小夜子


はじめて、アニメ「ピカドン」を目にしたのはいつのことだったか。ヒロシマの原爆を思うとき、忘れることのできない印象をあたえた7分ほどの短編アニメーション作品である。作者は木下蓮三と妻、小夜子。手塚治虫が設立した虫プロで活躍したアニメ作家だ。

日本的な柔らかな色調の画面。原爆投下の日の朝の描写が静かに続く。効果音とBGM以外にセリフは一切ない。通勤の路面電車、乳飲み子を抱く母、軍需工場。やがて上空に米軍の爆撃機が現れ、原爆を投下する。

そのあとは凄惨な情景が、カラフルでさえある色調で描かれる。閃光・爆風・灼熱。焼けただれた女子高生、肉が溶け崩れていく母子、川の水を求めさまよう人々。





その後、このアニメを見る機会はなかったのだが、図書館でこの作品が絵本化されていることを知り、後年手に入れることができた。アニメの進行をそのまま巧みに紙面に構成した、フルカラーの絵本である。原爆投下直後の壮絶な画面も再現されている。静止画による「ピカドン」も、オリジナルのアニメに劣らない鮮烈な印象を与えてくれる一冊だ。

アニメ「ピカドン」がDVDなどでソフト化されていないか、広島の平和記念資料館のミュージアムショップで尋ねてみたこともあるのだが、入手することはできなかった。





漫画「はだしのゲン」を有害図書扱いしたり、平和記念資料館の皮膚の焼けただれた再現人形を残虐を理由に撤去要求したり。原爆の惨禍の忘却を加速するような動きを感じるいま、アニメ「ピカドン」やこの絵本のことを、多くに人に知ってもらいたいという思いを抱く。目をそむけたくなるほどに悲惨な被害をヒロシマは体験したのだということを抜きにして、脱色された原爆言説のみが流通するようになってはならないのではないだろうか。






原爆ドームと浦上天主堂







今年の春、広島を旅した折、工事の足場に覆われた原爆ドームを目にした。まるで建設途上の廃墟を見るかのような、異形の姿であった。原爆ドームの崩壊を食い止めるための補修工事を行っているのかなと思ったのだが、これは平成4年度より継続されている「健全度調査」と呼ばれる作業なのだそうである。

第2回保存工事以降、原爆ドームの経年劣化等の状況を把握することを目的に、平成4年度(1992年度)から原則3年毎に健全度調査を実施しています。
 第1回の健全度調査から継続的に実施している項目は以下のとおりです。

目視調査等により、劣化状況等を調査する「外観調査」
沈下の状況を調査する「沈下量測定」
壁体の傾きを調査する「鉛直度調査」
壁体の防水性を調査する「透水試験」 ※第1回健全度調査では実施していません。

広島市 原爆ドームサイトより


チェコ人のヤン・レツルの設計により、大正4年(1915年)4月、広島県物産陳列館として竣工した建物が、原子爆弾の被爆を伝える象徴として残存し世界遺産としても認定される「原爆ドーム」となったわけだが、この世界遺産認定は、あくまでもこの廃墟の現状維持を前提としているそうである。

平泉の中尊寺金色堂がそうであるように、ドームをすっぽり包み込む建造物により保護してしまえば、ドームそのものの経年劣化は緩和されるように思われるのだが、世界遺産からは外れてしまうという問題があるらしい。




長崎では、爆心地近くにあった浦上天主堂の残骸は戦後撤去され、天主堂は再建された。もし天主堂の残骸が遺構として保存されていれば第二の「原爆ドーム」になったかもしれないわけだが、原子爆弾による惨禍を記憶に留めるために目に見える形の遺構の存在することの意義は大きい。

広島の原爆ドームが遺構として存続することを最優先するならば、天蓋や遮蔽構造物などの手段が講じられても良いように思うのだが。最近話題の長崎の軍艦島同様、廃墟を遺産として存続させることは困難な課題である。

原爆殉難教え子と教師の像





採集地 長崎

丹下健三の広島平和記念公園



広島の原爆死没者慰霊碑のアーチの前に立つと、原爆ドーム慰霊碑平和資料館を結ぶ軸がこの公園の南北をまっすぐに貫いていることがよくわかる。広島の焦土の中に生み出されたこのプランは、戦後の建築史上に残る丹下健三の出発点でもあるわけだが、戦中の彼の幻のプランである「大東亜建設記念造営計画」との共通性も思わずにはいられない。

大東亜建設記念造営計画(昭和17年)

霞たなびく富士山に向かって延びる高速道路、裾野に広がる巨大な霊域。丹下健三は、そのような霊感あふれる提案で、「大東亜建設記念造営計画」のコンペの一席を勝ち取った。(中略)
聖戦の美名のもとに死んでいった忠霊のための霊域がこの計画の中心であった。そして、東京からそこへと延びる日本版アウトバーンに、丹下の都市計画に必ず登場する都市軸の雛形が見て取れる。

松葉一清「幻影の日本」

原爆ドーム富士山。このふたつの「象徴」をめぐる「軸」と「霊域」の関係には、敗戦で幻に終わった巨大造営計画と戦後のスタートである広島の仕事とのあいだの丹下建築の連続性が感じ取られるのだ。

戦前・戦後で世の中のすべてがリセットされ、新しい時代が始まったとは言い切れない。このことの一端を丹下の広島プランも語っているのではないだろうか。

ピロティーの印象的な広島平和記念資料館は、戦後の建築としてはいち早く重要文化財に指定されたが、この建物が建設された当時の広島はまだ原爆の傷跡の生々しい状況であったようで、新藤兼人監督の映画「原爆の子」の中には建設中の資料館の工事風景が記録されている。


私の街の北村西望







採集地 長崎 三鷹

原爆ドーム






8月6日。広島に原子爆弾が投下された日から今年で67年。このオブジェはその広島でみやげ物として作られたのであろう。簡素なドーム部分の表現だけでこれが原爆ドームであると分かるのは、それだけ我々の脳裏にこの負の遺産のイメージが鮮烈に刷り込まれていることの証だろう。

今、テレビ等の映像を通して目にしている福島第一原子力発電所の荒廃した姿は、将来にわたってどのようなイメージを我々の意識に植えつけることなるのであろうか。

この一見素朴で温かみのある原爆ドームの置物を眺めていると、私たちはまだ終わることの無い暗い深淵にさらされていることを思い知らされるのである。


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ひろしま/ヨコスカ 石内都展

石内都






















今年はじめに観た展覧会は、写真家土田ヒロミ個展だった。広島の被爆者の遺品を冷徹に捉えた「ヒロシマ・コレクション」という連作が印象的だった。そして、今年最後の鑑賞になるだろう展覧会が、きしくも写真家石内都「ひろしま/ヨコスカ」目黒区美術館)となった。

石内の最新の仕事「ひろしま」は、広島平和記念資料館が保存する被爆者の遺品を、カラー写真で鮮やかに記録したもの。被写体は女性のワンピースやブラウス、女の子の服などが多く、やわらかな色彩や、華やいだ模様が美しい。

そこに感じられるのは、被爆者たちの「死の記憶」ではなく、「生の痕跡」だ。とりわけ心惹かれた、青を基調にした花柄のワンピースの写真を前にしたとき、「被爆者」という言葉でつくせない、ひとりの女性の生命を思わずにはいられなかった。

石内都の「ひろしま」には、土田ヒロミの「ヒロシマ・コレクション」にはなかった、ひとりひとりの「生」を照射する鮮やかさと、やわらかさが感じられた。


モノクロの画面に、モルタルのじっとりとした湿度を感じさせる「アパートメント」シリーズ。アメリカの影・止むに止まれぬ疾走感をダークな画面に定着させた「絶唱、横須賀ストーリー」。指先、手術跡、火傷跡など、様々な人体を洗練されたタッチで捉えた諸作。

亡き母の遺品を撮影した「Mother's」が、今年母を亡くした私にとって深く響いたことは、言うまでもない。

今年の美術展鑑賞数は、普段より少なめだったが、年末にずっしり心に残る展覧会を体験できた事は幸せだった。

夕凪の街 桜の国※こうの史代の漫画「夕凪の街 桜の国」は被爆後の広島を描いた秀作だ。映画化もされているが、100ページばかりの紙幅に込められた原作の読後感は、石内都の「ひろしま」に通じるものがある。強くおすすめの作品です。
プロフィール

テツ

「中年とオブジェ」とは赤瀬川原平の名著「少年とオブジェ」へのオマージュである。美術、オブジェ収集、エリック・ドルフィーを愛好する。

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