中年とオブジェ

美術館・街で見かけたオブジェ 旅先で手に入れたオブジェ オブジェの視点で世の中を楽しむ中年の日常。

広島

ふたつの「原爆ドーム」








ヒロシマには、原爆投下の象徴としての原爆ドームが遺された。最近ネットオークションではこのドームのプラモデルキットを使用した自作ジオラマが高値で落札されたりしている。この戦後間もない頃だろう絵葉書にも、原爆ドームの姿を絵画に写しとるという行為が切り取られている。

一方、長崎の爆心地にあった浦上天主堂は撤去され、再建された。長崎原爆資料館を2009年に見学した折に印象に残ったのは長崎に投下された原子爆弾「ファットマン」の原寸大模型であった。現在は塗り替えが行われ、黄色と黒の当時の実物通りの彩色になっているそうだ。


長崎になぜ「原爆ドーム」が遺されなかったのか?興味のある方にはこの本をおすすめする。



本の虫干し『ピカドン』




1945年8月6日 午前8時15分、
広島市民の上に、人類史上初めて、
1発の原子爆弾が落された。
人々はその時の太陽の百倍の閃光を
"ピカッ″と言い、続いておそった
衝撃波を"ドン″と呼んだ。

「ピカドン」木下蓮三・小夜子


はじめて、アニメ「ピカドン」を目にしたのはいつのことだったか。ヒロシマの原爆を思うとき、忘れることのできない印象をあたえた7分ほどの短編アニメーション作品である。作者は木下蓮三と妻、小夜子。手塚治虫が設立した虫プロで活躍したアニメ作家だ。

日本的な柔らかな色調の画面。原爆投下の日の朝の描写が静かに続く。効果音とBGM以外にセリフは一切ない。通勤の路面電車、乳飲み子を抱く母、軍需工場。やがて上空に米軍の爆撃機が現れ、原爆を投下する。

そのあとは凄惨な情景が、カラフルでさえある色調で描かれる。閃光・爆風・灼熱。焼けただれた女子高生、肉が溶け崩れていく母子、川の水を求めさまよう人々。





その後、このアニメを見る機会はなかったのだが、図書館でこの作品が絵本化されていることを知り、後年手に入れることができた。アニメの進行をそのまま巧みに紙面に構成した、フルカラーの絵本である。原爆投下直後の壮絶な画面も再現されている。静止画による「ピカドン」も、オリジナルのアニメに劣らない鮮烈な印象を与えてくれる一冊だ。

アニメ「ピカドン」がDVDなどでソフト化されていないか、広島の平和記念資料館のミュージアムショップで尋ねてみたこともあるのだが、入手することはできなかった。





漫画「はだしのゲン」を有害図書扱いしたり、平和記念資料館の皮膚の焼けただれた再現人形を残虐を理由に撤去要求したり。原爆の惨禍の忘却を加速するような動きを感じるいま、アニメ「ピカドン」やこの絵本のことを、多くに人に知ってもらいたいという思いを抱く。目をそむけたくなるほどに悲惨な被害をヒロシマは体験したのだということを抜きにして、脱色された原爆言説のみが流通するようになってはならないのではないだろうか。






原爆ドームと浦上天主堂







今年の春、広島を旅した折、工事の足場に覆われた原爆ドームを目にした。まるで建設途上の廃墟を見るかのような、異形の姿であった。原爆ドームの崩壊を食い止めるための補修工事を行っているのかなと思ったのだが、これは平成4年度より継続されている「健全度調査」と呼ばれる作業なのだそうである。

第2回保存工事以降、原爆ドームの経年劣化等の状況を把握することを目的に、平成4年度(1992年度)から原則3年毎に健全度調査を実施しています。
 第1回の健全度調査から継続的に実施している項目は以下のとおりです。

目視調査等により、劣化状況等を調査する「外観調査」
沈下の状況を調査する「沈下量測定」
壁体の傾きを調査する「鉛直度調査」
壁体の防水性を調査する「透水試験」 ※第1回健全度調査では実施していません。

広島市 原爆ドームサイトより


チェコ人のヤン・レツルの設計により、大正4年(1915年)4月、広島県物産陳列館として竣工した建物が、原子爆弾の被爆を伝える象徴として残存し世界遺産としても認定される「原爆ドーム」となったわけだが、この世界遺産認定は、あくまでもこの廃墟の現状維持を前提としているそうである。

平泉の中尊寺金色堂がそうであるように、ドームをすっぽり包み込む建造物により保護してしまえば、ドームそのものの経年劣化は緩和されるように思われるのだが、世界遺産からは外れてしまうという問題があるらしい。




長崎では、爆心地近くにあった浦上天主堂の残骸は戦後撤去され、天主堂は再建された。もし天主堂の残骸が遺構として保存されていれば第二の「原爆ドーム」になったかもしれないわけだが、原子爆弾による惨禍を記憶に留めるために目に見える形の遺構の存在することの意義は大きい。

広島の原爆ドームが遺構として存続することを最優先するならば、天蓋や遮蔽構造物などの手段が講じられても良いように思うのだが。最近話題の長崎の軍艦島同様、廃墟を遺産として存続させることは困難な課題である。

緊縛の獅子






採集地 広島(宮島)

Ruin under construction





採集地 広島

『招かれざる客』





採集地 広島(宮島)

丹下健三の広島平和記念公園



広島の原爆死没者慰霊碑のアーチの前に立つと、原爆ドーム慰霊碑平和資料館を結ぶ軸がこの公園の南北をまっすぐに貫いていることがよくわかる。広島の焦土の中に生み出されたこのプランは、戦後の建築史上に残る丹下健三の出発点でもあるわけだが、戦中の彼の幻のプランである「大東亜建設記念造営計画」との共通性も思わずにはいられない。

大東亜建設記念造営計画(昭和17年)

霞たなびく富士山に向かって延びる高速道路、裾野に広がる巨大な霊域。丹下健三は、そのような霊感あふれる提案で、「大東亜建設記念造営計画」のコンペの一席を勝ち取った。(中略)
聖戦の美名のもとに死んでいった忠霊のための霊域がこの計画の中心であった。そして、東京からそこへと延びる日本版アウトバーンに、丹下の都市計画に必ず登場する都市軸の雛形が見て取れる。

松葉一清「幻影の日本」

原爆ドーム富士山。このふたつの「象徴」をめぐる「軸」と「霊域」の関係には、敗戦で幻に終わった巨大造営計画と戦後のスタートである広島の仕事とのあいだの丹下建築の連続性が感じ取られるのだ。

戦前・戦後で世の中のすべてがリセットされ、新しい時代が始まったとは言い切れない。このことの一端を丹下の広島プランも語っているのではないだろうか。

ピロティーの印象的な広島平和記念資料館は、戦後の建築としてはいち早く重要文化財に指定されたが、この建物が建設された当時の広島はまだ原爆の傷跡の生々しい状況であったようで、新藤兼人監督の映画「原爆の子」の中には建設中の資料館の工事風景が記録されている。


汝の隣人を愛せよ





採集地 広島

8月6日 ダークツーリズム





一粒の 向日葵の種まきしのみに 荒野を我の 処女地と呼びき


ひまわりは ひとの作りし 光知り 青白き涙 落としたるらし

原爆ドーム






8月6日。広島に原子爆弾が投下された日から今年で67年。このオブジェはその広島でみやげ物として作られたのであろう。簡素なドーム部分の表現だけでこれが原爆ドームであると分かるのは、それだけ我々の脳裏にこの負の遺産のイメージが鮮烈に刷り込まれていることの証だろう。

今、テレビ等の映像を通して目にしている福島第一原子力発電所の荒廃した姿は、将来にわたってどのようなイメージを我々の意識に植えつけることなるのであろうか。

この一見素朴で温かみのある原爆ドームの置物を眺めていると、私たちはまだ終わることの無い暗い深淵にさらされていることを思い知らされるのである。


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隠微な水栓





採集地 広島 宮島

爆心地の記憶 丸木位里・俊の「原爆の図」

原爆の図

埼玉県東松山市にある原爆の図丸木美術館は、いつかは訪ねたいと思っている美術館なのですが、私の家から程近い横浜の桐蔭学園で、「原爆の図」を見る機会を得ることができました。

「原爆の図」は、夫である丸木位里が、故郷、広島に原爆投下から3日後に帰郷し、あとを追って広島入りした妻とともに体験した、被爆直後の広島の光景をもとに制作されたそうです。

水墨画家である位里と油彩画家である俊の共同作業で、「原爆の図 第1部 幽霊」が発表されるまでには、米軍の検閲などの圧力もあり、彼等の原爆体験から5年の歳月がかかったといいます。

その後、長年にわたり15部作の制作が行われましたが、今回の「原爆の図」の出展作は「第4部 虹」(1951)、「第8部 救出」(1954)、「第11部 母子像」(1959)の3作。その他に位里・俊それぞれの絵画・デッサンと、俊の手がけた絵本や絵本原画が展示されていました。

「原爆の図」の前には発すべき言葉が見つかりません。出展数は少ないですが、丸木夫妻の画業に触れる貴重な体験でした。

以下、丸木夫妻の「原爆の図」という文章からの引用です。

十七歳の娘さんには十七年の生涯があった、三つの子には三年の命があった、と思うようになりました。絵の中にはデッサンも合わせて九百人程の人間像を描きました。たくさん描いたものだと思いました。けれど広島でなくなった人々は二十六万人なのです。広島の人々の冥福を祈り、再び繰り返すな、と描き続けるならば、一生かかっても描きつくすことの出来ない数であったと気がつきました。

桐蔭学園メモリアルアカデミウムHP

Chim↑Pom 展覧会「広島!!」

Chim↑Pom 展覧会「広島!!」

恵比寿のNADiff Galleryで、アーティストグループ、Chim↑Pomの作品を観た。「リアル千羽鶴」は、FRPだろう素材で作った丹頂鶴を多数吊り下げ、周囲を折り紙の鶴が取り囲んだオブジェ。このリアル千羽鶴を大量生産し広島の平和公園地下に設置する施設の、建築プラン模型も展示されている。グッゲンハイムか、安藤忠雄かという感じのモダンデザイン。

そして、映像作品「ヒロシマの空をピカッとさせる」。青空に軽飛行機が白いスモークで「ピカッ」と描いている映像と、原爆ドームを背景に、「ピカッ」の文字が描かれる映像が交互にループされていた。

広島市現代美術館での展示が自粛・中止され、被爆者団体への謝罪にまで問題化されたこの作品の制作の顛末や論考を集めた「なぜ広島の空をピカッとさせてはいけないのか」という本さえ出版された。

今回の展示で作品をダイレクトに観た以上の知見のない私が、容易な発言をすることはできない深い問題提起をはらんだこの「事件」。先日10年ぶりに、広島と同じく被爆地としての歴史を持つ長崎を訪れた時に感じたことを記しておきたい。

長崎では1996年に、被爆資料を展示していた長崎国際文化会館を建て替え、現在の長崎原爆資料館を開館している。爆心地近くの浦上天主堂の被爆再現インスタレーションをはじめ、原子爆弾「ファットマン」の原寸大模型を展示するなど、あまりに視覚に訴えかける最新の博物館展示となっており、その演出の過剰さにはショックを受けた。

隣接する国立長崎原爆死没者追悼平和祈念館も、2003年に新しく建設された施設で、原爆死没者の名簿が納められたガラスタワーを中心に、光る列柱が立ち並んだ追悼空間となっている。その現代建築は無宗教性の要請もあってのデザインなのだろうが、あまりのクールさにどこか違和感を抱かずにはいられなかった。同様のモダンな祈念館は、広島にも存在する。

国立長崎原爆死没者追悼平和祈念館

長崎でこれらの施設から受けた「違和感」は、ひとことで言えば「想像力の欠如」に対する「違和感」なのだろう。いまどきの修学旅行生や子供たちには、ここまで演出されたカタチでしか被爆の歴史を伝えることができないのだろうか。

私が、Chim↑Pomの広島を題材にした作品から受ける違和感は、実はこうした公的な施設に持つ違和感と同質のものなのかもしれない。リアル千羽鶴の永久展示のための施設プランは、現実に行政が建造してきた「祈念館」の陰画なのではないだろうか。

被爆の惨禍をどう伝えるか。アートという迂回路を通してアプローチしたChim↑Pomのカタチにしたものは、「想像力の欠如」という観点で、行政の主導した施設と皮肉にも同質でありはしないか。そんなことを考えた。

6月12日(金)から6月18日(木)の短期間で会期終了する。

※長崎の居酒屋のカウンターで隣り合わせた老夫婦と、現在の原爆資料館の印象をお話ししたところ、被爆後の焼け跡生活の体験のある奥様が「今の資料館は、見せようとしすぎていて、辛いです」とおっしゃるのを聞きました。リアルな被爆体験を持つ世代の方が不在となる時代に向けて、「被爆」をどう伝えていくのか。これからの課題です。
プロフィール

テツ

「中年とオブジェ」とは赤瀬川原平の名著「少年とオブジェ」へのオマージュである。美術、オブジェ収集、エリック・ドルフィーを愛好する。

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