中年とオブジェ

美術館・街で見かけたオブジェ 旅先で手に入れたオブジェ オブジェの視点で世の中を楽しむ中年の日常。

東京都写真美術館

佐藤時啓 光ー呼吸 そこにいる、そこにいない




太陽光を手鏡で反射させたり、ペンライトが放つ光の軌跡を、長時間露光の大判カメラのフィルムに定着させ、その場所の風景が変容するさまを美しく写真で表現する作家、佐藤時啓(ときひろ)の個展が、東京都写真美術館で行われている。都内で彼の作品をまとめて観ることのできる充実した展示であった。

佐藤時啓の写真に私が感じるもの。それは大きくは以下の3点に集約される。

光によるランドアートアースワークとしての試み。
クールな美しさと、うちに潜む倒錯性
写真が「記録」のメディアとして機能すること。

まず,砲弔い董
「写真は、その場所になにも残さずにランドアート・アースワークができる。太陽の光そのものを作品にする。」という作家本人の言葉は、単なる2次元の写真表現を超えた、風景を自らの身体性により変容させて記録する写真という方法を端的に表現している。ダムなどの土木構造物のある風景を切り取る写真家柴田敏雄の作品にも、私はランドアートを観るような印象を受けるのだが、彫刻を専攻した佐藤の創作が3次元的なアクションに支えられているのに対し、油画を専攻した柴田がひたすら「視る」ことに徹するかに見えるのは、写真表現に至る2人の出自の差異の表れだろうか。

中年とオブジェ(2009.12.15)

目黒区美術館の「炭鉱」展に出品された、佐藤の夕張の炭鉱跡地で制作した作品を観て書いた拙文の一部である。制作過程の身体性が消失し、光の痕跡だけが場所の変容を果たす佐藤の写真は、たしかに一種のランドアートとして捉えられるだろう。ペンライトのエキセントリックな光跡が稠密に写された初期の作品には、その特質が殊に顕著に見て取れる。

そして△砲弔い
彫刻でモノを作っていくと、付随していくものがどんどん増えていく。僕自身がやりすぎてしまうタイプなのでよけいにそうなんです。でも、写真はその過剰な部分をすぱっと切り落としてくれる。どんなに苦労しても残るのは表面がつるつるした一枚の紙。その潔さが気持ちいい。

東京都写真美術館「eyes 2014 vol.81」佐藤時啓インタビューより

佐藤のこの言葉に、私はドイツの写真家トーマス・デマンドの作品制作との共通項を見出した。

デマンドの作品制作の膨大な労力が費やされるのはここからである。彼は選んだ画像を紙によって立体的に造形し、その「被写体」を再現する。そして、管理された照明のもとでカメラに収め、写真作品としてプリントするのである。

中年とオブジェ(2012.6.10)

そして、デマンドは原寸大に再現された紙による造形が被写体としての役割を終えると、その一切を撤収してしまうという。残される作品はプリントされた写真だけ。

過剰なエネルギーを注いだ制作過程と、作品として提示される「写真」のもつ潔さ。結果としてクールな印象を与える佐藤とデマンドの作品だが、そこには等質の「倒錯性」が潜んでいる。

「被写体」を選ぶことにおける非身体性と、それに反比例して膨大な「被写体」を作りこむことにおける身体性。トーマス・デマンドの作品の与える倒錯性は、我々が普通にイメージする写真家の在り方とのこの大きな差異に由来しているのではないだろうか。

中年とオブジェ(2012.6.10)

最後にであるが、開発途上のお台場で撮影された荒涼とした光景を目の当たりにすれば、佐藤の強い意思によりコントロールされた写真であろうとも、「写真」がまさにその「場所」と「時」を記録する動かしがたい機能を持っていることは明確である。今回は出品されなかった夕張の炭鉱跡地のシリーズが加わっていたならば、今は消失した風景を記録した佐藤の仕事のドキュメントとしての性質がより明瞭になっていたであろう。

本稿では触れなかったが、佐藤には手作りの様々なカメラ装置による写真の原理そのものの考察をうながす作品群もある。ポラロイドカメラにより光跡を捉えた海外の遺跡を舞台にした小品群は、とりわけ魅惑的であった。写真というフィールドを介して、新たな表現を模索する佐藤のこれからの展開を楽しみにしたい。

当事者性―グルスキーと米田知子

最近、美術表現と当事者性の関係を考えさせられることが多い。アンドレアス・グルスキー展(国立新美術館)と米田知子展(東京都写真美術館)を観て、いずれにも強く感じた共通項はその「当事者性」の曖昧さだ。




スーパーカミオカンデ・東京証券取引所・香港上海銀行・平壌のマスゲームなど現代社会の諸相を感情を排したクールな画像で提示するグルスキー。その徹底した造形美は、まるで神か異星人の如き視線からもたらされる。ジャクソン・ポロックの大きな抽象絵画の展示風景をとらえた写真を観て、ポロックの絵画が意味をそぎ落とした絵具による作画の痕跡そのものであるように、グルスキーの写真もこの世界のイメージを感情移入なく転写した光の痕跡であるように感じた。現代の高度資本主義社会・グローバリゼーションへの批評というような当事者性を帯びたメッセージは表層的なものであり、彼の表現の本質のすべてではない。




米田知子の個展「暗なきところで逢えれば」に出展された作品の多くは、空気感の描写に魅力のある静謐な風景・建造物写真であるが、画面だけからではその意味を読み取ることができない。出品リストに記載されたテキストを読むことで初めて、それがサハリンのロシアと日本の旧国境であり、伊藤博文が暗殺されたハルビン駅のプラットフォームであり、日本統治時代に建てられた台湾の和風建築の家の室内であることがわかる。あたかも、日本に関わる近現代史の残像が「あぶりだし」のようにテキストの力で写真の背後から浮かび上がってくる仕掛けである。

このコンセプチュアルな方法で、米田はそこにある風景を歴史の記憶に結びつける作業を観る者に課すわけだが、彼女のアプローチにも彼女自身が近現代史の当事者であるという感覚は希薄であると感じる。彼女の作品は画面に定着された美しい光と、背後に潜む歴史の闇との複層性で成り立っているわけだが、「当事者」なら持つであろう直截な訴求力からはへだたっている。米田の表現は、歴史の教科書で知りえた知識を、現地の風景の中で傍観者的に検証するかのようであり、そのクールさはどこかでグルスキーのまなざしが与える印象に通じている。

この稿で、私は当事者性の曖昧な表現を批判的に論じようとしているのではない。水戸芸術館現代美術ギャラリーで開催された「高嶺格のクールジャパン」は、東日本大震災そして福島での原発事故に向き合った表現活動であったが、高嶺はこの企画展においての自身の当事者性に触れこんなテキストを記している。

当事者性に関する話題は混乱していて未解決のままだ。しかし表現とは、そもそも対象と自分との距離を見定め、なんらかの形で関係が結べていないと不可能な作業である。従って「当事者とはなにか」という問いは表現にとって根本的なのだ。そして対象と一旦関係を持ち、それが表現となった以後には「自分が関わった責任」が発生する。表現は常にこの「責任」ということと無関係ではありえない。

高嶺格「3.11からクールジャパンへ」(高嶺格のクールジャパン展図録より)


グルスキーは、ワールドワイドな視座で自分と現代社会の距離を遠くへだて、「神の目」がみた世界を表現する。だがバンコクの汚染された川面の光をとらえた作品のように、地上的な「自分が関わった責任」も垣間見える。鑑賞者に世界そのものをみよと求めるかのように。

米田知子は、なにごともないような静謐な写真の中に歴史の記憶をあぶりだすことで、自身が当事者として告発するのではなく、鑑賞者とともに「自分が関わった責任」を共有する。鑑賞者は、知識にもとづいて歴史の現場におもむいた米田の体験を、自らもなぞるのだ。

ニーズを持ったとき、人はだれでも当事者になる。ニーズを満たすのがサービスなら、当事者とはサービスのエンドユーザーのことである。だからニーズに応じて、人はだれでも当事者になる可能性を持っている。

当事者とは、「問題をかかえた人々」と同義ではない。問題を生み出す社会に適応してしまっては、ニーズは発生しない。ニーズ(必要)とは、欠乏や不足という意味から来ている。私の現在の状態を、こうあってほしい状態に対する不足ととらえて、そうではない新しい現実をつくりだそうとする構想力を持ったときに、はじめて自分のニーズとは何かがわかり、人は当事者になる。ニーズはあるのではなく、つくられる。ニーズをつくるというのは、もうひとつの社会を構想することである。

上野千鶴子「当事者主権」


「当事者」とは私たちが通常思っているよりも、深い射程でとらえられるべき言葉なのであろう。この社会に適応してしまえず、もうひとつの社会を構想すること。それはまさに美術表現のひとつのあり方だ。日常的な意味での「当事者性」が曖昧に思えるタイプの美術表現には、かえってより深度のある『当事者性』を開く可能性があるように思われる。それは、鑑賞者が傍観者でいられなくなり、『当事者』に変容してしまうような構想力あふれた体験をもたらす。このような感覚はあまりに強い「当事者」による訴えかけが、かえって傍観者との溝を深めてしまうことと対比すれば了解しやすいであろう。

グルスキーと米田知子には、そんな可能性を感じさせられた。

畠山直哉展 Natural Stories



東北のジャズ喫茶ばかりを訪ね歩く旅をしたことがある。水戸・仙台・気仙沼・釜石・大槌・陸前高田・盛岡。当時盛岡には陸前高田ジョニー盛岡店があり、マスターのジョニーさんこと照井顕さんにお会いした。

美術の話題になり、写真家の畠山直哉氏が陸前高田ジョニーに高校生の頃通いつめていたいたことを知った。ジョニーさんは本棚から畠山の写真集「Underground」を取り出した。
「写真でこんな表現ができるなんて、もう絵を描く必要が無いですよ。」
「石灰工場の写真を撮っていたら、その果てにある都市のコンクリートに結びついていったというんだ。」

東京都写真美術館で畠山直哉の個展「Natural Stories」を観て、ジョニーさんの語った言葉が思い起こされた。畠山直哉の写真の特質はその「絵画性」にあるだろう。そのことは大画面のプリントに、より如実に感じ取られる。

炭坑のボタ山、製鉄所、コークス工場、炭鉱施設、石灰採掘場などインダストリアルな主題を扱った作品が今回の展示には多いが、それらは夕暮れにたそがれたり、蒸気にかすんだり、雪をまとったり、対象物そのもののドキュメントというよりも「○○○のある風景」として絵画的に描写される。

石灰工場から都市のコンクリートの暗渠を幻視する畠山の想像力は、目の前にあるインダストリアルな対象を超えてさらにその先にある深いところへと観る者をいざなう。大自然の生み出した氷河と、人間の作った山岳の模型を等価に描写する畠山の視線は、一片の鉱物標本から自然の造形を連想するような想像力ともいえるかもしれない。「銀河鉄道の夜」の中で銀河系の模型を登場させ、晩年に東北砕石工場技師となり、石灰の販売に奔走したという宮沢賢治のことも想起させられる。

そして震災後の陸前高田の写真。自身の郷里の惨状を目の前にしながら、畠山はあくまで冷徹に対象を見つめる。情緒的なまなざしを排し、静かな構図を示し、自らがひとつの玲瓏なレンズになったかのような写真。この風景の先にこれからどんな世界が紡ぎだされていくのであろうか。


陸前高田ジョニーは津波に流され、最近仮店舗での営業を始めたとニュースで報じられた。

ジョセフ・クーデルカ プラハ1968

invasion prague 68

ヴェトナムでは僧侶が次々と抗議の焼身自殺を行い、枯葉剤が密林に散布されていた。ボリビアではチェ・ゲバラが処刑され、シナイ半島はイスラエルの奇襲作戦によって占拠されていた。悲惨は世界のいたるところにあった。だが、それはほとんどわたしの耳許にまで達してこなかった。イザナギ景気とよばれる好景気が続き、TVを点けると山本直純が「大きいことはいいことだ」と連呼していた。1968年、日本はアメリカ、西ドイツに次いで世界第三位の国民総生産を誇るまでになっていた。

「ハイスクール1968」四方田犬彦


1968年4月に高校に入学したという四方田犬彦にとっても、激動する世界史は山本直純のコマーシャルの彼方にあったという1968年。私の世代にとっては、ジョセフ・クーデルカがプラハで撮影した1968年の出来事は同時代の記憶はおろか、「プラハの春」という言葉をなんとなく耳にした事があるばかりの、遠い存在であった。

1968年からプラハで始まった「プラハの春」は、検閲制度の廃止・言論の自由などを目指した改革だったが、同年10月に、この改革を弾圧するためにソ連を中心とするワルシャワ条約機構軍がプラハを占領する「チェコ事件」を引き起こした。結果として「プラハの春」は、ソ連が主導する共産主義への「正常化政策」により終わりを告げ、以後20年近くも民主化運動の歴史が遅滞したという。

東京都写真美術館の展示室は中央にコア型の映像展示室が設置され、コアの側面と四周の壁面に写真が提示されているシンプルな構成。この明快さがクーデルカの写真の強度をストレートに伝えている。

石畳の美しい歴史的街並を蹂躙する戦車の隊列。
機銃を構えたソ連兵士に向かって抗議するプラハ市民たち。
放火された戦車から立ち上る噴煙。

会場にもその写真が貼りめぐらされているプラハ占領に抵抗するポスターの数々や、抗議ビラや新聞を配布する市民の姿、ラジオ局前での攻防。そんな「言葉」による異議申し立て、「言葉」を守るための行動は中でもクーデルカの視線をとらえて多くの被写体となっている。

invasion prague 68

街中のいたるところに視点を求め、時に路面電車の上から、戦車の砲塔の上からさえこの事件を記録し続けたクーデルカの表現は、事象と距離を置いた傍観者の「フォト・ジャーナリズム」とは一線を画し、まさに事件の当事者である事により獲得し得た「事象そのもの」の記憶を画面に定着している。


絵画や写真にとって「記憶」のためのメディアという特性は重要な本質である。クーデルカが1968年のプラハで撮影した写真を目にしていて、先日ユネスコの世界記憶遺産に登録された、山本作兵衛の炭坑画の事を思い起こした。自らが炭坑労働者として人生を送った作兵衛は、写真による記録が十分になされなかった古い時代の炭坑労働や、炭坑町の風物・生活などを、記憶をもとに克明に描いてその歴史を残し伝えた。今回の記憶遺産への登録は彼の炭坑画の美的価値よりは、歴史的資料としての側面に光を当てたものととる見方もあるだろうが、本来優れた絵画は歴史を記憶するメディアとしても真価を発揮するものであろう。

山本作兵衛の炭坑画が、記録のための記録を超え、その画面が過剰な力に満ちているように、クーデルカの「チェコ事件」の記録も、歴史的事実を伝える力にとどまらず、1枚1枚の画面から多様な感情・意味を読み解き、光と影の美しさに魅入る体験を与えてくれる。

「事実の重み」の一言では汲みつくせない表現の強度が、クーデルカの写真にも作兵衛の炭坑画にもたしかに存在する。

古屋誠一 メモワール.

古屋誠一

東京都写真美術館で写真展、古屋誠一 メモワール.「愛の復讐、共に離れて…」を観た。古屋の写真は、2008年にオペラシティーアートギャラリーの「トレース・エレメンツ」展で観た時の印象が強く残っていた。その時はたしか精神を病んで自死した妻クリスティーネの手記も展示されていたと思う。

写真の中のクリスティーネをみるとき、彼女がたどった人生が彼女の表情に落としている影を探してしまうことから逃れることは困難だ。幸福そうな笑顔の中にも、冷たい無表情なまなざしの中にも、すべてが彼女の病と死に帰結する萌芽であるかのような「影」を読み取ろうとしてしまう。

たとえば、古屋の郷里を旅したときの美しくさわやかなポートレイト「伊豆」。よく観ると首筋と手首には彼女の自傷行為の痕が見いだされる。

伊豆

しかし、そのことによって「伊豆」で彼女が過ごしただろう幸福な瞬間を否定するのは、現在から過去を振り返ったときになされる「改竄」であろう。

わたしたちは、作品を見ているようで、実際にはその背後にある、作者に固有の物語が大好きです。
そうした物語は、えてして波瀾万丈です。耳を切ったゴッホなどは、その典型でしょう。
そうすると、作品を見ているようで、実際にはそこに作者の影を見ているような錯誤が、どうしても起こってしまいます。
この麦畑の絵は、耳を切った狂気の天才、ゴッホが描いたのだ、というふうに。

「反アート入門」椹木野衣

精神を病み、生きていく均衡を失い、自死にいたったというクリスティーネの物語を絵解きする素材として、彼女の写真を観ないこと。画面に切り取られたその時、その時を先入観なくとらえること。観る者が自由に写真と写真の「間」を編んでいくこと。そうしたことが、写真の中の「他者の過去」を、「自分の現在」につなげていく営為であると思うのだ。

私は、クリスティーネが自死した事実を忘れて純粋に写真そのものを観よといいたいのではない。写真がとらえた彼女の総体に、物語の枠をこえて目を向けよといいたいのだ。

物語化された記憶は、都合のよい「過去」だけを抽出して編みなおされる。だが容易な物語化を拒絶する狭雑物をはらんだ記憶は、「過去」に収まりきらず「現在」をも侵食するはたらきを持っている。写真というメディアの特性も、まさに「過去」を「現在」につなぐ点にあるだろう。古屋誠一の撮った妻クリスティーネの写真は「私写真」であることをこえ、現在のわたしにまでつながっている。

反アート入門
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「森村泰昌・なにものかへのレクイエム」に寄せる断章

森村泰昌

東京都写真美術館での展示を鑑賞してひとつきが経ってしまった。この展覧会の体験、なんだかあまりにいろいろなコトを感じてしまって、いまだ言葉にまとめることができないでいる。東京は会期終了したが豊田・広島・兵庫への巡回もこれからだし、とりあえず感じたことをあれこれ書き散らしてみよう。


カフェのあるエントランス吹き抜けでループされ続ける「MISHIMA」。森村さん、やっぱりこれが一番見せたいのね。横浜美術館での個展「美の教室、静聴せよ」(2007)でも一番気合が入っていた「MISHIMA」。存在しない聴衆に向かって、現代美術の状況を憂える檄(げき)をとばす孤高のMISHIMAは現代美術に殉ずる、芸術至上主義者の『森村泰昌』を三島由紀夫に扮した「森村泰昌」が演じるというトリッキーな仕掛けによって成り立っているわけだが、そこには作家のコンセプト・自己韜晦・本音などを一義的にとらえることの不能な、多義的な表現の面白さがある。
※「美の教室、静聴せよ」についてはこんなことを書いた。


20世紀を記録する写真をモチーフに求めた時、森村泰昌は共産主義・ファシズム・戦争などのテーマに突き当たるが、南アフリカのアーティスト、ウィリアム・ケントリッジが母国のアパルトヘイトなどの近現代史への取り組みを経て、ロシア革命期の官僚制を不条理に描いたゴーゴリの「鼻」を最新作のテーマにしたように、「ロシア革命」「共産主義」はアートを通してコミットすることで、新しい視座を提示できる領野なのではないだろうか。


釜ヶ崎の労働者をエキストラにして撮影された、レーニンとしての森村泰昌の演説。ふと黒澤明が、原爆被爆者のエキストラを使ったという映画「八月の狂詩曲」のロケの逸話を思い出した。かの黒澤天皇のことであるから、被爆者たちにも厳しいダメだしをしたとか、しなかったとか。森村が釜ヶ崎の労働者にどういうスタンスで臨んだのか興味のあるところだ。映像から伝わってくるのは、存在しない聴衆を前にしたMISHIMA同様、手応えのない孤立感を漂わせるレーニンとしての森村。「労働者との連帯」が幻想であるとシニカルに提示するかのような演出でもあり、労働者に「劇的」な演出を強制するような権力をかざさない自由さを感じさせもする。


絵的に楽しかったのは、第三章「創造の劇場」で有名芸術家に扮した作品。ピカソに観る「似る」ことへの執念、イヴ・クラインが宙を飛ぶバックのレトロなパーマ屋、顔を知らないのに似ている気にさせられてしまうエイゼンシュタイン。いかにも「戦艦ポチョムキン」撮りそう!


昭和天皇・マッカーサー会見をモチーフにした写真のなんと異様なこと。昭和天皇でありマッカーサーでもある森村という位相のよじれた関係を1枚の画像に定着してしまうトリックは、「クラインの壷」をぱっと提示されたような気分がした。


映像作品「海の幸・戦場の頂上の旗」。「海の幸」のタイトルが依拠する青木繁の名画をイメージしたシーンの詩的な美しさに惹かれた。画材や楽器を携え、芸術に捧げる白い旗をシンボリックに掲げる兵士達。しかしこれは表面的な「芸術至上主義」・「芸術賛歌」では語りつくせないだろう。硫黄島で星条旗を掲げたアメリカ兵の姿とオーバーラップする芸術の「戦士」。一筋縄では解けない、多義的なメタファーが盛り込まれている。


大阪の下町の鶴橋にアトリエを構える森村泰昌。その表現はどこかサービス過剰な関西仕事。同時に自己の表現の多義性についても極めて自覚的であろう「知性」も含めて「うさんくさい」芸風であることは間違いない。あいまいさを織り込み済みのコントロール。でも、この人はまだまだもっと先へ行きそうだ。


三島由紀夫は「私には無意識は存在しない」と語っていたという。人間の潜在意識を説いた唯識仏教でいう阿頼耶識(あらやしき)にあたるものが自分には無いという意味だったそうだが、普通の作家なら無意識に発露させる部分まで自覚的にコントロールするという三島の姿勢に、森村泰昌は自身の作家的資質を重ね合わせているのではないかな。やはり森村にとってMISHIMAになることは究極のコスプレなのだ。

旅 第2部「異郷へ」 写真家たちのセンチメンタル・ジャーニー

旅

東京都写真美術館収蔵展「旅」第2部「異郷へ」を観た。チラシの写真にも選ばれた柳沢信「岩国にて」(1972年)に、グッと心をつかまれてしまった。名所錦帯橋をバックに記念撮影する学生達。それだけの被写体が、写真家の眼差しによって現実とは思えない異世界の風景に変貌する。斜めに傾いた構図が不安感をかきたて、制服の黒が死の影を漂わせる。背景の紗がかかったさまは焼付けの妙であろうか。此岸から彼岸へと架橋された幻の橋のようだ。

未知だった写真家柳沢信の写真は他の作品も強く訴えかける力を持っていて、川崎の工業地帯と、萩・津和野の街並みを交互に組んだ連作「二つの町の対話」も強く印象に残った。

須田一政が、郡上八幡の風景をバックに撮影した女子高生のポートレイトは橋口譲二の「十七歳の地図」そっくり。この写真を橋口がパクッた疑惑を感じる。ストレートでブレが無くいい写真だ。

その他、荒木経惟の「センチメンタルな旅」や森山大道の「北海道」、牛腸茂雄、土田ヒロミなどお馴染みの写真家も。

写真家の多くは、その根本において旅人である。旅先で何を見るか、それをどう切り取るか。その個性は様々だが、写真は「場所」と「時代」の記憶を定着させることにおいて「旅」と親和性の高いメディアなのだろう。旅先の記念写真こそが、「場所」と「時代」を記憶にとどめる「旅」の写真の原点だと思われるが、柳沢信の「岩国にて」は、表層的な記憶の奥底にある無意識さえ表現した「記念写真」である。

やなぎみわ マイ・グランドマザーズ

やなぎみわ

トシをとったらどこかの温泉地でのんびり過ごしたいとずっと思ってた。
70過ぎてから湯布院に引っ越して、望み通りの気楽な数年を過ごしたけど
極楽のような風景を毎日見ているうちに、この箱庭を出て
どこか遠くへ行きたいと思うようになった。
思いが募って、ついに身内には何も言わずにロス行きの飛行機に乗った。
今思えば私は湯布院で一度死んで、あの世からシャバに戻ったのかもね。

アメリカで出会った若い恋人と、サイドカーでアメリカ横断をするおばあちゃん。ある若い女性が自分の50年後を想像して創りあげた架空の風景だ。おばあちゃんの顔は特殊メイクアップによるもの。

コンストラクテッド・フォトというジャンルは面白い。モデルはメイクアップし、小道具・大道具・背景をしつらえ、さながら一編の映画を撮影するような制作過程。東京都写真美術館やなぎみわの個展「マイ・グランドマザーズ」を観た。

チラシの作品同様、女性達の50年後の姿を描いた写真と、様々なテイストのテキストの連作「マイ・グランドマザーズ」はやなぎが2000年から発表し続けているシリーズ。

「エレベーター・ガール」に見られた、写真の合成・レタッチなどの技術と色彩の魅力、「無垢な老女と無慈悲な少女の信じられない物語」で見せた特殊メイクの技術と物語性が、「マイ・グランドマザーズ」ではより鮮やかに展開されている。

将来への夢が人様々であるように、この連作の作風も多様であるが、やなぎが画面に定着させたイメージにはブレがなくその完成度に驚く。

私が中でもお気に入りの作品は、SFテイストのもの。

・臨終の男性に、機器を装着しヴィジョンを見せる「看取り屋」の老女
・未来の廃墟を背景に静かに佇む老女
・ロケットが不時着した海の岩場。波と戯れる若い娘たちのなか立ち尽くす老女
・銀河鉄道999のメーテルのような扮装で、幼い子供たちと雪原を行く老女(これはやなぎみわ自身だそう)

孫の「女王様」と世界中をまわる、元SMの「伝説の女王」の老女は、かなりストレートな描写にドキリ。

老いるということは、とかくネガティブにとらえられられがちだけれども、自分自身を再生させる可能性をはらんだ「老い」を生きる「グランドマザーズ」たちの姿からは、静かに深く未来の記憶が伝わってくる。

この展覧会、面白い!

※会期は5月10日(日)まで。国立国際美術館(大阪)に巡回。

ランドスケープ―柴田敏雄展

秩父市

















巨大な規模で大地そのものに作品を造り出す、ランド・アート、アース・ワークと呼ばれる芸術表現がある。イサム・ノグチのモエレ沼公園などもランド・アートが実現した例のひとつだ。

山間のダム、コンクリートの擁壁、鉄橋などの土木建築物のある風景を切り取った柴田敏雄の写真は、まるでランド・アートの記録写真のように「芸術的」に見える。しかしそれらの土木建築物に建築家の造形的「意思」はない。機能が求めた造形の中に、作り手の意識には無かった「美」を見出すのは、まるで精神分析医が患者の無意識の世界を掘り起こすのにも似た作業だ。

都市の中に、人々が無意識に生み出した造形物を発見し「超芸術トマソン」と名づけたのは赤瀬川原平だが、柴田敏雄の撮影する写真はまさに芸術ではないものの中に芸術を超えたものを発見する「トマソン」のフィールドワークの延長線上にあるように感じられる。

宮ヶ瀬平川市








モノクロで撮影した時期の作品では、山の木々は黒く潰れ、人工物の造形が際立って伝えられていた。しかしカラーの作品では、自然と人工物とが並立して、奥行きを排除した平面的な構図のもとで捉えられ、現実感がより希薄になっている。この変化には、造形の発見の喜びから画面構成の絵画的表現への傾斜が見てとれる。

「自然美を伝える多くの写真が意図的に排除する人工物による自然破壊を直視した」というような、現代美術としての商品価値を上げる社会的メッセージに、この作家の表現の本質はない。土木工事が意図せずに生み出してしまう造形美、無意識の美の発掘作業にこそ、その創作の根源があるのではないだろうか。

東京都写真美術館で2月8日(日)まで。

モエレ沼公園探訪時の記事

土田ヒロミのニッポン

土田ヒロミのニッポン最近は正月2日から開館している美術館が結構ある。上野の「博物館に初もうで」もいいけれど、今年最初は恵比寿の東京都写真美術館を選んだ。「土田ヒロミのニッポン」。土田のヒロシマをテーマにした写真集は見たことがあったが、今回はヒロシマ三部作をはじめとして、60年代後半から近作までの回顧的展示となっている。

ヒロシマ三部作は、子供時代に原爆の被爆を体験した人々のその後の姿を追ったポートレイト、「ヒロシマ1945〜1979」からはじまる。被爆時の体験記の文章がキャプションとして添えられている。「はだしのゲン」の作者、中沢啓治の姿もある。そして原爆ドームをはじめとした、原爆遺産を撮影した「ヒロシマ・モニュメント」、広島平和記念資料館の遺品を記録した「ヒロシマ・コレクション」へと土田の仕事は続いていく。原爆の熱でグニャグニャに変形した瓶や、ボロボロの衣服の断片などを冷徹なモノクロの写真で見つめた「ヒロシマ・コレクション」がとりわけ印象に残る。

日本各地の群集の姿をとらえたのが、モノクロの「砂を数える」とカラーの「新・砂を数える」の連作。皇居の一般参賀・市民マラソン・大磯のプールなど人で埋め尽くされた画面に、繁栄する日本の姿がシニカルに切り取られている「砂を数える」に対して、カラー補正などデジタル処理をされた「新・砂を数える」では、鳥取砂丘や養老天命反転地などに群れる人々の姿が、虚構の世界のように映し出される。「群集」の質そのものが、時代とともに肉体的なきしみのあるものから、バーチャルなものへと変質したことを表現しているのだろうか。

謹賀新年祭りの装束・お面などをカラフルに大判でプリントした「続・俗神」は、日本の土俗的な造形美をデザイン的に抽出することで、どこか無国籍でモダンな印象さえ感じさせる。この連作は、謹賀新年のポストカードにもなっていた。

土田の切り取った「ニッポン」は多様だが、その表現には写真というメディアの持つクールな客観性が通底している。自分の「老い」さえも定点観測的にセルフポートレイトし続けている「Aging」がその頂点だろう。被爆者の遺品をオブジェのように撮影した「ヒロシマ・コレクション」も、そのクールで静かな画面は物品のカタログのようにさえ見える。しかし、そこに包みこまれた深いメッセージは、観る者に強く訴えかけてくる。平和を求めるメッセージが、声高に叫ばれるばかりではないことの証左だろう。

同時開催されている、「スティル/アライヴ」展と「文学の触覚」展は観るべきものがなかったなあ。
プロフィール

テツ

「中年とオブジェ」とは赤瀬川原平の名著「少年とオブジェ」へのオマージュである。美術、オブジェ収集、エリック・ドルフィーを愛好する。

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