中年とオブジェ

美術館・街で見かけたオブジェ 旅先で手に入れたオブジェ オブジェの視点で世の中を楽しむ中年の日常。

東京国立博物館

特別展 長谷川等伯

長谷川等伯


 ドツテテドツテテ、ドツテテド、
 でんしんばしらのぐんたいは
 はやさせかいにたぐひなし
 ドツテテドツテテ、ドツテテド
 でんしんばしらのぐんたいは
 きりつせかいにならびなし。

「月夜のでんしんばしら」宮沢賢治

東京国立博物館で開催中の「没後400年 特別展 長谷川等伯」。ラストに展示された「松林図屏風」を目にしたとき、なぜか宮沢賢治「月夜のでんしんばしら」と等伯の描いた1本の松の木の姿がオーバーラップした。宮沢賢治は、独特のタッチの水彩画を何点も描いている。童話「月夜のでんしんばしら」の擬人化された電信柱の絵もその1枚。

松林図屏風月夜のでんしんばしら


長谷川等伯は能登の絵仏師として、その画業をスタートしている。熱心な法華経信徒であったという等伯は、精緻な仏画とともに「日蓮聖人像」や多くの祖師たちの肖像画を残している。上洛した等伯が描いた巨大な「仏涅槃図」は、絵仏師等伯のひとつの到達点であろう。平成館の天井高でも収まりきらない、高さ10m・幅6mの大作。仏・人物・動物たちの色彩と形象のカオス。装飾的な雲の曲線美。沙羅双樹の剛直でバーティカルな表現。

賢治は「本郷區菊坂七五番地稲垣方」に下宿し、昼(八時半から五時半まで)は帝大赤門前「本郷六丁目二番地文信社」でガリ版切りをし、夜は国柱会の講演会に出席し、上野公園で街頭演説を行なったりもした。さらに文学を通して法華経を広めるために、童話の創作に熱中する。

「宮沢賢治と東京宇宙」福島泰樹

松林図屏風と月夜のでんしんばしら。法華経への厚い信仰。私の妄想の中で等伯と賢治が不思議な符合をみせた。


以下、印象に残った作品の感想を。

「千利休像」
黒衣の利休、渋い。漫画「へうげもの」の利休を思い出す。

「柳橋水車図屏風」
これはまるで琳派ではないか。グラフィック!

「波濤図」
装飾的な波頭と剛直な岩の描写が同居する均衡にゾクリ。

「竹林七賢図屏風」
この竹の描線はすごい。李禹煥みたい。

「竹林猿猴図屏風」
猿の愛らしさはもちろん、背景のもわーっとしてラフな筆致に注目。

猿猴ぬいぐるみ

猿猴のぬいぐるみ。もちろん連れて帰りました。(出来は悪いけど)

※会期は22日(月)まで。混雑必至。19日(金)からは、連日20時まで夜間開館するそうです。

追記:memeさんからいただいたコメントがきっかけで、等伯と賢治と松林図と月夜のでんしんばしらを結ぶオチが浮かびました。

日曜美術館で杉本博司は
「松林図の松がコンテンポラリー・ダンサーのように見える」
と語っていましたね。

擬人化というのは、自然や動物やモノに
魂を感受する行為ですから
どこか宗教的な感覚につながっているような気がします。

等伯は、松林から魂を贈与されたのではないでしょうか。
賢治にとっての電信柱のように。

皇室の名宝―日本美の華 1期

皇室の名宝1期

東京国立博物館「皇室の名宝」展1期もまもなく終了。若冲の動植綵絵にヒートアップした前半戦であったが、まずは「第1章 近世絵画の名品」についてつぶやいてみる。

●20年近く前、古書店で手に入れた1971年東博での「若冲特別展観」の図録。手に入れた当時は、とにかくカラー図版の「群鶏図」などニワトリに惹かれた。「動植綵絵」の存在自体、図録に載っていたのに見過ごして記憶の彼方へ。

●最近、1971年の図録を本棚から発見。「会場の都合で、動植綵絵三十幅は、会期を前後二期に分け、概ね十五幅ずつ展示する。」という記載があった。釈迦三尊像三幅も出展!

●釈迦三尊を中心に左右に30幅が対になった相国寺で観た展示では、「仏画」としての印象が強く全体と細部の織り成すコスモロジーに感動した。そのときの感想はこちら

●今回は類似した画題を並べて眺めてみて、「絵画」として見比べた感じ。

●唐獅子図屏風は京博で観たときのほうがでかく感じた。6曲1双だったせいか。

●北斎、西瓜がこんなになまめかしいなんて。

●動植綵絵のあとに観ると、抱一の花鳥十二ヶ月図がいわさきちひろのように淡く見えた。

若冲図録19711971年の図録の表紙はこれなのである。







「第2章 近代の宮殿装飾と帝室技芸員」の人形や置物、工芸品の数々は、「皇室の審美眼」がいかなるものなのか、そんなことを思わせた。

赤瀬川原平・山下裕二・南伸坊の三人は「日本美術観光団」の中で、宮内庁三の丸尚蔵館の「近代日本の置物と彫刻と人形と」という展示を見てこんな鼎談をしている。



赤瀬川 見る前は、美術館で置物っていうのが不思議な感じがしてたんだけど。
山下 それこそ狙い通り(笑)。展示室に入る前に、主任研究官の大熊敏之さんにそのへんのことを伺いましたよね。アカデミックな美術史研究ではこれまで対象にしなかったような所蔵品がたくさんあって・・・。
赤瀬川 大熊さんも最初は戸惑ったけど、やがてモノに教えられて新しい地平が見えてきたと、あの話は面白かった。
 そう、モノなんだよね。彫刻は芸術で置物は芸術じゃない(笑)。芸術の人はオキモノなんていわないもんな(笑)。置物ってモノなんだよね。置物おもしろいよ、モノとしておもしろいし、すごい。
山下 「すごい」の価値基準の物差しに、「作るのがたいへん」っていうのがまずあるでしょう。ここにあるものはその極致。

三人はこの時、「蘭陵王置物」や、「官女置物」なんかを目にしている。「蘭陵王置物」はお面が外せて、下にまた顔があるなどと盛り上がったり。

作るのがたいへんなモノに実体(手ごたえ)のある価値を見出し、作家の創造力とか個性とか、近代的な主観が入り込む余地のない「美」。それが「皇室の名宝」の価値基準なのかもしれない。

上流階級の子女と、隅田川の水上生活者を描いた鏑木清方の「讃春」がこうした置物と並んでいるさまは、大らかなようでもあり、その審美眼についていけない感もあり。

日本美術観光団
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阿修羅展に急げ!

阿修羅

3月31日からはじまった東京国立博物館国宝阿修羅展。開幕2日目に行ってきた。東博の仏像展示の演出は、やはりお寺で拝観するのとは別次元の魅力がある。昨年の薬師寺展で、見慣れたはずの日光・月光菩薩の凄さを再発見する体験をしたのだが、今回も期待は裏切られなかった。そもそも興福寺で阿修羅が常設されている国宝館では、ガラスケースの中に、雑然と窮屈に横並びした八部衆の展示しか見られない。(8体全員そろうのも特別公開時だと思う)

ところがなんと今回の「阿修羅展」では、ゆったりした空間でガラスケースなしで、見事にライトアップされたお姿を拝めるのだ。阿修羅を除く八部衆(7体)と釈迦十大弟子(現存する6体)が、一体一体、360度見られるように配置された贅沢な展示室のあと、スロープを上がっていくと阿修羅の姿が見下ろせる展望スペースに至る。阿修羅のソロステージはさすがに観客が集中していて、展望スペースから阿修羅の間近に迫ると、時計回りでぐるぐる回るように係員から指示された。はじめて見る阿修羅の裏側。写真では知っていたが、なんだか不気味な造形であった。人々が阿修羅のまわりをぐるぐるジリジリ回転する様は、まるで何かの宗教儀式のようだ。ネパールで大きなストゥーパ(仏舎利塔)の周囲を、マニ車をまわしながらぐるぐる回っていた参拝者たちの姿が頭に浮かぶ。阿修羅から少し離れればじっくり見つめ続けていられ、展望スペースからじっと眺める人の姿も多い。この日はそんな混雑状況だった。とにかくトップスター阿修羅だけでなく、八部衆や十大弟子まで、オールスターがここまでショウアップされたのは空前の出来事であろう。

迦楼羅沙羯羅

仏像には如来・菩薩・明王・天などの位がある。「天」というのは、古代インドの神が仏教に帰依したとされる仏たちのことで、四天王・十二神将や阿修羅たち八部衆などがいる。名前が「天」とか「羅」などで終わるのだが、「羅」にはゴジラやモスラなどの怪獣たちを連想させる響きがある。映画宝島「怪獣学・入門!」の中で、呉智英が「怪獣の名前には、なぜ『ラ行音』が多いか?」という論考をしているのだが、八部衆の「羅」にも通じる説なので別エントリーで紹介しようと思う。

海洋堂が手がけた興福寺公認の阿修羅フィギュアは、会場でしか入手できないのだが、品切れ状態で予約してきた。(送料を負担して発送してもらうシステム)まもなく初期生産分が販売終了になるという。ひとり1体限定。八部衆が全員集合しているのは今のうちだけ。逆毛だった鳩槃荼(くばんだ)と、あご髭をたくわえた畢婆迦羅(ひばから)は4月19日(日)までの展示。十大弟子も1体減ってしまう。

フィギュアはなくなるし、メンバーは減るし、会場の混雑は増して行くだろうし、ただただ「阿修羅展に急げ!」

※2年前興福寺で阿修羅を見たときの感想を過去ログから引用

興福寺で、この秋の特別公開ラッシュにめぐり合わせた。国宝館では阿修羅を含む八部衆八体が一堂にそろう特別展示。横一列に並んだ等身大の八部衆にため息が出る。漆と布を使った脱活乾漆造の造形は、どこかやさしくプリミティブだ。塑像の写実性とは異なった魅力がある。当初の極彩色の仕上げはほとんど痕跡をとどめず、破損した部分も多い八部衆だが、古い仏像の美しさには廃墟の持つ美に通じるものがあると感じる。本来の輝きを失い、崩壊し、雑草が生い茂り自然と融合した廃墟が美しいように、古色の加わった仏像には、時の流れだけが与える滅びの美が備わっている。

阿修羅の正面の顔が、若いときの貴乃花関に似ているという人がいるけれど、私には夏目雅子に見えるんだなあ。八部衆は、少年のような、中性的な、不思議なみずみずしさをたたえている

阿修羅ピンバッジ■おまけ情報 みうらじゅんが会長の阿修羅ファンクラブ。私も入会したが、特典でもらったのがこの阿修羅ピンバッジ。とても小さくて、なんだか虫みたいである。音声ガイドは黒木瞳なのだが、ファンクラブ会員になると知ることのできるシークレット・トラックが含まれている。みうらじゅん&いとうせいこうの解説トークを聴きながら阿修羅を観ると、自分も見仏記のメンバーに加わった気分。鳥頭の迦楼羅(カルラ)を「ガルーダだよ。ガルーダ航空だよ」とか、「日本人は十大弟子の名前、全部覚えるべきだ。でもスカパラのメンバーは名前全部は覚えられない」とか、なかなかいいガイドです。

スリランカ展 魅惑の仏像

カーライッカール・アッマイヤール坐像観音菩薩坐像シヴァ・ナタラージャ像













東京国立博物館表慶館で、スリランカ―輝く島の美に出会う」展を観た。チラシの金ピカの観音さまを目にしたときから出かけようと心は決まっていた。展示内容は「スリランカ仏像展」といっていいくらいに仏像・神像が数多く、大いに満足した。

腰をくねらせ膝を立てた観音菩薩坐像(中央)のなまめかしさは、観心寺の如意輪観音を思わせる。金ピカでも気品を失わない、優品だった。

シヴァ神(右)は、かなりの大きさだが破綻無く均衡がとれ、ダイナミックな造形が見事。

老婆の姿をしたカーライッカール・アッマイヤール坐像(左)は、乱れた髪・細い手足・垂れ下がった乳房など、ユーモラスで個性的。

その他、1体の像の表裏に背中合わせに男神と女神があらわされたカーマとラティ立像は、大変面白い作例だと思うが、造形的にも優れていた。

スリランカ美術の本格的な展覧会は今回が初めてだそうだが、上座部仏教(小乗仏教)の中心地であっただけに仏像の作例も充実し、ヒンドゥーの神々も多彩で楽しい。仏像好きな私には期待以上の、ブツ尽くしの展覧会であった。

対決 巨匠たちの日本美術

群仙図屏風1群仙図屏風2









この夏話題の展覧会、東京国立博物館「対決 巨匠たちの日本美術」が終わった。私は開幕直後の金曜の夜間開館と風神雷神登場の8月11日(月曜日の特別開館)の2回出かけたのだが、8月11日は行列や入場制限こそ無いもののかなりの混雑だった。

「対決」という趣向で展示を構成する企画はなかなか面白く、ただでさえ強力な出品作品にさらに観る楽しさを加えていた。

私が最注目したのは「若冲VS蕭白」。実物をはじめて目にした、曽我蕭白の「群仙図屏風」の鬼気迫る画面には圧倒された。荒唐無稽なとんでもない奇想を、仙人をカラーとモノクロで描きわけたり、なぜか登場するセンザンコウさえ克明に描写するなど、確かな計算と技術で形にする蕭白の力業はお見事。

対する若冲は、達意の鶏とサボテンという不思議な取り合わせの「仙人掌群鶏図襖」。サボテンの奇妙なフォルムや微妙な彩色が、どこかシュールな感覚を与える。

後期展示で登場した若冲の「旭日鳳凰図」は、細密で絢爛な美しさに魅了された。

そのほか印象に強く残ったのは
「宗達VS光琳」の風神雷神図屏風。これは以前出光美術館でじっくり鑑賞したことがあるが、やはりこのポップとさえいえるキャラクターは、観る者の心をとらえる。宗達の「蔦の細道図屏風」のグラフィックでシンプルな美にも惹かれた。

「応挙VS芦雪」の虎対決も面白かった。襖からはみ出しそうな勢いの芦雪の虎のパワーに驚いた。

雪村の「金山寺図屏風」の入り組んだ複雑な造形はまるでエッシャーか山口晃か。

富岡鉄斎も、前期・後期とも色彩感に満ち迫力のある屏風絵を楽しむことができた。
仙人掌群鶏図襖

















曽我蕭白や伊藤若冲が日本美術の「巨匠」に列せられるとは、時代のなせる業であろうか。実際、展示作品の発するパワーも、彼らこそが私にとってはハイライトであった。日本美術オールスター戦、MVPはやっぱり曽我蕭白かなあ。

薬師寺展

月光菩薩日光菩薩

















見慣れたものも、それを取り巻く環境が変わると大きく印象が異なることがある。そんなことを薬師寺展を観て再認識した。

東京国立博物館で開催中の薬師寺展には、始まってすぐの3月に出かけた。奈良の薬師寺で何度も目にしている日光・月光(がっこう)菩薩聖観音を東京で観られるなら行ってみるかという程度のモチベーションだった。白鳳期の傑作であるこれらの仏像は、天平彫刻を愛する私にとってはそれほどの「重さ」はない。何度か観た経験からは、有名な日光・月光菩薩より、清楚な聖観音のほうが好みだなという印象を持っていた。

ところが、東京国立博物館の展示室の中で、見事なライティングに照らし出された日光・月光菩薩を観て、記憶の中にあった私の印象はたちまち吹き飛んだ。 「こんなにでかかったのか!」身の丈3メートルの両立像は、もの凄い迫力だ。しかも、展示室の空間構成の工夫によって、高い位置から眺めることも、足元から見上げることもできる。普段は光背に隠されている背中が見られることも貴重な体験だ。

日光・月光の大きさとともに、インド的な肉感に満ちた官能美にも魅了された。なまめかしくひねった腰のライン、肉付きの良い二の腕。気品ある顔立ちの美しさも素晴らしい。真横から観た時の表情の完璧な造形にしばし見入った。

聖観音お気に入りだった聖観音は、左右対称の禁欲的な静謐なフォルムが魅力だが、この日の私は、グラマラスな日光・月光菩薩のトリコになってしまった。

吉祥天像などの名品も展示されているが、この展覧会の白眉はなんといっても日光・月光。東大寺三月堂の日光・月光菩薩が、この菩薩像の最高峰と感じていた私の認識を改めさせるインパクトがあった。

薬師寺展公式サイト

仏像 一木にこめられた祈り

向源寺十一面観音菩薩立像今年最も期待していた企画展「仏像 一木にこめられた祈り」展を前期・後期とも見た。東京国立博物館では多くの仏像の展示を見てきたが、今回のような仏像のみの展覧会というのは、マトゥラー・ガンダーラの仏像展以来の企画ではないだろうか。私自身は天平彫刻と鎌倉の慶派の仏像が一番好みで、金銅、塑造、乾漆造、寄木造などのリアルで整った造形に惹かれるのだが、今回の一木彫の仏像にこだわった企画は新鮮で、仏像の新たな魅力に出会った気がする。

仏像の原点のひとつ、白檀の木から彫り出された壇像の精緻な美しさ、奈良・平安期の一木彫の量感に満ちた姿、東北・関東に多く見られるというノミ目の荒々しい鉈彫の素朴な表現、そして江戸時代の2人の仏師、円空と木喰の個性的な世界。一木彫の仏像だけでこれだけ多様な表現がなされたというのは、やはり日本の文化における木のもつ重要性・神聖性の表れなのだろう。

以下、特に印象に残った仏像について

宝誌和尚立像
裂けた顔面からのぞく、もうひとつの顔面。高僧の顔面が裂けて十一面観音の姿が現れた故事に由来する仏像だというが、その異形に驚いた。今回の音声ガイドは市原悦子のナレーションだったのだが「これはなんとしたことでしょう」というガイドのフレーズに納得。肩の辺りが異様に窮屈な造りなのは、元になった木材の形によるのだろう。一木彫にこだわって作られた仏像であることがわかる。

菩薩半跏像(伝如意輪観音)
前期展示のハイライトだった仏像。端正で美しい顔立ち、衣文のリズミカルな動き、半跏のポーズの均衡など、明らかに他の仏像を超えたオーラを放っていた。硬質でエッジの効いた彫りの技の冴えを感じさせる仏像だった。

十一面観音菩薩立像善女龍王立像善財童子立像(円空)
正直なところ円空仏というのは安直なプリミティブ嗜好のように思え好きではなかったのだが、一木から彫りだされたというこの3体の仏像を見てその力強い造形に圧倒された。まるでトーテムポールのような、生命力に満ちた存在感。

子安観音菩薩坐像(木喰)
自然木をそのままの姿で彫ったという立木仏。写実的なリアルさを追求した仏像彫刻の流れとは全く違った方向に、信仰のリアルさこそを求めた仏像がありえるのだということを感じさせた。

向源寺十一面観音菩薩立像
今回の仏像展最高とされる仏像は、期待を超えた素晴らしさだった。
後期展示の始まる前、新聞広告でこのコピーを見たときには笑った。
「白州正子、井上靖、土門拳、みうらじゅんが愛した国宝・十一面観音菩薩 11月7日より登場」

十一面という現実には異形としかいいようのない存在を、これほど見事な均衡で表現するとは、仏像の不思議を感じずにはいられない。技法的にも、一木彫で生み出せる造形のひとつの頂点といってよいだろう。ひとつひとつの顔という細部(後頭部の暴悪大笑面!)と身体全体の美しいバランス。この仏像を見るだけでも、この展覧会にいく価値があるとさえ思わせた。

仏像好きならもちろん、仏像を普段意識しない人でも、その魅力を感じとれる充実した展覧会だと思う。日本各地からこれだけの仏像を集めた企画力に、東博の底力を見た。

ところで、この向源寺十一面観音菩薩立像はカルトな人気を誇るある日本映画に登場している。いささか蛇足だが紹介しよう。続きを読む

よみがえった表慶館

表慶館ドーム表慶館階段表慶館






去年から改修工事の足場で覆われていた、東京国立博物館の表慶館。改修工事が終わり内部の一般公開が行われている。片山東熊が設計し、1908年(明治41年)に竣工し、重要文化財にも指定されている建築だ。随分昔には考古学資料の展示室に使われていて、展示品と洋風建築の対比が面白かった記憶がある。

今回の改修では屋根の大修理・展示室の壁面の塗り替えが行われたという。改修したての屋根は塗料の色が青々としているが、じきに緑青の落ち着いた色合いになるのだという。

久しぶりに入った内部は、やはりメインのドーム内部の意匠が見事。重厚で華やぎがある。階段室は壁面が塗り変わったせいか、とても明るく洒落た印象。

玄関の左右のライオンが阿吽(あうん)の顔をしていたり、中央のドーム両側に巨大な香炉型オブジェがあったり、細部を観察しても楽しめる深みのある建築だ。

庭園開放秋の庭園開放も行われていて、東京国立博物館のいつもは観られない風情を楽しめた。

夜の東博 光彩時空

光彩時空独立行政法人となってから東京国立博物館のイベントはなかなか力が入っている。4月には天台宗の僧侶による声明の公演が本館前であったし、仏像展ではみうらじゅんといとうせいこうのトークショーが企画された。

そして10月31日から11月5日に行われたのが、ライトアップと邦楽ライブのイベント、「光彩時空」。東京タワーやベイブリッジのライトアップを手がけた照明デザイナー石井幹子のプロデュース。初日に行ってみたのだが、何しろ予想を超えた極彩色の光りの演出だった。

本館、東洋館、平成館、改修したての表慶館、法隆寺宝物館の4つの建物と博物館の敷地がライトアップされ、4つの会場で次々に邦楽の演奏が行われた。演奏は会場ごとに異なる編成で、尺八だけの合奏、十数人の箏とティンパニー、笛と鼓など変化にとんで飽きさせない。

普段見慣れた東博がまさに異空間に生まれ変わったようで、幻想的な光景だった。照明に彩られた木々はまるで紅葉したかのような輝き。本館の大壁面に映し出される収蔵品の数々のスライドショーも面白かったが、水面に美しく反射する法隆寺宝物館のライトアップがとりわけ美しかった。

ハーブ入りのホットワインとピザの屋台も出ていて、洒落たお祭気分。法隆寺宝物館のお気に入りの休憩コーナーで、コルビュジェのソファに身体をゆだね、窓からの鮮やかな夜景にしばし心を奪われた。これは是非恒例にして欲しい素敵なイベントだ。

本館本館スライドショー表慶館






法隆寺宝物館邦楽ライブ法隆寺宝物館ソファコーナー

法隆寺宝物館のレストラン

オークラガーデンテラスランチプレート上野に行くといつも昼飯は芸大の学食か、カフェの谷中ボッサで済ませるのだが、今日は法隆寺宝物館の中にあるホテルオークラ・ガーデンテラスでランチ・プレートを食べてみた。谷口吉生設計の宝物館の付属施設だけに、大きなガラス窓からの日差しが明るくモダンな雰囲気。2500円のランチはオードブルとメイン2品、サラダが大きなプレートに盛られて出てくる。パンとコーヒー付き。このレストラン、カレーだけでも1000円位するので、このランチは内容のわりにリーズナブルだ。この日はタコのマリネ・スズキのポワレ・牛ヒレステーキ(フォワグラ風ペースト添え)に水菜のサラダ。あと500円出すとスープとシャーベットも付くのだが、ここはビールを選ぶ。料理のソースが旨くて、パンでさらってきれいに食べつくした。

このレストランも宝物館のオープン当初は博物館の外れにあって穴場だったのだが、今ではすっかり人気のようで、昼時は平日でも行列ができていた。このレストラン、博物館の観覧料を払わずに、施設利用だけの入場も可能なのだ。

この日は「仏像 一木にこめられた祈り」展の前期を見たのだが、感想は後期も見たあとでまとめて書こう。

夕方からのライトアップイベント「光彩時空」までの時間でダリ回顧展を見に行った。
プロフィール

テツ

「中年とオブジェ」とは赤瀬川原平の名著「少年とオブジェ」へのオマージュである。美術、オブジェ収集、エリック・ドルフィーを愛好する。

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