中年とオブジェ

美術館・街で見かけたオブジェ 旅先で手に入れたオブジェ オブジェの視点で世の中を楽しむ中年の日常。

東京国立近代美術館

火花





採集地 東京(東京国立近代美術館)

『戦場のメリークリスマス』









採集地 東京(東京国立近代美術館)

ジャクソン・ポロック展



東京国立近代美術館ジャクソン・ポロック展を観た。

ポロック展を観にいく前、こんな事を思っていた。一般に絵画は何かを縮小もしくは拡大して画面に描いている。広大な風景を小さな画面に収めたり、微細なものを大画面に表現したり。ポロックの絵画はそうした「縮尺」から自由で、画面がどんなサイズであれそこには絵の具の痕跡そのものが顕在しているのではないだろうかと。

そんな仮説を勝手に抱いて接したポロック展の出品作品には、やはり縮尺の存在は感じ取られたのだった。彼の絵の具の垂らし方は確かに自在だが、そこには画面サイズに合わせ最適化を為そうとするコントロールが働いている。小さい作品はそれなりに細やか。「インディアンレッドの地の壁画」クラスの大作になると、ようやく縮小された感覚は無くなり、ポロックの身体性がダイレクトに画面に定着されている。

モダンジャズが、フリージャズへと即興演奏のスタイルを先鋭化させていくとき、演奏時間の延長がひとつの方法となった。(マイルス・デイヴィスにおいても)

ポロックの絵画は、よく制御された即興演奏になぞらえることが出来るだろう。しかし絵画には画面の大きさというリミットがある。ならば、画面をより大きくしていけば彼の表現は音楽の長時間化のようにその可能性を拡大していったのだろうか?

絵画の画面の有限性という捉え方は一面的かもしれないとも思う。優れた絵画はそこに時間も空間も内包しているし、一瞥のもとにインパクトを与えるその力は、音楽が持ちうる衝迫力とはまた別のものだ。


1950年、ポーリングの技法でインスピレーションのピークに達したポロックは、その後やや具象的なモチーフに回帰して黒一色による表現を模索し、突然の自動車事故死に至る。

ジャズの革新者オーネット・コールマンのアルバム「Free Jazz」(1961)のジャッケットにポロックの作品が使われていることは、モダンアートとJAZZという20世紀の文化をアメリカが発信したことの象徴のように感じられるのだ。

Free Jazz
Free Jazz
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生誕100年 岡本太郎展

岡本太郎展
岡本太郎展
岡本太郎展
岡本太郎展

東京国立近代美術館の「岡本太郎展」を観てきた。パリ時代・縄文土器の発見・久高島の御嶽(うたき)・太陽の塔・顔のグラスなどなど太郎をめぐるキーワード辞典のような展覧会。これらの中から気になるものが見つかったら、是非太郎各論へと入り込んでいくとよいだろう。この展覧会ひとつで岡本太郎を片付けてしまうことなかれ!
岡本太郎が死んだことを嘆いたって、はじまらない。今さら死んでしまったことを嘆いたり、それをみんなが嘆かないってことをまた嘆いたりするよりも、もっと緊急で、本質的な問題があるはずだ。

自分が岡本太郎になればよいのだ。

「岡本太郎宣言」山下裕二(1999年)


展覧会では、ごく短く編集されたタモリの「今夜は最高」出演時の映像が流れていたが、こんな動画を見つけた。なにか人々には見えないものと常に闘い続けた太郎の、悲壮な哀感が伝わってならない。



※展覧会場最後にひとつ持ち帰れる「おみくじ」はこんなのが出た。

下手なら、
むしろ下手こそ
いいじゃないか。


岡本太郎宣言
岡本太郎宣言
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「日本画」の前衛 1938−1949

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東京国立近代美術館で鑑賞した「日本画」の前衛 1938−1949
1938年4月に結成された歴程美術協会に集った日本画家は、バウハウスの造形理論・抽象・シュルレアリスムを日本画にとりこみ、日本画の表現の革新に取り組んだ。戦争を経て戦後、歴程の運動を継承する「パンリアル」結成に至るまでの時代の作品で構成されたこの展覧会。激動する歴史の中で画家たちが芸術運動にこめた想いの深さが伝わってきた。

私がこの展覧会のキーポイントと感じたのは以下の3点。

① 一般に知られざる画家の作品を巧みに構成し、戦前から戦後にかけての日本画の先鋭的運動の軌跡にスポットをあてたこと。

カンディンスキーを髣髴とさせる山岡良文。建築家も志していたという彼の袋戸棚の作例はバウハウスの精神そのものだ。船田玉樹の大胆さ、山崎隆の重厚さも印象に残る。山崎の断崖に白い近代建築を描いた「歴史」の荘厳さには圧倒された。

歴程美術協会展に出品された作品を、現存するものはほぼ全て集めたという展示には企画者の熱情を感じる。未公開作品が多く展示されたのも、この展覧会の功績だ。

② 日本画と洋画の「前衛」がボーダーレスに交わり、技法の差異を超えた時代表現をなしえていたこと。

北脇昇・オノサトトシノブ・靉光ら同時代の洋画家が歴程の展示に触発され、創作の源泉ともしていたことが歴程の日本画家たちの作品と並置されることで明らかになる。近年、日本画を出自とする画家による現代美術へのアプローチが話題となっているが、歴史的には決して新たなる事象ではないのだな。

③ 「戦争画」を戦前・戦中・戦後の連続した美術史の文脈の中に位置づけたこと。

吉岡堅二「ブラカンマティ要塞の爆撃」や福田豊四郎「英領ボルネオを衝く」などのいわゆる「戦争画」が、彼らの他の時代の作品との流れの中に位置づけられて提示されていることは、この展覧会の注目すべき点ではないだろうか。彼らの作風の延長線上に「戦争画」もあり、絵画としての革新も放棄はしていないこと。「戦争画」は分断された過去にすぎないのではない。

山崎隆の「戦地の印象」の連作には、日本が相手にした「大陸」という怪物の姿無き強大さにのしかかられるような重さがある。


「日本画」好きな人にも「前衛」好きな人にも、正体が不明な鵺のようなタイトルの展覧会だが、その実体は日本美術史の激動期をレアな作品の数々で検証した確かな手ごたえの企画展であった。

「原爆の図」以前の丸木位里が、日本画家としてどんな表現をしていたのか。後の「原爆の図」にどうその精神・技法が生かされていくことになるのか。出品数の多い丸木を軸にして愉しむことができたのも私には収獲だった。

※東京国立近代美術館では2月13日(日)まで。会期あとわずか。
2月22日(火)より広島県立美術館へ巡回。

ウィリアム・ケントリッジ―歩きながら歴史を考える

ケントリッジ


東京国立近代美術館で開催中の「ウィリアム・ケントリッジ−歩きながら歴史を考えるそしてドローイングは動き始めた・・・・・」。2月5日(金)の担当学芸員によるギャラリー・トークにあわせ、どっぷり浸かってきた。

トークの内容で興味深かったキーワードは「ノイズ」。私なりにまとめてみると、木炭やパステルのドローイングを、部分的に消しては描き変え、映画用のカメラで1コマずつ撮影して制作されるケントリッジのアニメーションには、前に描かれた描線がときに残像として消去されないまま「ノイズ」として画面に痕跡を残している。この「ノイズ」が作品に深い奥行きを与えることになるわけだが、アニメーションとは本来残像の連なりによる錯視を利用した視覚のトリックである。一般には動きの自然で滑らかなアニメが、技術的に高度なものと捉えられるだろうが、「いかに残像を可視化するか」という「ノイズ」までをも自覚的にコントロールしているであろうケントリッジの方法論は、より深い次元で非常に「高度」なのである。「ノイズ」という見方の指摘。この日のトークの重要点と感じた。

無類の映画マニアであった武満徹に「夢の引用」という映画についての随想があるように、ケントリッジの映像は夢との親和性の高い「映画」でもある。ユングの「影」ないしは「二重身」であるかのような登場人物の構造、無意識を象徴する水の表現、多義的で変容し続けるイメージの連鎖。とりわけ私が惹かれたのは、黒い電話機が黒猫に形を変えていくようなメタモルフォーゼの魅力だ。

ぼくは“変身もの”が大好きです。
なぜ好きかというと、ぼくは、つねに動いているものが好きなのです。物体は、動くと形が変わります。いつまでも、静かだったり、止まっているものを見ると、ぼくは、イライラしてきます。動いて、どんどん形が変わっていくと、ああ生きているんだな、とぼくは認め、安心するのです。
ぼくはちいさいころ、よく、こんな夢を見ました。なんだかわからないグニャグニャしたものが、ぼくのペットなのです。ぼくは、そのペットを連れて町を歩いています。そのグニャグニャしたものは、人間のようになったり、ウサギや犬や鳥になったり、奇妙な怪物に変わったりします。ぼくはそれを、すごくかわいがって友だちのように仲よくしているのです。
ぼくは、アニメーションにこり出したのもアニメだと、この変身―メタモルフォーシスが自由に、奔放にできるから夢中になってしまったのでしょう。

手塚治虫漫画全集「メタモルフォーゼ」あとがき

手塚治虫には一連の実験アニメーションの仕事もあるが、ディズニー映画のようなフルアニメーションの流麗な動きの美しさが、手塚が素朴に愛したアニメーションの魔力なのだろう。

ケントリッジのアニメーションは、そうした本流のアニメーションとは次元の異なる表現であり、多くのノイズをはらんでいる。しかし、メタモルフォーゼというアニメの面白さの本質により我々の心をひきつける意味においては、やはりアニメの原初的な魔力を体現しているのである。

アニメーションの原理の考察を深めるケントリッジの仕事は、ステレオスコープ(立体鏡)による3Dや、円筒形の鏡像によるアナモルフォーシス(歪像)などの旧時代の視覚装置をも表現に取り入れていく。アニメも映画も残像を利用した錯視の技術であるし、こうした18、19世紀の光学装置にも及ぶケントリッジの関心は、人間の視覚機能自体への深い洞察のあらわれなのだ。

南アフリカの歴史への言及という政治的なメッセージ性で捉えていたケントリッジへの認識を新たにし、彼の最新作までの仕事を俯瞰する展覧会であった。

「ウィリアム・ケントリッジ―歩きながら歴史を考える」という展覧会タイトルの「歩きながら」は、壁に貼ったドローイングとそれを撮影するカメラの間を果てしなく往復運動し続けるケントリッジの制作の身体性を意味し、映像とドローイングからなるケントリッジ世界を往還する私たち観客の「歩きながら」でもあるのだろう。

※youtubeで見られる動画のご紹介や、会場のシステムについてのご説明なども盛り込んだ、memeさん、はろるどさんのエントリが参考になります。

memeさん「あるYoginiの日常

はろるどさん「はろるど・わーど

ゴーギャン展 東京国立近代美術館

我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか

東京国立近代美術館ゴーギャン展を観た。出展数は50点ほどと小規模。日本初公開の大作「我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか」が、展覧会のハイライトとして広いスペースに展示されている。この魅惑的なタイトルが、絵を読み解こうとする欲求を誘惑してやまないのだが、私が観て感じたのは、「なんと沈鬱で、重い色彩なのだろう」ということ。

「我々は〜」に限らず、ゴーギャンの色彩はブルターニュやアルルで描かれた作品のほうが明るくやわらかい光に満ちていて、「楽園」タヒチで描かれた作品はむしろ重くどんよりしている。

洗濯する女たち、アルル

この一見「南の楽園に野性の美を求めた」という伝説とは矛盾するような印象はなぜなのか?病や貧しさ、タヒチでの仕事が認められない苦悩、自殺未遂にまで追い込まれたゴーギャンの苦境が、決して「楽園」ではなかったから、その絵にも沈鬱な色彩が反映されたと解釈するのは一面的な気がする。

私が思うのは、南洋の島には明るく晴れ上がった空と青い海があるばかりなのではなく、どんより曇った重苦しい空気もあるということまでゴーギャンが身体で感じていたのではないだろうかということ。

沖縄の離島(粟国島)を舞台にした「ナヴィの恋」という映画がある。全編島でロケをしたこの映画に、友人の「おーい粗茶」君がこんなコメントをしている。

沖縄の曇り空の美しさ。
さすが地元で腰を据えて撮っているだけあって、いろいろな時間帯の空の色の美しさを見せてくれる。青い海、青い空よりも灰色のそれらが素敵だった。

CinemaScape−映画批評空間−

ゴーギャンはタヒチの自然の美しさを深く見据えていたからこそ、表層的な明るい色彩にとらわれることなく、熱帯の空気感の本質を沈鬱に表現したのではないだろうか。タヒチには行ったこともなく、沖縄の離島しか知らない私の仮説だけれど。

靉光展 

靉光展編み物をする女











生誕100年になるという画家、靉光(あいみつ)の回顧展を東京国立近代美術館で観た。この美術館の常設展でいつも眼にする「眼のある風景」「自画像」ぐらいしか印象にない画家だったが、今回その画業を振り返る展覧会を目にし多くの発見と悦びが得られた。

1907年に生まれ1946年に敗戦後の上海で戦病死するまでの短い38年の人生。出身が広島ということもあり、原爆の被災で残された作品はとても少ないという。それでもその画業の軌跡を追うと、絵に魂を奪われた男の肖像が浮かんでくる。

わずか10歳の時に描いた父の肖像には、早熟で完成された才能がすでに表れている。デザインの仕事をしていた時期の作品は、モダンでイラストレーションのようで時代を超えた魅力がある。妻石村キヱをモデルにした「編み物をする女」は蝋を使った独特の技法による色調・質感とデザイン・センスが個性的だ。

名高い「眼のある風景」は上野動物園に通い、ライオンをモチーフに制作を繰り返した中から生まれた作品だそうで、単なるシュールレアリズムと語ることができない深みを持っていると知った。墨や鉛筆で描いた細密な作品の数々も、はじめて知る靉光の独特の世界だった。シュールな「二重像」や花や植物を描いた日本画を思わせる作品群に驚いた。

油彩画は全般に重く暗い画面に、幻想を帯びた静物が多く描かれる。119点の絵画作品のうちその大半は昭和16年から18年に描かれたもの。いずれ戦地に徴用され死ぬことを覚悟したゆえに、これほどまでに制作に没頭したのであろう。

展示室最後には3枚の自画像。あごを上に向け、遠くに視線を投げやる同様の構図の3枚からは、靉光の精神の強靭さと彼の人生の終末のはかなさが伝わってくる。

家族に宛てた書簡・葉書も展示され、やや神経質な感じの力強い筆跡が印象的だった。戦地から妻に宛てた葉書には「子どもたちをよろしく頼む」と繰り返し書き綴られていた。戦地で妻子に再会することなく死んでいくことは本当に無念だっただろう。

たしかに地味ではあるけれど、ひとりの画家の人生に深く向き合うことのできる優れた企画展だった。

※蛇足だけれど、私が高校生の頃、国立近代美術館に鉄パイプを隠し持った画家志望の男が入り込み、展示作品を破損するという事件があった。新聞の報道では梅原龍三郎と靉光の作品が被害にあったことを記憶している。そのことが高校の美術教師と話題になり「梅原はまあいいけど、靉光を傷つけるとは許せんなあ」と彼が語っていたのが今も印象に残っている。

国立近代美術館のレストラン

クイーンアリス・アクアイベリコ豚舌のリエット仔羊のグリル バジリコ風






竹橋の国立近代美術館に「靉光展」を観に行った。いつも行列している併設レストラン「クイーンアリス・アクア」ではじめてランチを食べた。皇居のお堀端に面したオープンテラス席は、美しい眺めだ。その日は桜の花も楽しむことができた。

アクア(H2O)の名の通り、ミネラル・ウォーターは無料サービス。好きな1品料理に、スープ・パン・ミニデザートのセットを付ける。前菜も頼んでみた。グラスワインの赤を飲み、食事開始。前菜の前にいきなりグリーンピースの冷製スープが出てしまった。前菜はイベリコ豚舌のリエット。レバーペーストにも似ているが、タンの粒々の食感が楽しめワインに合う。メインの仔羊のグリル・バジリコ風は醤油もソースに使われており、ラムの旨味を引き立てている。デザートのプリンと食後のカプチーノで締める。パンはフランスパン1カットだけで、追加は代金を取られるしバターも出ない。店員の気配りもほとんどなく、同じ美術館のレストランでも、東京国立博物館のオークラに比べるとだいぶ落ちるなあ。ロケーションは最高なのに惜しまれる。鉄人石鍋裕プロデュースもこんなものか。お支払いは3000円ほどで、料理自体は悪くなく、リーズナブルだろう。11時の開店直後にすんなり入店したのだが、昼過ぎには平日でも長い行列。毎日新聞社のビルの食堂街でランチにしたほうが賢明だな。
プロフィール

テツ

「中年とオブジェ」とは赤瀬川原平の名著「少年とオブジェ」へのオマージュである。美術、オブジェ収集、エリック・ドルフィーを愛好する。

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