中年とオブジェ

美術館・街で見かけたオブジェ 旅先で手に入れたオブジェ オブジェの視点で世の中を楽しむ中年の日常。

原発

after an earthquake 「原発」という未来のミュージアム



















2011年3月撮影 after an earthquake

主目的が発電であることは当然としても、同時に原発は、その潜在的で破局的な危険性ゆえに黎明期から一貫して国民に安全のための「神話」を提供し続ける広報機関であるほかなかった。この意味で原発はまさしく、本物の「ミュージアム」であり「テーマパーク」でもあったのだ。原発が立地する地域の子供たちに、「原子力の平和利用」を学習するための見学機会を提供したのも、原発という「未来のミュージアム」であった。(中略)帰りにはいろいろな冊子や付録のおみやげをもらった。いまだから言えることだが、それらはみな「毒」入りのお菓子だった。でも、そんなことがこの国でいったいどれくらい繰り返され、そのためにどれほどの予算が計上され、際限なく散在されてきたのだろう。

椹木野依『後美術論』「原発」という未来のミュージアム(2015年)

余震







「覚悟」とは、何かを意固地になって言い張ることではありません。覚悟の「覚」は目覚めること、そして覚悟の「悟」は悟ること、深く思いを定めること。つまり、単に流れに押し流されて毎日を生きていくのではなく、何かに目覚め、そのことを深く確信して生きていくということです。「覚悟」を持って生きるとは、私たちをそこに閉じ込めるものではなく、私たちを開いていくものなのです。

上田紀行「生きる覚悟」


グローバル経済によって支配される現代社会では、建築家の倫理観や善意をはるかに超えた力によって建築はつくられ、破壊されている。そこにはかつてのような公共空間やコミュニティの場が成立する余地はほとんどない。それどころか経済を効率よく循環させるためには、共同体は徹底して個に解体されたほうがよい。そのような巨大資本につき動かされる巨大都市に建築家はどう向き合っていくべきなのか、そんなことを考えている最中に大震災は起こった。

伊東豊雄「あの日からの建築」


しかし「原発建設が進んでいた時代には経済成長していた」というのは正しいですが、「原発を建てれば経済成長する」とはいえません。国際環境や産業構造が変わっているのですから、もとに戻ることはありません。
(中略)
しかしもはや原発は、経済的にみれば政策と投資の失敗から生じた一種の不良債権です。このままずるずると続けても、将来性のない事業に金をつぎこむ無策にすぎません。

小熊英二「社会を変えるには」


時と場所は移って21世紀初頭の日本、いま私たちは未曽有の原発災害のもとにある。1970年の万博では、原子力は「人類の進歩と調和」を推し進めるエネルギーの原動力としての期待を一身に受けていた。そんななかには、気象災害(台風)を事前に一掃できる原子爆弾の可能性を誇示するパヴィリオン(三菱未来館)があったし、原子力発電所の原子炉建屋の内部構造をそのまま巨大化したような形状のパヴィリオン(電力館)も存在した。けれども、こうして実際に21世紀となって振り返ったとき、原子力は未来の希望どころか、私たちの未来を掻き消しかねない、おそるべき「公毒」を垂れ流すものと化していた。

椹木野依「後美術論」


年齢のせいなのか、それとも震災後に起こった様々な出来事の影響(後遺症)なのか、はたまたちっとも数字のあわない四台の線量計と一年以上もつきあってきたせいか、すっかり物事をうす目で見るクセがついてしまった。すぐにわかったような結論を出したりせずに、ぼんやり全体を眺めて、結論は保留。それでも時間がたてば、見えてくるものだってちゃんとある。でも、誤解してほしくないのは、それは無責任に物事を見るということではないということだ。それより怖いのは、わかってないのに結論や答えを急いで出してしまうことではないだろうか。なにしろじっくりやらないと、とてもじゃないが身がもたない。

大友良英「シャッター商店街と線量計」(2012年12月)


「変わりないですか?」という質問は、患者さんとの面接での常套句のようなものだが、実は変わりが無いのが一番いい。考えてみれば、先週と同じように今日があり、今日と同じように明日がある、というのは当たり前のようだが、ありがたいことだ。明日も今日と同じように生きていると保障できる人なんてこの世にはいないのだから。

蟻塚亮二「統合失調症とのつきあい方―闘わないことのすすめ」



昨日朝の東日本大震災の余震に、折々ブログに引用した言葉を思い出す。

after an earthquake












採集地 横浜(2011年3月地震の後に)


年齢のせいなのか、それとも震災後に起こった様々な出来事の影響(後遺症)なのか、はたまたちっとも数字のあわない四台の線量計と一年以上もつきあってきたせいか、すっかり物事をうす目で見るクセがついてしまった。すぐにわかったような結論を出したりせずに、ぼんやり全体を眺めて、結論は保留。それでも時間がたてば、見えてくるものだってちゃんとある。でも、誤解してほしくないのは、それは無責任に物事を見るということではないということだ。それより怖いのは、わかってないのに結論や答えを急いで出してしまうことではないだろうか。なにしろじっくりやらないと、とてもじゃないが身がもたない。

大友良英「シャッター商店街と線量計」(2012年12月)

after an earthquake









2011年4月 地震の後に撮影

時と場所は移って21世紀初頭の日本、いま私たちは未曽有の原発災害のもとにある。1970年の万博では、原子力は「人類の進歩と調和」を推し進めるエネルギーの原動力としての期待を一身に受けていた。そんななかには、気象災害(台風)を事前に一掃できる原子爆弾の可能性を誇示するパヴィリオン(三菱未来館)があったし、原子力発電所の原子炉建屋の内部構造をそのまま巨大化したような形状のパヴィリオン(電力館)も存在した。けれども、こうして実際に21世紀となって振り返ったとき、原子力は未来の希望どころか、私たちの未来を掻き消しかねない、おそるべき「公毒」を垂れ流すものと化していた。

椹木野依「後美術論」

死を待ちながら





採集地 福井

after an earthquake
















2011年3月 地震の後に撮影

しかし「原発建設が進んでいた時代には経済成長していた」というのは正しいですが、「原発を建てれば経済成長する」とはいえません。国際環境や産業構造が変わっているのですから、もとに戻ることはありません。
(中略)
しかしもはや原発は、経済的にみれば政策と投資の失敗から生じた一種の不良債権です。このままずるずると続けても、将来性のない事業に金をつぎこむ無策にすぎません。

小熊英二「社会を変えるには」

あけましておめでとうございます





中年とオブジェ
今年もなんだかワケのわからないブログを目指して
気ままに更新いたします。
どうぞ、よろしくお願いします。

今年が私たちにとってよき日々であることを願って
たのしく過ごしてまいりましょう。

拝啓 風間サチコ様 「没落THIRD FIRE」に寄せて




拝啓 風間サチコ様 「没落THIRD FIRE」に寄せて

無人島プロダクションで、「没落THIRD FIRE」を拝見いたしました。オープニング当日に未だ最大の新作「噫!怒涛の閉塞艦」が制作途上で出展されていないと知りつつも、止むに止まれず立て込み中の会場に足を運びました。「黎明のマーク1」に描かれた福島第一原発の格納容器初号機が不気味に「目」を見開き覚醒しつつある鮮烈なイメージ。この原発建設地の前史である「陸軍磐城飛行場」の建設の為「勤労奉仕」させられる人々の姿がそこに時間を越えて重層されるヴィジョン。トロッコを押しやる人夫たちは福島の炭坑夫の姿でもありましょうか。そこには下請け・孫請けによる底辺労働者の抑圧に支えられた石炭産業のピラミッド構造と、原子力産業の労務構造のダブルイメージが想起させられたのでありました。

そして、2回目の訪廊でついに対峙した4メートルを超える渾身の作「噫!怒涛の閉塞艦」
さながら壮大な戦争画を目にした如きインパクトです。広島・長崎・第五福龍丸・原子力船「むつ」・爆裂する福島第一原発・東電本店。それらが大津波そのものの圧倒的荒波に翻弄されるさまを描いた、核の歴史絵図。風間さんによる以下のキャプションに、加える言葉は有りません。

日中戦争、太平洋戦争と戦いが続く中、多くの「軍神」が登場し、大本営発表の欺瞞の声は敗色をかき消す断末魔の叫びと化した。
原子力発電における「安全神話」も然りである。

明治三陸大海嘯には「風俗画報」というリアルな史料が、広島の原爆には丸木夫妻の「原爆の図」があるように、記録画は「忘却」の「防波堤」である。


風間サチコ様、よくぞこれほどまでの「防波堤」を彫刻刀のチカラでえぐりだして下さいました。ただただ、深い感銘を心に刻みこまれましたことをお伝えいたします。

敬具


残る会期は2013年1月8日(火)ー19日(土) 
月・祝休廊

アートフェア東京2009 

アートフェア東京東京国際フォーラムを中心に開催されたアートフェア東京2009。3日間のイベントの最終日午後に行ってきた。このイベントには数年前1度行ったことがあるのだが、膨大な数のギャラリーが作品を展示即売する小さなブースが密集したアート版コミケという感じで、どうもゆったり楽しめなかった。今回は高円寺の無人島プロダクションの個展でグッときた版画家・風間サチコさんが出品されると聞いていたので、無人島プロダクションのブースを真っ先に探す。するとちょうど風間さん本人もいらっしゃった。

ドーンと目に飛び込んできたのは大作「プリズン・ス・ガモー」。戦前は共産主義者などの思想犯、戦後はA級戦犯を収監した巣鴨プリズン。いまの池袋サンシャイン60がその跡地だという歴史を背景に、罪人の編み笠をかぶった巨大ロボが、高層ビルで暴れている。

公園の四季を描いたという連作には、代々木公園のホームレスやガスマスクをした上野の西郷さん。

1枚の画面に双六を彫りこんだ労作は、広島の原爆雲をふりだしに、戦後の出来事のアイコンでコマが進んでいく。

日本各地の観光絵葉書のなかから選んだ山間の道路(スカイラインやらドライブウェイ)の風景ばかりをリアルに描いた連作も味がある。

新作だという1枚は画面上部にピラミッドに包まれたビル群・中央に高速増殖原型炉「もんじゅ」・手前にリニアモーターカー(中央新幹線)が疾走する「Rinkai」(正確なタイトルを失念)。臨海副都心と原子力発電所の「臨界」の融合とはなんたる妄想力!心をワシヅカミである。

もんじゅふげん

私自身、昔福井の原発とか六ヶ所村のリサイクルセンターなんかを物見遊山で見て回った経験があるので風間さんと原発トークで盛り上がってしまった。私が訪れた頃「もんじゅ」はまだ建設中だったが、操業からわずか1年で事故を起こし、巨費を投じながら無用の長物と化して現在に至る。原子炉「ふげん」を見渡すビューポイントでは、思わずダイ・インして記念撮影してしまった。(上の画像はその時のもの)

「このブース、ういてますよね」と風間さんの言うとおり、会場の中で彼女の作品は明らかに「アートフェア東京」のムードから隔たった、ダークでアングラなオーラに包まれていた。コミケの会場の中にポツリと「ガロ」が置いてあるみたいな・・・

風間さんの作品を観た第2会場(東京ビルTOKIAガレリア)では、鎌倉の個展を見逃した伊庭靖子の絵や、加藤泉の大きな木彫りのオブジェが印象に残ったが、広大な第1会場(東京国際フォーラム展示ホール)はさらっと流し見してしまった。秋山祐徳太子がいたなあ。

「風間サチコをこれからもウォッチし続けよう」と、心に決めて会場を後にしたのであった。

※拙ホームページより、「敦賀半島原発地帯」はこちら

昭和残像伝(風間サチコ@無人島プロダクション)の記事はこちら
プロフィール

テツ

「中年とオブジェ」とは赤瀬川原平の名著「少年とオブジェ」へのオマージュである。美術、オブジェ収集、エリック・ドルフィーを愛好する。

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